2023年01月28日

第一の運

私が幼少の頃、我が家は小金持ちからどん底に落ち込んだ。明日は餓死かと思う日々が続いたが運に恵まれ生き延びることができた。本当に困った時には運がつくものと信じている。ところで、中卒で体力がなく不器用だと何処に行っても勤まらない。職を転々として、もうダメだと思った時に自衛隊に入った。これが私個人に運がつく始まりとなった。だから第一の運と思っている。

時の運がついたのだ。1960年当時の自衛隊は極端な募集難、自ら志願する人は少なく、多くは一本釣りと言われる口コミ採用だ。職安の付近で募集係が一対一で勧誘するのだ。衣食住無料で月給もボーナスも出る。健康保険もあって付属病院もあり、大型免許も取れるとか言って入隊を勧める。

1960年秋に虚弱体質の私も採用されて航空自衛隊熊谷基地で3ヶ月の教育を受けることになった。社会情勢もあって訓練は緩かった。募集係が必死に集めた約120名の隊員は金の卵のようなものだ。キツイとか言って簡単に止められても困るのだ。車両適正検査も合格、大型免許取って三年任期が終わったらトラックの運転手になるのが夢だった。

新隊員教育終了前に、突然、中卒程度の英語試験があった。そして上位15名は名古屋に行って飛行管理の教育を受けることになった。これでトラック運転手の夢は消えた。何も知らないで名古屋に行くと、一般英語1ヶ月業務用英語2ヶ月、計3ヶ月の訓練を受けることになった。

毎日がぺーバーテストから始まる。昨日習ったことは翌日にデイリーチェック、そして週末にウイークリーチェック、月末にマンスリーチェック、教育終了時はファイナルチェック。ファイナルに受かることが唯一の訓練目的だった。

一応、15時からは2時間の自衛隊らしい訓練をやることになっていたが、環境の整理という名目で翌日の試験に備えて自習をしていた。夕食後の自習時間を含めると毎日、10時間くらい英語の学習だった。中学英語も出来ないのに現場に行ったら米兵から電話を受けつつタイプするのが仕事だ。先輩ができる事は私も慣れれば出来ると思っていた。

訓練終了後の仕事は埼玉県ジョンソン基地で各地の米軍基地から、電話で送られてくる飛行情報を受けながらタイプすることだった。この仕事にも落ちこぼれて中途退職することになったが、英語を勉強するきっかけにはなった。

退職してインド通信(PTI)東京支局でアルバイトをしながら勉強した。1年後に英検2級を取った。高卒程度の試験だから中卒の私にとっては価値ある資格だった。

これが私にとって第一の運、募集難の自衛隊には人材が集まらなかった。中卒程度の英語試験を受けたが、3分の1くらいしか出来なかった。それなのに上位15名に入ってしまった。後で分かったことだが、入隊した120名のうち真面目に英語の勉強したことのある人は2、3名しかいなかったのだ。このような偶然に恵まれたのも運が良かったからだ。本当に困れば運が救ってくれる。そう信じていたらそうなった。

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2023年01月21日

楽しい洋楽カラオケ

こんなタイトルでは知らない人が読んだら、歌が上手で外国語もペラペラな人が書いていると勘違いするかもしれない。実は全く逆。歌は並外れた音痴、英語も中卒レベル以下で、21歳になってから3ヶ月訓練を受けただけ。

英語を好きになるきっかけにはなったが、定職が決まると勉強は止めてしまった。職を転々、半失業時代の勉強は生きる為だけのものだった。公務員なら病気になっても医者にかかれるし、病気休暇もあるぞと安堵した。

私は体力がなく不器用で感が鈍い。真面目でコツコツ全力で働けば何とか生きられる程度の人。それでも82歳まで生きられたのは運が良かったからである。

第一の運は、たった3ヶ月とはいえ給料をもらいながら英語の勉強に専念できたこと。第二の運は失業中の22歳で就職試験に合格したこと。二つとも時の運がついたのだ。そして、第三の運はタイトルにある洋楽カラオケとの出会いである。

私が75歳、後期高齢者になったころ所属するシニアネットのメールで洋楽カラオケ会の新規募集があった。そこには「洋楽が好きな人なら誰でもよいと書いてあった。しかし、全く歌えない後期高齢者は想定外かも知れない。それでも何とか受け入れてもらったのは運が良かったからである。

人に恵まれたのが1番の運、全く歌えないのに無視せずに励ましてくれた。身近に洋楽カラオケの会ができたことも運がついたからだ。日本中探しても私に歌わしてくれる会はないと思う。運がいい時は次々と良いことが続く。

私はいろいろやって、全てに見放されたて無趣味になってしまった。空想の中で歌って踊って楽しんでいた。現実には身体が動かないので踊るのは諦めた。しかし、口と心はまだ元気なので、これからも歌いたい。

2年間で3回入院した。暇な時間は歌を聴いていたら、自分の歌とは随分違うなと思った。退院してしばらくして歌って録音して聴いてみた。余りにも酷いので思わず笑ってしまった。すでに82歳、何とかしようと思ったがどうにもならない。でも楽しみたいので独自の練習方法を考えた。

道具はパソコンと操作が簡単なICレコーダーだけ。画面を見ながら歌って、録音を聴く。これを7曲1回ずつ繰り返す、合計45分の練習を毎日することにした。効果は不明だが、遊び半分で楽しいから続けられる。そして、自分でいいと思った3曲を恒例の洋カラ会で歌うことにした。

そのカラオケ会は私にとって唯一最高の晴れ舞台。外国語で歌う決まりが有難い。日本語でもいいよと言われたら決まりが悪くて英語では歌えない。それに、音痴で口が回らないから日本語でもダメなのだ。

入退院を繰り返し、今はリハビリをする身だ。毎日1時間の散歩も冬は厳しい。整形外科医院のリハビリも退屈で面白くない。補聴器のトレーニングは始めたばかり。やっぱり洋カラが一番楽しい。呼びかけてくれる人がいるから参加できる。とても有難いと感謝している。

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2023年1月8日 札幌コンサートホール・キタラで成人式。
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2023年01月14日

仲よき事は美しき哉?

「仲よき事は美しき哉」とは言うけれど、仲良くなるのは難しい。ところで、82歳のヒロシは一つ下のユウコと二人暮らし。私たちは絶滅危惧種、名前がこの世から無くなろうとしているのだ。約80年前にモダンな名前として、颯爽と登場したヒロシとユウコだが今まさに消え去ろうとしている。

博、弘,宏、裕子、優子、夕子など、数え上げれば切りがないほどのヒロシとユウコが年を追うごとに減って行く。余りにも寂しいではないか。
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「まるで絶滅危惧種ですね」
「全ては変わる。観念しろ」
「何とか保護する道はないでしょうか」
「甘えんじゃないよ」
「ヒロインがユウコでヒーローがヒロシの映画を作るとか」
「無理ムリ、絶対ダメ」
「そう決め付けずに気楽に行きましょ」
「売れると思うか? 大赤字、会社倒産!」

最近の名前をみてもヒロキはあるけれどヒロシはない。ユウはあるけれどユウコはない。ホンの少し違うだけで絶滅危惧名前になってしまうのだ。「滅び行く名前の二人」が喧嘩などしていて良いはずがない。

そう思って、仲良くしようと努力しているのは私(ヒロシ)だけ。ユウコはごく自然にあるがままの人生を送っている。私だけが気をもんで我慢している。ときどき意識的にガス抜きをする。これも工夫の一つだ。

「私に悪いところがあったら、遠慮なく言ってください」
ユウコはこんな質問に、ウッカリ返事をすると損だということを知らない。一生懸命考えてからこう言った。
「家の仕事より自分のやりたいことを優先するのが悪いよ」
「例えば、どんなことですか?」
この質問に答えれば、更に墓穴を掘ることを予想もしない。
「え〜と、ゴミを直ぐに出さないことかなぁ」
「今月の目標はゴミを早く出すことにします」

今月と言っても残りは3日だ。これでは私の仕事は増えないのに不満だけは消滅する。こうして、二人で仲良く暮らすため日夜努力を重ねている。ユウコは決して私を褒めてくれないのだから、自分で自分を褒めてあげたい。

「自分を褒めて虚しくないか」
「三方良し、と言う表現をご存知ですか」
「いきなり何だ?」
「売り手良し買い手良し世間良し、のことです」
「それがどうした」
「家ではユウコ良しヒロシ良しで、世間は無し v(^_^ v)
「そして、ヒロシはユウコを騙し放題」
「いえいえ、それはあんまりです」
「なんだと?」
「仲よき事は美しき哉、と思ってください」
「盗人にも三分の理、とも言うな」
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2023年01月07日

ケチな夫婦

持病とコロナ禍で3年間の巣ごもり生活。最近少しは外出するようになったが、人に会うことは殆どない。これではネタがない。止むを得ず、自由に行動していた頃を思い出しては書いている。今回は15年くらい前の夏の話。あの頃の二人暮らしは薄暗く、楽しみも生き甲斐も外に求めていた。

Aさんに呼ばれていたので、病院の帰りに寄ってみた。心に傷を負っているので慰めてもらいたい気持もあった。
「精神的虐待を受けているのです。これってドメスティック・バイオレンスじゃあないですか」
「そう思うアンタが異常。早くお家に帰りなさい」
「用事があると言うから、来て上げたのですよ」
「草むしりでもしてもらおうと思ったけど、腰痛じゃあねぇ。亭主は膝がガクガクだというし。まったく情けない男ばかりだね。年は取りたくないものだ」
「お互い様でしょ。庭の草むしりぐらい自分でやってよ」
「公園の草むしりよ。皆でやろうと言ったでしょ」
「アレッ! 今日でしたか?」
「ヒマができたときパッとやらないと、いつまでたっても出来ないでしょ」

草むしりは体調不良ということで解放されたが、「帰って来なくていい」といわれているのに直ぐ帰るのも癪だ。中島公園をブラブラして、腹が減ったら「狼スープ」にラーメンでも食べに行き、その後で帰ることにした。

昨日は二人仲良く映画「相棒」を観に行ったのに、今日は「悪妻は百年の不作」と思い、顔も見たくない気分だ。本当に人の気持は移ろい易いものである。しかし、40年近くも一緒に暮らしていたら「仲良し」と言われても仕方がない。なぜ、仲良しなのだろうと考えてみた。答えは意外に簡単だった。二人ともケチだからだ。

妻の場合、「こんな家、出て行く!」と言っても、実家に帰るには旅費もいるし、手ぶらと言う訳にも行かないだろう。家の近くのホテルに泊まるにしても帰るまで、毎日お金がかかるのだ。

私だってマンガ「巨人の星」の星一徹のように叱りたい。「黙れ!」と一喝、ちゃぶ台ひっくり返したら、さぞかし気が晴れるだろう。その代わり、一食分の全てを失った上、お茶碗が割れるかもしれない。こんなことを考えているようでは派手なケンカなど思いもよらない。ケチケチしている間に40年もたってしまった。

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あれから更に15年以上たった。時の流れは早いものだ。最近は特に早い。振り返ってみれば、在職中は自己否定的人間だった。仕事が苦手で、趣味とスポーツが全然ダメだから肯定など思いもよらない。

退職したら思うがままに生きられるので、次第に自己肯定的人間になって行った。自由の身になったのだから、これも当たり前。なんでも見てやろう、やってみようと手の平返したように前向きになった。

その後、加齢による体調低下に応じて活動範囲を縮小、80代になったら家に引き籠り、静かに愉しく暮らしている。しかし、自分の生き方を肯定する気持ちは変わらない。状況が変わっても、これはこれで良いものだと思っている。
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2022年12月31日

ペットになりたい

「私たちの将来について大切な話があります」
は〜い!
「そんな大きな声を出さなくても聞こえます」
「洗濯機に返事したんだよ」
「私の話と洗濯機の自動音声とどちらが大切ですか」
「洗濯機に決まってるでしょ」

なるほど、言いたいことは分かる。洗濯機は毎日働いているのに私は何もしないで、汚れ物を出して食べて寝るだけだ。それではいけない。遅まきながら変わることを決意した。洗濯機や炊飯器にも負けない役立つ人間になるのだ。決心はしたものの私に何が出来るだろうか。不器用で体力もない、しかも病み上がりである。

お母さんは毎日3度の食事を用意して、洗濯に掃除、病弱の私に合わせて巣ごもりまでしてくれている。今までの様に威張らせてあげて、言うことを聞くだけでは足りない。私も役に立つ人にならなければいけない。出来ることとは何か? 一生懸命考えたら直ぐ分かった。食事の支度である。

「私も食事の支度を手伝いたいと思います」
「狭い台所に二人もいたら邪魔だからいいよ」
「私が一人で作りますから、テレビでも見ててください」
「絶対に嫌! 何を食わされるか分りゃしない」

そう言えば、退職直後、一週間交代で食事の支度をすることにした。一週間どころか、三日で止めさせられた。
「あの頃は嫌々やっていました。反省しています」
「あれで懲り懲りだよ」
「今度こそ心を入れ替えて… 」
「からだ丸ごと入れ替えなけりゃダメ!」

それでも、お母さんのために役に立ちたいとの思いは変わらない。そして、ペットになることにした。以前、猫を飼うことを提案したことがある。そしたら動物を飼うのはアンタ一人でたくさんだと断られた。ならば私がペットになろう。お母さんには癒しが必要だ。本当は素晴らしく気立がいい人なのにギスギスしている。

私がペットになる以上、ご主人様に忠実なだけではいけない。犬猫並みでは人としての誇りが許さないのだ。人間にしかできないことでご主人様のお役に立ちたいのである。家事が苦手な点では本物のペットも私も同じだ。一生懸命考えたら私には一つだけ彼らより優れた点がある。それは言葉、私が日本語を話せることである。

1日にご主人様を3回は言葉で笑わせる優れたペットになりたい。極めて難しい課題だが犬猫ペットに差をつけるとすると、これしか無い。それに私は言葉遊びが大好きだ。といっても得意ではない。しかし、好きなことをやり続けることは健康に良い。これだけは確かだ。

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ところで、私の言葉遊びも一区切り。そう思うとトイレに行きたくなった。便座の蓋を開けてビックリ! 出された物が鎮座していたのだ。レバーを押して一挙に解決。今日は大晦日、気持よく水に流そう。来年も楽しく静かに暮らしたい。
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2022年12月24日

演技上手はどっち?

