2017年12月16日

適度なストレス

楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。しかし頑張らなくては楽しめない。在職中はカラオケ嫌いと言うよりも、歌えない人として知られていた。長い間、自分でもそう思って来たが、二つの出来事がキッカケとなりカラオケを楽しむようになった。

第一のキッカケは親しくしているAさんに誘われたこと。下手同士でカラオケをやろうと言うのだ。もう一人の下手な人はお年寄りのBさんだが、しばらくして病気で亡くなられた。代わりに二人のお爺さんが仲間に加わった。4人グループだが私が一番若い。人は入れ替わったが12年も続いている。次は誰の番かなとか言いながら楽しんでいる。

Aさんは毎回、ジョッキ1杯のビールを御馳走してくれる。その上いろいろな割引サービスを利用して、当初は会費を150円ぐらいに抑えてくれた。歌が下手なお陰で大サービスを受けてしまった。まったく何が役に立つか分からない。

第二のキッカケは約10年前のこと。地元のコミュニティFMラジオ番組で中島公園の話をする機会があったが、放送時間が1時間もある。一人じゃもたないと思って元プロ歌手のCさんに応援を頼んだ。そして取材のつもりでCさんが主宰するカラオケ例会に参加した。

歌いたいから参加したと誤解されて半強制的にステージに立たされた。これが縁で例会にも参加するようになった。この二つの偶然がなければカラオケをやることはなかったと思う。チャンスに恵まれ老人力に背を押され、いつの間にかカラオケが趣味になっていた。

音痴だから練習しないと歌えない。せっかく練習をしたのだから、と言う気持ちに押されて歌いたくなるのだ。練習は動機づけとして何よりも大切である。決して上手くなるためではない。それよりもっと良いことがある。

例会で歌っていると緊張したり、楽しかったり恥ずかしかったりするから刺激になる。これが健康のために良い。毎日ノンビリ暮らしている私には適度なストレスが必要なのだ。

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2017年12月09日

昔の航空路管制

新聞に管制トラブルに関する記事があった。かって働いていた職場なので遠い昔を思い出した。札幌航空交通管制部においての対空通信障害で空港が大混乱だそうだ。約1時間半後に復旧したが、34便が欠航し、遅延が26便あったとのニュースが流れた。ところで航空管制官の約半数は空港ではなく航空機の見えない管制部で働いている。

ふと昔を思い出した。何日間かにわたる長期の障害だが影響は殆ど無かった。交通量が少なく、レーダーもコンピューターもなかった時代だ。当時は我が職場の存在感も薄いなと感じて少し寂しかった。もちろんマスコミ報道もない。1970年代初めの頃だった。  

人手に頼る半世紀前の航空路管制では紙(運航票)と鉛筆と電話さえあれば仕事はできた。無線障害があっても隣接管制機関や空港と専用電話を使って適切な調整をすることで対応できた。しかし今は違う。規模も機能も様変わりだ。

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昔の運航票(コールサイン、ルート、高度、速度等のデータを書き込む)

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約50年前は運航票と無線・有線電話だけ。箱の中はゴム印、これが唯一の工夫。

当時はノンレーダー管制、即ち運航票に各航空機ごとに記載されたデータを見ながら有線・無線電話だけで管制業務をしていた。次にレーダーが入り、最終的には航空路レーダー情報処理システムによる管制業務となった。

この間に交通量も急激に増え仕事も難しくなった。ノンレーダー時代は衝突防止中心の業務だったが、レーダーが入ると秩序ある流れを作ることが重要視された。地上の管制官が飛んでいるパイロットに針路や速度を指示しなければならなくなったのである。40歳すぎてから仕事の質が変わると本当にシンドイ。

ところが最近、面白い研究がされている。パイロットも車のドライバーのように窓の外やミラーを見ながら交通状況を把握できるようにする。航空機同士がデジタル情報を送り合うことによりコックピットのディスプレイに交通状況を表示する研究が進んでいるそうだ。又、管制指示をコンピューターに代替させる研究プロジェクトもあると言う。
航空管制科学研究者へのインタビュー記事。 → 空の旅の裏側に広がる科学の世界


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2017年12月02日

大ちゃん〜幻の決闘〜

中学3年の頃だが忘れられない同級生がいた。大ちゃんと呼ばれた親分肌の生徒である。友人と言うよりも親分子分の関係に近い。彼の呼び掛けで10人くらいの子分が集まる。15歳の大ちゃんは体格がよく大人並だった。

中学時代当時も虐めが多かった。大ちゃんは「虐める奴がいたら俺に言え、片をつけてやる」と頼もしい。彼はアルバイトでトラックの助手をしていた。運転手が生意気だからぶん殴ってやったとか武勇伝を面白可笑しく聞かせてくれる。

ある日、意地悪なA君に呼び付けられた。毎度のことだが放課後氷川神社に来いと言うのだ。大ちゃんに相談すると、一緒に行くから心配するなと言った。A君は神社の近くの林の中で空気銃を持って立っていた。彼が無理難題を押し付けるときは必ず空気銃を持ってくる。私はそれを見ただけでビビッてしまうのだ。

気が弱いので空想の中で仕返しをする。A君をメタメタにやっつけて「ゴメンナサイ。もう決して虐めません」と泣かせて謝らせる夢を見る。今回は空想でなく大ちゃんが付いている。夢は正夢となるだろう。「お前はここで待ってろ」と言い捨てて大ちゃんはA君に向かって行った。いよいよ始まるぞとワクワクした。大ちゃんにとって同学年のA君なんか朝飯前だ。何しろ大人のトラック運転手だって叩きのめすのだから。

