2018年01月13日

基地の街1957年

酒に弱いのに好きになってしまった。飲んでいたのが次第に飲まれるようになり、そして止められなくなる。時には酒の上での事件に巻き込まれることもあった。

そこは基地の街だった。そして私は17歳の有職少年、今夜も何かいいことないかなと思いながらネオンの巷をうろついていた。小さな街なので職場の仲間に会うこともある。一緒に行こうと誘われたら付いて行く。少年たちの行先は粗末なダンスホール。

小さな街にそんなダンスホールが数軒あった。倉庫の様な建物、民家の地下室等、いろいろだが料金は40円から100円とお手軽だ。フロアの周りにベンチを置いただけの空間は踊る若者であふれていた。敗戦後12年たった1957年、基地の街は日活無国籍アクション映画を地で行っていた。つまり日本なのに日本でない感じだ。

たまには不本意な出会いもあった。「外で食事しない」とか誘われたので奢ったら、帰りの汽車賃が無いと言われて400円貸した。次に会ったときは知らんぷりだ。貸した金は返してもらえると思った私がバカだった。気が小さい私は被害もショボイ。

その夜は誰にも会わなかった。一人でブラブラしていたら前方から若い外国人が近づいて来た。スーツにネクタイ姿だが、頭は服装とはチグハグなGIカットの白人だ。私に向かって拳を突き出した。殴るしぐさに見えたので驚いて立ち止まってしまった。

幸い職場の先輩の丸田さんが偶然通りかかった。彼は外国人に英語で話しかけた。二人とも笑っていたのでホッとした。ひょっとして知り合いかも知れない。丸田さんは英語を勉強していたので外国人によく声をかける。英語を身に着けて基地で働きたいのだ。

外国人は思った通り米兵だった。丸田さんが3人で飲みに行こうと言うのでついていった。行先は当時流行りのスタンドバーだ。基地の街の営業スタイルは、BGMはジャズ、カウンターにはダイスが置いてある。食べ物は出さないが、チーズとかホワイトアスパラの缶詰などはあった。客は日本人だがアメリカ式が好まれていた。

未成年者の飲酒は禁止だが店も客も気にしない。次回に書くが警官さえ気にしていなかった。当時は働いている限りは大人と一緒だと言う空気があった。それに有職少年は沢山いたので店にとっては大事なお客である。それ以前の問題として法律よりも生きることが優先されていた。ところで飲んで酔いが回ったころ事件が起きた。

次回は「米兵がバーで大暴れ」
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2018年01月06日

初夢は片隅の人

15年前のことだが中島公園をキーワードにして検索をしたら、目ぼしいサイトは何も無い。ラッキーと思い空き部屋に入るような気分で中島公園に関するHP(ホームページ)を開設した。そこに入ってジッと待っていれば何か好いことが起こりそうな気がした。能力が低い私は競争が苦手で誰も手を付けない片隅が大好きなのだ。

静かに待っていたら5年後に北海道新聞から取材があり、それから3年したら道新コラム「朝の食卓」の執筆を頼まれた。札幌もとっくに百年を過ぎ、ようやく歴史を考えるようになった。歴史に注目すれば札幌の老舗公園である中島公園が必然的に浮上する。つられて「中島パフェ」も浮き上がる。ジッと待つ8年間は長かった。

推測だが、道新ではコラム執筆者20人の中に中島公園関係者を含めたいと考えた。そのような状況の中で検索トップの「中島パフェ」が、担当記者の目を引いたのかも知れない。今では公共部門や企業サイトに押されて沈み始めている。しかし中島公園が世間に注目されるようになった結果なので仕方がない。私は大好きな片隅に戻るだけだ。

ともかく、2年ばかりHP「中島パフェ」の管理人として新聞にコラムを執筆する幸運に恵まれた。望外の結果に喜びすぎて脱線し、カラオケの事まで書いてしまった。思い出しても恥ずかしい。顧みれば人様の目に関しては、まったく無頓着だった。

ところで「音痴のカラオケ」も当時の中島公園同様片隅の存在だ。検索しても該当サイトは現れない。音痴への悪口はいっぱい出て来たけどね。しかし何もなければ競争もないので、力が弱くても参入する余地がある。とりあえず、「音痴のカラオケ」のタグを設定した。そして運が向いて来るのを静かに待つことにした。