60代から70代前半までは若者気分で元気よく、充実していたが不満も多かった。私はこの時代を「自由時代」と呼んでいる。思い起こせば、あの頃が懐かしい。とは言え、今の静かな生活も捨てたものではない。

「亭主、おん出してやったわ」
とAさんが、気炎をあげている。
「ホントですか」と、60代だった私。
「眠れないから、ラジオつけたり、本読んだりするでしょ」
「そうそう。私もそうです」
「そしたら、あのろくでなし、眠れないとか、あーだーこ〜だ〜いうのよ。眠れないのは私じゃあないの」
「ラジオはイヤフォンで聴きましょう」
と、思わずご主人の代弁。
るさいわねぇ! 部屋なんかいっぱいあるでしょ、好きなところに行って勝手に眠むんなさい!」

ご主人の代わりに叱られてしまった。そういえばAさんの家は大きい。グランドピアノを置いた居間の他、子ども部屋4室はすでに空き部屋、それに寝室、応接間、書斎まである。

「ご主人ビックリしたでしょう」
「出たっきり、帰ってこないのよ〜」
「家の中で寝ているのなら、いいじゃないですか」
「淋しくなったら、いつ帰ってもいいのよ。と言ってあげているのに、まだ帰ってこないのよ〜」
「優しいのですね。私なんか、もう帰って来なくていいと言われてしまいました」
「どこから?」
「病院からです」
「そう、病院から帰らないとすると焼き場に直行かな?」
「もっともっと酷いところがあるのですよ」

つい先日のことである。朝、病院に行こうとすると、お母さんの「服装チェック」。毎度のことだが、もうウンザリだ。出かけようとするとジロリと見てケチを付けるのだ。あぁ、叉か。と思いながらも、素直に「はいはい」と言っておく。朝から揉め事はゴメンだ。とりあえず、ズボンを脱いでステテコ姿でいた。

「何よ!その格好」
「ズボンを替える準備です」
「そんな、みっともない格好して、誰か来たらどうするの。時間がないから出かけるからね」
「はいはい、行ってらっしゃい」
続いて、小さな声で独り言「せいせいするわい」。これが聞こえてしまったようだ。厳しい言葉が返ってきた。
「病院に行ったら、もう帰って来なくていいからね!」

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病院に行ったきり帰れないとは如何なる場合だろうか。大学医学部の地下にある「ホルマリンプール」行きとか聞いたことがある。私の抜け殻も人体解剖用にプールに沈められるらしい。ひょんな調子で浮き上がると棒で突っつかれるそうだ。打ち所が悪いとバラバラに壊れてしまうとか?

ところで、80代の今から思うと60代はまだ若い。恥ずかしいことも含めて全てが懐かしい。既に男性の平均寿命を過ぎているのに、まだ生きている。楽しい二人暮らしだが口喧嘩は絶えない。そんなとき私は、直ぐに謝る。凄く喜ばれるからね。「この世は舞台、人はみな役者Shakespeare」だそうだ。二人のうち演技上手はどっちだろうか?
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2022年12月17日

ベンガル虎に会いに行こう!

とにかく謎の多い人だ。6年間の付き合いなのに話題が尽きない。今日もAさんの独演会。Bさん、Cさんも、なかなかな人物だが聞き役に終始している。私などはいうまでもなく「うなずきマン」だ。

「男でも度胸のないのはダメね。皆尻込みしているのよ」
「3週間も山歩きした後では仕事が忙しいのでは… … 」
「何が忙しいのよ! 怖いだけ。情けない男たちよ」

今ならベンガル虎に関する探索ツアーも旅行好きな人々には知られている。しかし、Aさんは「私がこの探検ツアーの最初の参加者」と言っていた。20年前のことだが、たった一人で行ったそうだ。旅行社の担当者自身さえ経験がなく、後で体験談を根掘り葉掘り聞かれたそうだ。

「誰も行ったことがないと言うのに、鈴木が待っているというのよ。なぁんだ日本人がいるじゃないの、と思ったらガッカリして気が抜けちゃったわ」
「好かったですね。ホッとしたでしょ」
「行ってみたら、言葉もろくに通じない現地人がいただけ。ジープ型の車に乗せられてジャングルに行ったのよ。その車がスズキなんだって」
「初めての日本人になれて良かったですね」
「何がよかったのよ!」
私の頷きは気に入らなかったょうだが、聞いた話を自分なりにまとめると次の様な次第だ。

船で川を渡り、ジャングル内のコテージに入る。食事中に突然呼び出された。何事かな? と思ったが、ガイドに促されるまま暗いジャングルを通り抜け、着いたところは真っ暗な小屋。明かりと言えば、時々つける懐中電灯だけ。小屋には外に向けて穴がいくつも付いていた。

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不安になって何か聞こうとしても、ガイドは指を口に当てて「シー」と言うだけだ。とにかく、この穴から外を見ろということらしい。同行の外国人4人も皆そうしていたのでAさんも穴に目をあてたそうだ。ガサガサと音がすると投光機が一斉に明かりを放ち、付近一帯は真昼のようになった。

そこには、杭に繋がれた羊のような動物と、それに食いついたベンガル虎の凶暴な姿があった。ようやくAさんも事態が飲み込めた。これがこのツアーの目玉。だから食事中にも関わらず呼び出されたのだ。 

虎は一旦獲物に食いついたら、光を浴びても逃げたりしない習性があるそうだ。暗い小屋も、しゃべるなという指示も、覗き穴も全てはこの一瞬のためにある。ガイドは「あなた方は非常に運が良い」と言った。ベリー・ラッキーを連発していたのでAさんも理解できたそうだ。それに参加者の全員が興奮して凄く喜んでいた。 

翌日はゾウに乗って更に奥地に進んだが、言葉の通じない「ゾウ使い」と二人だけの旅だった。道がないからゾウに乗るのだが、それよりも重要なのは安全保障。ジャングルには凶暴な野生動物がうようよしているので、ゾウの上が一番安全だという。ジャングルの景観、音、におい、風、すべてが素晴らしい。少し怖くて、だいぶお尻が痛くなったけれど、十分堪能したインド奥地ジャングルの旅だったそうだ。

話を聞いたのは2008年のことだが、凄く面白かったので書き留めて置いた。一応、事実確認のため最近の状況を検索してみた。
下のURLをクリックするとグーグルの関連情報表示。
 ↓
ゾウに乗ってのトラ探し?
もう一つ、バンダウガルに来たら是非体験して頂きたいことが一つあります。 公園内でのゲームドライブは通常、ジープで行いますが、 運がよければ、車の入れない薮の中をゾウに乗ってトラを見に行く (=タイガーショー)と呼ばれるオプショナルも体験していただけます。 ゾウの背中に乗って、道なき道を行きますので、激しく揺れることもあります! その為、ちょっとお尻が痛くなりますがトラを間近で観察できる人気のオプショナルです。 現地判断でのオプショナルとなりますが、是非機会があれば体験してみて下さい。
(『インドへトラに会いに行こう!!』のツボよりコピー)
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2022年12月10日

流れた歓迎カラオケ

水に恵まれた札幌で、まさかの断水。カラオケ店員はマニュアルに書いていない事態に遭遇して右往左往していた。準備中と言ったまま1時間も待たされた。

「一体どうなっているの、開店時間はとっくに過ぎてるよ」
「断水ですから飲み物料理などの提供はできません。トイレも使えません。カラオケだけはできます」
「そうゆうことは、もっと早く言ってよ」とAさん。

「腹減ったから近くのラーメン屋にでも行こうか」と、仲間4人で相談していると、
「この辺一帯、全部断水です」と店員の声。
「それも早く言ってよ〜。聞かなきゃ何も教えてくれないの!」と思わず切れてしまった。

飲食はともかく、トイレが使えないのは致命的だ。みんなそろってAさんのお宅にお邪魔をすることにした。飲んだり食べりしながらAさんは何時もの様に面白い話をいっぱいしてくれた。特にベンガル虎に会いに行こう!という探索ツアーの話が、聞いていて痛快だった。話に夢中になって、気が付けばご主人がいない。

「アレッ、ご主人様が見えませんが、どちらへ?」
「趣味やってんのよ。見たい?」
「何ですか?」
「煙がもうもうよ」
「見たい見たい」3人そろって見たいを連発した。 

Aさんはご主人と連絡をとりに行った。どんなことをやっているのだろう。私たちは期待に胸を膨らませた。
「煙がもうもうだって、ワクワクするね」
「マジックかもしれないよ」
「ダンナさん、口から火を吹いたりしてね」
「だから、煙でもうもうなんだよ」

案内されて2階に上がるや否や、煙の正体を知ってガッカリした。そこにはタバコをくわえ熱心に仏像を組み立てるご主人の姿があった。灰皿の上には吸殻がいっぱいで、それを完全に消してないせいか煙を立てていた。

傍には「五重塔の70分の1スケール銘木製模型キット」や、陽明門等の完成作品が置いてある。部屋の中には置き切れず、作品の置いてある別の部屋にも案内された。この家には部屋が10以上もある。しかも住人は二人だけ。作品は立派だし、ご主人のスキルもたいしたものだ。しかし、それ以上に重要な役目を果たしているのは大きな家である。 

狭いマンション住まいの私には思いもよらない趣味だ。人間は環境によって行動が左右される。私も大きな家に住んでいたら、別な人生を歩んでいたかもしれない。

「断水も終わったようだから、そろそろカラオケに行かない?」とCさんが言った。
「せっかくだから、ここでゆっくりして行ってよ」
と言いながらAさんはワインを持って来た。
「地下鉄駅近くに来たのに、戻るのはねぇ」
とワインをチラリと見ながら私。
「もう充分歓迎されたから結構よ」とBさん。

アッ!そうだ。今日は東京から3か月ぶりに帰って来たBさんの「歓迎カラオケパーテー」だった。どうやら皆さん思い出したようだ。
「歓迎カラオケ、流れちゃったね」
「断水なのに?」

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懐かしの画像、昔通った映画館は今ではカラオケ。
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2022年12月03日

口と心は元気

60代のとき見知らぬ人からお爺ちゃんと呼ばれて気を悪くした。80代の今はどうだろう。何故か比べてみたくなった。身体が衰えたのは言うまでもないが心はどうだろうか。

およそ15年くらい前だろうか、先輩とこの様な話をした。
「ショックですね」
「何が?」
「私のことお爺ちゃんと呼ぶのですよ」
「誰が?」
「最近、コイのことが気になるので、池を見ていると、後ろから声をかけられたのです」
「何て?」
「お爺ちゃん、池の中に何かいるの? と聞くのです」
「あんたはお爺ちゃんなんだから当たり前だろう」
と先輩は断定。相変わらず大雑把な人だ。

「先輩もお爺ちゃんですよ。それでいいんですか?」
「俺はお爺ちゃんだよ。孫がいるからね。だけど他人からお爺ちゃんとは呼ばれたことないね」
「子供はともかくお婆さんから言われたくないですよね」
「おや!お婆ちゃんだったのか。お気の毒様」
「いえ、お婆ちゃんは歓迎ですが、お互いにお爺お婆と呼び合わなくてもいいと思うのですよ」
「じゃあ、なんと呼べばいいんだ」

「普通でいいですよ」
「ふつうって何だ?」
「例えば、青年が池を見ていたとします。青年さん、池の中で泳いでいるのは何ですかと聞きますか?」
「ちょと、すみません。とか、失礼ですが、とか呼びかけるよ。見知らぬ人には丁寧にな」
「そうでしょう。少年少女、青年、爺とか区別する必要はないのです。池を見ているのは私ひとりなのです」
「そんなこと気にするなんて、ホントにあんたはお爺ちゃんだね。だから言われるんだよ」

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このような訳で私は60代で太鼓判付きのお爺ちゃんとなった。あれから15年以上たった80代の私はどう見えるだろうか。自慢じゃないけど、この間に入院5回、癌関連手術3回、放射線治療1ヶ月半、そして最近3年間はほぼ巣ごもり状態だ。さぞかしヨボヨボと思われることだろう。

