2017年08月19日

故郷は他人の街

心の故郷は物心がついてから成人になるまで暮らしていた渋谷区金王町である。しかし、「ただいま」とか言って帰れる場所ではない。40歳半ばの頃だが、勤務地の札幌から東京への出張があった。つい懐かしくなり魚屋真ちゃんの家を見に行った。

魚屋は5階建てのビルになっていた。一階が店で二階以上は住居のようだ。真ちゃんとは売れ残りの魚を売りに歩いた仲だった。詳しくは「子供はつらいよ」に書いたので省略する。彼も当時のことを覚えているだろう。私のことは死んだと思っているに違いない。

しかし、私に限らず、我家の人間が近所だった人に会いに行くことはない。合わせる顔がないのだ。親はあちこちに借金をして、全部返したのかどうかも分からない。子供の私だってどんな迷惑をかけて来たかも分からないのだ。これは我が家に限ったことではない。

戦後の発展に取り残されて渋谷から去った貧乏人共通の状況である。出た人間が戻れるわけがないのだが懐かしい。情けないけれど故郷に対する片思いだ。お金持ちは占領軍、城を失った住民は敗残兵のように都内某所、国内某所へと逃れて行った。 

我家だった場所はビルになり一階は居酒屋になっていたので入って飲んだ。もちろん知らない人が営業している。飲んでいる内にいろいろ思い出した。だが私は一見の客。「ここに住んでいたのです」とか言えない。まして昔話などできるわけがない。

ふるさとは遠きにありて思ふもの訪ねたものの募る寂しさ(笑)

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2017年08月12日

料理の材料

食材とは料理の材料となる食品だが、ときには意外なものも食材となる。中学一年の頃だが闇屋と間違われて警察に捕まった。歩く姿が堂に入ってたので腕利きの闇屋と間違えられたのだ。渋谷駅を降りて宮益坂を上がり切った所に交番があった。警官は身体の二倍もある大きなリュックを軽々と背負って坂を上る姿を見て疑ったらしい。「中身は何だ?」といきなり聞かれ狼狽えた。この態度が警官の疑いを更に深めた。

リュックの中身を知られたら大変だ。母が一番知られたくない物が詰まっていたからだ。私は警官よりも、怒ると火箸を投げつける母の方が怖い。見栄っ張りだから、貧乏で食えないことをひた隠しにしていた。中身を知られれば怒りは私に向かって爆発するだろう。

品川駅に集まってくる客車の清掃を手伝うと、親方が食べられる物を持ち帰ることを見逃してくれる。操車場には数えきれないほどの客車が全国から入ってくる。膨大なゴミの中には僅かながら食えるものもある。その中から弁当箱を見つけて、ある程度の重さがあればリュックに詰める。ゴミ山は食料の宝庫だ。一家6人が食べるには十分な量を集められる。

「素直に話さないから悪いんだよ」と警官は言った。
「捕まったことは家に言わないでください」
「事情を聞いただけだよ」
「母には絶対に言わないでください」
「誰にも何も言わないから心配するな」

警官は私の年恰好とリュックの中身で全ての事情を飲み込んだ。リュックは大きいが中身は食べ残しが入ったスカスカの弁当箱だ。これが家族6人の夕食に化ける。蒸かして食べるのだが経木で出来た弁当箱は好く燃える。食材と燃料が一挙に手に入るのだから有難い。餓死者がいる一方で弁当を残す人がいる。この格差を埋める作業に意義を感じていた。何処から持ってこようと食品は料理の材料である。徹底的に困れば知恵が出る。

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2017年08月05日

ホニャララの研究

孤独で人付き合いが苦手なのに人について書くのが大好きだ。世の中で一番面白いのが人。笑わして幸せにしてくれるのも人、苛めてボコボコにしてくれるのも人である。

「人間とは不思議な動物ですね」
「万物の霊長を動物と言ってはいけない」と先輩は厳かに言った。
「私を幸せにするのも人間、不幸のどん底に突き落とすのも人間です」
「信念がないから人の言うことばかり気になるんだよ」
「だけど周りが良い人ばかりでもダメですね」
「なんだと?」
「私が一番悪い人間になってしまいます。きっと周りは不幸になるでしょう」

人間は複雑怪奇で興味津々、テーマとしては最高なのだが孤独な私は人間を知らない。結局自分を書くことにした。それだけでは場が持たないから母さんも先輩も登場する。いずれも40年以上の付き合いだ。この二人から書くための多くのヒントをもらっている。

ところで去年の秋、とても良いニュースがあった。大隅良典教授が酵母の研究でノーベル賞に輝いたのだ、その研究を始めたのは「人がやらないことをやろう」という思いからだそうだ。「あまり競争が好きではないし、誰も取り組んでいないことをやる方がとても楽しい」とも言っていた。競争が好きでないのに大好きな人たちを出し抜いて勝ってしまった。

「実は私も人のやらないことをやるのが大好きなのです」
「それだけじゃダメだ。なにか発見でもしたか」
「いいえ」
「何か業績でも残したのか」
「ぜんぜん」
「人がやらないことって何だ」
「それは今までに発見も発明もされず、考えられてもいないホニャララです」
「ホニャララって何だ?」
「まだ名前が付いていないからホニャララなのです」

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2017年07月29日

自分探しの旅

妻をお母さんと呼ぶ夫は少なくないが、私は本気になって自分を子供と思い込もうとしている。いい歳して困ったもんだが仕方がない。人として対等と思っていたころは争いが絶えなかった。試みに「親子」になってみたら全てが解消された。こんな訳で子役を演じている。

