2024年02月24日

ツレ

「今日は寒いからナベにしようか」とツレが言った。買い物を終えて帰って来たツレは「酒も買っちゃったぁ」と少しはしゃいでいた。見ると350mlの缶ビールが一つだけ、二人で分けると軽くコップ1杯ずつだ。それでも4年ぶりに我が家の食卓にのった酒だ。小さな幸せをもらったような気がして嬉しかった。

ところで、妻と書くのを嫌ってQPとかWF、D子とか書いていた。しかし、いずれもしっくり来なくなった。そして、現実を踏まえれば「お母さん」と呼ぶのが一番いいと思った。そう思ってそうしたが、4年たつと、そう書くことにも違和感を覚えるようになった。

前回のブログで「ツレは私のことをこう思っているだろう」と思わず書いてしまったが、私にはピタッと来た。しかし、ツレとは何だろう? 早速ネットで検索すると、気に入った「ベストアンサー」にたどり着いた。

そこにはこう書いてあった「彼女や恋人には使いません。同行しているお連れさまの意味でもありません。仲のいい友達を表現する時に『連れ』といいます」。私は仲のいい友達という表現が気に入ってしまった。

しかし、本当の意味はどうなんだろうと辞書を見る。「一緒に伴って行くこと。一緒に行動すること。また、その人。同伴者。[補説] として、仲間、友人、また、伴侶、配偶者の意でも用いる」と書いてある。

そう言えば、私が若いとき年配の紳士が落ち着いた感じでツレがとか言うのを聞いたことがある。その時は私の様な落ち着きのない若者には似合わない言葉と思っていた。

ところが、最近テレビで観た映画『ツレがうつになりまして』では、若い妻が夫をツレと呼んでいる。しかも夫を呼ぶときもツレー!と大きな声で呼ぶのを聞いて驚いた。しかし、映画を見ている内に次第に慣れていった。

ところで、渡哲也が歌う『みちづれ』が好き、特に2番が大好きだ。「寒い夜ふけはお酒を買って たまのおごりとはしゃぐ姿に きめたきめたおまえとみちづれに(作詞:水木かおる)」と歌っている。しみじみとした小さな幸せを感じる。自分にはこのぐらいの幸せがちょうど良い。

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10歳から72年間も楽しんでいる映画はツレ。昔は映画館、今テレビ。
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2024年02月17日

根無草の人

人について書くのは大好きだが、当人に読まれるのが怖くて書けない。だから身近に絶対に読まない人が居るのは有難い。それはお母さん(妻)、私がパソコンで何をコツコツやっているか全く興味もないし、話題にもしない。お陰で、何も気にせず自由に書くことができる。

私は天涯孤独、小・中学校は東京都渋谷区、就職して渋谷を離れて以来、両校にとって私は行方不明者となる。その後、職と共に住所を転々、名前も伊吹から中波に変わった。これで住所不定者?になったのか選挙もできなかった。

定住者と認められ選挙通知をもらったのは26歳になってからだった。だから私の過去については誰一人知る人も居ない。結婚して子もいるから、正確には天涯孤独とは言えないが似た様なものだ。

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寂しくなったら空を見に豊平川に行くが、そこで憩う人々は楽しそう。

二人暮らしでもいろいろあったが、今は静かにノンビリと暮らしている。このブログにも「お母さん」と称して登場させてもらっている。今回は立場を入れ替えて彼女に書いてもらうことにした。と言っても書いてくれる筈がないので無断で代筆。もし書いてくれるとしたら以下のように書くと思う。

同居人はどう考えても「お父さん」と呼べる様な人ではないので仮名をつけることにしました。ヒンスケがいいと思う。貧乏自慢のヒン。テレビで「おしん」をやっていた時も「オレのほうが、もっと貧乏だった」と自慢していました。スケは想像に任せます。とにかく頭が禿げてヨボヨボになってもモテたいと言うのですから呆れています。二つ合わせてヒンスケ。ドンピシャではないでしょうか。 

「今度生まれ変わったら、パンダになるんだ。大事にされて、楽してモテるんだ。こんないいことはない」と、耳にタコが出来るほど聞かされました。パンダ名はピンピンにしよう。彼の憧れですから。 

ヒンスケは私がご飯の支度をしている時に、ノンビリと新聞を読んでいます。仕事をしているならともかく、退職してまでこれではたまりません。手伝わせてはみたのですが全く使いものになりません。不器用なのは仕方がないのですがやる気が全然ないのです。邪魔になるだけですから、何も頼まないことにしました。

ピンピンコロリと行ってくれればいいのですが、私が先に行ったらどうするつもりなのでしょう。息子に文句言われるかと思い心配です。「ヒンスケが転がりこんできた。自立できないのはお母さんの教育が悪いせいだ」とか、あの世に行った後まで非難されたらたまりません。早飯は芸の内とは言うけれど、こんな遅い人は見たことありません。いつまでたっても片付かないので私は新聞を読んでいます。

「チョットご覧なさい。いいこと書いてありますよ」
『妻に頼らず 元気で長生き 男の料理 実習100回』
と、見出しに書いてありました。
「コンビニもあるし食べる所は幾らでもあるよ」
「外食すればお金もかかるでしょ」
「オレなんか1か月3000円で食べてたよ」
「それは独身だった昔でしょ」
「今だって納豆、卵、サバ缶なんか安いよ」 
「安いものには危ない食品も多いいですよ」
「もう83だからね」
「それがどうしたの?」
「安全食品でオレの寿命、何年のびるかな」

ああ言えば、こう言う。食べるのだって遅くてイライラするから、食事中に皿などドンドン片付けてやります。そうすると「ホテルのディナーみたいで楽しいねぇ」とか言ってるのだから腹が立つ。めんどくさくて食事付きの「老人ホーム」でも行きたいと言えば、アチコチから資料を集めて、ここが良さそうだとか楽しんでいます。ただ生きているだけで幸せな、根無草みたいな人と暮らすのは本当に疲れます。

ツレは私のことをこう思っているだろう。ところが、私自身は感謝と反省の日々を重ねている。感謝しながら生きていける人生は素晴らしい。さて、これからどうしよう?
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2024年02月10日

元気で留守がいい

相変わらず、朝食はテレビを消して話しながら食べている。先に食べ終わったお母さん(妻)は、同じ場所で新聞を読みながら話を続ける。これも習慣である。

「あんたも見習いなさい」と言いながら、新聞を見せた。 
『妻に頼らず 元気で長生き 男の料理 実習100回』
との見出しが目に入った。

「昔は、すっかり奥さんに頼りきっていた様ですね」
「何言ってんのよ。他人事みたいに」
「はぁ…?」
「アンタなんか自分で作ろうともしないでしょ」
「そうですね。いつも有難うございます。感謝してますよ」

そうは言ったものの腹の中では別のことを考えていた。一体、いつ飯を作ってくれと頼んだのだ。作ってくれるから一緒に食べているだけじゃないか。私だって食事の作法は守っている。食べるときは頂きます。食事中はこれ美味しいですねと感謝の気持ちも伝えている。食べ終わればご馳走様は欠かさない。 

何が不満なのだ。お客さんとしてのマナーはちゃんと守っているじゃないか。ひょっとしてお客さんという態度がいけないのかな? そもそも私には誰かに頼って飯を食うという発想はない。自分の口は自分で賄うものと思っている。長い間作ってもらっているのは、分業と思っていたからだ。

私が働いて給料を家に入れる。お母さんはそれを原資に家事一切を行う。その中に食事の支度も入っている。ただ、それだけのことと思っていた。だが無職の今でも続いているのは何故だろう? 話は簡単だ。お母さんは私が作ったものなど食べたくないからである。 

私の思いを聞いてほしい。一人よがりは自覚している。複雑な料理は実用というよりも、アートとか趣味の世界だと思っている。実用なら煮たり焼いたりできればそれで十分だ。更に美味しいものをというのは、人それぞれだろう。

世間を騒がせている食の安全については、追及すればきりがない永遠の課題である。そもそも死亡率100%の人間にとって「絶対危険」はあっても「絶対安全」はない。このことは誰もが承知していると思う。しかし、食の安全問題がマスコミを賑わしている。

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ところで、今日は楽しいランチ会。私ではなく、もう一人の方だが私も楽しい。留守の間に好きなものを勝手に食べることができる。以前、一人で留守番のときタラコを食べて叱られた。お客さん用に買って置いたものらしい。美味しいものは見た目で分かる。これでもなかなかの食通のつもりだ。

それからというものは、私を一人で置いておくときは、アレコレ指示をして出て行く様になった。余計なお節介だが後で叱られるよりはましだ。今日も昼食の指示はあったが、それは無視をして好きなものを食べることにした。メニューはお粥と梅干だ。凄く楽しみだ。「元気で留守がいい」のはお互い様である。

お粥は美味しい。もちろん家で食べる、いかなる料理よりも美味しい。ブランド米にブランド梅干。これらがお粥を美味しくする。内緒で作るのが少し辛いところだが、これには訳がある。このメニューについては「私が食事の支度をしましょう」と言って勧めたことがある。 

お母さんはテーブルの上のお粥と梅干を見るなり「私は病人じゃないよ」と言って、冷蔵庫から、いろいろ出してレンジでチンチンやりだした。手抜き料理と誤解したらしい。実は美味しいお粥を作るのは凄く難しいし失敗も多い。甘くとろみがほど良ければ成功だ。この日は珍しく大成功だった。

ところで、お昼のテレビ映画劇場も観終わった。彼女が帰る前に鍋や食器を片付けて、お粥の痕跡を消さなければならない。指示通りに肉じゃがを食べないとうるさい。後で分かったことだが、量についても細心の注意を払うべきだった。

帰って来て、さっそく冷蔵庫のチェックが始まった。まさか、梅干が一個減っていることには気がつくまい。私は落ち着いて「ランチは楽しかったですか」と聞いた。

「なによ、このご飯、食べなかったの?」  
しまった! ラップに包んだ冷ご飯の始末を忘れた。 
「ダイエットですよ」
「ダイエット? 昨日、体重が減ったと言ったでしょ」 

「減らす時は徹底的に減らす。これが私のダイエットです」
「あっ! 肉じゃががずいぶん減っているじゃない。あんたご飯の変わりに食べたね」
とんでもない言いがかりだ。肉じゃがは最初から鍋に半分しかなかった。なぜ人の言うことを素直に信じない!

正直にお粥を食べたことを白状しない限り、肉じゃがの疑いは晴れない。二律背反だ。無実の罪を着せられたような気がして不愉快になった。お粥、隠蔽工作の代償は意外に大きかった。 

一部始終を書いてみると長いけれど、食事中に思い出すのに、それほど時間はかからない。記憶は一つのかたまりとして覚えている。思い起こすのも一瞬である。

「なに考えているの?」
「妻に頼らず自分で料理するなんて素晴らしいことですね」
「反省してるの?」
「そうですね」

「それだけ?」
「道新に『朝の食卓』というコラムあるでしょ」
「いつも読んでいるよ。大勢の人が交代で書いている… 」
「そのことを考えていたのです」

「なにを?」
「執筆を頼まれたら何と書こうかな〜とか…」
「そんなことより、カレーの作り方でも覚えなさい」
「そうですね。考えておきます」
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2024年02月03日

「ゆきあかりin中島公園」の思い出

「ゆきあかりin中島公園」の思い出
私は札幌シニアネットと札幌彫刻美術館友の会の「名ばかり会員」。60代の頃は生き甲斐を感じ一生懸命やっていた。それが83歳の今になって好い思い出になっている。

「ゆきあかりin中島公園」誕生は2007年だった。今では冬のイベントとして定着したので、簡単に振り返ってみたい。いろいろと関わってきた初期の軌跡を辿ってみた。

2007年 第1回
中島公園管理事務所が阪神淡路大震災の犠牲者の冥福を祈ろうと企画し開催。2月17日(土)・18日(日)、イグルーが造られキャンドルを点灯。 これが「ゆきあかりin中島公園」の始まり。後付けだが1回目の「ゆきあかりin中島公園」。当時、私は「中島パフェ」 の写真を撮る為に歩き回っていた。
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自由広場に作られたエスキモーのイグルー。

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431個のキャンドルを点灯。メイン会場は自由広場。

2008年 第2回ゆきあかりin中島公園
公園を全体を利用する大がかりなイベントとなり、期間も1月下旬から2月上旬へと延長。大通公園にあって観光客に人気のホワイトイルミネーションが持ち込まれ池辺に点灯。
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菖蒲池東側に設置、殆ど人出がなく閑散としていた。

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メイン会場の自由広場も閑散。意欲は感じられたが会場が分散され賑わいを作るのが難しかったかも知れない。

2009年 第3回ゆきあかりin中島公園
「さっぽろ雪まつり」に合わせて、2009年2月5日〜11日の間に雪まつり協賛行事として開催。冬期間閉鎖されている日本庭園も臨時開園し「ゆきあかり」を灯す。メイン会場を自由広場から9条広場へ、地下鉄駅隣接地に移したこともイベントとしての賑わい作りに有効だった。
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主要園路(赤)はスノーキャンドル点灯、主に9条広場、日本庭園、豊平館、キタラ周辺で実施。
画像クリック=拡大、字が読めるようになる。

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9条広場、遊戯広場、パークホテル、キタラ等でいろいろなイベント実施。画像クリック=拡大、字が読めるようになる。私自身はこの辺りから山鼻及び中島公園地域の人たちと協力し合って活動することが多くなって来た。

2010年 第4回ゆきあかりin中島公園
9条広場(児童会館前)では雪の滑り台などが子供達に人気。地下鉄中島公園駅からキタラに向う園路にスノーキャンドル。キタラでは特別ライトアップ。パークホテルやノボテル札幌(当時)でも雪あかりやイルミネーション。

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札幌コンサートホール・キタラのイルミネーション。

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キタラ内部もライトアップ、外にも綺麗に反映した。
今年2024年も2月12日まで特別ライトアップが行われる。実施時間は午後5〜8時、毎日実施。

2011年 第5回ゆきあかりin中島公園
縦軸に9条広場からキタラ。横軸にパークホテルからノボテル札幌(当時)。それらが交差する「のびゆく子等」の像近くに「札幌彫刻美術館友の会」が初参加する「灯りと願いのターミナル」があり、現在に至っている。私も積極的に協力したが、2018年からは体調不良で断念した。
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彫刻友の会が担当する「灯りと願いのターミナル」は来場者が紙コップに願いや絵を描いてローソクの火を灯すイベント。参加者との交流もあり、楽しんでもらえたと思う。