とこれがそれは大間違い。人に会うことは滅多にないが、会った人からは必ず「元気そうだね」と言われる。お世辞でも慰めでもない正直な印象と思う。外見はそう見えるらしい。事実、口と心は今までにないくらい元気なのだ。

人は生きている限り悩みから解放されることはない。しかし、今まで生きてきた中で一番悩みが少なくなっているから不思議だ。選択の余地が少なくなったせいかも知れない。

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2022年11月26日

一人でペッタンコ

二人だけの朝食は、いつものようにテレビを消して話しながらとる。消化に良いといわれているが逆の場合もある。最近はほぼ巣ごもり状態で人に接する機会が少ない。どうしても、事件や社会問題が話題の中心になる。これがいけなかった。見解の相違でケンカになる場合が多いのだ。

「救急車で病院に連れて行かれても、帰りが大変だよね」
「命が危ないのに帰りの心配するのですか」
「入院できなかったら大変でしょ」
「なんとかなりますよ」
「病気なのに可哀そうでしょ」
「タクシーを呼べばすむ事です」
「夜中でタクシーは来ないのよ」
「救急車は負傷者や急病人を病院に運ぶ為にあるのです」
「困っている人を助けたっていいじゃない」
「救急車の仕事ではありません」
「なによ偉そうに。もうペッタンコしてやんない!」

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河川敷なぜか一人でペッタンコ淋しくないの土曜日の君
何が気に入らないのか、もう貼り薬をはってくれないと言うのだ。散々な朝ご飯になってしまった。その日は体調が良いので、久しぶりに部屋の整理をした。休み休みの作業だが、夕方になると腰が痛くなった。

「腰にこれを貼ってくれませんか。手が届かないのです」
「貼って上げないって言ったでしょ」

おや、覚えている。意外に執念深いなと思ったが、心配はない。私には奥の手がある。「ハリハリ失敗作戦」だ。自分で貼って、失敗するところを見せれば、テキは我慢ができなくなって、口を出したり手を出したりしてくるに決まっている。善は急げ、さっそく実行。

「なにやってんのよ、あんた! もったいないじゃない」
「ごめんなさい、又失敗。今度こそ上手くやります」
「もう、いいよ」
「何がですか?」

こうして作戦は成功したが、貼り薬2枚の損害をこうむった。クチャクチャにくっついて、使用できなくなってしまったのだ。不幸なことだが勝利の陰には尊い犠牲がある。

ところで「一人でペッタンコ」という製品がある。背中など貼りにくい部分にも、ひとりで湿布が貼れるそうだ。税込1025円だが、不器用な私では使いこなせないと思う。やっぱり貼ってもらいたい。
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2022年11月19日

チンピラと熟年

男と言えば若いころは渡哲也だった。彼は「裕次郎二世」として期待されていたが、日活のアクション映画ではチンビラ役がピッタリだった。そして極めつけは実在のヤクザ石川力夫の生涯を描いた、第一回東映作品「仁義の墓場」。この映画のキャッチコピーは「おれが死ぬ時はカラスだけが泣く」。なんて格好いいのだろう。昔の映画はね。

石川は29歳で刑務所の屋上から身を投げて死んだ。独房に残された日記帳にはこう書いてあった、「大笑い30年のバカ騒ぎ」。昭和29年1月29日、自ら幕を引いた破滅の人生を彼らしく結んだつもりかも知れない。この映画は渡哲也の病気療養後の第一作。「病み上がりで本調子ではなかったが、それがかえって幸いして石川の不気味な迫力をいやが上にも増大した(Wikipedia)」。

ひたむきで哀れなチンピラ役がよく似合う渡哲也も、いい歳になったらどうなるのか心配だった。それが刑事役として大成功。テレビドラマ「大都会シリーズ」「西部警察シリーズ」とヒットは続いた。それでも「この先は?」と心配は尽きない。しかし、テレビドラマ「熟年離婚」をみて、何をやっても似合う人だなと、認識を新たにした。

ところで、渡哲也主演のテレビドラマ「熟年離婚」とは、仕事一筋で生きてきた男がが定年退職を迎えると、長年連れ添ってきた妻から突然離婚を言い渡されてしまう。そんなシーンから始まる夫婦の物語。男は戸惑うが妻は自立した女性として、第二の人生を歩みたいと考えている。

離婚届という紙切れ1枚で35年もの結婚生活が消えるのかと、困惑する夫は妻を全く理解していなかった。心を開いて徹底的に話し合うこともなかったからだ。

我が家の場合は状況は違うが、お互いの無理解については同様だ。妻のP子は私に不満をもっているようだが、私だって同じである。ドラマと違って心の中で離婚をしたいと考えたのは私の方だった。
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しかし、解決しなければならない問題が山ほどあった。離婚に伴う膨大な手続き、住居をどうするか、少ない収入、資産を二つに分けて生活ができるのか等、いろいろだ。こんな時にテレビドラマ「熟年離婚」が放映された。比べてみればテレビの夫は、経済的にも家庭的にも恵まれている。それでもあれ程の問題がある。

我が家の喧嘩原因は双方が我を通そうとすることにある。しかし、P子は絶対に我を折らない。そこから導かれる結論は、ただ一つ。私が折れれば済むことだ。そもそも、離婚して一人で気楽に暮らせる筈がない。

こう考えて、絶対服従3年間でP子を優しい「お母さん」に作り変えてしまった。過ぎ去った3年は凄く短い。相手を変えたければ自分が変わればいいのか。あまりにも簡単に解決したので、破綻も早いのではないかと心配になった。こんな時には若いころ流行ったあの歌が聞こえてくる。いいじゃないの幸せならば・今が良けりゃ・楽しければ。
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2022年11月12日

お喋りラジオ体操

私はハッピーリタイアメント以後の61歳から74歳までを自由時代と思っている。82歳の今になって振り返れば、恥ずかしいことばかりだが楽しい思い出も多い。

毎朝、中島公園でラジオ体操していた。ダラダラとお喋りしながら体操する、高齢者グループが目障りだった。彼らは元気いっぱい休むことなく体操を続けている。皮肉なことに、力いっぱい体操していた私が腰痛で入院してしまった。

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未曾有の台風にも負けなかった 2004年9月8日、台風18号で中島公園は被害甚大。それでもラジオ体操は休まず、倒木の中でも続けられた。 

退院後のラジオ体操は、家で妻のP子と一緒に楽しみながらやることにした。成功のコツは成功者の真似から始めよ、と言う。不真面目な高齢者グループを見習い、P子と向かい合って話しながら体操をすることにした。

今朝の話題はニュースで聴いたばかりの死亡事故。小学生が天窓の上に乗ったらガラスが壊れ、落ちて亡くなったそうだ。そんな所に乗る子が悪いと、P子が得意の自己責任論。私は管理する学校にも責任があると考えた。体操をやりながらだから、イチ、ニイ、サン、シ、の合間に短い言葉で言わなければばならない。誤解の生じ易い状況である。

施設は利用状態に応じた強度で造らなければならない。もし、不可能なら立入禁止など必要な制限をつけるべきだ。しかし、P子は作った人が悪いと受け止めたらしい。それを自分の料理へと連想させ、いきなりかみ付いてきた。

「私が作った料理が多いと言って残すでしょ。それなら自分で作ればいいのよ」
どうして、このような展開になるのか理解できない。
「それとこれとは別でしょう」
「同じことよ、あんたの兄弟はみんなそうなのよ。お兄さんも理屈っぽいしね!」
こんなことを長々としゃぺっていては体操にならない。

「ホラホラ体操が音楽に合っていませんよ」
「後ろ向いてよ!」
厳しい注文だ。顔も見たくないということだろう。 
「料理と事故は別でしょう」
「その話はもう終わったの!」

小学生の自己責任と言われても、はい、そうですねとは頷けない。造った者の責任も指導者の注意義務もあるのではないか。断じて同意できない。しかし、黙ってしまった。 

何か言えば「しつっこいね!」と返されて、それでお仕舞いだ。ラジオ体操は型どおり終了した。勝ったP子は朝食の支度にかかった。負けた私は、いつもの「紅茶サービス」をする気も失い、自室にこもってしまった。

しばらくして、P子が呼びに来た。
「紅茶番いないから、コーヒーにしたよ」
紅茶番とは私のことである。
「インスタントですね」
「当たり前よ。部屋で何していたの?」
「これからの人生について考えていました」
「どうして?」
「文句ばっかり言われているでしょう」
「そうかなぁ? 7割くらい嫌いだから言ってるかもね」
残り3割、まあいいか。野球なら打率3割で超一流だ。
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2022年11月05日

カラオケごっこ

退職して寂しいという人も居る。一方、退職して自由になり、趣味やスポーツを満喫できると楽しみにしている人も居る。ところで私は、スポーツはできないし趣味もない。それでも退職して楽しかった。仕事が凄く苦手だったので解放された奴隷のようにルンルン気分だった。

自由は楽しい、好きなことが出来るからだ。カラオケ、ダンス、マージャンにゴルフと、楽しんでいる人も多い。できれば私も楽しみたいが、それは無理。人には得手不得手がある。若いころなら「やればできるから、頑張りなさい」と言われればその気になる。しかし、この歳になると、生まれつきそうなのだから仕方がないと諦める。そもそも楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。

そこで私が選んだ遊びは「記者ごっこ」。子供の遊びみたいなものだ。遊びだから自ら進んで取材などはしない。そのかわり、誘われればどこにでも行ってしまう。今日は苦手な大カラオケ会だ。果たしてどうなることやら。万一、歌えと言われたら逃げてやろう。
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道新コラム「朝の食卓」2010年6月23日投稿。画像クリック=拡大

大カラオケ会には50人くらい集まったが、いつもと違う華やかさがある。特に女性が美しい。同じシニアネットの仲間なのになぜこうも違うのだろうか? 少し考えてみた。ヒントは17年前のノートパソコンはかなり大きかったこと。

パソコンを背負っていないからお洒落ができるのだ。勉強会の後でも、皆んなそろってホテルへランチに行くことがある。重そうなリュックサックを背負った集団を、ホテルマンは何者に見ただろうか。登山でもない。旅行者でもなさそうだ。さては新手の行商人グループか? 

カラオケクラブ例会は新任のO部長の引き語りで始まった。実にうまい。うまいはずだ。往年の人気テレビ番組「ザ・ヒットパレード」で歌っていた経歴があるのだ。私が担当する地元のラジオ番組「山鼻、あしたもいい天気!」に、Oさんにゲストとして出演をお願いした。

その頃の私は記者ごっこだけでなく、放送ごっこもしていた。放送の前にOさんの歌も、ぜひお聴きしたいとの思いもあって、このカラオケ例会に参加させてもらった。ラジオでの話題は「音楽と中島公園」とした。Oさんがドン・ホーの歌を4曲選んでくれた。ハワイ公演、テレビ出演などの思い出話なども話してくれた。

ところで、カラオケ会で歌ってしまった。なんとなく歌わされるような雰囲気を感じたので、トイレに逃げ込んで時間をつぶして出てくると、なぜか私の番になっていて舞台に連れて行かれた。遅蒔きながらカラオケごっこもしてしまった。

「記者ごっこに放送ごっこにカラオケごっこか? なんでも『ごっこ』と付ければ済むもんじゃないよ」
「もの書きとはそうゆうものです」
「ほっ〜、もの書きと来たか。後光がさしてるよ、先生」
「よして下さい。拙い真似事ですよ」
「後ろが光ってるぞ〜」
 ムカッ(-_-メ)
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2022年10月29日

私たちの定年騒動

主婦に定年はない。それでいいのだろうか? 私はそうは思わない。それで思い切って「主婦の定年宣言」、結果は上々。しかし、そこまで行くのに紆余曲折はあった。

私の定年退職後しばらくして、妻のP子にも定年を言い渡した。妻にも定年があっていい筈だという、彼女の要望に応えたつもりだ。

「ご苦労さまでした。今日から貴女も定年です」
「じゃあ、アンタが家事をやってくれるんだね」
「やりません。私はすでに定年の身です」

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彼女は定年になって家事から解放される意味を理解していないようだ。共に家事から自由になることである。決して嫌な仕事を押し付け合うことではない。「じゃあ、誰がやるのさ!」と態度急変、えらい剣幕だ。私は何とか話し合いの糸口を見いだそうとした。

「我慢できなくなった方がやるというのはどうでしょう」
「… … 」
ふくれっ面の沈黙。話し合う気もないらしい。
「例えば、腹が空いた方がご飯をつくるとか…」
「ダメダメ、そんなの絶対だめ」
妥協点を探ろうとする私の努力は徒労に終わった。
「共同生活ですよ。貴女の思いどおりにはなりません!」
「… … … … … …  」
長い沈黙が怖いのでトーンを下げて反応を待つ。
「イコール・パートナーとして協力し合いましょう」
「協力協力って、一体アンタに何ができるの。何も出来ないくせに何がイコールよ。一人前のこと言うんじゃない!」

やはりキレてしまった。私がなだめ役になるより仕方がない。少し考えてみたらこんなことを思い出した。犬は序列の生き方をする動物で、上下関係により動くそうだ。人間だって動物には違いない。この線で説得することにした。

