2018年07月03日

「空白の22年間」9月より再開

「オンチのカラオケ」を4月1日に開設し、いまは「空白の22年間」と交互にアップしていますが、そろそろ自分史「空白の22年間」に戻りたいと思います。

9月には戻り、だいたい半年交代にしたいと考えていいます。両方とも長く続けたいテーマです。よろしくお願い致します。
【日記の最新記事】
posted by 中波三郎 at 05:24| Comment(0) | 日記

2018年04月14日

「オンチのカラオケ」開設

高齢になってからカラオケを始めた。そして趣味のブログ「オンチのカラオケ」を開設した。今後は自分史としての「空白の22年」と二本立てで行くつもりだ。どちらかを毎週土曜に更新しすることにした。当面は「オンチのカラオケ」を更新する。

タイトルは「趣味のカラオケ」としたかったが、オンチだから無理。低学力で低体力でノロマだからスポーツもゲームも出来ない。私が出来るのは空想だけ。好きなことに関していろいろな思いを巡らせている。カラオケが趣味だが普通のことは書けない。歌は下手だし知識もない。

私は遺伝子とか空想してみた。人間という車に乗って地球上を何百万年も走り回っているところだ。車は古くなったらスクラップにして新車に乗り換える。遺伝子だから胎内から出たり入ったりして永遠に生きる。そう思えば何となく楽しい。

今乗ってる車は誕生して78年、ポンコツをとっくに過ぎている。何らかの方法で新車に乗り換えなければならない。乗り換えたら胎内温泉で一休みする。10ヵ月もすれば赤ちゃんと言う新車に乗って颯爽と世の中に出て行けるだろう。とか空想しながら歌って呑気に暮らしている。

1回目はエイプリルフールに更新、2回目からは毎週土曜の更新。
タイトルは"オンチのカラオケ"、よろしくお願いいたします。
(2018年5月24日修正)

毎週土曜はこちらをクリック! →→ "オンチのカラオケ"
         

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(3) | 日記

2018年03月24日

ワリカン要員

今では交流会などの宴会は大好きで進んで参加しているが、在職中は宴会が大嫌いだった。定年退職当時、一番嬉しかったことは「もう宴会に出なくてよい」ことだった。こんな幸せなことはないとまで思っていた。酒には弱いけれど嫌いではなかった。しかし職場の懇親会は大嫌いだった。多くの同僚が嫌がっている。単なる悪習慣と思う。

地方では中央からエライさんが出張して来ると懇親会をする。そんな時、中央から来たお客さんに会費を払えとは言えないだろう。その分は会費に上乗せされる。参加者が少ないと出た人の負担が多くなり困るのだ。

お客さんが3人居もいたら更に大変。幹事はワリカン要員を沢山集めなければならない。ほとんどの同僚が嫌々参加しているのに自分だけ逃げるわけには行かない。又宴会かと思うけれど、「アンタ、今月は2回しか出てないな俺なんか6回だ」と幹事役の同僚から言われれば出ないわけに行かない。幹事をこれ以上悩ませられない。

しかし、宴会が好きな人もいる。飲むことが無条件で好きな人。そして、中央から来たエライさんと仲良くなろうとする人。しかし8割は嫌々参加、割り前さえ払えば浮世の義理は果たしたと思っている。

お客さんのことなど眼中にない。ひたすら食って飲んで騒いでいる。ワリカン負けしないように頑張っているのだ。なんの為の懇親会だろう。それでもお客さんに擦り寄って行く人は次々と現れるから心配はない。お客さんは「札幌の人は明るくていいですね。元気もらいました」とか言って満足して帰る。ワリカン要員も雰囲気作りに貢献しているのだ。

矛盾した状態の中で得をする人も居る。それは職場のエライさんだ。そのときばかりはワリカン要員になりきっている。中央のエライさんをお安くおもてなしできるのだ。月給は高いが会費は平等だ。何でこんな習慣が出来たのか今考えても分からない。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 在職時代

2018年03月17日

同僚の事故死

1980年頃はW市にある研修機関で働いていたが、3年過ぎて現場に帰ることになった。収入が増えるのは有り難いが、苦手な現場で働くのは気が重く複雑な心境だ。S空港から千歳に向かう前、S管制塔で働く友人に別れの挨拶に行った。