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明るいうちに来場者が次々に訪れ願い事を書いてくれた。

2012年 第6回ゆきあかりin中島公園
ほぼ前年と同じ方式だが、日本庭園が開放され雪あかりが灯った。リピーターから「今年は充実している」と評価されるようになった。9条広場、紙コップランタン、ゆきあかり街道、キタラ周辺等、一つ一つが着実に進化し、参加していても楽しかった。

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道立文学館前には招き猫の雪像。

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9条広場は地下鉄駅に隣接しているので大賑わい。

2013年 第7回ゆきあかりin中島公園
今年は三日間合計の来場者数は6,859人と去年の9,500人を下まわった。初日の悪天が影響したようだ。雪、時々吹雪だった。来場者より次のような感想が寄せられた。
「住民が一生懸命やって楽しむって面白い企画です」
「コンバンワなどの声かけなど感心して嬉かったです」

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このオブジェには、後援・協賛・協力団体名やゆきあかりin中島公園実行委員会参加団体名などが書かれている。

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札幌彫刻美術館友の会ランタン。実行委員会には豊水地区第一町内会、豊水まちづくりセンター、地域力UP実行委員会、札幌彫刻美術館友の会、パークホテル、ノボテル札幌(当時)、キタホテル(当時)、文学館、キタラ、児童会館、体育センター、天文台、渡辺淳一文学館、シアターZOO等が参加している。後に札幌シニアネットも参加する。

2014年 第8回ゆきあかりin中島公園
期間は2014年2月7日より9日までの三日間。メイン会場は地下鉄中島公園駅3番口直結の中島児童会館や人形劇場こぐま座がある9条広場。三日間合計の推定来場者数は10,000人と今までの最高となった。

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16時53分、悪天の為ちょっと遅れて点灯式。まず地元小学生の「ゆきあかり灯し隊」が次々と灯を灯す。

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展望台「シンボルゆきあかり」よりの景観。昼は滑り台になって子供たちに大人気。

2014年12月1日 パイロットが空撮写真を提供
2010年前後の「ゆきあかりin中島公園」を中島公園上空からエアロスポーツ北海道のISHIDAさんが撮影。次のようなコメントを頂いた。一部抜粋、「数年前『さっぽろ雪まつり』の夜景を撮りに行った際、偶然、中島公園で光のアートを見つけ写真におさめました。何かのイベントであろうとネット検索し『中島パフェ』を発見、それが『ゆきあかりin中島公園』であることを知りました」。
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上の画像をクリックすると拡大、詳細が見える。

2015年 第9回ゆきあかりin中島公園
準備は1月下旬から始まる。「彩りの広場」造成、日本庭園会場造成、スノーランタン、ペットボトルキャンドル、アイスランタン作り、Goodjob制作等、事前に準備することも多い。今年一番の印象は日本庭園の「ゆきあかり」が素晴らしかったこと。築山の頂上には展望台も造られていた。

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冬期間の日本庭園に入れるのは「ゆきあかりin中島公園」の夜だけ。カップルで散策している人が多い。その次に多いのが一人で写真を撮っている人。私もその一人なので、お邪魔にならないように気をつけながら歩いていた。

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道立文学館前の雪像はいつも力作。これも芸術的。

2016年 第10回ゆきあかりin中島公園
第10回の節目を迎え益々充実。概略をテキストで説明。始まりは点灯に先立ちハンドベルの演奏。昼は滑り台になる展望台のスロープから点灯開始。報道陣の他にもアマチュア・カメラマンがいっぱい。昼は雪遊びコーナーになる児童会館前でも点灯。主役は可愛い子ども達。

少し離れたこぐま座前は「灯りと願いコーナー」。こちらではカップに点灯。願い事を書く紙コップ、筆記用具等はテントの中に用意されている。展望台(滑り台)の直ぐ近くでは移動販売車が飲食物を売っている。

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地下鉄中島公園駅3番口裏にある「雪の迷路」。小さい子は迷うかも知れない。

綺麗な切り絵もいっぱいある。その他斬新な雪像などが展示されている。夜間は閉鎖中の日本庭園が開放されている。

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築山の上に展望台があり、日本庭園全体を見渡せる。

2017年 第11回ゆきあかりin中島公園
個人的には今回を最後に実行委員を終了した。肺炎で入院したり風邪を引いたりで実質的な活動が出来なくなったからだ。今回は「名ばかり委員」で申し訳なく思い、協賛させて頂いた。周辺企業・団体に並んで個人サイトの「中島パフェ」が協賛とは僭越かなとも思ったが、体が動かなくても何らかの協力をしたかった。

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展望台「シンボルゆきあかり」、昼は雪の滑り台に変わり子供たちに人気。

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札幌彫刻美術館友の会札幌シニアネットが担当する「灯りと願いのターミナル」。地下鉄中島公園駅3番口の直ぐそばにあり、内外の観光客に人気がある。

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ズラリと並んだ両会の旗。何も出来ないけれど陰から細やかな応援。6年前、初めてやった時は風に吹かれてローソクが消えて困ったことを思い出す。その後、改良を重ね今回の姿になった。今は静養中だが、「ゆきあかりin中島公園」は私にとって大切な思い出の一つになっている。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2024年01月27日

病気のご褒美

今までで一番ひどい風邪に罹ってしまった。熱が出て頭が痛くて食欲が無い、無理やり食べると直ぐに吐く。しかし、好いこともあった。延々と二日間に及ぶ幻影をたっぷりと楽しませてもらった。夢を見たら、何となく見ている夢に参加できるような気がして来た。

そう思って目を開くと夢と同じ大画面が見えていた。目が覚めても夢の続きを幻影として見れたのだ。再び目を閉じると大画面がゆっくりと消えて行く、そして目を開くと又見える。繰り返しているうちに幻影は見えなくなった。

嘘でも冗談でもない本当の話。こんなことを強調しなければならないのも自業自得だ。笑ってもらいたくて嘘ばかり書いていたことを心から反省する。ベッドで忘れないうちにメモを書き、出来るだけ正確に再現しているつもりだ。

「夢から幻影へ」は、どれもセットになっていた。そして、三種類あり同じものを繰り返し見ていた。

@若者
何処か分からない洒落た街で若者がバスを待っていた。これが綺麗なカラー動画で映されていた。とても楽しいと言うか心地よかった。書いてみると極めて短いが、ゆったりと何回も繰り返し見させてもらった。

A家族
息子夫婦と妻が楽しそうに談笑していた。ここだけでなく、これまで経験した3回の手術でも幻影には音がない。家族は真っ白な椅子に座り白いテーブルを囲んでいた。花がとても綺麗だった。赤い薔薇、白い薔薇とかいろいろ。カラフルな夢から幻影へと移って行った。

B空撮
寝ながらラジオを聴いていたのに目を開けると、大きなスクリーンが出て大草原が映っていた。画面いっぱい走る動物の群れが映っていた。なぜか牛に見えた。今回は音声つきだった。ラジオを聞きながら見た幻影。嘘のような話だが、私はそう記憶している。これは1回しか見れなかった。

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病気は苦しいが、幻影だけは楽しみだ。残念ながら見たい時に見えるわけではない。私が幻影をみるのが好きになったのは、5年前の初めての手術の時からだった。手術に行くとき同室の男性患者が「幻影が見れるから楽しみにしてな。天国のお花畑みたいに綺麗だから」と励ましてくれた。

残念ながら見えなかったが、手術は失敗したので夜にもう1回手術した。その時初めて幻影を見た。お花畑でなく、私がストレッチャーに乗って病院中走りまわる幻影だった。とても爽快と記憶している。これが幻影を好きになったキッカケである。しかし、今回の夢から幻影は期待を超えるものだった。ぜひ、これからも体験したい。幻影は謎めいて楽しい、病人へのご褒美かも知れない。
タグ:ときめく
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2024年01月20日

最強の人

何かとストレスの多い人生だったが、いつの間にか穏やかで幸せな日々を送れるようになっていた。入院して痛い目、苦しい日もあったが、全てはその時だけ。快復すれば穏やかな暮らしが待っている。先のことを心配することもない。

約20年前、退職直後まで遡れば妻と喧嘩して負けては自室に篭り、鬱憤を晴らすために書いていた。愚痴る相手もいないからね。書き捨てて胸がスー、時には反省も。

最近は、明日のことに思い煩わらずパンダのようにノンビリ暮らしている。今ではブログを書いて楽しんでいる。音痴なのにカラオケもやってるよ。(^-^;) ゴメン

幸せな人生でも困ることがある。書くことが唯一の趣味なのにネタがない。だからカラオケなのかも知れない? カラオケ会に行けば反省することも多くネタになる。ここにも時々反省文を書いている。

その他のネタを探しに行けば、どうしても遠い昔に遡らなければならない。当時も朝の食事はテレビを消して、二人で話しながら食べていた。しかし、毎回が楽しい朝食というわけではない。争いの元にもなるのだ。

「バカなタレントがいるのよ。九九が分からないんだって」
「タレントは頭の良い人ばかりです」
「テレビでみたんだもの。ホントだよ」

「そうですか。このバナナ美味しいですね」
「うん、甘いでしょ」
こうすれば直ぐに治まることは分かっているが、止められないときもある。

「与えられたキャラを演じ切るのがタレントです」
「クイズ番組だよ」
「クイズでも同じです。タレントは自分の役を演じるものです。それでナンボ、収入にも大きく響くのです」
「10問、全部はずれだよ」
「それこそ知識のある証拠です」
「何で?」
「知識がなければ、全部外すことはできません」

妻は自分が言ったことは最後まで言い通す。私の反論には決して屈することがない。 

「知らないから全部外れるのに決まっているじゃない」
「今、問題を10問だしますから全部間違えてください」
「私、間違えるのは嫌いだよ」
「それは分かります。やってみて下さい」
「そんなのダメだよ。ご飯を食べながら頭を使うと、食べたものが栄養にならないんだよ。そんなことも知らないの」

ここが喧嘩になるかならないかの分岐点。攻めるなら徹底的に攻めてギャフンと言わさなければならない。しかし、それは無理。相手は二人暮らしの我が家では最強の人、勝つまでは絶対に諦めない。終わらせたかったら私が負けるしかない。二人暮らしだからね。(>_<;)コマッタ

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ボールを追ってたとえ火の中?水の中、最強の犬。

1月24日追記(実際の更新日)
ひどい風邪に罹り、しばらくダウン。やっとパソコンを使えるようになりました。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 自由時代(61-74歳)

2024年01月13日

気になるゴチャゴチャ

なくて七癖と言うけれど、毎日家で繰り返していることは癖になっている。だから、他所の家に行っても無意識に癖が出てしまう。何気なくやって嫌がられてしまうのだ。

4人でカラオケに行ったら、事故で停電。昼時なので腹が減ったが、あたり一帯が停電なのでどうにもならない。結局、Aさんの家に行くことになった。途中、スーパーに寄ってめいめいで昼食になるものを買った。

食事がはじまるとAさんが いろいろ出してくれた。それでテーブルがいっぱいになった。しばらくすると、食べ終わった後の汚れた食器が気になってきた。

家で食事をするときは、空いた食器は、自分でどんどん台所に下げている。いつも、食卓の上がスッキリしていて気持ちがいいのだ。食いかけなどがゴタゴタ置いてあるテーブルは大嫌いだ。ついその癖が出てしまった。 

実は近所のホテルにランチを食べに行く機会が多い。そこでは次々と料理が出て、食べ終わると直ぐに下げてくれる。何故そこばかり行くかといえば中島公園を一望に見渡せるからだ。予約すれば必ず窓際に座らせてくれるから有難い。

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中島公園を高所から撮るのに都合がいいレストランだ。

ところで、皿の中に少し残っているものは全部平らげて台所に下げた。ほんの少しだが、広くなったテーブルを見て気分がよくなった。当然、皆さんも喜んでくれると思い、再び台所に下げようとすると、突然の甲高い声にビックリした。

「なにしてるのよ! 私、他所の人に台所へ入られるの嫌いなのよ」
「ヨソの人ですか〜」
「初めてウチに来たんだから他所の人でしょ」
「そうですか〜」

テーブルの上は食べ終わった皿の他、調味料、箸立て、CDや本までがゴチャゴチャ置いてあって隙間が全くない。食卓の90%以上が食べられない物でで埋まっていた。

他所の家ではやってはいけないことだが、体が自然に動いてしまった。私自身が食卓をゴチャゴチャにさせることに加担したくなかったのだと思う。

考えてみれば私は間違っていた。他所の家では勝手に片付けてはいけない。ましてや台所に入るなどもっての外である。でも、あのゴチャゴチャが気になる。(゚ペ;)コマッタ

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自室はゴチャゴチャだが気にならないから不思議だ。片付けると何処に何があるか分からなくなるので、手が付けれれない。他所の家でもいろいろと事情があると思う。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2024年01月06日

間もなく天国

一年の計は元旦にあり、今年の計画をしっかりと立てることにした。私は無職で83歳、抱負と言うには大袈裟すぎて笑われるかも知れない。でも私は本気の本気、一生懸命だ。

快食
舌癌の手術で内股の肉を切って舌の左下に貼り付けた。舌と内股の肉が引っ張りあってケンカをすると痛い。しかし、小さく切って少しづつ食べれば大丈夫。食事時間は長くなるが美味しい時間も増えるのだ。食べ方改革で快食達成!