「いい方法を考えたので聞いてください」
「コンビニとか、コインランドリーの話なら聞かないよ」
「私があなたの家来になりましょう」
「家来?」
「何でも言うこと聞きますから気軽に命じてください」

P子は正直で単純な人だ。誰もが自分のような表裏のない人だと信じている。そして、自分が正しい主張をしたから私が分かってくれたと思ったようだ。表情が柔和になった。

それに彼女は「命じないと動かない部下」をもった経験がない。これがどんなにシンドイか分かってない。こうして「敗者なきウインウインの関係」が我が家の中で成立した。

「奥さんの命令をなんでも聞く? ヨボヨボになるまでこき使われてもいいのか」と、先輩は余計な心配。
「こき使いやしませんよ」
「それは甘い、家来になると言ったじゃないか」
「敵を知り己を知れば百戦危うからず……」
「どっちが皿を洗うかくらいのことで大げさだぞ」

在職中に、私は仕事P子は家事という習慣がで出来上がってしまった。P子の家事は身に付いた習慣だ。私に家事をさせようとしても、それは頭で考えたことに過ぎない。身体で覚えた習慣の方が頭で考えたことより強いのだ。一方、家でゴロゴロは私の身に付いた強い習慣、これも侮りがたい。

何でも気軽に命じてくださいと言ったところで、しばらくすれば頼むのが面倒になり、彼女が自分でやるに決まっている。こうして私はP子の家来になったが、殿様としての彼女は正直で情け深く、しかも自分で働く癖がついている。ズボラな家来としてはこんなに有難い殿様はいない。 

「主婦の定年はどうした?」
「あれは止めました」
「無責任だな。定年を言い渡したはずだろう」
「家来は殿様に従うだけです」
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2022年10月22日

3年ぶりのカラオケ

久しぶりに洋カラ(洋楽カラオケ)に参加したが、とても楽しかった。何となく歓迎されているような気がしたからだ。何故か、80過ぎたら自分にとって都合良く考えられるようになった。陰気な人から呑気な人に変わったようだ。

カラオケ会場は新しくて綺麗だった。装飾も洒落ていて、正面の壁全面がスクリーンになっている。オマケにソファーも座り心地が良い。ゆったりしたスペースがあり、自由に動けて居心地がよい。マイクも専用で使い回しがないのも有難い。新しい会場の印象はとても良かった。

久しぶりの洋カラだが、以前は男性が多かったのに、今回は女性7人、男性6人の参加だった。そして、以前に比べて華やかな感じがする。多分私が最高齢と思う。幅広いジャンルは変わらないが、新しい歌が多くなったような気がする。

こんなことを書いていたら、タイミング良く、所属するシニアネットのメーリングリストでカラオケについての投稿があった。参考のため抜粋させていただいた。

カラオケで歌う事で、脳の活性化や心身を安定させる。効果が医療機関で音楽療法として使われてるそうです。
歌う事で、口の中や周囲の筋肉が鍛えられ、誤飲防止になり、又ストレス発散に繫がり、免疫力UPに繫がる。
歌詞を暗唱し、人前で歌う事で、緊張感が増し、脳に刺激を与え、認知症防止に役立つようです。
「元気が出る・気分が晴れる・免疫力UPで認知症防止!」
Sシニアネットには「カラオケクラブ」があり、「心身ともに健康で、仲間と心の交流を深める」とあります。
(以上、SSNML、Oさんの投稿より抜粋)

そして、「皆さん参加しませんか」と結ばれている。私もそのような気持ちで65歳の時カラオケ会に参加した。80歳を過ぎたら、何が出来ないとか悩むのは止めた。仕事も苦手だったので人一倍一生懸命にやった。歌も苦手だが一生懸命歌えば楽しいし、自分の健康にも良いと感じている。聞き苦しくなければ幸いだが、果たして?

なぜ英語の歌を歌うのかと聞かれたことがある。下手なのに何故と言うことらしい。何にも答えられなかったが、ブログには書ける。英語が好きだからである。好きだけど日常会話もできないので歌っている。どんな形であれ好きならば口にしたいものだ。

私は好きなのに出来ない人。そのような存在を世間は認めないと思う。ファイターズが大好きと言いながらキャッチボールも出来ない人もいる。なぜ歌とか英語ではダメなのだ。何も分からないで楽しんでいる。 (^-^;) ゴメン

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いろいろあって家では歌えない。河川敷は広くて一人になれる場所だ。見通しがいいので周囲に人が居ないことも一眼で分かる。ここが私の専用ステージ。向こう岸を見ればダイサギが1羽。こちらを見ている、聴いているのかな?
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年10月15日

トイレの神様

早いもので結婚して56年、夫婦二人暮らしになり25年、家の中で幸せを見つけて5年たった。長い間、幸せは外にあると思っていたが、内にもあることに気づいた。

もちろん、仕事の中で幸せを見つけられれば最高だが、仕事は苦手だった。だから、仕事以外で幸せを見つけようと出歩いていたが、何も見つからなかった。こんな風に、幸・不幸について考えていたら、30年ほど前のことを思い出した。

福岡で勤務していた頃だが、同僚の元気がない。ボソボソと次のように話してくれた。奥さんが亡くなった、調理師をしている娘さんが職場で大火傷をした。数日後、猫が車に轢かれて死んだと言って涙ぐんでいた。奥さんの死、娘さんの事故については淡々と話していたが、猫が死んだのが一番辛かったと嘆いていた。慰める言葉も見つからなかった。

妻への愛、娘への愛、猫への愛、それぞれの愛は深さが違うようだ。ところで、我が家の愛は意外な所にあった。トイレが近いので溢れるほどの愛を注いでもらっている。

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便座を開けて立って用を足す。毎回「愛」を見ながら放水している。ところが、書いてくれた人は後ろ向きに座って用を足す。見えるのはドアだけだ。私だけの為に飾ったのだろうか。いずれにしろ有難い話だ。

コロナ禍と癌の手術と治療で巣ごもり3年になると、こんなことでも幸せを感じるようになる。これはホンの一例で、自分の生き方を変えたのが幸せ感の土台になったと考える。と言っても誉められた話ではない、自分の身体が弱ってきて人に頼るようになったのだ。

幸せは感謝する心から始まった。感謝は相手に伝わって私に返ってくることを知った。私は仕事が苦手だから家の仕事(家事)も苦手だ。自分が苦手なことをしてくれる人に感謝した。喜んでやってくれれば更に感謝は深まる。

二人企業の社長の気分になって、仕事(家事)をする人に感謝して褒める。そして、苦情を言ってくれるように促す。その仕事が大変ならば、私が代わりましょうとも言った。自分は凄くズルイと思う。仕事を代われとは言われないことを知りながら、代わると言っている。

小さな用を足すごとに、目の前の書が目に入る。トイレの「愛」を私への愛と思っている。気がつけば、自分に都合のいい方に思い込む人になっていた。神が私を生き易い人に変えてくれたのかも知れない。
タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般

2022年10月08日

代行さん

定年退職8年後、シルバー人材センターの紹介で近くの小学校で休日の日直アルバイトをすることになった。小学校の玄関は鍵が掛かっていたのでインターフォンを押した。

「はい、職員室です」
「学校管理で働くことになった中波です」
「はっ?」と言ったきり少し沈黙、周囲の人に何か聞いている気配がする。
「代行さんですね。どうぞ」

なるほど代行さんか、自分の仕事が現場で何と呼ばれているか分からせてもらった。シルバーセンターの仕事分野には学校管理と書いてあったので、そう告げたが通じなかった。その後、センターでの呼称は「学校日直」と改められた。
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日直代行の仕事はインターフォンで玄関の出入をチェックしたり、校内を巡回したり、休日の警備員みたいな役目もある。テレビドラマなら警備員が殺される場面から始まるが、私が体験したのはホンの小さな誤解から生じた極めて小さな出来事。それでも心に傷がついた。

「代行さん。変な音がするでしょ、調べてくれない」
年配の先生はイライラしている。短い曲の繰り返しのような音だ。先生はインターフォンを指差しながら言っている。常勤の先生が分からないことを日直代行に分かる筈がない。

「はい、分かりました」と、言ったところで、何を調べるか検討もつかない。それでも、じっと座っているより、その場を離れた方が気が楽だ。しばらく散歩してから職員室に帰り、「変ですね〜。後で教頭先生に報告します」と言って、一件落着のつもりだった。

パソコンで作業している年配先生の机に携帯が置いてあるのが目に入った。ふと、あることが気になったが、まさかそんなことがあるまいと心の中で打ち消した。しばらくすると、先ほどと同じ「着メロ」のような音が、また聞こえてきた。

年配先生は誰に言うでもなく「また、変な音がしてる。いやになっちゃうね。忙しいのに」。大きな声でつぶやくが、顔がこっちを向いている。暗に、もう一度調べろと促している。少々うんざりしたが、先ほどと違って、今度は若い先生も職員室にいた。忙しいのか、休日でも次々にやってくる。

若先生は「パソコンではないですか」と言いながら年配先生の机に近づくと「アラ!携帯じゃない。着メロですよ」と言った。それは私が言いたくても言えなかった一言だった。当たり前すぎて口には出せなかったのだ。

年配先生は携帯を取ると「ごめんなさい。気がつかなくて」と見えない相手に向って、ぺこぺこしながら、電話に出なかったことを詫びていた。「変な音」が鳴るたびに、調べてと促した年配先生だが、原因が自分の携帯と分かると、とたんに「代行さん」が見えなくなったようだ。
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2022年10月01日

Whyが大好き

下手な癖に駄文を書き続けている。もちろん、読者は少ないけれど幾らかの方々は読み続けてくれている。自己満足だが、「何時、何処で、誰が、何を」という事実から「何故?」を見つけるのが楽しい。文章の勉強は大切だが、頭がコチコチでできない。諦める部分はスパッと諦める。

いくら若気の至りとは言え、こんなことをした私は愚か者。そして、40年後にことの顛末を書いて喜んでいる、底知れない愚か者である。今の私は処方され沢山の薬を飲んで生き長らえている。この中にバカに付ける薬も入っていればいいのだが、無くても結構楽しく幸せに暮らしている。
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ところで、24歳のとき私がしでかした愚かなこととは、次のような事実だった。私はA子に手紙を忍ばせた菓子折りをあげた。A子は菓子折りを丸ごとB子にあげてしまった。B子は菓子だけを食べて手紙を私に返した。私は何故かB子に結婚したいと言った。B子は直ちに断り、後にC子を紹介してくれた。C子と動物園で会う約束をしたが来なかった。三日後、C子から交際お断りの手紙が来た。

何のことかサッパリ分からないと思う。この事実は144字だが、体験を「手紙」というタイトルで書いたら2954字に膨らんだ。事実から何故、何故と、Whyがいっぱい見つかって楽しくなってしまったのだ。
こちらをクリック! → ブログ「空白の22年間:手紙」

このブログ「空白の22年間」は自分自身の楽しみと自己紹介のつもりで書いている。人物等仮称も多いいが、できる限りの真実を書いているつもりだ。真実とは事実に対する偽りのない解釈であり、人の数だけ真実はある。しかし、正直に書くように心がけている。

事実を書くなら新聞記事の書き方が参考になる。つまり5W1Hの原則に準じて書けばよい。具体的には、いつ(When)、どこで(Where)、誰が(Who)、何を(What)、なぜ(Why)、どうやって(How)である。私のように老後はのんびり暮らしたいと思っている人には絶対に書けない。差し障りが多すぎるのだ。

この中で一番書きたくないのがWho、人物が特定し易くなるWhereもなるべく避けている。出来るだけ正確に書いているのが背景となる時代、Whenである。何を(What)、なぜ(Why)、どうやって(How)だけを楽しんで書いている。中でも大好きなのはWhy、感じてもらえれば有難いが無理と思う。一人でWhyWhy、ワイワイ言って楽しんでいる。
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タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 定職時代(24-60歳)

2022年09月24日

女性が羨ましい

昔、近所の病院に入院したが、患者どうしは仲良くやっていた。しかし、一人になりたいと思うこともある。そんな時は休養室に行って雑文の下書きをしたりしていた。コッコッと足音がするので反射的に顔を向けると目があってしまった。思わず、ニッコリ笑い挨拶を交わした。これがキッカケで年配の女性の愚痴を聞くはめになった。

「私、何の為に一人でガンバッテきたのでしょうね」
彼女は定年まで働いて、その後は新築のマンションを買って一人暮らし。夫は64歳の若さで亡くなったと言う。
「主人は貴方に似て前ハゲなの。何だか懐かしいのよ」
「そうですか」
軽く聞き流すふりをしたが凄く嬉しい。
「この歳で初めて入院したの。上と下が悪くてね」
「上と下ですか?」
「吐き気と下痢よ。こんなにやせちゃった」
「お若いのに大変ですね」