忙しいはずの管制塔がやけに静かだった。友人の話では小型機が着陸に失敗し滑走路閉鎖の状態だそうだ。そう言えば航空機が一機も飛んでいない。今日中にに千歳に行けるだろうかと心配になった。人身事故なので警察で捜査しなければならない。事故機は既に撤去されたと聞いてホッとした。大きな遅れはないだろう。その時は事故で死者が出たことも、同僚だったAさんが乗っていたことも知らなかった。

Aさんが命を落としたことを知ったのは、札幌に着いてからだった。 彼はアマチュアパイロットだが、事業用操縦士のライセンスを持っていた。同じアパートに住んでいたので、彼の車に同乗して帰ることが多かった。車中でよく雑談をした。

訓練中の(アマチュア)パイロットの面倒をみているんだとよく言っていた。判事って偉いのかと聞いてから、実は今度の訓練生は判事なんだと得意そうに言う。アマチュアだが気分は教官である。実際もそうらしい。彼が居なければ飛行機も借りられないし飛ばすことも出来ない。Aさんは独身のとき生活費を切り詰めて費用を捻出し、アメリカで飛行訓練を受けてライセンスを取得した。

新聞には乗員2名死亡と書いてあった。無口な奥さんの顔を思い出す。いつか彼がこんなことを言ったことがあるからだ。「金を貯めて女房にボタン屋をさせるんだ。ボタンは腐らないから素人でも出来る。あらゆるボタンをそろえて置けば、そこそこの商売になるんじゃないか。そうすれば年金のたしまいになるだろぅ」。

あれほど慎重な人が、こんな最後を遂げるなんて、人生は何が起こるか分からないものだ。私より少しだけ若くて意思の強い人だった。何をやっても出来る人だが飛行機の操縦が何よりも好きだった。存命ならば70歳を過ぎた今でも飛び続けたことだろう。堅実で慎重な人だから年金とボタン屋で稼げる範囲で楽しい余生を送っていたことご思う。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 在職時代

2018年03月10日

大食い早食い

最近はテレビの「大食い」と「早食い」番組に悩まされなくなった。5年ぐらい前から自室に私専用のテレビを入れたから見なくてすむようになったのだ。大嫌いな番組から解放されてスッキリした。大食い大好きな方も、嫌いな番組はあると思う。人それぞれと言うことでご容赦ください。

妻に一つだけお願いをした。「食事の時はテレビを消して話しながら食べましょう」と。 美味しい食事を心から楽しみたいと言うのが表向きの理由だが、本当は早食い大食い番組から逃れたいのだ。その手の番組が始まると私は直ぐに逃げたが、食事中に放映されるのが一番困る。逃げ出すことが出来ないのだ。しかし妻が見ている番組を嫌いとは言えない。いろいろ世話になってるからね。

そんなことを考えていたら小学校の給食を思い出した。給食を食べながら先生が「食」について教えてくれた。あるとき先生は「ミルクにパンを浸して食べると美味しくなりますよ」と言った。翌日には「パンはよく噛んで食べよう。唾液の力で栄養が行き渡ります」と言う。話は矛盾するが、食べ方や栄養が、いかに大切かということは十分に伝わって来た。

先生が「口の中で36回噛みましょう」と言いながら口をモグモグ動かせて見せてくれた。生徒達もそれを真似して回数を数えながら食べた。先生も生徒も口に入れたものはトコトン栄養にしようという執念があった。それが今は「早食いに大食い」が映像になって流れている。幸いマイTVのお陰で見なくてすんでいる。

小学校の食育のせいか、よく噛む習慣が身に付いた。しかし「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言うけれど本当だなと思った。今では歯医者さんから余り噛むなと言われている。噛み過ぎて歯が痛んでいると言うのだ。一人二人ではない、診察した歯医者さんの全てに言われた。そんなに噛まなくても胃袋でちゃんと消化するので心配するなとまで言われてしまった。小学校の教育が私の心の中で今でも生きている。教育は凄い。もし宝くじで3億円当たったら教育事業に使いたい。買ってないけどね。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 小学時代