朝食はテレビを消して話しながら食べている。先に食べ終えたお母さん(妻)は新聞を読み始める。話題が新聞記事にも広がり会話も弾む。夕食はホテルのディナーの様だ。私が食べ終わるごとに片付けてくれる。いつも食卓がきれい、これも食べるのが遅いから。もちろん私は一皿づつ完食する。

快便
在職中は下痢と便秘の繰り返しに悩まされた。退職すると下痢はなくなったが便秘はそのまま。仕方がないので薬を飲むことにした。便は少しづつチョロチョロと何回も出る。腹痛はないので我慢はできるが快便とは言えない。

数年前からヨーグルトにオリゴ糖や果物を入れて毎朝食べている。しばらくすると太くて長い一本が出るようになった。思わず柔道の一本勝ちのような気分になった。まさに快便である。なぜか1ヶ月前くらいからオリゴ糖が無くなった。そして、ウンウン息張っても丸いのが出るだけになった。再びオリゴ糖を買い一本を目指して頑張っている。

快眠
一応22時30分から4時30分までが睡眠時間。寝入りに朗読を聴くのが眠り薬の代わりになり、最後まで聴くことは少ない。眠れなくなるほど良い作品に巡り合うのは有難い。眠れても眠れなくても快適である。睡眠時間が足りなくなれば自然に眠たくなるので寝る。自然に任せて快眠。夜も昼も。

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今年の抱負は快食快便快眠である。工夫して楽しく食べて、薬とオリゴ糖で合わせて一本を勝ち取る。そして、夜は朗読を楽しむ。眠る眠らないは脳にまかせる。寝ては快眠、起きては朗読を楽しむ。快眠と朗読の二刀流でいきたい。

今のマンションに住んで22年、アッという間に過ぎてしまった。と言うことは、アッという間もなく天国だ。だからこの世では出来るだけ楽しく過ごしたい。ハイ(^-^)/

「短い命なら死んだあとで、… … 」
「何だいきなり」
「あいつはとてもいい奴だったと言われてみたい」
「しっかりしろよ先は長いぞ」
「急げよ急げ生きてるうちに」
「年金じいさんだろう。ノンビリしろよ」
「急げ!若者」
オイッ、人の話も聞け!
「フォーリーブスですよ。いい歌でしたね」

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タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 11:21| Comment(0) | 80歳以降

2023年12月30日

仕事に誇り

静かな一日だった。こんな日は細かいことが気になる。例えば、食卓の上に落ちたパンくずのことなどである。私は食べるのが遅い。先に食べ終わったお母さん(妻)は新聞を読み始める。しかし、お喋りは終わらない。話題が新聞記事に変わるだけである。

「深刻な顔して何を読んでるの?」
「4丁目で人が刺されたんだって」
「それは大変ですね。気をつけないといけませんね」
「何でアンタが心配するの」
「だって4丁目と言えば札幌の中心でしょ」
「名古屋の話、世の中札幌だけじゃないんだよ」

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パンを食べていたのだが、パンくずがテーブルの上に落ちるのが気になった。テッシュを広げて一つひとつ、細かいパンくずを拾った。まったく根気のいる作業だ。細かすぎて掴みにくい。全部テッシュの上に載せるのに10分くらいかかった。もちろんパンを食べながらである。

きれいになって気持ちよかった。一仕事終わったような爽快な気分だ。そのとき突然風が吹き、パンくずを載せていたテッシュが飛んでしまった。たちまち辺りはパンくずだらけだ。食卓や衣服がね。

「あれれ、わ〜っ!」と、私。
「なにやってんのよ。パンくずだらけじゃない」 
「新聞めくったでしょ」
「当たり前じゃない。読んでいるんだから」
「拾うの大変なんですよ」
「だったら、こぼさなけりゃ、いいじゃない」
「新聞めくったでしょ」
「だから、何よ!」
「ごめんなさい」

新聞をめくって風を起こしたのが悪いか、テッシュの上にパンくずを乗せたのが悪いか。これは極めて小さな問題だが、どっちが悪いと決めつけるのは凄く難しい。いつものように私の我慢で無事に解決。これが私の唯一の仕事。卑屈じゃない、誇りを持って遂行している。だから私はお父さんと呼ばれている。役目は楽しい家庭を守ることである。
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2023年12月23日

我が家の家宝

朝食は二人で用意する。そして、テレビを消して話しながら食べている。この習慣が崩れない限り我が家は安泰、静かで心地よい暮らしが続くのだ。今朝の話題は性同一性障害、私にはよく分からないのではぐらかした。
「今でもモテたくて必死ですが障害ですか?」
「バカ障害だよ」

相変わらずの正直で能天気な対応が、何よりも有難い。バカなことを言うなと一蹴しても良いはずだ。「障害ですか?」という愚問に正面から答えてくれたことに感謝。これ以上誠意ある回答は誰にもできないだろう。ハイ(^-^)/

数年前まで自分本位の身勝手な人と思っていた。しかし、離婚する度胸がないので何でもハイハイ言うことを聞くことにした。そうしたら、いつの間にか正直でよく笑う人になっていた。私が変えたと思っていたが、私自身が飼い慣らされたのかも知れない。嫌われ者からベットへ2段階進級!

「ところで、我が家の家宝って何だろうね?」
「高価な壺も掛け軸もないしね」
「一番高い買い物はなんだっけ?」
「40年前に買ったバソコンセット50万円」
「とっくの昔に不用品として捨てたでしょ」
「今ある物で一番高いのはテレビ」
「消耗品だね。ゴミに出す時お金かかるんだよ」

考えてみれば現代は消費社会、高かった物と言えば車、パソコン、テレビ、オーディオセット。それに冷蔵庫、クーラー、洗濯機、長く持っていたら安くなる物ばかりだ。おまけに、処分費だってかかるのだ。残念ながら家宝とは程遠い。しかし、暮らしには欠かせない必需品ばかりである。

長い人生だがよそ様の家宝さえ見たことがない。それらは映画やテレビでしか見れないものなのか。このまま人生が終わるのも寂しい。一度はこの手で触ってみたい。南極の氷は触ったことがあるけれど、家宝には全く縁が無い。

それでも未練たらしく部屋の中を見渡してみたが、やはりテレビが一番高い買い物だった。
「札幌オリンピックの記念メダルセットがあったじゃない」
「2万7千円の記念メダルを家宝と言ったら笑われますよ」
「上がってるかも知れないよ」
「あれは正ちゃん(息子)に上げっちゃったよ」
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私たち二人は、今あるものを一生懸命考えた。
「家宝って古いもんだよね」
「たいていの場合そうですね」
「分かった!」
「なんですか?」
「この家で一番古いのは人間!」
なるほど、更に言えば私の方が古い! 
私が家宝、いや果報者かな。(*^-゜)
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2023年12月16日

笑数計

83歳の私にとって、日常生活で心掛けるべきことは何か。食事? 笑い? 運動? それとも睡眠? 

食わなければ腹が空く、睡眠不足なら眠くなる。特に心がける必要はない。眠くなれば寝れば良いし、食欲が無いなら食いたくなるまで待てばよい。無職だからこれで良いのだ。

80歳過ぎてから体に悪いことばかりしている。筆頭は3回の入院である。考えてみると、手術も放射線治療も病院で寝てることも全て体に悪い。退院しても副作用で凄く疲れるが、自然に動きたくなる。好きなだけ動けば良い。だから運動も心掛ける必要がない。消去法で残ったのが「笑い」である。

笑いこそ日常生活で心掛けなければならないこと。と言っても老人の二人暮らし、笑いのタネは簡単には見つからない。だからブログに書いている。そして、笑われた記事をサイドページ上段にリンクを掲載して笑っている。

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「笑って暮らせばラッキーカムカム」。こんな歌詞の歌が昔、流行っていた。世の中、変わっても笑いの大切さは変わらない。健康のために歩数計があるように「笑数計」があると良いと思う。ちょっとした健康チェックができる。腹の辺りに貼って「笑い数」をチェックできると便利だ。

念の為「笑数計」をキーワードにして検索すると次のような記事があった。笑うことの「医学的な効果がわかってきました。このことから、『笑いは百薬の長』と呼ばれています。どれくらい笑ったのかを測る笑いの万歩計があれば、毎日笑う習慣を身につけることに役立ちます」。私より先に同じことを考えている人がいた。(´<_`  ) 流石だよ

退職して二人暮らしになると家の中に笑いがなくなった。全部なくなれば気にもならないが、連れ合いが電話で話しながら顔を真っ赤にして笑い転げているのを見たことがある。恐らく外出して友達と会っている時もそうなんだろう。

私の前でも笑って欲しいので努力した。別に大したことではない。ハイハイと言うことを聞く家来になっただけ。それでも効果は絶大、今では私の前でも顔を真っ赤にして笑い転げることもある。気をつけろ笑数計がぶっ飛ぶぞ

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2023年12月09日

ズルい夫−2

こんな事態を予想もしなかったと言えば嘘になる。密かに策を練っていたのだ。あって欲しくないことに対しては準備に怠りない。A子に対しては長年にわたり内偵を続けて来た。こうすれば、ああ出る。分からないことなど何もない。

一方、A子は私のことなど何も知らない。人の言うことは何も聞かず、一方的に言いたい放題だからこうなるのだ。漸く机上で考えていたことを実際に応用する時が来た。かねて用意していた対応策をA子にぶつけた。

「賛成です。食事の用意は2週間交替でやりましょう」
何も知らないA子はニッコリ笑って「お願いね」と言った。
「実は私からもお願いがあるのです」
「何でも教えて上げるから心配ないよ」
「教えてくれなくて結構です。テレビでも観ながら ごゆるりとお待ちください。一人で自由に作るのが大好きです」
「そぉ、好きなようにやりなさい」
「一生懸命作りますから、残さず食べてくださいね」
「もちろんよ〜。上げ膳据え膳なんだから」
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善は急げだ。さっそく夕飯の用意をした。A子はテーブルを見た途端… 、「何よこれ!」
「夕食です。お行儀悪いですね。食べるときは『いただきます』と言ってください」
「豆腐、丸ごと出して、どうやって食べるのよ!」
「柔らかいから箸でいいでしょう。ネギもありますよ。唐辛子をかけるとビリッとして美味しくなります」
「ネギ、丸ごとじゃない」
「鋏を用意しました。必要な分だけ切って食べてください」

私は先のことを考え過ぎるのかも知れない。料理を作っているときに、早くも後片付けのことを考えてしまう。オカズを豆腐にしたのは食器が水洗いですむからだ。ネギをを丸ごと出すのは まな板を汚さないため。

それに、必要な分だけ食べて残りはそのままとって置くこともできる。なかなか名案ではないか。材料と水とエネルギーの倹約にもなる。今流に言えばエコである。 

朝食の支度をしていると背後に人の気配を感じた。振り向くとA子が立っていた。
「味噌汁作るところなんですよ。自由にやらせてください」
「それ、味噌汁の鍋じゃないよ」
「そんなことまで決められたら何もできません。分かりました、何でも言うとおりにしますから言って下さい。さあ、ご指示ください!」

こうなったら、「頭」の丸投げだ。何もかも言う通りにする「手足」に徹することにした。出来損ないのロボットみたいにね。一応、怒ったようなフリをしているが、ここまでの展開は、私の描いたシナリオどおりに進んでいる。

「じゃあ、味噌汁の鍋だして」
「どこにあるのですか?」
「そこよ。ダシもいるでしょ」
「どこにあるのですか?」

こうして延々と「どこにある?」「どうするの?」が続く。A子は根気よく次から次へと指示を出した。私は言われたままにしているだけだ。

30分もするとA子は音を上げた。このゲームはやる前から勝敗は決まっている。A子は言われたことしかやらない部下が、いかに面倒くさい存在か知らない。いよいよ最終段階だ。ここで手を抜いてはいけない。最後の詰めである。

「あんた、ホントに役立たずね」
「でも、頑張ります」
「私の方が疲れちゃうよ」
「頑張って下さい。まだ始まったばかりです。二人の幸せのためです。私も全力を尽くします!」
「もういいわ。私がやるから」
「それはいけません。2週間交替と決めたばかりでしょ」

最後まで「やる気」を見せたが、食事当番は1食半でおしまいとなった。A子がやりたいというものを、無理に止めることはできない。

私たちは80代の老人だ。支援・介護が必要になる日は近い。その為に老人ホームを探している。ここは良いなと思ったホームを見学し、費用を聞いた。二人で年間500万円かかるそうだ。我が家の収入では足りそうもない。世の中はお金持ちが多いものだと思った。それなのに、ホームの入居者はお金持ちには見えなかった。(^-^;) ゴメン
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2023年12月02日

ズルい夫-1

テーブルの上に読みかけの女性向け雑誌が伏せてあったので何となく手に取った。大見出しに「今から夫をイイ男に変える方法」とあるのが目に入った。確かに退職して家でゴロゴロしている私は目障りに違いない。しかし、一体私をどう変えるというのだろうか。

家でゴロゴロは長年の夢、小学4年から金を得るためアルバイト、中卒で迷わず就職、職を転々、23歳でやっと安定した職に就いた。ノロマで口の重い私には向かない仕事だったが、辞めたら食えなくなるのを恐れ定年まで頑張った。

雑誌には服装編、台所編、寝室編にわけて、夫を変える方法をユーモラスに書いてあった。変えられてたまるかと思いながら読んでみた。先ず服装だがA子が買ったものを着ているだけだ。変えてもらって結構。面白いかもしれない。

寝室は定年になる10年以上前から別々だから関係ない。何日間か下痢が続き、夜中に10回以上トイレに行く羽目になった。1階にあるトイレと2階の寝室への往復が苦痛になり1階に寝場所を変えた。そして、下痢が治っても別々に寝る習慣は残ってしまった。

問題は「台所」である。「心に火をつけ家事の達人に変える」と書いてある。家事は嫌いだ。A子は小さいときの夢は「お嫁さん」と言っていたじゃあないか。願いが叶ったのだから、わき目を振らずに最後までやり遂げてほしい。

絶対服従の私だが危機が迫ってくれば話は別である。さっそく対策を練った。ひらめいた格言は、「攻撃は最大の防御なり」。不本意ながら攻撃を仕掛けることにした。さもないと、楽しい生活は瞬く間に破壊される。

「あなたは都合のいいように私を変えてきましたね。雑誌にやり方が書いてありましたよ。これが証拠です!」
「何言ってんのよアンタ! 今だって家ではゴロゴロ、何も変わってないよ」
「最近ケンカをしないでしょう。あなたが私をイイ男に変えたからです」
「イイ男? 冗談じゃない、怠け者のジジイだよ。退職して7年もなるのにゴハンの支度もしたことない

なんだか旗色が悪くなってきた。やはり慣れない事はしない方がいい。A子の方がケンカ上手で攻撃のツボを心得ている。悔しいけど負けたかも知れない。

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北国市桜ヶ丘(仮名)に1986年から35年住んだ家。
「食事当番しましたよ。桜ヶ丘で…」と、精一杯の抵抗。退職当時は北国市郊外の桜ヶ丘の一戸建てに住んでいた。その頃のことだが、「ご飯の支度、交替でしない?」と言われ、突然の提案にビックリした。家でゴロゴロして3か月たっていた。仕事から解放されホッとしていた。退職後に遭遇した初めて且つ最大の危機? 次号に続く。

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2023年11月25日

ポプラ台風

2004年9月8日、中島公園は台風第18号に襲われた。この台風は北大構内のポプラ並木が多くが倒れたことから「ポプラ台風」と呼ばれた。最大瞬間風速は札幌で50.2m/s、観測史上1位の記録を更新した。ポプラ台風は今まで見たことない中島公園の風景を見せてくれた。

9月8日 台風当日の午後
台風直後の公園を歩き回ったので、木々が倒壊している様子をそのまま撮ることができた。後で考えると、やってはいけない行動である。そのときは何も考えずに体が動いていた。

2004年9月8日15時17分撮影
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画像をクリックして拡大すれば荒れた公園の詳細が見える。橋の左側は日本庭園、右側は菖蒲池、そして前方は藤棚だが倒木で見えない。意外にも人はノンビリした感じだ。

2004年9月8日15時26分撮影
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台風通過直後はネコも野生化したのか、狩を始めた。菖蒲池北西側ではマガモの群れがガーガー鳴いて逃げ回る。撮影が遅れ、気づけば猫がマガモを咥えて歩いていた。写真はピンボケだが襲った瞬間の迫力が忘れられず保存した。

2004年9月8日15時46分撮影
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何か拾っている、木の実だろうか? ポリ袋持参だから計画的行動と思う。危機はチャンス、未曾有の暴風は常識では考えられない貴重な木の実を落とす? 心貧しい私の想像。

2004年9月8日16時5分撮影
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エサ持参で野鳥支援に駆けつけた心優しい人。テレビでは被災地の救援状況をよく見る。ここでは私がパチリ。「顔は出さないでね」と言われたが19年たったので少しだけ出す。

9月9日 台風翌日
早くも日常が戻って来た。ボートは営業再開、ベンチで寝る人休む人、菖蒲池には水鳥がいっぱい。大木が根こそぎ倒れているのに、人間を含め動物は元気だ。

2004年9月9日14時44分撮影
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ベンチで横になってている人が居た。もちろん大木はこの形で安定している。よく見れば枝はベンチを挟んでいる。緑は体に良いというけれど、よほど緑が好きなのか?