「甥に篠路の老人ホームみたいな所に連れて行かれたの」
「一緒に歩いていた方ですね。お子さんかと思いました」
「子供はいないし、迷惑かけられないから入らなければね」
「まだ若いから気が進まないでしょう」
「今まで一人で頑張って来たからね」
「ホームでのんびり暮らすのもいいかも知れません」
「寂しいよね」
「寂しいですね」
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「何か書いていたのでしょ。邪魔して悪かったね」
「いいんですよ。暇つぶしですから」
「話したら、なんだか気が晴れたわ。ありがとね」
「それは良かったですね。叉、話しましょう」
これでお別れと思ったが… … 
「あらっ! なに書いてるの。ちょっと見せてよ」
「嫌ですよ! 日記ですから」

親切な女性には敵わない。断ったのに、近寄ってのぞいた。
「なんかよく分からないねぇ」
「字が下手ですからね。ワードを使って書き直します」
「この字違っているよ。直してあげる」
「いいですよ。後でワードが直してくれるから」
「ワダさん?」

タイミングよく、休養室に年配の女性が入って来た。
「お友達みたいですよ」
「入院したばかりで、話し相手がいなくて寂しいんだって」
「そうですか」
「話し終わると、話してくれてありがと。とお礼を言うの」
と、言うが早いか私を置いて、お喋りに行ってしまった。

二人の女性は昨日会ったばかりというのに、まるで10年来の親友のようだった。こんなこともあって、書く気もなくしたので、病室に帰り隣のベッドの人に声をかけた。
「女性は素直に自分の気持を言えるから羨ましいですね」
「あんたもそうすればいいじゃないか」
「話し相手がいないから寂しいの、なんて言えませんよ」
「もっと気軽に、調子はどうかいとか言ってみな」
「調子はみんな悪いんですよ」
「みんな?」
「病人ですからね」

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | フィクション

2022年09月17日

幸せのスーパーメロン

ドラマを観ていると、こんなシーンによく出会う。男が女に「僕は貴女を必ず幸せにします」とか言っている。ずいぶん安っぽいセリフだ。私が幸せになるのは簡単だ。美味しいメロンが4分の1個もあれば充分である。

しかし、メロン4分の1で誰もが幸せになれると思ったら大間違い。そこまでに至るプロセスが肝心だ。大まかに振り返れば3年間だが、長すぎるので直近の3ヶ月の記憶をたどった。その頃、ある治療の副作用で味覚障害になり、口の中も粘膜炎で痛かった。それでも食べなければ体が持たない。
詳細→放射線治療、自宅→入院→自宅

生きる為に一生懸命食べた。痛くては食べられないので口の麻酔をしながら1日3食を完食。それを見た看護師さんが「カロリーが足りないので食事を増やしましょう」と言った。私の我慢は限界に達していたので、1階のコンビニで買い食いするからいいと断った。そうしたら、毎食後にプリンを付けてくれた。
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これを口に含んでブクブクすれば、口の痛みが和らぎ食事が出来る。

ところで定年後、4回入院したが病院の食事だけで済ました。食事も治療の内と考えたからだ。今回初めて、栄養補給のために買い食いをした。先ずはケーキと饅頭、すごく不味かった。病院の食事より格段と不味い。ジュース、チョコ、果物の缶詰、色々試したが全部不味くて、2度と食べる気がしなかった。

やっと見つけたのが、牛乳とソフトサラダと言う名の柔らかい塩せんべい。旨くはないけれど嫌な味もしなかった。ソフトサラダはカリカリという感触が好きだった。ご飯も薄切りの食パンも味がない点が好かった。本来の味はあるのだが私には感じない。つまり、食事をして美味いと思ったことはない。

退院して1ヶ月半もすると、味覚が徐々に戻ってきた。2ヶ月たったころには90%程度回復した。なぜか、お茶と高級ジュースは渋くて不味かった。高級なものほど回復が遅いのだ。ともかく、味覚回復は普通6か月、長い人は1年と言われていたのに2ヶ月でほぼ回復した。1年もかかった人は、私と違って食通だったと思う。世の中何が幸いするか分からない

味覚障害とは味を失うことでなく、美味いものを食いたくなくなるほど不味くすることと知った。舌癌手術後にした鼻から胃袋にチューブで栄養を送る方が楽だった。だけど、苦あれば楽ありとは本当だった。

味が回復して初めて食べたメロンが美味しかった。「幸せだなぁ、僕はメロンを食べている時が一番幸せだ」と心から思った。この幸せ感がなんとも言えない。幸せになるのは簡単だ、美味しいものを食べれば良い。

「メロン食べて幸せになりました」
「夕張メロンかい」
「スーパーメロンです」
「聞いたことないなぁ、高いだろう」
「ええ、凄く高かったですよ。安売りなのに1280円もしました」
「そうかい、どこで買ったの?」
「近所のスーパーです」
タグ:札幌
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2022年09月10日

不思議な入院

コロナ禍は入院生活を大きく変えた。面会と外出は禁止、そして4人部屋だが、同室者とは一言も口をきかないで1ヶ月間過ごした。私だけでなく他の患者も同様だ。お陰でとても静かな入院生活だった。

一方、13年前に近所の病院に入院した時は大違いだった。病室は雑談で賑やかだし、食事はテーブルを並べて喋りながら食べていた。押し並べて楽しい入院生活と思うが、入院初日は大変だった。しかも、不思議な入院でもあった。

「今すぐ入院ですか。ラジオがあるので明日にして下さい 」
「直ぐに入院しなさい。ラジオは出てもいいですよ」

即入院の緊急性と「ラジオは出てもいいですよ」というおおらかさ。この落差は一体なんだろう。私にはピンとこなかった。ともかく、スタジオには行けることになったのでホッとした。

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2008年2月ラジオカロス札幌「山鼻あしたもいい天気」

病室は6人部屋だった。ともかく、隣の人に挨拶、よろしくお願いしますと簡単にすますと、「山田太郎です。84歳です」と、丁寧に応じられたのでやり直した。

「中波三郎、67歳です。風邪をひいてこの病院に来たら検査して、即入院となりました」
「そうですかぁ。お客さん少ないからねぇ」

先ほどの院長先生のセリフ、「直ぐに入院。ラジオはいいよ」を思い出した。まさか、肺炎と診断して見せてくれたあのCT画像の白い影は「消しゴムツール」で加工したのではないかと、一瞬疑った。おじいさんとの話は延々と続きそうだが、ラジオの準備をしなければならない。「進行表」と「台本」をチェックしようとしたら看護師さんが点滴に来た。

「もうですか?」
「ラジオがあるから早くしてと言ったでしょ」
「すみません。お願いします」

もうクタクタのヘトヘトだ。点滴しながら眠ってしまった。目が覚めると17時。泥縄だが、点滴しながら放送をイメージしてみた。点滴の落ちる速度がやけに遅い。20時からの放送に遅れそうな気がしてイライラした。胸もムカムカした。点滴が終わると18時になってしまった。食欲はまったくないが、少しだけ食べて食後の薬を飲んだ。

大急ぎで円山のスタジオに向った。途中、地下鉄中島公園駅ででカロリーメイトをほおばったが、いつもと違って口の中がパサパサして食べにくい。スタジオに着き何とか1時間の番組を終了。タクシーを拾って家に着いたのが21時20分だった。病院の消灯が21時なので予め外泊許可をもらっていた。

家に帰ってもやることが山ほどある。メールはネットが使える今夜の内にしなければならない。とにかく破らなければならない約束がいっぱいあった。何となく気になったが、疲れて寝入ってしまう。

一眠りすると目が覚めた。夜中の3時だが、目が冴えて眠気がない。なにぶん突然の入院だ。誰に何を知らせるかが難しい。困り果てて、所属するシニアネット全員宛のメーリングリストに流してしまった。こうして長い長い一日が終わった。

この3年で3回入院したが、いずれも面会・外出禁止。一方、13年前の入院は面会はもちろん、外出さえ自由だ。糖尿病だから運動も治療の内とか言って、毎晩ダンスに通う患者もいた。私も徒歩10分の家に帰り風呂に入ったりパソコンしたりしていた。この新旧二つの入院を比べてみれば、面会・外出禁止の方が良いと思った。入院した以上、治療に専念して1日でも早く退院した方が良い。少なくとも1ヶ月以内の短期入院なら、この方がいいと思った。

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年09月03日

さようならオシドリ

オシドリについてだが、今年の秋は今まで一番多いような気がする。しかし、あのカラフルで美しいオシドリの姿が全く見られない。この時期のオスは「エクリプス」と呼ばれる状態の羽毛へと変化しているので、メスと同じように地味な色をしている。しかし、10月頃になれば美しく変身するだろう。

オスが一斉に綺麗に変身すれば、中島公園の風景に彩りを添えてくれる。しかし現実は、そうなった試しがない。マガモは凍結するギリギリまで池で粘っているのに対し、オシドリはさっさと何処かへ飛び去ってしまうのだ。しかし今年こそ、カラフルで美しいオシドリのオスがあちこちで見られると期待している。

退院して久しぶりに中島公園を散歩するとアチコチにオシドリがいた。偶然撮ったこの写真にも3羽写っていた。手前の大きい2羽と石の上の1羽はオシドリだ。菖蒲池から鴨々川 まで至る所でオシドリが居たが、全部メス。一体カラフルで美しいオスは何処に行ってしまったのだろう。1羽も姿を現していない。

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左端下で正面を向いているのがマガモ。くちばしが黄色い。

だがこれは私の勘違い。非繁殖期である夏になり、エクリプスと呼ばれる状態の羽毛へと変化していたのだ。つまりオシドリはマガモ同様に、オスは繁殖期には美しい冬羽にしてメスにアッピールする。そして夏に近づけば夏羽に変わり、オス・メス同じ色になるが、見分けることはできる。

オシドリのオスはメスと違ってくちばしが赤い。上の写真はくちばしを見ても黒っぽいだけで色の違いがサッパリ分からない。今年の8月25日の撮影だが、うまく撮れていない。仕方がないので撮り溜めた過去の写真を使うことにした。

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2021年9月6日撮影 羽毛はメスと同じような地味な色。手前の1羽はメス。赤っぽいくちばしの2羽はオス。この日は中島公園に沢山のオシドリが来ていたので、都合よく並んでくれた。

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2021年4月17日撮影 くちばしが赤くカラフルなオシドリのオス。手前のメスはくちばしが黒っぽい。冬の繁殖期が終わっても6月頃までは冬羽のまま。メスと同じ色になり始めるのは7月ごろか?

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2021年4月8日撮影 上と同様、泳いでいるところも撮ってみた。撮り溜めた写真で判断すると、6月頃までのオスは綺麗な冬羽のままだった。私は見たままを書いているだけで、分からないことが多い。

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2021年9月2日撮影 この時期は一部のオシドリが繁殖期に備えてカラフルで綺麗な冬羽への変化が見られる。

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2015年9月11日撮影 この時期になると徐々に冬羽へと生え変わる。頭部は中央から線状に羽毛が生え変わっていく。こんなヘアスタイルの洒落男を見たことがある。

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2015年9月16日撮影 9月中旬にもなると殆どのオスは羽毛が変化してきている。変化の程度はいくらか違う。  

10月中には次の画像のように綺麗になると思うのだが、その前に何処かへ飛び去っている場合も多い。せめて10月いっぱいは居て欲しい。菖蒲池が凍結した真冬に鴨々川 に来ることもあるのだが、数は少ない。春の雪解け時にはよく見かける。

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野鳥については殆ど知らないのだが、21年間中島公園を散歩して来た。居る、居ない、多い、少ない等、見た目で分かることについて書いてみた。

「さようなら」とは言いたくないが、池が凍結すれば水鳥は必ず去って行く。でもオシドリは去るのは早すぎる、せっかく綺麗に変身したのだから、マガモのようにギリギリまで居て美しい姿を見せて欲しい。そうすれば中島公園がもっと楽しくなる。 

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最後に参考としてオシドリ親子、母のくちばしが黒っぽい。夏にはオスもメスと同じ色の羽毛になるが、くちばしは赤っぽくなっている。

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2022年08月27日

夫婦喧嘩は所構わず

夫婦喧嘩は家の中だけとは限らない。街中、それも店員やお客さんで賑うお店の中で突発的に起こる場合もある。昔の出来事だが、店員に夫婦揃って手玉に取られ、罠にはまってしまった。まるで孫娘に操られた老夫婦のようにね。

新築のマンションの照明を買う為に、S駅北側の大きな電器店のショウルームに行った。そこで店員の計略と妻の強情の為、必要のないリモコンを大量に買わされてしまった。

店員は「ヒモは要りますか?」と聞いた。「いりません」と声をそろえて答えた。ここまでは私達の息はピッタリと合っていた。我家の習慣として照明の切り替えはしないので、壁にスイッチがあれば充分である。

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しばらくすると、私は店員がリモコン付きの照明を勧めていることに気が付いた。しかし、妻はまだ気が付いていない。と言うよりもリモコン付き照明の存在そのものを知らないのだ。ここで決定的な認識の違いが生じたのである。

店員はリモコンの説明を何もしないでヒモが必要かと聞く。明らかに新製品のリモコン付き照明購入へと誘導している。店員に確認を求めるべきだが、突然二人の認識が違った為、いきなり夫婦喧嘩になってしまった。興奮して店員の存在など眼中になくなった。

「リモコンなどいらないでしょう」と私。
「リモコンって何よっ? ヒモの話をしているのでしょ」
「リモコンなんか使わないでしょ」
「ヒモだって使わないよ。今までもなかったし」