期待に胸を膨らませて二人を見ていると。あれれ、まるで仲良しだ。A君も大ちゃんも笑っている。まさか二人で私を笑い者にしているのではないだろうな。一体どうなっているんだ。疑念がわいてきた。しばらくすると大ちゃんは意気揚々と引き上げてきた。「話しつけて来たからな。もうAはお前に手出しはしない」と厳かに言った。その後虐めはなくなった。

安心はしたがガッカリもした。解決はしたものの大ちゃんはA君を懲らしめてはくれなかった。私を虐め尽くしたことは、無かったことになったのだ。助けてくれた大ちゃんに感謝したのは大人になってからである。

A君は空気銃、大ちゃんは腕力、お互いに強力な武器を持っているが、話し合いで解決をした。「子分」のもめ事でいちいち喧嘩をしていたら「親分」をやって行けないだろう。大ちゃんの様な生徒は今も居るに違いない。事件にならないから報道されないが。そして私の様な愚かで恩知らずの生徒もいるだろう。助けてもらったのにお礼も言わない。自分の思い込みが強すぎて助けられたことに気付かないのだ。その代り今でも時々思い出す。

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2017年11月25日

次は何だろう?

歳をとると物忘れが激しくなるが、それだけではない。在るものが見えなくなるのだ。それが冷蔵庫の牛乳ならいいが交通信号となると危ない。これからは年寄りみたいにノロノロ歩かなければならない。遅まきながら老人と自覚した。

街中を歩くときは信号を見ながら効率よく歩いていた。例えば遠くから信号の変わり具合を見て直進するか右折するか決める。あるいは信号が変わるタイミングに合わせて早く歩いたり遅く歩いたりする。要するに信号待ちの時間を少なくするように歩くのだ。

その癖が悪い方に作用してしまった。間違えて赤信号で横断したのだ。こうなると老人力とか言って笑ってすまされない。医院を出て直ぐ、歩く方向の信号が赤であることを一瞬の内にに確認した。前が赤なら左は青に違いない。急いで方向を変えて渡ろうとした。これがまずかった。短いけれど両方とも赤になる時間帯がある。

歩き出すと同時に信号待ちのトラックが動き出し、プップと警告された。何故だろうと思いながらも先を急いだ。そうしたら反対側で信号待ちしていた赤い車も動きだした。後ろにも前にも行けなくなり道路の真ん中で立ち尽くした。有難いことに赤い車が止まってくれたので頭を下げて通り抜けた。書くと長いがせいぜい3秒以内で起こったことだ。心ならずも交通の流れを遮断する、迷惑な老人になってしまった。

何故こうなったかと言うと、医院から出たばかりで信号が何時変わったか見ていなかった。それなのに他の方向は青と思い込んだ。寒かったので早く日当たりの好い向こう側に渡りたかった。致命的なのは一旦青と思い込んだら他の色が目に入らないことだ。

最近、こういうことがよくある。例えば「牛乳とって」と言われて冷蔵庫を探しても無い。「あるはずだかれ良く見て」と言われて見るとある。存在する物が目に入らなかったのだ。とても不思議だが、こんなことがよくある様になった。脳が老化している。

探し物が一時的に見えないくらいはいいが信号の見落としは困る。街中を気軽に散歩とは行かなくなったのだ。歳をとると共にいろいろ出て来る。先ず物忘れ、次に在るものが見えなくなった。さて、その次は何だろう?

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2017年11月18日

本当は凄いんだ

私は才能に溢れた人間だが、それは何処かに隠れていて未だに見つからない。仕事が苦手で苦労したし趣味は「下手の横好き一本鎗」。そんな人生だが振り返ってみた。1940年出生、3億といわれる精子の中で一番強くてたくましい個体として選ばれ、この世に生まれた。唯、それだけで素晴らしい。みんなそう言っている。家のトイレにも張り付けてあるので1日に何回も見ている。一応、生まれることに成功したと胸を張って言えると思う。
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1955年中学卒業に成功した。「世界では約7億8,100万人の成人が読み書きができない」と言われている。それなのに何の努力もしないで中学を卒業し、読み書きができて九九も暗唱できるのだ。もし読み書きと金勘定が出来なければ最低限の暮らしさえ維持できない。よく考えれば中学卒業とは素晴らしいことだ。

1963年定職に就くことに成功した。お陰で衣食足りて家族を作り家も建てた。電話も付けたし車も買った。これこそ子供の頃には予想もできなかった大成功! 2001年定年退職して年金をもらうことに成功、長年の夢が現実となった。

2017年喜寿まで生き延びることに成功、予想をはるかに超えて、還暦、古希はおろか喜寿に至る。極めて目出度い。これほど幸せな老後を迎えるとは夢にも思わなかった。このように成功街道まっしぐらの人生だったが、一つだけ失敗したことがある。

それは自分の才能を見つけ出せなかったこと。3億個の精子の中から選ばれて、この世に出てきたのだから何か優れた点があるはずだ。才能はあるのに見いだせない。こんな悔しいことはない。100歳まで生きるとしても残りは33%、しかも高齢、状況は極めて悪くなっている。探せば絶対にあるはずなのに諦めることにした。苦渋の決断である。

こうして才能と言う宝は体内に埋まったまま、私と一緒に墓場に行くことになった。あらゆる手を尽くして探したが見つからない。仕方がないから下手の横好きで歌っている。しかし、それは仮の姿。本当は私って凄いんだ。とか言っら信じてくれるかな?

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般