2004年9月9日14時59分撮影
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倒木溢れる公園で早くも貸しボートは営業開始。被災したまま日常の暮らしが戻るのがポプラ台風の特徴と思った。

2004年9月9日15時撮影
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根こそぎ倒れた大木の近くには熱心にスマホをする人が居る。荒れた公園と普通の生活が同居していた。

2004年9月9日15時6分撮影
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ここは菖蒲池西岸のペンチ。飲み物飲む人、休む人。台風通過の翌日、公園は荒れたままでも憩いの場。

2004年9月9日15時16分撮影
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菖蒲池にはオオセグロカモメとマガモがいっぱい来ていた。画像右端にはボートも見える。普段よりも賑やかだ。

9月11日台風三日後
倒木も整理され主要園路は通行可能だが、遊歩道の一部は倒木が道を塞いでいた。

2004年9月11日6時31分撮影
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早朝の菖蒲池東側遊歩道を散歩。小枝等は片付いているが大木の処理には時間がかかる。自転車は通れないが、初めて見る大規模倒木風景に興味津々。被災の中に日常がある。

9月15日台風一週間後
公園の倒木は徐々に片付けられてはいるが、園路脇には搬出を待つ処理済みの倒木が積まれている。そして、立ち入り禁止にして作業中の大木もある。

2004年9月15日6時38分撮影
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人々の日常は戻っても公園の至る所に片付けなければならない倒木が山ほどある。台風の傷跡は一週間では消えない。

2004年9月15日6時46分撮影
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キケン立ち入禁止の表示はあるが、毎朝のラジオ体操は馴染みの場所でやっている。「私の健康は私が守る」と思っているようだ。ポプラ台風は予想外の大被害をもたらした。経験がない事態に遭遇すると人によって対応が違ってくる。

9月23日台風二週間+1日後
散歩する人、ピクニックする人、遊ぶ子供、倒木の搬出作業をする人、ボート遊びする人、それらの人達を画像で紹介。

2004年9月23日14時4分撮影
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半月たっても大物は片付かない。それでも公園を訪れる人が減りはしなかった。根こそぎ倒れた大木と一緒のピクニックも楽しそう。それにしても、こんな根を持つ大木をよく倒したものだ。風速50メートルの暴風が持つ破壊力は強烈だ。

2004年9月23日14時7分撮影
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倒木の上は子供たちの絶好の遊び場。珍しい場所はたちまち子供の遊び場になる。昔も今も変わらないが、危険を予知する能力はどうなのだろう。当時は懐かしいと思っただけだが、今になると心配だ。手遅れだけどそう思う。

2004年9月23日14時23分撮影
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台風通過後二週間、菖蒲池も綺麗に片付いているが、大木は倒されたまま残っている。ボートから見る風景も違っていると思う。日常は戻ったが観光客は減ってしまった。

2004年9月23日14時27分撮影
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札幌コンサートホール・キタラへの園路。折れた木々と肩を組みながら歩く人。そして、それを見る人。ポプラ台風で折れた木々が新しい風景を作っている。

2004年9月23日14時34分撮影
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倒木の撤去作業で大忙し。

9月26日台風二週間+4日後
最後に今は居なくなったネコたち。

2004年9月23日16時30分撮影
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当時はネコが多かったが、今は全く見かけない。ネコを愛する人たちの不妊手術実施や飼い主探し等、保護活動の成果と聞いている。

2004年9月23日16時31分撮影
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締めは倒木の女王、ミス・ニャン子。オスだったら(^-^;) ゴメン

<失われたポプラ並木>
ポプラ台風で倒壊した北大のポプラ並木は再生されるが、中島公園のポプラ並木は再生されずに消滅した。
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2001年11月3日撮影
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2023年11月18日

大笑い

私の巣ごもり生活はコロナ禍以前の舌癌発症が始まりだから、既に4年を経過している。体調は快復しないが、幸い口と心は元気だ。何となく幸せに過ごしている。

「ほ〜ぅ、ランチで2万五千円!薄野の高級寿司店だそうです。この写真を見て下さい」
「凄く美味しそうだねえ」とお母さん(妻)。
「二人で行きませんか?」
「二人で5万だよ。ワッハッハ、ワッハッハ。ケチなアンタがねぇ、ワッハッハ。ラーメン千円で高過ぎると言って入らなかったアンタがねえ。ワハハッ〜あ〜疲れた

お母さんには超高性能の「笑う仕掛け」が装備されている。「二人で行きませんか」と言った私は、例えて言えばボタンを押しただけ。装置を始動させて「大笑い」を発生させたのはお母さん自身である。

それにしても、「二人で行きませんか」がジョークと取られる状況は情けない。それが我が家の経済状態だが、二人で5万円のランチに行く人は稀だと思う。だから私はボタンを押したのだ。お母さんの「笑う仕掛け」ボタンをね。

仕掛けた私は大笑いしてもらってとても嬉しかった。小さな幸せをもらった気分だ。不器用な私にとって人様を笑わせるのは至難の技。スポーツ、ゲームは何もできない。おまけに歌えば音痴だ。残念ながら、一言で表現すればジョークが一番似合わない人である。それでも好きだから書く。

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ボールを拾って口に咥え、ご主人様に持っていく、真面目な犬は笑わない。

「真面目ですね」、私に対する褒め言葉は、これ一つしかない。もうとっくの昔に聞き飽きている。40年間も言われ続ければ、「真面目」といわれただけで、「つまらない人間」と言われたのと同じ気分になるものだ。

やっと褒めるところを見つけてくれた人には申し訳ないが、「不真面目」と言われた方がましだ。こんなこと言えるのも無職だからだ。在職中は一生懸命「真面目」をアッピールしていたのにね。我ながら勝手なものだ

今では何を言って笑わせようか何時も考えている。一人でね。当たれば大笑いしてくれるから有難い。ほとんどの場合は「何よそれ、アンタ常識ないね」とけなされるだけ。たまの大笑いを期待してアレコレ考えるのが楽しい。
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2023年11月11日

最良の判断

朝食をすまして最寄の市電電停へと向った。そのとき急に土砂降りの雨が降り始めた。凄い雨だ。歩いている人は傘もささずに走り始めた。私もようやく市電電停のひさしの下に潜り込んだ。電車がなかなか来ない。どうしたのだろう? ようやく来たが、だいぶ遅れているようだ。

電車に乗ると前方の雰囲気が刺々しい。少し不良っぽい、お洒落な女性が運転手に文句をいっているのだ。「遅いじゃない! 何で遅れるのさ。この電車、何時の電車なの!」
凄い剣幕だ。そばにいても少し怖い感じ。運転手さんは下を向いて黙っている。運転中だから前を向いていると思うけれど、そんな感じがした。
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運転手は毅然とした態度で対応すべきと思った。しかし女性は興奮している。毅然と興奮が渡り合ったらどうなるのだろうか。お客の加勢がない限り電車を走らすことは出来ないと思う。我々乗客は押し黙ったままだ。

突然、「バーン! チン」と凄い音にビックリした。彼女が力任せに降車ボタンを叩いたのだ。凄い迫力だ。全身から怒りを噴出している。停止すると運賃も払わないでバタバタ音をたてながら降りて行った。赤信号を無視して大またでスタスタ歩いて行った。気付いてみれば雨は止んでいた。

乗客一同、あっけに取られて棒立ち。運転手もダンマリ。一体どうしたことだろう。終戦直後の混乱した時代に逆戻りしたような感じだ。信号無視して颯爽と歩く後姿を見て、妙に感心してしまった。人間、迫力だなぁ。迫力さえあれば料金箱など素通りできるのだ。

ふと、こんな風に思った私も反省した。しかし料金を払わずに降りてしまうのは無賃乗車だ何らかの罪になるはずだ。だからといって運転手と暴力女性が喧嘩したら電車は動かない。これでは全線の客が困る。毅然とした対応とは口で言うのは簡単だが、安全と定時運行のためには無視した方が良い結果を得られるのかも知れない。

マニュアルはどうなっているのだろうか。マニュアルには「この規定にない状況が発生した場合は運転士の最良の判断に委ねる」とあるだろうか? もし、書いてあるなら暴力女性の件は、客に協力を求めるのも、あの場合には最良の判断と思うのだが。
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2023年11月04日

物忘れはドッチ

この勝負は私の勝ち。ことの次第は次のとおり。
又、お母さん(妻)に怒られた。「なんで電気消すのよ」と怒っている。私はトイレの照明を消した覚えはない、点けたのだ。電気を点けてトイレに入ろうとしたら鍵がかかっていて開かない。外からは分からないが使用中なのだ。突然トイレから出てきて電気を消したと叱られても、私には答える暇がない。オシッコがしたくて一刻を争う事態だったのだ。

先ず用を足すのが先決、釈明するのは済んでからだ。
「電気を点けてドアを開けようとしたら開かないので慌てました。先ず尿瓶を探しに行きました。電気を消したつもりはありません。悪いのはスイッチです」
「私ならドアを開けてからスイッチを押すよ」
外にあるスイッチを押す前にドアを開けるなんて考えられない。だがお母さんには一旦、言ったら押し通す。

こんなこともあった。この時は立場が逆だった。私がトイレに入っているとき突然、照明が消え真っ暗になった。同時にドアが開き、「アンタ、電気も付けずに何してるの!」と怒った。そして、パタンとドアを閉めた。お母さんがスイッチを押したから消えたのだが、私は一言も発することができなかった。まさに先手必勝である。用を足して手を洗って服装を整えてからでは反論もボヤけてしまう。

「ボケ防止に薬飲ましているのに全然効き目ないね」
「何のことですか?」
「アタシがトイレに入っているのに電気消したりとか」
「悪いのはスイッチです」
「悪いのはアンタに決まってるよ」

私は悪いと言われても貴女の方が悪いとは言わない。それを言ったら切りがない。虚しい時間が過ぎるだけだ。ところでスイッチが悪いと言ったのは言い逃れではない。

以前は物置もトイレもパイロットスイッチになっていて中が点灯していれば外でも分かるようになっていた。トイレは物置より使用頻度が高いので経年劣化のため故障した。その後に付けられたのが、中の点灯が分からないスイッチ。このとき業者に頼んで確認したのがお母さんだった。言いたくないけどね。物忘れはドッチだ? (^-^;) ゴメン

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トイレ、上は照明用だが、現在は中の照明が点灯しても分からない。下は換気用のスイッチ。

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物置、中の照明が点灯すれば外にいても赤点灯で分かる。新築の時はトイレもこのようなスイッチになっていた。
タグ:楽しい我家
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2023年10月28日

嘘から出たまこと

音痴なのにカラオケ会に参加したりして恥ずかしかった。体裁をつけて健康の為とか言っていたが、本当にそうなってしまった。先日リハビリの先生から聞かれた。
「カラオケとかやってますか?」
「下手の横好きです」
「そうじゃなくて、リハビリの話です。やってます?」
「はい、一応」

舌癌の手術後、約1年してリンパに転移した。2回目の手術が無事終了と思ったら、癌が残っていたと言われ放射線治療を受けた。副作用はいろいろあったが、1年以上たっても残っているものもある。それは放射線を当てた右肩の筋肉が無くなり動きが不自由になったこと。その後、主治医の勧めで週一回のリハビリを受けている。

「カラオケやったら肩が治るんですか」
「姿勢を正しくし、腹に力をいれて歌う。これを繰り返えして下さい。治るか治らないかは貴方次第です」

そして、耳の聞こえも悪いので補聴器のトレーニングも受けている。補聴器の先生はカラオケのときは補聴器はつけない方がいい。「大きな音だから補聴器なくても聴こえるでしょ」。そして、お母さんまでア〜ダコ〜ダと言った。いろいろな人がいろいろ教えてくれた。

若い時のことだが、歌はダメだが楽器なら習えば出来るかも知れないと思った。そして、個人指導の教室に3回、合わせて2年くらい通った。結局、何も出来ないことが分かった。その時は不器用だから出来ないと思った。いろいろあって40歳くらいでやっと、自分は音痴であると自覚した。

65歳にもなってカラオケを始めたのは、カラオケ初心者から誘われたから。その人は練習したいけれど一人では行きたくないから付き合ってくれと言う。餌つきだよ(^-^)

気楽な人として私ともう一人が選ばれて3人で月一回カラオケに行った。初心者の老人3人だが、誘った人が二人にビールをジョッキで一杯ずつ毎回奢ってくれた。メンバーは変わったけれど13年くらい続いたから大したものだ。コロナがなければまだ続いたかも知れない。

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札幌歩行者天国 劇団風蝕偉人街 2002年9月1日

退職して15年間はどんなことでも積極的にやってみた。出来ないことまでやったので傍迷惑だったかも知れない。それでも自由を満喫したと感じて楽しかった。

今は巣ごもりに近い暮らしだが静かに楽しく暮らしている。退職後15年間思いっきり行動して楽しんだことが、良い思い出になり静かな暮らしに彩りを添えてくれている、

所属するシニアネットのカラオケ会に少しだけ参加させてもらっている。これはとても有難いことだ。いくらリハビリの先生に身体に良いと言われても、たまには人前で歌わせてもらわないと張り合いがない。我ながら困った性格だ。

当初は好きだからやっていたのに体裁をつけて健康の為と誤魔化していた。それが何時の間にか本当に健康の為になってしまった。これも「嘘から出たまこと」かも知れない。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2023年10月21日

一人で2笑

ネット情報だが、日本の国連親善大使の方が世界平和を祈って各国の国連大使らにお茶をふるまったそうだ。茶の湯文化が世界の隅々に至るまで余すことなく伝われば、世界平和も夢ではないと考えたからだと思う。信念をもって平和のために行動する人は尊いと思う。
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そこで私も考えた。私が子供の頃笠置シズ子は「笑って暮らせばラッキーカムカム」と歌っていた。空襲の傷跡が残っている時代だった。貧しくても皆が笑って暮らせば平和は続く。そうなればいいなと思った。「ワッハッハ突撃!」とか「オホホ撃て!」では様にならないからね。

世の中は変わった。いつの間にか清き一票が平和に繋がらない世界になっていた。選挙の一票に限界があるのなら、笑って暮らして平和を呼び込みたい。茶の湯文化のように一つの手段となり得るかも知れない。

と言うことで、一人で2笑はどうだろう。例えば一人で二人を笑わせる、皆がそうしたら1ヶ月もすれば数えきれないほどになる。そう思いながら無い知恵シボって書いて見た。内気で冗談ひとつ言えない私に取っては、極めて高いハードルである。2笑を取るのはダメ元の試み。当たって砕けろ!