妻はヒモは要らないの一点張りでリモコンは眼中にない。店員も二人の争いを見ていれば、リモコン付き照明を勧める意欲も失せてしまうだろうと、チラリと目をやる。しかし、店員は思いもよらぬ行動に出た。「お二人で話し合って、決まったら知らせて下さい」と言うが早いか、その場を立ち去ってしまったのだ。

なんたることだ。若き店員は我家の力関係をしっかりと見抜いていた。罠を仕掛けた猟師のように、一休みして帰ってくれば獲物は罠にかかっているとの算段だ。

「それで、リモコン付き照明を買ったのか」と先輩。
「店員に逃げられたら強情な妻には勝てません」
「奥さんはリモコンを使っているのか?」
「使うも使わないもリモコンなんか知りません」
「どうしてヒモは要らないと頑張ったのだ。奥さんは」
「ヒモの分だけ安くなると思ったのでしょ」

妻は騙されていることに気付かない。だが、一旦要らないと言った以上、それを押し通す力がある。もちろん、リモコンも要らない。私だけが余計な出費を悔やんでいた。ヒモなんか鋏で切ればすむことだが、言えばケチと言われる。自分が言ったことなど忘れているのだ。“o(><)o”


タグ:札幌
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2022年08月20日

仲直り

私がいろいろ活動して自由を楽しんでいたのは定年退職後の15年間だけだった。自由は素晴らしいことだが、いくらかのトラブルも付き物だ。80代は心ならずも持病とコロナ禍で巣ごもり時代になってしまった。静かに暮らし、それなりに幸せだが、時には自由時代を思い出して懐かしんでいる。

例えばこんなこと。その日は楽しい3人カラオケ。いつもの時間に、いつもの場所で1か月ぶりの再会だ。しかし、私たちの話に割り込んだBさんの一言で、危うく別れ別れで帰ることになるところだった。私はとぼとぼバス停へ、Aさんは車で颯爽と、左と右に泣き別れ。ひょっとしたら永遠の別れになったかもしれない。

実は、カラオケボックスに入った途端に楽しい気分も吹き飛ぶような「事件」が起こったのだ。原因は1匹の小さなハエ。トラブルの詳細はカラオケで喧嘩に書いたので、ここでは省略するが心にしこりが残ってしまった。 

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いつもなら「乗って行かない」と声をかけてくれるのだが、この日は違った。ハエの一件が尾を引いているようだ。  

「バス何時?」とAさん。
「40分くらい後ですね」

そばにいたBさんが口を出す。「歩いて行けばいいじゃない。真っすぐ行けば豊平川、後は簡単よ」。確かに道順は簡単だが、1時間以上もかかりそうだ。今日はバスで帰るつもりだったが、Bさんの一言で気が変わった。「乗せてくれない」と、Aさんに頼んだ。意外にもこころよく乗せてくれた。車の中でAさんがいった。

「歩くの嫌なの?」
「嫌じゃないけど、お名残惜しいでしょ」
そう」
「ハエのことではゴメンナサイ」

便乗させてもらっている身としては、生き物を踏み潰してはいけないとは言えない。我が家では家に蜘蛛などの虫が入ってきても、ティッシュで軽く掴みベランダに出すだけ。虫の脱出を確認してからティッシュを回収してゴミ箱に入れる。虫の生死は自然に任せている。

「踏み潰さなければ、1時間も2時間もブンブン飛び回ってうるさいでしょ」
カラオケ中はブンブンなど聞こえないとは言わない。
「お陰様で、ハエに邪魔されないで楽しいカラオケでした」
「バスがくるまで、お茶でも飲もうかと思ったのよ」
「今から行きましょうか?」
「もう、いいよ。話は済んだからね」

アレレ、謝らせてお仕舞いかと思ったが、ここはAさんの車の中。ジッと我慢だ。しかし、これで終わりではなかった。Aさんは決して謝らない。その代わり命令を下す。「いろいろありましたが、丸ごとひっくるめて付き合ってください」。後でメールにこう書いて来たので、思わず笑ってしまった。付き合って20年、巣篭もり中の今でも時々LINEで話したりしている。

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2022年08月13日

触らぬ神に祟りなし

「困りましたねぇ。どうしましょう」
「宴席だろう。お世辞に決まっているよ」と先輩。
「期待して待っていたら、悪いじゃないですか」
「それ
は絶対にない! 聞いたことも忘れているはずだ」

でも、万が一ということもある。「何を書くの?」と聞かれたのは初めてだ。なんとかしてAさんの期待に応えたい。すると、ある光景がパッと浮かんだ。私にとっては夢のような出来事だった。思い切って書いちゃおう。サプライズだ。

ある夏の昼下がり、Aさんから突然電話がかかって来た。
「私、わかる? 今あなたの家の前の公園。出られる?」
何だろう。こんなことは初めてだ。ともかく行ってみよう。公園はすぐそこだ。

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Aさんは私より年上で社交的でお洒落な人。パワフルで世界中歩き回っている。何もかも私とは正反対である。

ベンチのある広場に行ってみたが、見当たらない。やや遠くの方にスラックス姿の女性が一人。洒落た帽子にサングラス、足を組んでタバコをふかしていた。ひょっとしたらと思ったが、彼女はタバコを吸わない。アチコチ見渡したが、らしい人はいないので念のため近づいてみるとAさんだ。ニヤッと笑って開口一番こう言った。

「私、フランス映画みたいにタバコを吸いながら男を待ってみたかったの」。一瞬、これは先日のお詫びかな、と思うのには訳がある。とりあえずは「様になっていますよ。ジャンヌ・モローみたいです」と調子を合わせた。

実は数日前、Aさんの友達と3人でお茶を飲んだ。「ここは私が持ちましょう」と言うと、こともあろうに「私、男と認めた人からしか奢られたくないのよ」と来たもんだ。一瞬ムッとしたが、Aさん流の気遣いかなと思いなおした。

だけど、彼女はこの一瞬を見逃さなかった。だから、お返しに来たのだ。「男と認めない」を帳消しにするため「男を待つ」ことにしたのだと思う。

「よかったな。男になれて」
「誤解を与えるような発言は謹んでください!」
「なにっ?」
「いえ。何でもありません。私の誤解です」

Aさんにだまって書いたので、自分のことと気づいて怒るかな、とか心配になって落ち着かない。私は知人のことを書くときは慎重だ。本人に気付かれないように性格、年齢、出来事、言葉遣いに至るまでガラリと変えることにしている。

それから、しばらくして懇親会でAさんと再会。この記事は期待に応えて書いたつもりだが、今じゃ心配の種だ。恐る恐る、あさっての方向から探りを入れた。

「Bさんのブログ面白いですね」
「私、お仲間のブログには興味ないのよ。もっと面白いのいくらでもあるでしょ」

まさに先輩の言う通りだ「何を書くの?」と聞いたことなど完全に忘れている。やはり読んでいなかった。更に、読まれる気配など全くない。好いことを知った。瓢箪から駒だ。これからもジャンジャン書いてやろう。静かに余生を送っている私に、これほどネタを提供してくれる人は居ないのだ。

Aさんは私にとっては余人をもって変え難い人。神様のような存在である。触らぬ神に祟りなしとも言うけれど私は療養中、快復のために軽いストレスも大切だそうだ。

タグ:ときめく
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2022年08月06日

普通の人になりたい

「早く90歳になりたいですね」
「ヨボヨボになっても生きたいのか」
「今だってヨボヨボですが、楽しいですよ」
「そりゃ良かったね」

食欲など命を繋ぐための欲は色々あるけれど、美味いものなど金を出せば何時でも食えるし、他の欲だって爺さんになればパッと消え去ると思っていた。ところが、これが大間違い。食欲だけがパッと消えた。しかも、一瞬の内に。

放射線治療の副作用はいろいろあるが、私の場合は味覚障害と口の痛みだった。この二つが重なると食べるのが苦痛になる。腹が減るので食欲がない訳ではないが、食事は生きるための仕事になってしまった。

考えてみれば不思議な巡り合わせだ。45年間食うために仕事をして来た。定年退職したら途端に幸せになった。そして、20年たったら食事が仕事になってしまった。食わなければ生きては行けないから、最も重要な仕事になった。

怠けの罪で罰を与えられた様なものだ。味覚障害は6ヶ月の刑、比べてみれば、口の痛みの刑期は短かい。一方、しつこい味覚障害にも仮釈放がありそうだ。仕事ぶりが認められたからだ。「ワッ、凄い完食!」と毎食後、看護師さんに褒められた。私は模範囚ならぬ模範患者?

担当の医師は長い人は1年かかると言った。私は既に何不自由なく食事をとっているが、美味しくはない。この口に美味しいものを食べさせるのは勿体無い。お金もね。楽しみは3ヶ月先の私の誕生日までとって置きたい。後3ヶ月で完治と自己診断。先が明るいことも幸せの元である。

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病院で出会った唯一の友達、亡き妹に似て美しい。

「後8年で90歳、失われた過去を取り戻したいのです」
「取り戻して、どうする?」
「普通の人になりたいですね」
「そういえばアンタ、どこか変だ」
自分の思い通りにふるまっても、道に外れることがない様な人になりたいのです」
「もう遅いだろう」
「いえいえ、今が一番早いのです!」

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年07月23日

放射線治療、自宅→入院→自宅

サンマが一匹13,200円と聞いてビックリ。突然、昔の流行歌を思い出した。今日もサンマ、明日もサンマ、弁当のおかずもサンマ、サンマ、サンマ♪。今の自分は3年間入退院の繰り返しだから、 今日も病気、明日も病気、ビョッキ、ビョッキ、ブログの話題も病気♪ てな感じ。副作用で味覚障害、食いたいものが無くなった。それでも人生は楽しい。

前途に希望が持てるからだ。半年すれば快復するので、その日を楽しみにして一生懸命食べている。入院中は口が痛くて味がないので、医師に人工栄養を頼んだら断られた。その代わり、口に含んでブクブクする短時間麻酔をもらった。まともな味がしないのだから、口が麻痺していても差し支えない。お陰で、1日3食完食!看護師さんに褒められた。

放射線治療は全部で30回、半分程度は通院、副作用が激しくなる後半は入院した。面会禁止の病室で寝てばかりいては退屈なので、院内散歩をした。

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病室は5階だがエレベーターで上がって、12階からの風景を楽しむ。左を見れば街並み、右側は山々。いつもベットの周りをカーテンで仕切った狭い世界で暮らしている。ここに来れば広い世界を見て気分転換ができる。

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夜は無人の1階で水族館気分を味わう。日中は混雑している待合室も夜は無人、近寄るとサカナたちは寄ってくる。面会禁止の私は寂しい。水槽に閉じ込められたサカナも寂しそう。私たちはは気が合うようような気がして、お互いに心震わせている?

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「ひまわり分校」の小中学生が描いた作品。当分校は、ある札幌市内小・中学校の病院内分校。入院中の学習指導、仲間と学習で心の安定、学習意欲の持続を図る病院内学校だそうだ。81歳の私にとっては、こんな学校があったのかと驚いたり、感心したり、幾つになっても新しい発見がある。

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案内表示があるから歩き回っても迷子にならない。この病院は大きくて、闇雲に歩いていると自分の病室に帰って来れない恐れがある。

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温室を抜けると中庭に出られる。そこは外気に当たる唯一の場所。この病院は散歩するには、もってこいなのに外出禁止。中庭に出れば上を向けば青い空と白い雲が見える。外の空気は清々しい。患者が外気に触れられる唯一の場所なのに空いていた。知らない人が多いようだった

放射線治療が終了して一週間は副作用のピーク。その後、治療薬をボストンバックがいっぱいになるほど持って退院、在宅療養に入る。病室が自宅に変わっただけだった。

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放射線治療で荒れた肌を快復するローションをいっぱいもらった。散髪に行ってもヘアカット・オンリー、使って良いのは石鹸と、このローションだけ。

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これを口に含んでブクブクすると短時間の麻酔がかかる。1日3食3回使うのですぐに無くなってしまう。5本もあると結構重い。通院中はタクシーで持ち帰った。

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その他、痛み止め、うがい薬、荒れた肌に塗る軟膏など両手で抱え切れないほどもらった。

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極め付けは人工唾液、口が乾いたらシュッシュとやればツバキが入る。喉が乾くのも副作用の一つ、年がら年中、夜中に起きてもカラカラだ。昼は水を飲むが、夜はシュッシュで間に合わす。欠点は変な味、副作用のせいだと思う。

私は無職で旅行もしないでノンビリ暮らしている。病気のお陰で思わぬ体験ができた。人工唾液、こんな便利なものがあるとは夢にも思わなかった、新発見がいろいろあるのも病気の楽しさだ。苦しい時、痛い時は必死に耐えていて、不幸とか思う余裕がない。結局、いつも幸せである。
タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年06月01日

更新中止のお知らせ

訪問ありがとうございます。
入院するので、しばらく更新は中止します。
快復したら早速ブログの更新から始めたいと思います。
今後もよろしくお願い致します。
続きを読む
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | その他

