2018年04月14日

「オンチのカラオケ」開設

高齢になってからカラオケを始めました。そして趣味のブログ「オンチのカラオケ」を開設する運びとなりました。今後は自分史としての「空白の22年」と二本立てで行くつもりです。どちらかを毎週土曜に更新します。当面は「オンチのカラオケ」です。

タイトルは「趣味のカラオケ」としたかったのですが、オンチですから無理です。低学力で低体力でノロマだからスポーツもゲームも出来ません。出来るのは空想だけ。好きなことに関していろいろな思いを巡らせています。カラオケが趣味ですが普通には書けません。歌は下手だし歌のことは全く知らないのです。

冗談半分で4月1日エイプリルフールを開設日としました。真面目なオンチでは情けないですからね。私、本当は凄いんです! 東大出で金メダリスト、しかも15歳で将棋六段。何を言ってんだと思うかもしれません。実は私は遺伝子なのです。

人間という車に乗って地球上を何百万年も走り回っているのです。車は古くなったらスクラップにして新車に乗り換えます。私は遺伝子だから永遠に生きるのです。胎内に入ったり出たり忙しい。今乗ってる車はポンコツをとっくに過ぎているから、新車に乗り換えなければなりません。その前に胎内温泉で一休み。10ヵ月もすれば赤ちゃんと言う新車に乗って、さっそうと世の中に出て行ける。そう信じて歌って暮らすオンチな人です。

1回目はエイプリルフールに更新、2回目からは毎週土曜の更新です。
タイトルは"オンチのカラオケ"、よろしくお願いいたします。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 日記

2018年03月24日

ワリカン要員

今では交流会などの宴会は大好きで進んで参加しているが、在職中は宴会が大嫌いだった。定年退職当時、一番嬉しかったことは「もう宴会に出なくてよい」ことだった。こんな幸せなことはないとまで思っていた。酒には弱いけれど嫌いではなかった。しかし職場の懇親会は大嫌いだった。多くの同僚が嫌がっている。単なる悪習慣と思う。

地方では中央からエライさんが出張して来ると懇親会をする。そんな時、中央から来たお客さんに会費を払えとは言えないだろう。その分は会費に上乗せされる。参加者が少ないと出た人の負担が多くなり困るのだ。

お客さんが3人居もいたら更に大変。幹事はワリカン要員を沢山集めなければならない。ほとんどの同僚が嫌々参加しているのに自分だけ逃げるわけには行かない。又宴会かと思うけれど、「アンタ、今月は2回しか出てないな俺なんか6回だ」と幹事役の同僚から言われれば出ないわけに行かない。幹事をこれ以上悩ませられない。

しかし、宴会が好きな人もいる。飲むことが無条件で好きな人。そして、中央から来たエライさんと仲良くなろうとする人。しかし8割は嫌々参加、割り前さえ払えば浮世の義理は果たしたと思っている。

お客さんのことなど眼中にない。ひたすら食って飲んで騒いでいる。ワリカン負けしないように頑張っているのだ。なんの為の懇親会だろう。それでもお客さんに擦り寄って行く人は次々と現れるから心配はない。お客さんは「札幌の人は明るくていいですね。元気もらいました」とか言って満足して帰る。ワリカン要員も雰囲気作りに貢献しているのだ。

矛盾した状態の中で得をする人も居る。それは職場のエライさんだ。そのときばかりはワリカン要員になりきっている。中央のエライさんをお安くおもてなしできるのだ。月給は高いが会費は平等だ。何でこんな習慣が出来たのか今考えても分からない。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 在職時代

2018年03月17日

同僚の事故死

1980年頃はW市にある研修機関で働いていたが、3年過ぎて現場に帰ることになった。収入が増えるのは有り難いが、苦手な現場で働くのは気が重く複雑な心境だ。S空港から千歳に向かう前、S管制塔で働く友人に別れの挨拶に行った。

忙しいはずの管制塔がやけに静かだった。友人の話では小型機が着陸に失敗し滑走路閉鎖の状態だそうだ。そう言えば航空機が一機も飛んでいない。今日中にに千歳に行けるだろうかと心配になった。人身事故なので警察で捜査しなければならない。事故機は既に撤去されたと聞いてホッとした。大きな遅れはないだろう。その時は事故で死者が出たことも、同僚だったAさんが乗っていたことも知らなかった。

Aさんが命を落としたことを知ったのは、札幌に着いてからだった。 彼はアマチュアパイロットだが、事業用操縦士のライセンスを持っていた。同じアパートに住んでいたので、彼の車に同乗して帰ることが多かった。車中でよく雑談をした。

訓練中の(アマチュア)パイロットの面倒をみているんだとよく言っていた。判事って偉いのかと聞いてから、実は今度の訓練生は判事なんだと得意そうに言う。アマチュアだが気分は教官である。実際もそうらしい。彼が居なければ飛行機も借りられないし飛ばすことも出来ない。Aさんは独身のとき生活費を切り詰めて費用を捻出し、アメリカで飛行訓練を受けてライセンスを取得した。

新聞には乗員2名死亡と書いてあった。無口な奥さんの顔を思い出す。いつか彼がこんなことを言ったことがあるからだ。「金を貯めて女房にボタン屋をさせるんだ。ボタンは腐らないから素人でも出来る。あらゆるボタンをそろえて置けば、そこそこの商売になるんじゃないか。そうすれば年金のたしまいになるだろぅ」。