1995年頃は福岡で仕事、職場の懇親会からの帰り道。
「雨のようですね」とAさんが言った。
「降ってないよ」と誰かが否定。
「Aさんが降ってると言えば降ってる」
「何で?」
「Aさんは雨が一滴落ちても分かるんだ」
「何で?」
「見れば分かるだろう」
「あっ、そうか。毛が無いから直接当たる」
「そこまで言うな!」
Aさんとは私(>_<;)

「夜中にポタポタ音がするので、水道が漏っているのかなと思ったのよ。そしたら、トイレから水洗の音がジャー! あんたトイレにいたのね。アッ、ハッハッハッハ〜」
出にくくて悩んでるのに同居のP子は大笑い(>_<;)

運良くこれで2笑、更に運良く二人の方に笑って頂き、それぞれが2笑をとる。更に奇跡が起こり連鎖が続く。宝くじで三億円を当てる気持ちで祈っている。
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2023年10月14日

消えた柳並木

中島公園の達人として「達人サイト」に紹介されて嬉しかった。ところが、いつの間にか達人は別な人に入れ変わっていた。達人でないことがバレてしまった様だ。私がやっていることは中島公園の写真を撮り、日付順に並べるだけだから当然だ。だが、写真を場所別に纏めると思わぬ発見がある。

公園西側を流れる鴨々川 沿いの並木のことだが、当初はヤナギが伐採されても、その植樹升にはヤナギの若木が植えられていた。ところが、せっかく植樹された若木が一本残らず枯れてしまった。原因は「根が浅く強風に弱く、剪定後に菌が入り腐りやすい」ことと後で知った。

2002年10月2日の台風第21号は中島公園にもかなりの被害をもたらした。鴨々川 沿いのヤナギ並木も強風で根が浮き、倒木の恐れがあると言うことで伐採された。
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2002年10月14日、ヤナギに括り付けられた通告。

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2002年10月15日危険木伐採作業実施。

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2002年10月19日、伐採後のヤナギ。

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2012年10月24日撮影、若木が植えられて10年後の風景。若木が順調に育ったように見えたのだが… … 。

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2023年10月7日撮影、… … こんな結末、植えた若木は育たなかった。64本あったと思われたヤナギは少しずつ減り続け、現在はたった4本となった。

「鴨々川のヤナギは京都の鴨川のヤナギ並木を模して、川ぶちの料亭鴨川が植えたともいわれている。この料亭は今はない(『中島公園百年』 山崎長吉著)」。『札幌時空逍遥』によると、料亭鴨川は1934年頃に開業されたようだ。
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料亭鴨川の跡地は駐車場にになっているが、これは仮の姿。クロマツも碑も残っている。これからが楽しみだ。

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料亭鴨川跡地にクロマツと碑が残されている。この碑は皇紀二千六百年の昭和十五年に建てられている。そしてクロマツがちょうど70年前の1870(明治3)年に、この地に入植した者によって植栽されたものであると書かれている。

このヤナギ並木が料亭鴨川が植えたものとするなら、次の画像は植樹後89年以上たっていることになる。
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2023年10月9日、人と比べるとヤナギの大きさが分かる。人が見えなければ画像クリックで拡大される。

2001年の秋、中島公園近くに転居し、ヤナギ並木のある遊歩道は生活の一部となった。2012年の秋、ヤナギが少なくなった様な気がしたので数えてみた。

植樹升が64もあるのにヤナギは21本しかない。ヤナギの代わりに植えられたイチョウが30本、植樹升のみで植樹されていな空地が13ヶ所あった。

2023年10月2日の調査ではイチョウは30本と変わらず、ヤナギは4本に激減。10年以上補植されないまま放置され、事実上ヤナギ並木は消え去った。

本数の調査は中島橋から中州1号橋までの500m(下図参照)で実施した。2012年以降は伐採した後は何も植えず植樹升のみとなっている。当局は新たに植樹する予定はないと明言している。その状況で現在に至っている。
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公園橋前の案内板、画像クリック=拡大、字が読める。

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2019年9月3日付北海道新聞、さっぽろ10区」
私の投稿記事「鴨々川 沿い 寂しくなった柳並木」
画像クリック=拡大
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2023年10月07日

不貞寝で仕返し

又、A君がやって来た。退職したばかりの人はよっぽど暇なんだな。私のように無職を7年もやっていると、けっこう忙しいものだ。何かにつけ頼まれごとが多くなってくる。ボランティアといっても約束した以上は守らないと不真面目と思われ嫌われる。おろそかには出来ないのだ。

「ハワイに行ってたんだってねぇ。お土産は?」
「ありません。今日は女房の悪口を言いに来たのです」
「そんなこと言いに、わざわざ来たのかい」
「愚痴ぐらい聞いてやると言ったでしょう」

確かに言ったかも知れない。しかし、バスと地下鉄乗り継いで愚痴を言いに来るなんて、夢にも思わなかった。ともかく話を聞くことにした。

A君は風が強くて寒い日に買物を頼まれたそうだ。鉛筆でなぐり書きしたメモを渡された。いつものように、メモ書きは見ないで財布と一緒にポケットに入れた。

そして、スーパーに着く。メモ書きの中に「かにもどき」と書いてあった。店中探しても見当たらない。手がかりを考えると、サラダに使うと言っていたことを思い出した。

ついに見つけた。「かに風味」だ。サラダに合うと表示してあるから間違いない。迷わずカゴに入れた。

それからA君はリンゴ、牛乳、ジュース、醤油など重いものをいっぱい持って、雨混じりの強風の中を歩き、やっと家に着いたと言う。

「遅かったじゃない。寄り道でもしてたの」と言いながら奥さんが受け取ったそうだ。買物を頼まれるのは天気が悪いときか、重いものを買うときに決まっている。今日は両方重なって辛かったとボヤいていた。 

A君の愚痴は更に続く、案の定「かに風味」を見ると嫌な顔をされた。こういう予想は当たれば当たるほど傷つくものだ。「これ違うじゃない」と言われて更にガックリくる。

A君の愚痴は長く、まるで線路の様に何処までも続くのだ。品名は正確に書いてくれないと分からない、と精一杯の抵抗をした。しかし、「私だったら分かるよ」と一蹴された。ホントに悔しくてしょうがない。と涙ながらに訴え長い愚痴は終わった。私の役目もやっと終わりホッとした。

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「悔しかったら仕返しすればいいだろう」
「復讐? 暴力なんてダメですよ」
「重いもの持って雨の中を歩いて帰って来たんだろう」
「そうですが?」
「そのまま倒れ込んで三日ぐらい寝込んでしまえ。そしたら奥さんも反省するよ。無職の強みを発揮するんだ」
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2023年09月30日

逃げるが勝ち

テレビ、ラジオの人生相談を聞いていて、歯がゆく思いウェブ人生相談始めたが辞めた。企画自体は間違っていないと思うが相談がない以上続けられない。

「けっきょく、家来になることにしました」
と、職場の後輩で定年退職したばかりのA君は言った。
「家来って、何?」
「いやですねえ。二人暮らしはどちらかが家来になるしかない、と言ったでしょう!」
「人生相談ね。アレは辞めたんだよ」
「じゃあ無駄話にしましょ。ドッチにしろ同じですから」
「家来と言うと、君は奥さんを殿様に押し上げたのだな。それは賢い、相談の成果だね」
「人の考えを理解する能力がないのだから説得は不可能です。毎日ケンカも楽じゃないから家来になりました。言うことを聞くことに決めたらスッキリしましたよ」
「奥さんは優しいから100%言うこと聞いても大丈夫。ヘトヘトになって潰される心配は全くない。俺が保証する」

二人で暮らしていると客観的にみる人がいない。どちらかが相手に尽くすか、我慢しないと毎日が喧嘩になる。男でも女でも惚れられて結婚して、尽くされるのが一番幸せだが、そんな人滅多に居ない。ほとんどの人は何となく一緒になったのだから、尽くしも尽くされもしない。後ろ向きの意味でイコール・パートナーである。 

相手がガマンしてくれない以上、自分がガマンしなければならない。しかし、一方的な我慢はストレスがたまる。ストレスがたまっては楽しい生活ができない。これでは何の為にガマンしているか分からない。自分なりのストレス解消法が必要だ。A君の為に二人暮らしの極意を考えてみた。

1.奥さんの外出時は家にいて自由に過ごす。
2.奥さんが居るときは外出か自室に籠る。
3.奥さんの言う事には反対しない。
4.お早う、お休み、頂きます、ご馳走様、有難うを励行。
5.話をよく聞き、機嫌よく働ける環境を整える。

要は安全間隔を取ること。車間距離の様なものだ。これさえ守れば事故はゼロ。そして、潤滑油の役目を果たす挨拶は欠かせない。家庭も車と同じ様に走っている。安全間隔をとり潤滑油を注入しないと滑らかには走れない。意見が対立した時はブレーキを踏む。考えて置くと言えば良いのだ。

もう相談には乗れないから、この極意を印刷してA君にプレゼントした。これを読んで、常に沈没の恐れがある夫婦舟を巧みに操り、余生を楽しんで欲しい。

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「なんですか、これ?」
「楽しい暮らしを支える。ストレス解消の極意だよ」
「逃げ回っているだけでしょ」
「逃げるが勝ちというではないか」

画像は2015年6月6日、中島公園豊平館前の池で撮影。オシドリ親子とマガモ親子が遭遇すると突然にオシドリ母がマガモ母を追い払う行動に出た。逃げ回るマガモ母と追いかけるオシドリ母。そぞぞれの子等は静かに母の帰りを待つ。
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2023年09月23日

君は奥さんの誇り

A君は7歳下の定年男性だが職場の後輩だ。又々相談にやって来た。私がヒマそうだから来てくれるのか、本当に相談事があるのかよく分からない。

「無理して相談に来なくてもいいんだよ。会うのも久しぶりだから思い出話でもしようか」
「そうですねぇ。先輩にはよく足を引っ張られました。Q空港上空での一件、あれはヤバかったですよ。あの時……」
「それはそれとして、今日は何の相談だい」
「思い出話はいいんですか?」
「遠くから来たのだから、相談にのってあげないとね」

A君は悩みを語り出す。
「退職したら自由、家でも自由と思ったら大間違いでした」
「そりゃそうだ。家では奥さんが社長、君は新入社員だ」
「何ですか、それ?」
「これからの君の仕事は奥さんの機嫌を取ることだ」
「先輩の真似はできませんよ。バカバカしい」
「私は成功して左うちわだよ」
「嘘でしょ。尻に敷かれている様にしか見えませんよ」
「君は奥さんにとって埃なんだ」
「誇り? そこまで想ってくれなくても。でも感激だなぁ。相談に来てよかった。ありがとうございます」

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A君は職場でも厄介な存在だった。家でも、重たい家具の裏側にこびりついた埃の様に、奥さんも対応に困っていたと思う。でもこれでA君の態度もガラリと変わるだろう。瓢箪から駒が出た。これにて一件落着。まるで自分が遠山の金さんになった様な気分になってしまった。間違っても誤解されても解決は解決である。そうだよね、イズネッ?
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2023年09月16日

傷だらけの人生… 相談

シニアになったら人生相談、これが私が抱いていた長年の夢である。パソコンがネットに繋がると、さっそく「メル友コーナー」に登録。「人生相談承ります」と掲示板に書き込んだ。さて、忙しくなるぞと、待ち構えたが一週間たっても一通のメールも来ない。

変だな〜、故障かな? と思って、5人の同年輩の見知らぬ男性にテストメールを送った。3人の親切な男性から返信があった。内容はみな同じようなものだ。「メル友に登録したらメールが来ると思ったら大間違いですよ」。

苦節6年、ようやく相談者が現れたが、退職したばかりの職場の後輩A君だ。「別れたい」と相談に来たA君の問題を見事に解決。好調なスタートを切った。

それでもA君は相談に来た。ヒマを持て余している私を慰めに来ているつもりかも知れない。そう思えるほど相談内容がくだらないのだ。頻繁なメールのやりとりだが、整理して簡単な会話体にすると次のような感じだ。 

「いつも飲んでいる薬の置き場所を居間から台所に変えようとしたら、女房がエライ剣幕で文句を言うんです」
「そんなこと、いちいち言いに来ないでよ。これでも結構忙しいんだから」
「相談がぜんぜん無いと、こぼしていたじゃあないですか」
「ボチボチというところかな」

「私が建てた家なのに、少しでも便利に使おうとすると大騒ぎになるんです」
「そりゃあ、大変だね〜」
「完全に女房に占領されたのです。私の家がですよ!」
「名義だけだろ、俺だってそうだ。ともかく時効だね」
「はぁ?」
「長い間、家のことは奥さんに任せきりだったろう」
「それが何か…」
「時効とはね、一定の期間、その権利を行使しないと、その権利が消滅してしまうというものなんだよ。諦めな」

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私が人生相談を始めたのには、ちゃんとした訳がある。テレビやラジオで聴く人生相談の回答があまりにもお粗末だからである。回答者はマスコミの寵児、いわゆる人気者だ。常に羨望あるいは尊敬の眼差しで見られている。

一方、相談者と言えばヨボヨボでクタクタな哀れな人たちだ。彼らはいつも人々から無視され、冷たい視線に晒されている。同じことをしても周りの反応は全く違う。例えば「人の輪に入る」こと。人気者の回答者にとって極めて簡単なことだが、嫌われ者の相談者にとっては至難の技である。

回答者は「人の輪に入れば道が開ける」と簡単に言うけれど、陰気でヨボヨボの相談者は、なかなか仲間に入れてもらえない。そこに入らなければ道が開けないとするならば、前途は絶望のみである。何が人生相談だ!