「お母さん、ちょっと自分探しの旅に行ってきます」
「探しに行かなくても、アンタはそこに居るじゃない」
「ここに居るのは私の抜け殻です」
「ああそうかい。そんならご飯は要らないんだね」

私の旅は自分の脳の中を歩き回ること。過去ぬきで現在の自分を知ることはできない。生まれてから22歳に至るまで私の実在を示す証拠は二つしない。母に抱かれた写真と戸籍謄本だけだ。職を求めて転々としていた間に全ての物品を失ったのだ。

「ヒマならパン買って来て。ボストンベイクのイギリスパンだよ」
「はい、分かりました。行って来ます」

「遅かったね
「ボストンとかイギリスとかで探すのに骨折れました」
「自分探しより簡単でしょ」
「あ、そうだ。行かなくちゃあ」
「どこ行くの?」
「自分の部屋です」

自分探しと言う言葉をよく聞くが、私は文字通り自分を捜している。いかなる人間が今の私になったのか。自分を知るには自分の歴史を知る必要がある。うろ覚えの記憶だけが頼りの心の旅。空白の22年間を書くこにより自分を取り戻したい。抜け殻はごめんだ。

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2017年07月22日

親子はつらいよ

何の取り柄もないないが運だけは強い。振り返ってみれば人並みにいろいろあったけれど、運よく乗り越えられた。一方、自分の意志で企画実行し成功したことは一つしかない。それは定年後の絶え間ない喧嘩に終止符を打ち、我が家に平和をもたらした事である。計画通りにことは運び大成功と思っていたが、なぜかスッキリしない。

私は東京渋谷区青山の焼跡育ち、米軍の空襲で渋谷区の77%が焼け野原になった。食うや食わずの人々の暮らしは悲惨を極めた。共通の願いは楽をすることだった。そして今、私は楽をしている。夢は現実となったのだ。だが定年退職をして無職になり、いきなり楽になった訳ではない。家に根を張った抵抗勢力がドンと構えていたのだ。老妻もまた、更に楽が出来ると期待していた様だ。

「定年おめでとう。やっと夢が叶ったね」
「お陰様で無事に定年を迎えました。今まで有難うございました」
「これからは家事も半分ずつにしよう」
「そうですね」

とは言ったものの内心は穏やかでなかった。慣れないことをやるのは苦行だ。それに私のやり方を気に入るはずがない。なんやかやとイチャモンをつけられるに決まっている。

その後の10年は悲惨だった。何をするにも意見が合わずケンカをしては負かされていた。私が筋道を立てて説明しても「悪いのはアンタだ。私は悪くない」と一蹴される。説明しては一蹴、説明しては一蹴を繰り返す10年だった。頭の回転が鈍い私は立ち止まって考えた。そして私ばかりが苦労する争いは止めることにした。

外では控えめだが家の中では千人力。こんなモンスターがウサギ小屋の中で粛々と育っていたとは夢にも思わなかった。人間は自由で平等と信じていた私がバカだった。二人だけの世界は弱肉強食の世界だったのだ。しかし徹底的に困れば知恵が出る。何年か真剣に考えていたら好いことを思いついた。子供になれば良いのだ。子供は働かなくても飯が食える。洗濯も掃除もしてもらえる。凄く楽だ。

さっそく老妻をお母さんと呼ぶことにした。何事も形から入らなければいけない。私は良い子になる決心をした。親が考える良い子とは親に逆わない子だ。次は挨拶だな。おはようございます、頂きます、ご馳走様、おやすみなさいを励行した。やる時は徹底的にやるのが好きだ。3年くらいかかったが全てを完璧にマスターして良い子になった。

苦節10年、私は良い子になり老妻を優しいお母さんに作りかえることに成功した。小さい頃からの夢が叶いのんびりと暮らしている。子供は何もしなくていいのだから楽だ。お母さんに家事一切を任せ、毎日自室にこもり勉強をした。子供の仕事は勉強だからね。

実は勉強は嫌いなのだ。代わりにジョークのブログを書いたり、中島公園のウェブサイトの更新をしている。時間つぶしの趣味をやってるだけだが、机に向かう姿は勉強に似ている。「ご飯だよ」と声がかかると「今行きます。有難うございます」と返事をする。ここがホンモノの子供とは違うところだ。亀の甲より年の功である。

年をとっても家事をするお母さんは大変だと思う。だから感謝の気持ちが口先だけでなく、身体全体から溢れ出て来る。それをお母さんが見逃すはずがない。お母さんは益々優しくなり私の感謝は深まるばかりだ。好循環が更に好循環を生み全てが上手く行った。行きすぎて気味が悪い。こんな時はそれとなく探りを入れる。

「私は貴女の夫なのにお母さんと呼ぶのは変ですよね」
「別に変じゃあないよ」
「好かった。なんか気になっていたのです」
「気にすることないじゃない」
「いつも優しいお母さんで居てくれて有難う」
「何言っても分からないから諦めたんだよ。屁理屈聞くのも面倒だしね」
「でもお母さんと呼んでいいのでしょう」
「正ちゃんの母親だからお母さんでいいんだよ」
「正ちゃんはもう直ぐ50歳ですよ。子供という年ではないですね」
「それでいいの。幾つになっても子供は子供」
「そうですか。それを聞いて安心しました。私も子供のままでいいのですね。お母さん」
「パカ言ってんじゃないよ! アンタなんかもう直ぐ80のジジイじゃないか」

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