人が10人いれば優秀な人が1人ダメな人が1人、残りの8人が普通の人だそうだ。ならば音痴の隠れカラオケファンは百万人はいるはずだ。日本人の10人に1人は音痴として千三百万人が音痴、それでもカラオケをやりたい人が一割として百三十万人。私の様に音痴でもカラオケをしている人が一割いるとしても、百万人以上が隠れカラオケファンである。その内の1%がこのブログを読んでくれるとすると、一万ヒット? 
初夢は捕らぬ狸の皮算用

2010年6月23日北海道新聞「朝の食卓」掲載、
タイトルは「好きになったカラオケ」、『 』内本文コピー
『自分はカラオケ嫌いと思っていたが、偶然歌ったことがきっかけで、大好きなことが分かった。そもそも歌うことが嫌いな人などいないからカラオケ嫌いは周囲の人によって作られるのだと思う。

30年ほど前、場末のカラオケパブで、職場の懇親会があった。経験のない私は歌わないつもりだったが、おせっかいな人のせいで舞台に立つはめになった。「僕が応援してあげよう」とか言って、私の手をぐいぐい引くのだ。ところが、歌いだすと気が変わり、3番までしっかりと歌ってしまった。 

後日、上司から注意された。「おまえは下手なんだから歌うな」と繰り返し言うのだ。こうしてカラオケ嫌いになったが、それが最近、仲間内のカラオケ会に偶然参加したことがきっかけで変わった。最初はもちろん断ったが、2人がかりで両腕をとられステージまで強制連行されたのだ。 30年前と同じ状況で、またもや伴奏が始まると歌う気になってしまった。

ただ、結果は大きく違い、初めて歌う私を歓迎する温かい気持ちが伝わってきた。 誘われるままに次の例会にも出て歌うと「うまくなったね」と言われうれしくなった。カラオケは好きになるも嫌いになるも、周り次第だと思った。好きな歌を人前で歌うことは、やっぱり楽しい。(HP中島パフェ運営・札幌)』

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2017年12月30日

音痴のカラオケ

私は音痴にも関わらずカラオケを趣味とする変な人だ。しかしネットの世界は広い、お仲間も居るかも知れないと思い「音痴のカラオケ」で検索してみた。似た者同士で傷をなめ合おうというわけだ。残念ながら見つからなかったが良い情報に巡りあえた。求めよさらば与えられん。いつだって運は私の味方だ。

良い情報とは「絶対に音痴が治る!カラオケを上手く歌う練習方法」というタイトルのサイトである。私にとっては夢のような話だ。絶対に直らないと信じていたのに、奇跡の練習法があると言うのだ。サイトには、「音楽を聞きながら歌手の声に合わせて声を出してみた。すると、どこがハズレているのかすぐに分かるようになった」と書いてあった。

アレレちょっと違うぞと思いガッカリした。歌手の歌に合わせて声を出しても、どこがハズれているか分からないから困っているのだ。音痴の程度には差があるようだ。この方は軽度で私は重症、治るのは軽症者に限るのではないか。うまい話はなかった。

直すのは諦めたが関連記事を読み続けた。あるあるある、悪口雑言が山ほどある。「音痴な歌を聞かされるのは拷問だ」「気持ち悪くなって吐き気さえする」「不愉快な思いをさせておきながら自分は悦に入っている」。最後に「音痴だという自覚が全くないからタチが悪いんだ」とまとめてある。この部分だけは何とかクリアしていると思う。

幸か不幸か自覚だけはあるが、これ程の苦しみを与えているとは知らなかった。馬齢を重ねてきただけの私は、何事も言われないと分からない。面と向かって言い難いことが腹に溜まり、匿名でネットに流れて行くのだろう。ともかく私にとってはほろ苦い良薬だ。

ネットにはこうも書いてあった。「下手でも楽しく歌う人なら許せる」「他の人が音痴でも分からない人は幸せだ」。「はい幸せです」と思わず心の中で頷いた。テレビでプロの歌手が歌うのを聴くよりも仲間の歌をカラオケで聴く方が好きだ。

皆すごく上手いからとても楽しい。世の中は不公平、迷惑をかけている私が一番楽しんでいる。人の歌を聴いて苦しんだことなど一度もない。いつもとても気分よく聴き惚れている。考えてみれば私の幸せは皆様の不幸せかも知れない。私に出来ることは拍手と笑顔、そして静かに聴くことだけだ。そのあたりで頑張ろう! マイクが回ってきたら歌うけどね 