「そういう訳で苦労人の私が人生相談に乗り出したのです」
「それなら相談が一つあるよ」と年上のBさん。
「どうぞ」
「寝る前に本を読むと、亭主が眠れないと文句いうのよ」
「それで?」
「部屋なんていくらでもあるでしょ。好きな所で寝なさい! と言ってやったわ」
「そうしたら」
「出てったきり帰ってこないのよ」
「気軽に本読めて良いじゃないですか」
「アンタバカだね。それじゃあ寂しいでしょ」
「だれが?」
「亭主に決まってるでしょ」
「帰ってきてねと言えば直ぐに解決。私忙しいんですよ」
「相談者ぜんぜん居ないみたいだけどねぇ」

ドイツもコイツも余計なお世話だ、キズつくな〜、まったく。困った人を救いたいから人生相談を始めたのに、真面目な相談は一件もない。どこの誰もがズレている。どなたか相談にのってくれないかなぁ。ワッシュライドゥ?
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2023年09月09日

失われた景観

「良好な景観は、地域の個性や特色をわかりやすく特徴づけるもの」と言われている。2004年9月8日、中島公園は台風18号に襲われ、一気に消滅した景観がある。それは地下鉄幌平橋駅西側の行啓通ポプラ並木。あれから19年、回復の兆しもなく破壊されたまま放置されている。

下の画像は台風翌日のポプラ並木。折れて倒壊したポプラが痛々しい。まるで戦災に遭ったような感じだ。幌平橋の先にある中の島ビル街が別世界のような気がした。
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画像クリック=拡大、中島公園の惨状とビルの対比。

台風18号に襲われて10年後、様変わりした幌平橋駅1番口周辺。ポプラが一本残った。この木に続くポプラ並木は消滅。跡地は芝生だけになっている。2014年9月7日撮影。
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台風通過1年後までポプラ並木の切り株は残っていた
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話は遡るが、台風通過後約二週間後には折れたポプラが切られた。ただし、幌平橋駅1番口後方の一本は残された。
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画像クリック=拡大、切り株の詳細が見える。
空洞らしきものが全く見られない。危険木として伐採されるポプラは、次のように大きな空洞がある場合が多い。
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2006年8月キタラ前のポプラが危険木として伐採。

更に遡り、台風18号通過翌日の撮影、上の画像と同じ場所を行啓通側から撮る。ポプラ並木は折れて倒壊した。右端は、その後も切られずに残された一本のポプラ。
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画像クリック=拡大、惨状の詳細が見えてくる。

在し日のポプラ並木、台風被災以前の幌平橋駅周辺の景観は素晴らしい。札幌の地下鉄駅周辺では一番だったと思う。
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画像クリック=拡大、緑豊かな幌平橋駅周辺。

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「第三の男」の
ラストシーン。ウィーン中央墓地からの並木道。この高さで剪定すれば、あの台風に遭っても折れなかったかも。この映画は繰り返し観ているが最近はそう思う。

2001年9月に中島公園隣接の共同住宅にに転居。行啓通の両側に天を突くように立つポプラ並木に感動したが、3年後には台風18号で倒壊。思い出の写真だけが残った。
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画像クリック=拡大、思い出のポプラ並木。

次の画像はポプラ並木倒壊10年後に撮影。上の画像と同じ場所だが、公園には相応しくない有りふれた道路に変わっていた。この状況は台風後19年たった今でも変わらない。
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画像クリック=拡大、公園の中という配慮はない。
維持管理が難しいポプラは無理と思うが、街路樹に適した木々で美しい並木道を再整備することは可能と思う。公園の中を突っ切る道路だから景観にも配慮すべきと考える。

ところで、生き残った一本のポプラだが、危険木として伐採された。ポプラ並木記憶のシンボルが消えたと感じた。
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2017年4月3日、生き残った一本は危険木として伐採。かつてここにはポプラ並木の壁があり、車も藻岩山も見えなかった。最後の一本も伐採され信号機まで見えるようになる。
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2004年12月29日放映、年末特別番組「STVどさんこワイド台風18号の猛威」制作に協力を求められた。9月の台風18号の爪痕を残している所は何処かと聞かれれ、迷わず地下鉄幌平橋駅を起点とするポプラ並木と答えた。
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念のため、他に傷跡を残している所はないかと探し回ったが、特別に目立つ所はなかった。被災してから既に3ヶ月以上経過している。一旦、再整備されるとそれが新しい風景となり、被害の程度は分からなくなっている。公園中至る所で被災したが、はっきりと傷跡を残しているのは、このポプラ並木だけだった。
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2023年09月02日

君は既に別れている

七つ下の職場の後輩である定年男性から相談を受けた。人生相談は大好きなので張り切って対応した。
「君は一番よい選択をしましたね。私に相談すれば問題は速やかに解決されるでしょう」
「退職して二人暮らしを始めて女房の正体が分かったのです。もう別れたいですね」
「心配いりません。君は既に別れています」
「はぁ?」

「生まれてから現在に至るまでズ〜ッと別れているじゃあないですか。今更法律的に別れる必要などありません」
「家庭内別居を勧めるんですか?」
「別居はお金がかかりますよ。あるんですか」
「う〜ん? 家の中を二つに分けるとか」
「バカなことは止めてください。小さな家を半分にしてどうするんですか。不便になるだけですよっ」
「じゃあ、どうしたらいいんですか」

「今のままでいいのです」
「それが最悪だから、相談に来たんです。もう帰ります。来るんじゃなかった」
「ちょっと待った! 問題を解決したいのなら最後まで聞きなさい。短気は損気ですよ」
「いいですよ。最初から期待していなかったんですから。ダメでもともとです。拝聴しましょ」

「奥さんは買物、サークルなど、よく外出しますね。その間君は一人でしょ。君が外出すれば君は一人。書斎にこもれば君は一人。寝ているときも君は一人でしょ。まさか一緒に寝たりしていないでしょうね?」
「いえいえ、とんでもない!」
「しっかりと別れているじゃあないですか。それ以上別れたって、自分の生活が不便になるだけですよ」

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「何だか、はぐらかされているみたいですね」
「君が私を騙しているのですよ」
「はぁ?」
「奥さんと仲良くしたいのに、なついてくれないものだから、別れたいとか言っちゃって」
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2023年08月26日

嫌な人、好きな人

人生は汽車の旅に似ている。本線は「悲しみ本線」と「幸せ本線」に分かれている。何れの本線も一旦乗車すると長い旅となる。悲しみ本線に乗っていても楽しいことも嬉しいこともあるが、直ぐに悲しみ本線に戻ってしまうのだ。

ところで、只今「幸せ本線」乗車中、嫌なことがあっても直ぐに忘れる。少し不幸な出来事は、いつの間にか懐かしい思い出に変換されて記憶される。

およそ15年前の秋、中島公園は「サクラマス遡上騒動」で揺れていた。遡上なら川を上るはずなのに下ってきている。それでも皆喜んでいた。しかし、サクラマスの死骸をカラスが突っつくのを見かけるようになってからは、人々の反応は変わってきた。このまま放置してはまずいのではないかと。
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専門家の話では「サクラマスが中島公園に来たところで、生きては行けない。ここで生まれても、越冬環境や降海、遡上のことを考えると、鴨々川では難しい。やはり、サクラマスが入らないような対策が必要」との見解だった。 

そうとは知らず、サクラマスが中島公園に遡上、産卵するようになれば21世紀最大のニュースになるだろうと張り切っていた。水中の魚を撮れるカメラではないし腕もないのに、水面が反射しない場所はないかとウロチョロしていた。

公園中大騒ぎ、そんな状況で私にケチを付ける人まで現れた。サクラマスを驚かさないように、そっと写真を撮っていると、後ろから声がする。

「あ〜、だめだめ。もっと姿勢を低くしないと」
振り向くと年配だが、かなりお洒落な女性が立っている。
「私、写真屋に勤めていたのよ。カメラ得意なんだから」
「姿勢を低くすると水面が反射して光るんですよ」と私。
こちらはモニターを見ながら撮っているので、反射しているかどうかは言われなくても分かるのだ。それでも彼女は指示を連発する。

「もっと低くしなけりゃダメ! 水面ギリギリで撮るのよ」
そんなことできる訳ない。身体は固いし腰痛もちだ。しょうがない切り上げ時だなと、立ち上がった。 

「あら、もう帰るの?」
”あなたがいたのでは落ち着いて写真も撮れません”と言いたいのはやまやまだが、口から出さずに飲み込んだ。
「いろいろご指導ありがとうございます。お陰様でいい写真が撮れていると思いますよ」
「そ〜ぉ。これからなのにぃ」と不満そうだ。

しばらく木の陰に隠れて、彼女が立ち去るのを見届けることにした。未練たらしく何回も振り返って見ていた。やっと、スタスタ歩き始めたのを確認した。

「さあ、撮るぞ!」と再び川に近づくと、今度は違うおばさん。サクラマスをじっと見て「美味しそうだね」と一言。
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「食べちゃだめですよ」と冗談めかして言うと、
「食べられないよ〜。私、獲れないから〜。ワハハハハハ、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜」
サクラマスはなかなか撮れなかったけれど、笑いがとれてしまった。しかも、こんな簡単に。 

家に帰ってつぶやく。 
「小さな幸せ、いっぱいあるけど大きな幸せないなぁ」
「大きな幸せなんか来たら、ビックリして死んじゃうよ」
「どちらがですか?」
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2023年08月19日

妻は内弁慶

我家の夕食は早い、風呂は夕食後に入るので18時頃からになる。その日はちょうどファイターズ・ライオンズ戦をテレビ観戦していた。この試合に勝てば最下位から5位に浮上する。とても目が離せる状態ではない。

それなのに「ちょっと、来てよ」とやかましい。何回も呼ぶので嫌になってしまう。用事があれば、こっちに来ればいいのだ。やっとチェンジになったので風呂場に行くと、まる裸のお母さん(妻)がお湯が少ないと血相変えて怒っていた。

「あんたが余計なことするから、お湯が減っちゃったじゃない! 湯船に半分しかないよ」
「肩が出るまで減らしました。健康に良いそうですよ」

湯量の増減はボタンを押すことで簡単にできる。どうやら湯量を減らした私に、全責任を押し付けないと気がすまないようだ。所詮は誰が蛇口をひねるかの問題である。風呂に入っている人が増やせばいいのに、なぜ怒るのだろう。ときどき訳の分からないことで叱られて困っている。

20年ぶりにお風呂を買い替えた。風呂桶だけと思ったがユニット(風呂場全体)で買わされたので150万もした。「自動ボタン」以外触る必要ががない。終われば「お風呂が沸きました」と報告までしてくれる。人間様は入るだけだ。

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会社の担当者から説明があり「どこか異常がありませんか?」と聞くと、お母さんがお風呂のお湯が多すぎるので、もったいないと訴えた。担当者はここを押すと湯量が増えて、こちらを押すと減りますと、丁寧に説明してくれた。

なぜかお母さんはポッと顔を赤らめた。湯量が少ないのはお風呂の故障と思っていたに違いない。担当者に教わり「ええ、ええ」と頷いていたではないか。私は側で見ていたのだ。当然、お母さんは理解しているものと思っていた。

「少なかったらボタンを押して増やせばいいでしょ」
「あんたが減らしたんだから、増やしてくれなきゃダメ!」
「ボタンを押すだけですから簡単でしょう」
「簡単ならやってよ!」

相手が他人だと自分の間違いに気付いて、ポッと顔を赤らめるのに、このずうずうしさは一体なんだろう。他人に優しく、身内に非情。今までは手練手管で私にも優しいお母さんに作り変えてきたが、新しい設備を導入すれば新しい課題も生まれてくる。一つ一つ対応して行きたい。
タグ:楽しい我家
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2023年08月12日

思い出の旅

3年間、ほとんど夫婦二人で暮らしている。外で話すのはいろいろな科のお医者さんと看護師さんだけ。もちろん無駄話などしない。一番よく話すのは補聴器屋さんだ。そして、月に1回カラオケ会で2時間だけ歌わしてもらっている。一曲3分として9分〜15分くらいだ。これが唯一の娯楽である。

環境に応じて気持ちも変わるので、何も我慢はしていない。今やりたいことは全てやっている。思い起こせば、中学時代は生活保護家庭だから高校には行かないと決めていた。私にとって中学はとても楽しい場所だった。我慢どころか自由を満喫していた。退職後は活動していた60代、静かに暮らしている80代、どちらも楽しく生きたいように生きている。

ところで、15歳から22歳までの転職時代は苦あり楽あり、絶望も希望もあった。馴染めなかったのは定職時代だった。職場は矛盾に満ちていた。建て前と本音の違いが大きすぎて生きづらい。それなのに、経済的に安定しているので辞められない。退職後は自由が戻り楽しく過ごしている。自由さえあれば、状況が変わっても楽しく生きられる。

今は静かな暮らしを楽しんでいるが、昔を思い出すことも楽しみの一つだ。15年前のことだが、所属するシニア団体が企画してくれた旅行は、素晴らしい陸・海・空の旅だった。

東北から北関東にかけて空から、海から、陸から観ることが出来たのだ。空の旅は速いが、上から下を見る限りゆっくりと進んでいる。いつも下から見上げている雲が、下に見るのが心地よかった。雲が切れると大きな川が見えた。

ちょうど客室乗務員さん が通りかかったので、「あの川なんていう川ですか?」と聞くと、ニッコリ笑って地図を見せ、「この辺を飛んでいます」と、指をさした。小さな地図に細い糸くらいの太さで何本も川が書いてあった。それを見せてくれてもよく分からない。しかし、こんな些細なことにも真面目に答えてくれるのが嬉しかった。

800キロのバスの旅もとても快適だった。ガイドさんの方言が心地よく耳に響いた。東北を旅していると染み染みと実感した。岩手県のどこかと思うが、立派な瓦屋根の豪邸が延々と続いていた。漁師の家と聞いてビックリした。つい先日、デモをしているのをテレビで観たばかりだからだ。漁師たちは「燃料がこんなに上がっては漁師は食えない」と訴えていた。漁師にもいろいろあるのだなと思った。

帰りは茨城県の大洗港から大きな船に乗った。食事のとき、隣のテーブルは男性一人に女性5人、楽しそうな笑い声が絶えない。総勢数十人の団体旅行だからあちこちに分かれて食事をとった。こちらは男性5人で黙々と食事をとり酒を飲んでいた。何か話していたかも知れない。ただ、隣のテーブルがとても楽しそうだったので、そう感じたのだ。みんな同じグループで顔見知りの仲だ。