2022年05月28日

なるようになる

最近2回のブログでは、楽しかった退職直後のことを書いた。なぜか懐かしくて、とても良い気分転換になった。過去の良き思い出と未来の希望の間で心が揺れている。それでも私は「幸せ本線」に乗ったまま、なかなか不幸せにはなれない。先のことを心配してクヨクヨする苦労性から、土壇場になるまで気付かないノンキ者に変わったのだ。人間とは上手く出来ているものだ。状況次第で幾らでも変化する。

5月16日から放射線治療に入った。毎日照射して土日は休み、全部で30回の照射で6月24日が最終回となる。副作用のピークは照射終了時から一週間後ぐらいと聞いている。そうすると退院は6月下旬から7月初旬辺りと思う。現在は通院中だが、6月2日から入院することになっている。照射15回目くらいになると副作用が激しくなるそうだ。

照射を終了してから数ヶ月間が、組織回復の最も大事な時期だそうだ。ケアや生活上の注意事項を継続する必要がある。例えば、タバコは一生禁止。これは大丈夫、タバコを止めて30年以上経つ。飲酒は数ヶ月間禁止、これはちょっと長いかな。忘年会も新年会も自粛だ。飲まないで参加する人も少なくないが私には無理、酒に弱く意志も弱すぎる。

先日、息子夫婦が自宅に見舞いに来てくれた。嫁さんが「退院したら温泉でゆっくりして下さい。プレゼントします」と言ってくれた。お言葉に甘え、一泊で良いから予算はタップリと注文も付けた。ニコニコして「楽しみにして頑張って下さい」と言ってくれた。それなのに、最近になって温泉は照射終了後、数ヶ月間は禁止と知った。結局、プレゼントは自宅にクーラーを付けてくれることになった。

放射線治療の副作用として、口の渇きや味覚障害などは半年から2年程度にかけて徐々に改善するそうだ。ずいぶん気の長い話だ。しかも、100%元に戻ることはないと言う。残念ながら、温泉に行けるのも、適量の酒が飲めるのも年が明けてからである。

照射終了後、しばらくは毎週診察、そして1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年、その後半年毎の定期受診。放射線治療科医師が確認するまで診察と検査は続く。高齢の私にとっては一生、癌と二人連れで過ごす感じだ。それでも楽して、ノンビリ幸せに暮らしたいと思っている。願っていれば、何となくそうなりそうな気がする。ともかく、土壇場になるまで気付かない。そうするしかない時は、そうなるから有難い。
タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年05月21日

カラオケデビュー?

月末になれば再入院、今は自宅療養中、こんな時は昔を思いだす。60代はいろいろな出会いがあって楽しかった。今は書くことだけが楽しみになってしまった。僅かながら読んで下さる方々に感謝。有難うv(^_^ v)

2002年の暮れのことだった。いい年して蝶ネクタイをして舞台に立って歌う羽目になった。平穏な暮らしをしている私にとっては、定年退職後最大の危機。こんな苦労までして「やさしい英会話」にしがみつくのには訳がある。

以前に参加した高齢者向け講座は幾つもあったが、すべて三日以内に止めていた。今度ばかりは1年は続けようと固く誓った、と言うよりも同居人に誓わされたのだ。

そして、クリスマス音楽祭の日がやって来た。意外なことに皆んな楽しそうだ。しかし考えてみれば当たり前、嫌な人は来ないのだから。どうやら受講生の義務と感じていたのは私だけらしい。好きな人だけで歌えば済むことだった。友達がいないからこんなことも知らなかった。とは言え収穫はあった。それは自分の殻を破ったことである。 

音楽祭には、4年で4回参加した。「英会話」といっても年末の音楽祭に備えて半分くらいは歌の練習だ。ただ歌うだけで特別な指導があるわけでない。だから4年間も続けられたのだと思う。隣でAさんが、きれいな声で歌っているのが聞こえる。小さな声で合わせたつもりで歌ってみると、なかなか気分がいい。こんなことを4年間も続けてきた。

ある日、Aさんがカラオケに誘ってくれた。長い付き合いなので、下手もオンチも承知のはずだ。その上でのお誘いなので喜んで応じた。一年たっても上達はしないが、充分楽しめた。上手いも下手も、パチパチもない。ひたすら順番がきたら歌うだけだが、これがなかなかいいのだ。お喋りに夢中で私の歌など誰も聞いてない。すべてが自然だ。自分達がやりたい様にしていたら、楽しいカラオケ会になってしまった。

「そろそろカラオケデビューしたいのですが…」
「そお」
「有料で行きたいと思っているの
ですが…」
「当たり前でしょ」
「こんなメニューでいかがでしょうか?」
「なになに? ハトポッポ
10円、青い山脈100円、二人の世界1000
円、何よこれ? 意味わからない」
「私への歌代です。賛成してくれたでしょ」

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年05月14日

お金とお足

私は井の中の蛙。在職中は皆、同じ様な給料をもらい同じ様な暮らしをしていた。定年退職して1年たったら家庭の事情で老人福祉センターの無料講座を受けることになった。当然、貧乏な老人が市の援助で勉強させてもらっていると思っていた。ところが、これが大間違い。

「このコート10年も着ているんだけど、15万もしたかと思うとなかなか捨てられないね」とAさんは何気なく言う。えっ、そんなに高いのとビックリした。それなのに、「今日は土曜日なので高いのよ。一人380円だって」とボヤいている。このギャップは何処から来るのだろうか? 因みに私のアノラックはベトナム製で7800円だが、カラオケで380円は安いと思っていた。

15万のコートをハンガーから外して触ってみた。手触りが良くて気持いい。手にとって見るとふわりと軽い。いい臭いがした。こんな高級なコートに触ったのは初めてだ。在職中、私の周りで着ている人など居なかった。住む世界が違う様な気がする。退職して初めて知る別世界体験だ。元公務員の私は老人福祉センターでは中流と思っていた。全く私は世間知らず。井の中の蛙とつくづく思った。

「いつまでも触ってないで、さっさと、曲選んで、あんたが先よ。一番若いんだから」。そうなのだ。ここでは私が一番若い。こうして、月1回のカラオケは始まった。始まったら最後、3人で3時間休み無しの3交替。お喋りは騒音の中で残った二人が大声でする。終わった頃には、もうガラガラのへとへとだ。3人は福祉センター、無料講座の仲間だった。皆んなで一緒に歌ったこともあるので音痴なのは知られていた。それなのに誘ってくれるのが嬉しかった。

カラオケも終わって料金の精算となった。「今日は土曜日だから、高いんだって。一人380円よ!もう土曜に来るのは止そうね」とAさんは言った。15万円のコートと、このしみったれた発言のギャップが、私には面白かった。長い間働いていた以前の職場では、絶対にあり得ない。何もかも明け透けなのも心地よかった。

30%割引、飲み物無料券、シニア割引等、ありとあらゆる割引を駆使しているので、安いときは150円のこともあった。何でもご主人が社長なので法人カードが使えるらしい。バブルのころは薄野をほぼ独占していた法人だが、運良く私も残り滓の恩恵を受けた。 

帰りがけのロビーで、ふとAさんの足元を見ると洒落た靴が目に入った。「いい靴ですね」と言った。一見、普通の運動靴の様に見えるが洒落ていて高級感があった。

「分かる? 足を怪我したとき、姉が見舞いに100万くれたから、25万で買っちゃった」
「そうですか。世界中の山歩きをした健脚へのお礼ですね」
「違うわ。痛みに耐えた自分にご褒美よ!」

世界中の山歩きをしていたAさんは、皮肉なことに藻岩山を下山の時、足を折って入院した。彼女はキリマンジェロを登頂、エベレストやK2ではトレッキングの経験もある。体力はもちろん、お金もかかる。必要な時は使うが無駄遣いは苦痛のようだ。

Aさんは老人福祉センターで2階の教室に行くにもエレベーターを使う。山でもないのに歩くのは、体力が勿体無いと言っていた。金も足も無駄には使わない。そう言えば東京で表具師をしていた養父はお金を「お足」と言っていた。この二つには共通なものがあるのかも知れない。

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2022年05月07日

心に太陽を持て

スポーツもゲームもできないし、車も無いし旅行する気もない。こんな私の唯一の気分転換は、書いて心のうさを晴らすこと。腹に溜まったモヤモヤも嘘のように消えて行く。

ブログは心のうさのすてどころ。酒は涙か溜息か。思わず馴染みの歌詞が次々と浮かんでくる。だが歌への想いは増すばかり。愛されたくて愛したのではない。燃ゆる思いをぶつけただけ。自分の思いのまま文章を書こうと思っても、頭に浮かぶのは歌詞ばかりで、どうにも止まらない!

早いもので癌との付き合いが始まって10年もたってしまった。始めチョロチョロと言う感じで、今は中パッパという気分だ。一時、こんな人生は終わった方が好いと思っていたが、今はもっと長生きしたいと思っている。大して苦しんでいないのだから、こう思って当然だ。3回の手術も私が寝てる間に済んでしまった。

初めて舌癌の疑いを持たれたのは、およそ十年前、かかりつけの歯医者さんが舌のぐあいが変なので口腔内科で診てもらった方が良いと、H大病院に紹介状を書いてくれた。病院では7年間にわたり、大勢の先生が私の舌を診てくれたが、いずれも経過観察、舌の組織を取って調べることもなかった。

状況が変わったのは通院して8年目の2020年1月のこと。舌の疑わしい部分の組織を取って調べたら陰性。ああ良かった、これで病院通いもお仕舞いかなと思ったら、なお疑わしいので別の場所の組織を取って調べると言う。結果はまたもや陰性。疑いは晴れたと安心したのは束の間、更に、舌の一部を切り取って調べなければ確認できないないと言う。

そして舌癌と診断され8月に手術をした。疑いがもたれて8年目、本格的に調べて8ヶ月目に手術は終わり退院となった。八と八とは末広がりで縁起が良いと喜んだ。ところが広がったのは癌の方だった。舌癌がリンパ節に転移したのだ。

手術1年3ヶ月後、今回も転移の疑いはあるが断定はできなかった。PET等の精密検査をを繰り返した結果、癌と診断された。2022年3月25日入院、29日手術、そして4月9日に退院と決まった。今度こそお仕舞いだ。治ったらああしよう、こうしようと楽しいことが頭に浮かんで来た。

病み上がりだから先ずは家でできるオンライン会合(Zoom)から始めよう。外出できるようになっらカラオケだなとか自分なりの予定を立てていた。私が所属しているシニアネットでは各種クラブ活動が盛んだ。そしてZoomでの活動もある。学習会が盛んだが、勉強は苦手なので笑いヨガや落語で笑い、手話で歌って楽しむ。そして体調が戻ったら、いよいよカラオケだなとかワクワクしてきた。

ところが、退院直前に癌が再発する可能性が高いので更なる治療が必要と聞いてガッカリした。再入院も必要だと言う。人生の一番美味しいところを闘病闘病で暮らすなんて勿体無い。治療なんて止めて自由に暮らそうと決めた。緩和ケアも悪くないモルヒネやって安らかに、と思ったら吹っ切れた。

それなのに、日が経つに連れて時々怖くなるんだから嫌になる。優柔不断は死ぬまで治らない。更に考え直して、治療を受けることに決めたらホッとした。私は決断のできない人。こんな自分が面白いと感じ思わず笑ってしまった。

考えてみれば、私は運が良い。先生方は丁寧に調べ尽くして癌を見つけてくれた。もし、見つかっていなかったらどうなったかは私でもわかる。今回も肉眼で見えない癌の種を顕微鏡で見つけてくれた。そして、放射線で焼いて根治してくれると言うのだ。こんな有難いことはない。唇に歌を持て心に太陽を持て(ツェーザル・フライシュレン)

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2022年04月30日

秋が楽しみだ

2020年の年明け以来、ウィズ・ガン。癌と二人連れだ。こんなヤツとは縁を切りたいのにピッタリくっ付いて離れてくれない。2020年8月には舌癌の手術。これでお別れかと思ったら2021年末にリンパ節に転移の疑い。今年3月29日に手術、今度こそお別れと思ったのに、なお癌の虫が蠢いていると言うのだ。放射線で焼き殺してあげると言われても、ハイそうですかとは喜べない。いい加減にして欲しいのだ。

私は20年以上の長期にわたり「幸せ本線」にに乗っている。時々喜怒哀楽、いろいろ感じることはあるが、それは本線の停車駅のようなもの。不幸せがあっても短時間で過ぎて、再び幸せ本線を走り続ける。しかし、今回の「哀」は停車時間が少々長かった。前方に大事故があるような感じだ。

退院が決まりホッとしたとき先生は、更なる治療が必要だが、私の同意が必要だと言った。「エッ! まだやるの」、これが偽らざる思い。手術を終えたばかりで、後遺症で首から顎にかけて切った部分が腫れてバンバンだ。更なる治療とは撃ち漏らした癌の種を放射線で焼くというものだ。1ヶ月半にわたり30回の治療が必要で、後半は喉が痛くなり飯が食えなくなるので入院が必要とのことだ。退院したら直ぐ入院と聞いてガッカリ。

思わず血の気が引いて寒気がした。念のため、断ったらどうなるか聞いてみた。最終的には緩和ケアということになるが、ウチの病院ではやっていないので、H病院を紹介する。今までのデータを付けた手紙を書いてくれると聞いて、それもいいかなと思い、不安は吹っ切れた。しかし、結論は先延ばし。先生は奥さんも含め3人で話し合いたいと言う。