あれほど慎重な人が、こんな最後を遂げるなんて、人生は何が起こるか分からないものだ。私より少しだけ若くて意思の強い人だった。何をやっても出来る人だが飛行機の操縦が何よりも好きだった。存命ならば70歳を過ぎた今でも飛び続けたことだろう。堅実で慎重な人だから年金とボタン屋で稼げる範囲で楽しい余生を送っていたことご思う。

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タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 在職時代

2018年03月10日

大食い早食い

最近はテレビの「大食い」と「早食い」番組に悩まされなくなった。5年ぐらい前から自室に私専用のテレビを入れたから見なくてすむようになったのだ。大嫌いな番組から解放されてスッキリした。大食い大好きな方も、嫌いな番組はあると思う。人それぞれと言うことでご容赦ください。

妻に一つだけお願いをした。「食事の時はテレビを消して話しながら食べましょう」と。 美味しい食事を心から楽しみたいと言うのが表向きの理由だが、本当は早食い大食い番組から逃れたいのだ。その手の番組が始まると私は直ぐに逃げたが、食事中に放映されるのが一番困る。逃げ出すことが出来ないのだ。しかし妻が見ている番組を嫌いとは言えない。いろいろ世話になってるからね。

そんなことを考えていたら小学校の給食を思い出した。給食を食べながら先生が「食」について教えてくれた。あるとき先生は「ミルクにパンを浸して食べると美味しくなりますよ」と言った。翌日には「パンはよく噛んで食べよう。唾液の力で栄養が行き渡ります」と言う。話は矛盾するが、食べ方や栄養が、いかに大切かということは十分に伝わって来た。

先生が「口の中で36回噛みましょう」と言いながら口をモグモグ動かせて見せてくれた。生徒達もそれを真似して回数を数えながら食べた。先生も生徒も口に入れたものはトコトン栄養にしようという執念があった。それが今は「早食いに大食い」が映像になって流れている。幸いマイTVのお陰で見なくてすんでいる。

小学校の食育のせいか、よく噛む習慣が身に付いた。しかし「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言うけれど本当だなと思った。今では歯医者さんから余り噛むなと言われている。噛み過ぎて歯が痛んでいると言うのだ。一人二人ではない、診察した歯医者さんの全てに言われた。そんなに噛まなくても胃袋でちゃんと消化するので心配するなとまで言われてしまった。小学校の教育が私の心の中で今でも生きている。教育は凄い。もし宝くじで3億円当たったら教育事業に使いたい。買ってないけどね。

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タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 小学時代

2018年03月03日

闇屋の小父さん

私が十歳の頃は東京でもよく雪が降った。長靴を持っていないので下駄履きだ。雪道は滑りやすいので転んだら鼻緒が切れたりする。寒いのに下駄を脱いで裸足で歩くのは辛い。長靴は欲しいけれど買えない。そんなとき、我が家の事情をよく知っている近所の小父さんが「ウチで働いてみないか」と誘ってくれた。長靴が買えると思い嬉しくなった。

作業所では十人くらいが働いていた。私の仕事は、山積みにされた煙草の吸殻をほぐして煙草の葉と紙に分けること。ここでは吸殻と使用済みの空き箱を使って、紙巻煙草の再生産をしている。ちょっと怪しいが、ここで働ければお金をもらえる。

小父さんの仕事は列車清掃業、そして裏の仕事は闇屋。タバコ再製造はその一つである。作業所で簡単な指示をすると国鉄品川客車区に行く。一方、作業所の仕事は極めて単調だがら話しながらする。話題が小父さんのことに及ぶと、私は聞き耳をたてた。

「オヤジさんは監督が来ると急に威張るんだ。監督には揉み手でペコペコするのにね」
「分かるよ。俺も品川の列車掃除に行ってたからね。後でお前に謝ったろう」
「謝るどころか、ラッキーストライクくれたよ」

当時の若者の憧れはラッキーストライクを口にくわえ、ジッポーのライターで火をつけることだ。小父さんは作業員を怒鳴りつけて強いところを見せ、監督にはペコペコする。こんな見え透いたやり方でも、繰り返せば監督の信頼を得ることが出来る。強い男にペコペコされればオベンチャラと分かっていても気分がいいものだ。

次は賄賂だが、先ず「いいもの拾いました」とか言って、新品のアメリカ煙草を届ける。拾い物は次第に高価なものになり、最後は現金の賄賂。明るみに出れば事件になる程の金額だ。ここまでくれば鉄道員の監督は海千山千の小父さんの言いなりになる。例えば進駐軍専用列車のゴミは宝の山だが持ち出しても目をつぶる。

大人達の話を聞けば聞くほど小父さんが怖くなってきた。あれほど欲しかった長靴も諦めた。ところが小父さんは仕事を辞めた私に中古の長靴をくれた。彼は私自身の働きで長靴を買わせようとしたが、気が小さい私は期待に応えることができなかった。これは私が闇屋の採用試験に落ちたことを意味している。そして長靴を口止め料代わりにくれたのだ。小父さんのやることは全て行き届いていた。
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代