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二次会は大ホールに全員集まることになっていた。食事を終わった方は、そちらに行きはじめた。隣のテープルも二人ばかり抜けたが相変わらず賑やかだ。顔見知りの人に「楽しそうですね」と声をかけると、「どうぞ」というので私も仲間に入れてもらい賑やかな輪に入った。普段から一緒に活動しているシニアグループの人達だが更に親睦を深めることが出来た。二次会が始まる前のひと時だがとても楽しかった。
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2023年08月05日

寿命を使い切る

依然として巣ごもり中だが、15年前には泊まりがけで旅行にも行った。状況は色々変わるが、与えたれた環境の中で日々の暮らしを楽しんでいることには変わりない。

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「旅行大変楽しかったですよ。又行きたいですね」
「どこが楽しかったんだ」と、年下ながら仕事の先輩。
「Aさんと話したり、Bさんと笑ったり、Cさんと美味しいもの食べたり、Dさんとお酒呑んだり…」
「もういい! 何処に行ったのか聞いているんだよ」
「東北ですよ」
「あんたと話しているとホントにイライラするね。東北のどこへ行ったんだ」
「バスだけで800kmですよ。何処だか覚えていませんね」

もともと私は、この旅行を行く先の分からないミステリー旅行として参加した。はっきりと覚えているのはNHK前に7時50分集合することだけだった。

「どうせ千歳空港に行けば分かることじゃないか」
「分かりません。その為にアイポットを用意しました」
「なに?」
「イヤーフォーンで音楽を聴きながら行くので案内は聞こえません。私に取ってはミステリー旅行ですからね」
「何だと?」
「前の人の背中を見ながら歩けば目的地に着けるのです。これが団体旅行のメリットです」
「そんなの俺はごめんだね」
「着陸して初めて、そこが目的地だと分かるのです。感動も10倍! 料金は一緒ですよ。いい考えでしょう」
「長生きするよ」

あれから15年、私は男性の平均寿命を超えて82歳9ヶ月。先輩の予言が的中したが、超えただけではつまらない。楽しく日々を送りたい。幸い衣食住には心配がない。

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年を取ると少しずつ体が弱ると思っていたが大間違い、手術や治療で入院するごとにガタッガタッと段階的に弱るのだ。和田秀樹先生の『80歳の超え方』を読んだら「70歳以上のがんに関しては、私は手術することのリスクは大きいと考えています」と書いてあった。

元々この本はお母さん(妻)が買ってくれたもの。
「失敗ですね。80歳を超えたのに2回もガン手術してしまいました。オマケに放射線治療までね」
「そう、もっと早く買って上げればよかったね」
「後で好かったです。読めば迷うだけですよ」
「新しいのが出たので買ってきてあげる」

次は90歳の超え方かなと思って、手に取って見るとタイトルは『どうせ死ぬんだから』だった。サブタイトルには「好きなことだけやって寿命を使い切る」と書いてある。

「タイトルを一挙に変えましたね。ワクワクドキドキです」
「アンタの好きなゴロテレの勧めもあるよ」
「それは誤解です。映画館のように座って観ています」

今、興味あるのはテレビの音声が、テレビのスピーカーを通さずに直接補聴器に届く装置。どのぐらい聴こえるかは使ってみなければ分からない。補聴器店に相談すると無料で貸してくれるという。5万円程度と市販のより高めだが性能が第一だ。セリフが聴こえるようになるのなら是非ほしい。

難聴になって分かったことだが、人間の耳は長い時間をかけて必要な音が大きく聴こえるように出来ている。ところが、補聴器を使うと雑音のような要らない音が格段に大きく聞こえてくる。そして、大切なセリフが聴き取れなくなり、イライラして観る気がしなくなる。

和田先生は「どうせ死ぬんだから、好きなことだけやって寿命を使い切る」べきと言う。そして私の一番好きなことはドラマを観ること。10歳から日常的に映画を見て育ち、今はビデオで映画とテレビドラマを録画して鑑賞している。観る時は静かな環境でソファでなく映画館のような座席にきちんと座る。昔も今も映画など一人でドラマに集中している時間が一番楽しい。好きなことだけやって寿命を使い切りたい。

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有楽座で全階指定席、500円・300円、9時・1時半・6時 3回上映。私が子供の頃に行った渋谷の「テアトルSS」は古い洋画専門館で入場料40円。何回繰り返し観てもよかった。両隣の封切り館「テアトル渋谷」「テアトルハイツ」は120円程度だったと思う。こちらは滅多に行かないのでよく覚えていない。
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2023年07月29日

難しい音痴の自覚

何となく音痴と思っている人は多いが、はっきりと音痴と自覚するのは難しい。私は経験に経験を重ね、30年もかけてやっと音痴と自覚できたのだ。決して簡単ではない。

趣味は洋楽カラオケと言いたいのはやまやまだが言えない。困ったことに極端な音痴で、英語もよく分からない、しかも生まれつき滑舌が悪い。とても恥ずかしいけれど、それを上回るヤル気がある。趣味の世界でも5%の出来る人と5%の出来ない人がいる。そして90%は普通の人々と思う。

普通の人には出来る人になるための教室もマニュアルもある。一方、出来ない人が普通の人になるための教室もマニュアルも事実上ない。マニュアルには初心者でも読めば出来ると書いてあったが、何ひとつ出来るようにはならなかった。

習って上手になった友人がいたので、個人レッスンも受けた。私も習えば友人と同じ様にできる様になると思ったが大間違い。自分を知るには金も時間もかかるものだと思った。しかし、これだけでは終わらなかった。選んだ楽器が難し過ぎたと決め付け、更なる深みにはまった。

30歳くらいまで楽器を次々と買った。あれもダメこれもダメ、これなら何とかできるとか未練タラタラだった。音痴だからダメなんだと気付いたのは30代半ば頃だった。

音楽とは聴いて楽しむものだと割り切った。それなのに、好きな洋楽を歌ってみようと思った時は後期高齢者。つまり本格的なジイサンになっていたのだ。私の迷いは簡単には収まらない。しかし、命とか金とか関係ない分野で悩めることは有難い。これも一種の贅沢である。

初めてカラオケ会で歌ったが滅茶苦茶だった。伴奏に遅れたり離れたりした。止めれば良いのに一生懸命辻褄を合わそうとするのだ。終わって初めて恥ずかしくなる。今でも滅茶苦茶だけど、自分で楽しむことはできる様になった。何事も自分に都合好く解釈できる老人力に押されてね。そして、無視しないで励ましてもらえることが何よりも有り難かった。

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現在82歳と9ヶ月、めでたく日本男性の平均寿命を超えた。80歳近くから舌癌、リンパへの転移、放射線治療と3回の入院、耳も補聴器が必要になった。最後に退院して1年たつけれど、未だに体調が戻らない。疲労が著しいのでカラオケ会も2時間だけ参加させてもらっている。今の私には唯一の娯楽なので、自分なりに楽しませてもらい感謝している。

順番が来たら歌って2時間たったら帰るだけだが、とても楽しいひと時だ。帰ったらグッタリして、一眠りして夕食をとっている。幸い食欲はあるし、口と心だけは元気だ。毎日をゆったりと幸せな気分で過ごせることが有難い。

昔、酒を飲むことが唯一の楽しみだった時期もあったが、この3年間一滴も飲んでいない。しかし、静かな生活も良いものだと思っている。ノンビリだけではボケそうだから1ヶ月に2時間くらいは緊張して恥をかいている。その方が健康に良いと思ってカラオケに行っている。

15歳から集団生活をしていた、自由時間は皆んなで歌うのが唯一の娯楽。しかも、訓練では毎日のように行進しながら全員で歌っていた。大声を出せとの指導があるだけの楽しい訓練だった。日常生活が歌と共にあり、音痴とか自覚できない環境だった。これで良いと思うのだが時代は変わった。
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2023年07月22日

ある夜に見た夢

よく夢を見るが大抵は目が覚めると忘れてしまう。しかし、この夢だけは私の性格を反映しているような気がしてハッキリと覚えていた。自分は惚れっぽくて従順、慎重で間抜けと思っているが、自己評価だから甘いかも知れない。

夢とは「脳内に溜まった過去の記憶や直近の記憶が結びつき、それらが睡眠時に処理され、ストーリーとなって映像化したもの」だそうだ。しかし、私の見た夢はバラバラで一貫性もなく物語とは思えない。

だけど、とても興味深いシーンがいくつかあったのでで、自分なりの夢物語を書いてみた。筋が繋がらない部分も多いが、私の見る夢は何時だってそうなのだ。

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なぜか憧れのAさんの部屋に入った。普通は女性一人の部屋に入れてもらえないから、それなりの事情があったのだと思う。しばらくすると、だんだんいいムードになって来た。

「いいわよ、その代わり靴を外に出してちょうだい」とAさんは言った。来客中につき入室禁止の意味かなと、いいように解釈して履いてきたイタリア製の高級靴を廊下に出した。
「そこじゃダメ。もっと遠くに出して」と言われても何のことか分からない。それでも一生懸命どこに出すか考えた。この部屋は、大きな邸宅の3階にある。
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常識的には玄関だなと思い、1階に降りた。しかし、こんな所に置いたら家の人に、来たことがバレてしまうと心配になった。あれこれ考えた末、手提げ袋に靴を入れ、バス停のある道路にまで来てしまった。さて、どうしよう?

ここなら家の人に見つかる心配はない。ここに置こうと決めたのはいいのだが、泥棒に盗られたらどうしようと、心配になった。とりあえず、靴の入った手提げ袋をバス停裏に置き、様子を見ることにした。懸念したとおり、通りがかりの紳士が手提げ袋を手に取り悠然と歩き出した。

「あの〜、ちょっと! それは私の靴ですが」
「そうですか。警察に届けに行くところですが、お返ししましょう。あなたのものであることを証明して下さい」
「見ての通りサンダル履きです」
「それは証明になりません。免許証をお持ちでしょ」

免許証はAさんの部屋で脱いだ上着のポケットに入っている。見ず知らずの人をAさんの部屋に連れて行って、あれこれしていたら、Aさんとの楽しいひと時を失ってしまう。

これでは何の為に靴を出しに行ったのか分からない。かような次第で高価な靴は取られてしまった。ともかく靴は出したのだ。いそいそと部屋に帰りAさんに報告した。

「靴だしました。うんと遠くにですよ」
「遠くでなくても良かったのに、お疲れ様。その靴を履いて帰ってもいいわよ」
タグ:ときめく
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2023年07月15日

ヘソクリ

2023年1月30日に札幌市で回収された雑紙の中から1000万円発見された。2月の発表後に市民から我が家で出したゴミではないかとの問い合わせが続々とあった。しかし、持ち主の特定が出来ないまま、遺失物の保管期限3ヶ月を過ぎて市役所に所有権が移ったと言う。簡単に他人事と決め付けてはいけない。我が家のヘソクリは大丈夫だろうか?

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「アンタは無職で小遣い3万円、アタシも同じにしてよ」
当然の要求だ。自分は10分の1の百円亭主で当たり前と思う。家事についてはそのくらいしか働いていないから。

コロナ禍は去っても私の持病ほ続き、相変わらずの巣ごもり状態だ。というような訳で10年以上昔の話になるが、古い友人であるAさんの家を訪れた帰り道。
「Aさんの奥さんは歳を重ねても、きれいな方ですね」
「女はお金かければ、いくらでもきれいになれるんだよ」
お母さん(妻)の友人を褒めたつもりなのに機嫌が悪い。

「料理も美味しかったですよ」
「材料がよければ、いくらでも美味しくできるのっ!」
怒っている。全ては予算次第と言わんばかりだ。お母さんはAさんの奥さんと仲良しだし、ただの世間話のつもりだったが、なぜか反発してくる。

「能ある鷹は爪を隠す。アタシはそう思うんだ」
「爪?」
「そうだよ」
隠すのは尖ったものでなく、丸いモノでしょ」
親指と人差し指でマルを作る、
「悪い?」
「40年間も、よく隠せましたね」
「アンタには敵わないけどね」

以上は17年も前の話だが、ヘソクリはお互いに持っていることは今でも認めあっている。お互いに親兄弟や友人が居る。それぞれの付き合いには口では言えない事情もある。それぞれが自由気ままに使える金を持っていた方が良いと思っていた。今でもそう考えている。だが待てよ?

「札幌で資源ごみから現金1000万円が発見されましたね」
「多分ヘソクリだよ」
「お互い80歳を超えたし、見せっこしませんか?」
「見せたらヘソクリにならないよ」
「古い座布団を知らずにゴミに出したらまずいでしょ」
「ふーん、座布団か〜。座りごち悪いんじゃない」
「例えばの話ですよ。ゴミに出されちゃ勿体ないですよ」
「それじゃあ、隠し場所教えてよ」
「あまり期待しないでね。ポケットに入る程度だから」
「じゃあ、市の財産にもならないね」
「なんで?」
「見つけた人のポケットに入っちゃうよ」
タグ:楽しい我家
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2023年07月08日

自由と二人連れ

人は一人でこの世に生まれ一人であの世に逝くと言うけれど、私の場合はそこに行く前に静かに幸せに生きる時間に恵まれた。それでも、人と交わり忙しく活動していた60代が懐かしい。多くの方々に親しく親切に接して頂き、今でも思い出しては感謝している。

ところで、お母さん(妻)に言わせると、私は常識の無い人だそうだ。しかし、世間の人から見れば、一応分別のあるシニアに見えていたと思う。仲間はずれにならない様に、普通の人に見えるように頑張っていたからだ。

玄関に靴や傘を置いているように、仮面も置いてある。それは靴と同じ様に雨天晴天に関わらず、外出するときは必ず付けて行く。この仮面を付けて出歩くのは、けっこう辛いものだ。自由が束縛されているような気がする。

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世間で「よくできた、常識人」と思われている人たちはどうなのだろうか。仮面と顔がビッタリとフィットして、痛痒を感じないのかもしれない。そうでなければ疲れ果てて、紳士などやってはいられないと思う。

一方私は仮面と顔がフィットしない人。いつまでたっても別々のままで戸惑っている。簡単に常識というけれど、世間の標準的な考えに自分を合わせるのは楽じゃない。人間という超精密機械をバラバラにして組み立て直すようなものだ。そんなことは不可能なので仮面をつけて外に行く。

「あんた、ウチに帰っても仮面をぬぐんじゃないよ」
「そうは行きません」
「なんでアタシだけ我慢しなきゃならないの!」
「そとづら仮面ですから家では無理です」

60代はいろいろやっていて忙しかった。知人も多く付き合いも多かった。公園を散歩していて、見知らぬ人から声をかけられることもあった。いつの間にか中島公園という狭い社会で知られる人になっていた。私は人生の殆どを下っ端として働いて来たので、思わぬ展開に有頂天になって動き過ぎてしまった。70代に入ると疲れが出て動きが鈍くなった。