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2017年12月23日

初めての酒

私の人生は酒とパソコン抜きには語れない。酒には弱いし、算数が苦手なのでコンピュータのことも全く分からない。それなのに何故? この二つに共通しているのは一人でも出来ること。誰もがそれなりに楽しめること。つまり孤独で不器用でもやれるのだ。

年の暮れになると大ちゃんちの新年会を思い出す。あの日初めて酒を飲みゲロを吐いた。中学卒業を前にしてのことだった。大ちゃんの家は空襲に遭わなかったので古くて大きい家だが、生活は苦しいようだ。美人で快活なお姉さんはバスガールをして家の生活を助けていた。お母さんは本当に優しそうな人だった。

新年会は男子同級生数人でミカンなどを食べながらの雑談で始まった。話題が途切れると大ちゃんはニヤリと笑い奥の部屋に行こうと言った。北側で炬燵も無いのでジャンパーなどを着てしのいだ。彼は「寒いな飲もうぜ」と言って押し入れから一升瓶を出した。

オヤッと思ったがビックリはしなかった。冬休みだし正月だ。それに皆は経験があるようだし、私にも好奇心はある。初めて飲んだが不味かった。湯呑に注いだ酒を早く片づけたいと思い一気に飲んだ。大ちゃんは行けるじゃないか、もっと飲めと言って並々と注いだ。よせばいいのに飲めるふりした。心臓がドキドキして頭に血が上って敢え無くダウン。

起こされたが酔いは醒めない。お母さんが皆さんで召し上がれと言ってお汁粉を持ってきてくれた。酒は止めなさいと言うサインだと思う。お汁粉を食べたら胸がムカムカして吐き気がしたので、窓から首を出して吐いた。食べたばかりのお汁粉が勢いよく口から飛び出し、少しだけ気分が良くなった。しかし庭が汚物で汚れたと思う。

後で考えると大ちゃんの家には随分迷惑をかけたものだ。今思うと不思議だが叱られたり非難されたりした記憶がない。愚かな私は酒に酔って吐くのは当たり前と考え、特に反省もしなかった。嘔吐物の後始末の経験もないので、後片付けの苦労にも考えが及ばなかった。初めてなのに酒飲みの悪行をシッカリとやってしまった。しかも未成年者飲酒禁止法違反である。今になっては遅いけれど深く反省。

今日の物忘れ:エレベーターの扉が開かない。故障? 実はボタンの押し忘れ。

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タグ:渋谷
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2017年12月16日

適度なストレス

楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。しかし頑張らなくては楽しめない。在職中はカラオケ嫌いと言うよりも、歌えない人として知られていた。長い間、自分でもそう思って来たが、二つの出来事がキッカケとなりカラオケを楽しむようになった。

第一のキッカケは親しくしているAさんに誘われたこと。下手同士でカラオケをやろうと言うのだ。もう一人の下手な人はお年寄りのBさんだが、しばらくして病気で亡くなられた。代わりに二人のお爺さんが仲間に加わった。4人グループだが私が一番若い。人は入れ替わったが12年も続いている。次は誰の番かなとか言いながら楽しんでいる。

Aさんは毎回、ジョッキ1杯のビールを御馳走してくれる。その上いろいろな割引サービスを利用して、当初は会費を150円ぐらいに抑えてくれた。歌が下手なお陰で大サービスを受けてしまった。まったく何が役に立つか分からない。

第二のキッカケは約10年前のこと。地元のコミュニティFMラジオ番組で中島公園の話をする機会があったが、放送時間が1時間もある。一人じゃもたないと思って元プロ歌手のCさんに応援を頼んだ。そして取材のつもりでCさんが主宰するカラオケ例会に参加した。

歌いたいから参加したと誤解されて半強制的にステージに立たされた。これが縁で例会にも参加するようになった。この二つの偶然がなければカラオケをやることはなかったと思う。チャンスに恵まれ老人力に背を押され、いつの間にかカラオケが趣味になっていた。

音痴だから練習しないと歌えない。せっかく練習をしたのだから、と言う気持ちに押されて歌いたくなるのだ。練習は動機づけとして何よりも大切である。決して上手くなるためではない。それよりもっと良いことがある。

例会で歌っていると緊張したり、楽しかったり恥ずかしかったりするから刺激になる。これが健康のために良い。毎日ノンビリ暮らしている私には適度なストレスが必要なのだ。

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