動き回った60代、動から静へ移行した70代、そして80代に入り静かで穏やかな日々を送っている。生活スタイルは変わっても、何時も楽しく生きてきた。状況がどう変わっても自由があれば、それぞれに応じた幸せがあると思う。
ありがたや何時も自由と二人連れ
タグ:楽しい我家
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2023年07月01日

二人暮らしは夢の世界

穏やかに暮らしたいのでお母さん(妻)には逆らわない。「アメリカ人は白人だね」と言われても「そうなんですか」と調子を合わす。テレビを見ていればロスアンジェルスがアメリカにあることが分かるし、街の様子を見れば白人が少ないことも分かる。昔は言う必要がないことを、いちいち説明して嫌われていた。そう言えばこんなこともあった。

その日は朝から自室に引きこもり、撮り溜めた画像の整理に没頭していた。一休みしに居間に行くと買物を頼まれてしまった。「パソコンばかりやっていると、肺炎になるからね。気晴らしに買物にでも行って来てちょうだい」。私は滅多に家事はしないが、頼まれれば断ったことはない。 

手渡された買物リストを読みもしないでポケットに入れスーパーSに行った。牛乳、卵、リンゴ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参と買物は順調にに進んだ。最後にモチ2コと書いてあるが、どこにあるか分からない。店員に聞くと案内してくれ、「今はこれしかありません」と言った。そこには袋に入った「佐藤の切り餅」が積んであった。重そうだが引き受けてしまったのだから仕方がない。何とか頑張って家まで運んだ。

「ただいま! 重かったですよ」
「正月でもないのに、なによこれ?」
「モチは”佐藤の切り餅”しかなかったのですよ」
「何でこんなにいっぱい買ってくるのよ!」
「モチ2コと書いてありましたよ」
「スーパーSのモチと言えば、あのアン入りのモチに決まっているでしょ」
「大福と書いてくれれば分かったのですが…」
「言い方なんかどうでもいいの。考えれば分かるはずよ」
「中にアンコが入っているのをモチとは言わないでしょ」
「スーパーSでモチといえば、あのモチに決まってんの!」

二人暮らしでケンカをすれば、正しかろうと、間違っていようと、押し通した方が勝つ。まるで、正義が通らないアウトローの世界だ。こうなったら私に勝ち目はない。いくら正しい主張をしても、ここには裁判官の役目をする第三者はいないのだから、諦めるより仕方がない。しかし、そう思っても諦めきれず、再びパソコンの前に座り、このブログに愚痴を書いて憂さを晴らした。

今だったら「ごめんなさい、スーパーSでモチと言えばアレですね」と素直に謝る。お母さんは謝罪されるのが大好きだからニコニコして受けると思う。二人暮らしは夢の世界だから真実とか事実とかは重要ではない。ひたすら夢を追い続けて楽しく暮らしている。笑顔が何よりも薬になるからだ。歌にある様に、いいじゃないの楽しければ八分音符

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君は心の妻だから 実は → 座りマネキン
正解は隠し文字で書いた。お試しください。

タグ:楽しい我家
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2023年06月24日

洋カラでリハビリ

アメリカ映画の影響か、私は10歳で音楽が好きになった。入場料は子供たちの小遣い稼ぎで手に入れた。就職して懐が豊かになると色々な楽器に手をつけたが、全て入り口で躓いた。約20年間も無駄な努力を重ね30歳で目が覚めた。

楽器とレッスン料合わせて百万円くらいドブに捨てた。費用対効果で考えると最悪の決算だ。もちろん、人前で歌うこともなかった。多趣味で歌う暇がなかった人なら突然上手くなったりもするが、私には万に一つの望みもない。

それでも音楽への片思いは続く。65歳でカラオケを始め楽しんでいる。老人になり何人も否定できない大義名分を得たからだ。人が健康の為にやることは誰も止められない。コロナ禍と持病で3年間休んでいたが、昨秋より再開。体調もイマイチなので休み休み楽しませてもらっている。

今ではカラオケが大切なリハビリの一つとなっている。整形外科のリハビリにも通っているが、毎日1時間程度の散歩と月1回の洋楽カラオケ会にも参加している。

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カラオケは有酸素運動になり血圧降下、中性脂肪値低下、喘息治癒等に効果があるという。私にはピッタリだ。そして、その歌を聞いていた時代の出来事を思い出して楽しむこともできる。それは、このブログを書くことと共通している。私のリハビリは整形外科、1時間散歩、洋楽カラオケ、そして、このブログを書くことの4本立てである。

なぜ洋楽カラオケか? 誤解を恐れずにいうと達成感が欲しいからだ。音痴だから日本語の歌を何回歌っても上達した気がしない。ところが英語の歌は全く分からないことから始めるので、回を重ねるごとに僅かながら進化する。歌が上手くならなくても口が回るようになれば達成感を得られる。これが気に入っている。リハビリの為、毎日40分程度歌っているが、これが機能回復と気分転換に繋がるから有難い。

ところで、最近のカラオケは6月14日の例会。申し訳ないけれど約2時間で早退。実は5月例会の少し前、三年ぶりに友人に会って食事、カラオケ、そして喫茶で4時間ばかり楽しんだ。翌日体調を崩し5月例会を休む羽目になった。楽しいカラオケも半分にして毎回参加したい。大きくて美味しい高級バナナを半分だけ食べるようにね。ハイ(^-^)/
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2023年06月17日

噂のマンション

20年前ぐらいの頃は中島公園に関する取材を積極的にやっていた。と言っても散歩仲間と立場話する程度だ。それでも興味深い話をしてくれる人もいる。例えば次の様に。「ここではな、毎年のように自殺があるんだよ。今年も二人が死んでいた。日本庭園とボート小屋近くであったな。あんたは知らないと思うが、自殺は絶対に新聞にでないよ」

確かに中島公園で自殺という記事は読んだことがない。公園関連記事は切り抜きをして注意深く読んでいる。それに散歩中、何か変わったことがないか細かくチェックしている。時々ある場所が理由も示さないで立ち入り禁止になることがある。ひょっとしてあの時あすこで? とか考えてしまう。

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ところで、こんな可笑しな話もあったので、私なりに纏めてみた。それは私にとって驚くべき話だった。マンションにバキュームカーが汲み取りに来ると言うのだ。10階程度のマンションに屎尿収集運搬用の車両が横付けするとの噂だ。

そのマンションは古そうだが、建築後半世紀以上とは知らなかった。建設当時は下水設備が無く何処の家も汲み取り式トイレだが、下水が整った今ではどんなボロ家でも水洗である。普通の家に比べると巨艦とも言えるマンションは、舵を切るのも容易ではない。見た目でも老朽化は進んでいるが、建て替えるまでそのままだと思う。

もちろん、トイレは水洗だが運用は難しいようだ。古い「電動式汲み上げポンプ」だから、水は3階までしか上げられないと言う。4階以上は3階を中継点にして、そこから上にあげる。更に上へと続くそうだ。

こんな状態だからトイレの水洗は、上階での水使用状況に影響される。上でトイレを使われたら水が出ないこともあるそうだ。臭いはどうなのだろう? ところで、室内は風呂も台所も含めて全て木造と言うから雰囲気は優しいと思う。 

いつも買物に行く店もこのビルの1階に入居している。そこの大福は凄く美味しくコンビニの大福など比べ物にならないほどだ。しかし、その下が巨大汚水層で、運が悪ければ汲み取り作業中のバキュームカーとご対面になるかも知れない。そう思うと美味しさも中くらいになってしまう。

以上、公園の散歩者から聞いた話だから私が冗談を真に受けたのかも知れない。しかし、そのビルの前にバキュームカーが横付けして作業をしているのを見た記憶がある。買い物に通う前のことだから気に留まらなかったのだ。
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2023年06月10日

21世紀の記録:月別中島公園

捨てるべきものは家の中だけでなく、ネット空間にも漂っている。そして、当ブログにさようなら「中島パフェ」書いたサイトも更新を休止して漂っている。ただ、もう一つの中島公園関連サイトだけは何としても更新を続けて行きたい。

それが今回紹介させて頂く「21世紀の記録:月別中島公園」である。毎月更新して既に270回を超えたが、月別リンクがズラリと並んでいるだけの地味なトップページだ。しかし、ここまで作るのに21年以上もかかってしまった。

囲碁・将棋・麻雀、その他何もできない。しかも、歌えないし踊れない。こんな私だからこそ無味乾燥な資料作りに打ち込めたのだ。もし麻雀が得意ならその方が楽しくて、コツコツ20年以上もやってはいられない。寂しい状況が偉業を成し遂げさせたのである。 (^-^;) ゴメン

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画像クリックでブログ21世紀の記録が別画面で表示。

「これが偉業かぁ? 俺は別にいいけどね」
「21世紀の中島公園をテーマに更新を続けます」
「お前幾つだ?」
「82歳です」
「21世紀はあと74年もあるぞ」
「愚息に頼みます」
「それもいいけど、ブログはいずれ廃止だね 」

ホームページ作成が苦手なので、公開されているテンプレートを利用した。その為デザインを変えようと思っても何処をどう変えるか分からない。ブログに移行して一安心と思っていたらブログも廃止のようだ。それでも何とか続けたい。

と思うのは、私に三つのアドバンテージがあるからだ。それは時間・場所・時代である。先ず自由に使える時間がある、取材対象である中島公園に隣接して住んでいる。そして、21世紀初頭に公園の近所に転居した縁もあるのだ。

毎日散歩するのは健康維持の為だが、歩く喜びも欲しい。何か目的があれば散歩も楽しくなる。中島公園への想いを梃子に歩き回り、これからも月々の更新を重ねて行きたい。

とりあえずの目標は継続30年、あと7年半だ。ちょうど90歳になるのも何かの縁と思う。年を取るのが楽しみだ。ハードルを一つ一つ越えている様な気がする。今年も一つのハードルを超えた。それは日本人男性の平均寿命である。
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2023年06月03日

秘密が一つ増えた

「地下鉄降りて階段を上ろうとしてもできないのです」
「あのねぇ、80過ぎて癌の手術2回して、放射線治療して階段で行く人など滅多にいませんよ。エレベーターを使えばいいでしょう。その為にどの駅にも付けてるんだから」

言われなくても分かっているが、階段くらい上れるようになりたい。私の知っている同年輩の人たちは階段どころか山にだって登っている人が多いのだ。私だってその十分の1は無理でも百分の1くらいはやりたい。しかし、出来ることと言えば平地で1時間程度ゆっくり散歩するぐらいだ。

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散歩中、自転車に轢かれそうになってビックリした。青信号で渡ろうとしたときのことである。もちろん車にとっては赤信号なので止まっている。そこに信号無視の自転車が突っ込んできた。私は反射的に止まったが自転車も急ブレーキ。

自転車を斜め横に見ながら一歩出ると同時に自転車も発車、ぶつかりそうになり停車、また歩こうとしたらまた発車、赤信号を完全に無視していた。自転車と私の間隔は僅か数センチ、ヒヤリとしてハッとする、を繰り返す数秒間だった。

赤信号をアッという間に3回も無視とは驚きだ。しかし見事に私を避けていた。自転車の若者にとって私は単なる障害物に過ぎなかったのだ。家に帰ってお母さん(妻)に話すと、意外な反応に又々ビックリ。危ない人は外だけではなく、家の中にもドッカリと座っていたのである。

「そんなところで道路を渡ろうとするから悪いんだよ」
「信号は青。車は赤信号で止まっているのですよ」
「あそこは危ないから渡ったらダメだよ」
「交差点ではないから横からくる車も無いのですよ」
「一度危ない目に遭ったからダメと言ったらダメッ!」

結局、信号無視の自転車はお咎めなし、悪いのは私と言うことになった。一度白と言ったら絶対に黒とは言わない人だ。理屈にならない理屈で、また押し切られてしまった。それでもお母さんとは仲良くしたいから、一生懸命考えたら不可解な発言の謎は解けた。

お母さんにとって自転車は問題ではない。あの場所が鬼門なのだ。キーワードは「一度危ない目に遭った」である。彼女は11年前に同じ場所で滑って転び骨折して手術のため入院したのだ。忘れもしない平成24年元旦、護国神社初詣の帰りのことである。

その後、初詣には行かないことにして現在に至っている。その流れで私も、その場所について通行禁止になったのだ。非科学的ではあるが気持ちは分かるる。あすこは絶対に渡らないことにしよう。もちろん渡っても話さない。仲良く穏やかに暮らそうと思えば秘密は増える。また一つ増えた。
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2023年05月27日

回答メール

人は簡単に勘違いして簡単に喧嘩する。しかし、仲直りは難しい。およそ一月前のことだが人生相談承りますと言う過去の思い出を書いた。念願の相談を受けたものの雑談に終わり、何の相談にもならなかった。

そう思ってメールをしたのだが、有難迷惑かも知れない。相談者は退職したばかりの古い友人A君、私より7歳若い。無職になって初めての二人暮らしに戸惑っているようだった。

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以下メールより抜粋
40年にわたる家族ぐるみの付き合いですから、ある程度の事情を知った上でのアドバイズです。下手な考え休みに似たり。先ず、やってみましょう。

1.奥様の言うこと為すことに反対しない
何事にも反対しないでください。二人暮らしを始めれば小さな差異も気になりますが大同小異。自由が一番大切です。相手の自由を尊重すれば、自由は自分に戻ってきます。

2.重要なことは奥様に相談しない
例えば命と経済に関する重要な決定の場合、二人にとって最良の選択は一つしかありません。反対されれば実行不可能になり、押し切れば信頼関係が破綻します。そして、話し合えば最良の選択から次第に遠ざかって行きます。

3.自分の部屋以外の家具配置を変えない
すでに家は奥様の城になっています。勝手にいじるなんてもってのほかです。特に必要がある場合は相談しましょう。

4.奥様の家事労働に感謝し、自分のことよりお手伝いを優先しましょう。感謝の気持ちを伝えれば伝えるほど、お手伝いは少なくなる効果があります。

5.奥様との共同作業はしない
必要な場合は流れ作業より分業を提案しましょう。

家庭は職場とは違い真面目で几帳面よりも、柔らかく優しい雰囲気作りが大切です。奥様の言うことを聞くことが何よりも大切です。受け入れ難い場合は「考えておく」と言えばいいのです。奥様は反対されるのは嫌いですが、実行を見届けるわけではないのです。これが職場との違いです。
以上、メールより抜粋

もし奥様がアル中かギャンブル狂としたら、簡単に解決策を見つけることはできない。幸い長い家族ぐるみの付き合いだから奥様の性格も分かっているから回答も簡単だ。これがテレビや新聞の人生相談とは違うところである。と言うのが私のウリだが独りよがりだ。相談はまったく無いので開店休業、既に閉店である。
タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)