なぜこんな問題で私が迷うかと言うと、もらった文書「病状説明と今後につきまして」にある次の文言が気になった。そこにはこう書いてあった。「*術後治療をしない選択をしても再発しないで過ごせることもあるし、治療をしても再発することもあります」。これだったら、残りの人生は楽しく生きて、寿命が尽きるのを待つ方が好いと思ったのだ。

その後、お母さんを交えて3人で話し合いをした。お母さんは放射線治療を受けた人は、その後どうなったのかと、先生にしつっこく聞いた。先生は元気に生きている人が多いですよと言った。二人のそんなやりとりを聞いているうちに、放射線治療を受けるのも良いかなと思い直した。そして、「お仕舞いにしましょう」と思った時と同じ様にホッとした。

と言うことで、少なくとも後3ヶ月は癌と二人連れ。28日に事前の準備として歯を抜いて、放射線治療に必要な仮面(シェル)を作った。歯は落ち着くまで抜いたまま、顎から肩にかけて右側の首に傷、床屋も行けないし髭も剃れない。

笑えばひん曲がった口に歯が抜けている状態では、人前には出る気もしない。楽しみは秋までお預けだ。幸い今はマスクをするのが常識の時代。マスクと帽子で顔は隠れるので中島公園散歩だけはできる。コンビニも百円ショップにもね。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 80歳以降

2022年03月24日

更新休止のお知らせ

「アハハッハー、ひん曲がった笑いだって。どんな顔するんだろう。面白いね」。この陽気さには何時も救われている。思わず私も笑ってしまった。先生は「後遺症で口が引きつるかも知れません。笑う時とか… … 」と言っただけだ。お母さんにかかると何もかも笑い話になってしまう。

現在の状況を暇に任せて考えてみた。私は幸福という名の電車に乗っているような気がする。リンパ節癌とか言われただけでは不幸になれない。依然として幸せのまま笑って暮らしている。「土壇場駅」に着くまで、この感じは続くだろう。そこで初めて苦しみ、ジタバタするのだ。しかし、終わってしまえば直ぐにでも、幸せに戻るに違いない。

遠い過去を振り返れば不幸という名の電車に乗っていた感じだった。その頃でも楽しい時も嬉しいこともあったが、直ぐに不幸せに戻ってしまった。幸不幸はどちらも長期に及ぶもの、そして喜怒哀楽は短期に留まるものと思う。いずれにしろ、一旦幸せになったら簡単には不幸に戻れない。

PET検査による画像を見せてもらったが、鮮明でとても綺麗だった。ガンの部分がキラキラと輝いていて美しい。私の体の一部だが間もなく切り離されてしまう。本体より先に天国に行くのだろうか。小さな星になって夜空に輝くのかも知れない。医学は天文学に似ている。分からないことが多すぎて、空想の世界を無限に広げて行くことができる。

一昨年の8月、病室から手術に行くとき「全身麻酔すると、綺麗な幻影が見えるから楽しんで来て」と励まされた。しかし、見たのはストレッチャーが猛烈な勢いで走り、手術室や廊下の風景が、車窓から見る風景のよう流れていただけだった。今度こそはと期待している。手術時間が前回の3倍だから、きっと美しい幻影が見られると思う。

「私が逝ってしまったら、良い人を見つけて… … 」
「冗談じゃない! オトコはアンタ一人で懲り懲りよ。毎日三度の飯を食わして、掃除して洗濯して、トイレ汚してもそのまんま。オマケににケチくさい… …  」
「はいはい、分かりました。こちらを見て下さい」
「なにそれ?」
「私が密かに溜め込んだ財産目録です」
「エッ! アンタただのケチンボじゃないんだね」
「どうぞ、心置きなく一人暮らしを楽しんで下さい」

こんな事情でブログの更新はしばらくお休みにします。又、良くなったら再開したいと思います。カラオケにも久しぶりに行けるのではないかと楽しみにしています。Zoomでの手話や笑いヨガは、リハビリ中でも参加出来るので有難いですね。皆様との再会を楽しみにしているので、よろしくお願いいたします。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(3) | 80歳以降

2022年03月19日

パソコン落ちこぼれ

私にとってパソコンとは小うるさい古女房のようなものだ。その心は、自分は正しいと文句ばかり言って動こうとしない。初めて買ったのは1980年と早い。当時は「マイコンを使えこなせないサラリーマンは失格」とか雑誌等で盛んに煽っていた。しかし、その割に普及はしていなかった。マイコンとは マイクロコンピュタの略で、気持ちとしては「私のコンピュータ」である。ただ、NEC等、パーソナルコンピュータとして売り出したメーカーも少なくなかった。

買ったのはシャープMZK2E RAM領域32KB(MBの間違いではない)、本体とテープレコーダー(HDの代用)とキーボードが一体となっていた。凄く重かったので外装は鉄製と思う。別売りのプリンタも買ったので25万円もした。その時の月給は14万だった。苦しい家計をやりくりしている妻子の手前、一生懸命勉強したが何の役にも立たなかった。しかし、酒を止めることに成功した。その後、富士通、アップルと、時流に合わせて次々と買い換えた。

1995年に颯爽と登場したのがウィンドウズ95。マック・ファンとしては洟も引っ掛けなかった。それがコロリとウィンドウズに変えた理由は、エクセル98バージョンアップに、マックが直ぐに対応しなかったからだ。エクセル98のVBA(Visual Basic for Applications)を使うため、長年の友、マックを捨てたのである。正確にはMicrosoft Officeに搭載したVBAだが、エクセルしか使ったことのない私は、このように理解していた。VBAは私が初期に必死に勉強した、素人向けプロブラミングの知識を生かせるソフトだった。

職場で電卓を使って三日もかかる1ヶ月分の統計作業をVBAを使って5分で処理して、周囲をアッと言わせた。この快感は忘れられない。しかし、それも束の間、私の「計算処理プログラム」は、作るのに半年もかかり、他の仕事には全く応用できない代物だった。だけど面白かった。お陰で酒も止められた。暇な時間を全てプログラミングに注いだからね。

最近、20年間はパソコンの勉強は嫌々やっている。やらなければ、ホームページやブログの更新が出来ないから仕方がない。この10年間は、パソコンの勉強は全くやらなくなった。分からないことはオンライン.サポートに頼っているが、上手くは行かない。トラブル続きで何も分からなくなってしまったし、やる気も湧かない。それでも情報発信したい気持ちが残っているので更新し続けている。

「パソコン役に立った?」と聞かれれば、酒やめられたとしか答えようがない。お陰で81歳まで生き延びられた。きっかけを作ってくれたパソコンに感謝!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般

2022年03月12日

その手は食わない

早いもので、カラオケを始めて16年もたつ。しかし、持病の悪化とコロナ禍の自粛で最近は、2年以上行っていない。持病が良いかなと思った頃に必ず新しい波がやって来る。こんな時は昔の出来事を懐かしく思い出す。以下は同年配の3人でカラオケに行くようになって1年たった15年前の話。

共通点と言えば、カラオケ初心者ということだけ。個性豊かと言えば体裁は良いが、実態は何もかもテンテンバラバラの破茶滅茶カラオケ会。それぞれが自由に歌って楽しんだ。10年くらい続いたが、1名亡くなり、1名上手になり、私だけがそのまんま。10年間、ビールを飲みながら楽しんでいた。酒に弱いので酔った勢いで歌っていたのだ。

1ヶ月に1回、キチンと行ってキチンと飲んで、バラバラに歌った。ところが12月3日は3人の都合がつかず中止になってしまった。私達のカラオケは3人で休みなしの3時間だからほぼ歌い放題。私の身体の中に月に1回、歌いまくるリズムが出来上がってしまっていた。

「どうしても歌いたいならオレが一緒に行ってやるよ」
「先輩に私の歌を聴かせるわけには… … 」
「なんだ、オンチか。聞いてないから心配するな」

と言われても歌の上手い先輩と一緒では気楽に楽しめない。ダメで元々と思いながら、お母さんに声をかけてみると、あっさりとOKした。「この日がいいね」と言うので、予定表を兼ねているカレンダーの12月7日の欄に「フタカラ」と書き込んだ。お互いにカレンダーを見ながら、それぞれの予定をたてる習慣になっている。

さて、明日はいよいよ始めての「フタカラ」だなと思って、カレンダーを見ると、「フタカラ」の字に重ねて、二本の線が引いてあることに気が付いた。

「何ですか。この二本線は?」
「食事に誘われたので消したの」
「約束破るなら、ひと言いって下さい」
「あら! アンタだって、黙って書くじゃない」
「消すときはひと言断るのが常識でしょう」
「書くのも、消すのも一緒じゃない!」

一度同じと言ったら、いくら説明しても絶対に違うとは言わない。不本意ながら黙ってしまい、気まずい沈黙が続いた。

「この人、知ってる。落語家なのよ」と突然の話しかけ。
「… … …」、ご機嫌とっても無駄だと黙っていた。
「手が震える病気になったんだって、鳩に豆やろうとして、手のひらに豆のっけたら、手が震えて豆が左右に動くもんだから、鳩が困ってしまったんだって、アハハハハ〜」
「… … …(一人で笑え)」
「面白いね。アハハハハ〜」

私が傷ついているのに、なんて鈍い人だろう。仕返ししてやろうと思った。私はその落語家の真似をして、手のひらに豆を置いた形で、お母さんの前に突き出して、手が震える真似をしてやった。そして、左右に激しく振ってみた。お母さんは困った鳩の真似をして、一生懸命首を左右に振った。 
「アハハハハ〜」
「ワハハハハ〜」
どうやら降参したらしい。それならそれでも好い。

こうして、喧嘩にならずに済んだ。良い人はどっちだ? 
「どっちもどっちじゃないか」
「はっきりして下さい」
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
「そんなこと言わないで」
「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」
「豆だけは食べて下さいね
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年03月05日

良い食べ手

どうやら食事の役割についての私の考えは、間違っていたようだ。長い間、お母さん(妻)が作り手で私が食べ手と思っていた。しかし、世間一般では作り手とは生産者のことで、食べ手はそれを使って料理して食べる人らしい。ただ食べるだけの人など論外、蚊帳の外である。

私はあらゆるジャンルで蚊帳の外、仕事を含めてまともに出来ることは何もない。そして、弱虫なのに勇敢な人が大好き、勉強ができないのに勉強が好き、それと同じように音痴なのにカラオケが大好きだ。おまけに、食べるのは大好きなのに料理は嫌いだし、グルメ情報にも全く興味がない。

それでも食の世界で何が出来るか懸命に考える私、愚か者につける薬はない。結論は一流の食べ手になること。と言っても世間では通用しない。家の中で良い食べ手になることである。その第一は「地産地消」、生産者と消費者が顔見知りになること。二人暮らしなら仲良くすることかも知れない。メシの時だけいい顔するなんて恥ずかしいからね。

第二は余さず食べること。自慢じゃないけど我が家の食品ロスは限りなくゼロに近い。ケチだからと言っては身も蓋もない。毎回、美味しいものが適量出るとは限らない。どうしても食べ切れない時は「後で食べます」と言って残す。なんと!次の食事の時、ちゃんと出てくるではないか。最初はビックリしたが、その後は覚悟した。美味しい美味しいと自己暗示をかけて凌いだ。成せばなる。

第三は挨拶と賛辞である。「いただきます」と「ご馳走様」は欠かさない。普通に美味しかったら、これ凄く美味しいですねと言う。「どこが美味しいの」と聞かれても、そこまで深くは考えていない。テレビの夫婦インタビューで「奥様のどこが好きですか」と聞かれたダンナのような気分だ。困った時は「全てです」と答える。

もし、私がお母さんのどこが好きかと聞かれたら「正直なところです」と迷わず答えるだろう。ところが、この正直が曲者だ。定年退職後は、この正直さ故に長い間苦しめられた。アンタは間違っている私が正しいと、自分の思いを正直にぶつけて来て一向に怯まない。正直な人は相手も正直と思うらしい。仲が悪い時でさえ私は正直者と思われていた。

ところで、退職後に二人暮らしを始めた頃は食事については交代でやろうと言っていたのに、三日で音を上げた。私が作ったものなど不味くて食えないそうだ。掃除・洗濯等させようと思っても気に入るようには出来ないので、何でも一人で抱えている。何にもさせないのは気の毒に思ったのか、我が家の財布を任された。私は何も出来ないけれど、正直な人と思われているようだ。誤解させて(^-^;) ゴメン
タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年02月26日

天才募集

定年退職して数年後のことだが、数人の高齢者グループで忘年ランチ会を開いた。そして、毎度お馴染みの話題で盛り上がっていた。もしも宝くじで3億円当ったらどう使おうという、あの話である。

「私なら豪華客船に乗って世界一周旅行がいいな」
「とりあえず2億円の豪華マンションを買おうかな」
「たった3億なんか何時の間にか無くなっちゃうよ」

こう言い放ったのは、国内外問わず1年の半分くらいは旅行しているAさんだった。突然、こちらを向くと、「貴方さっきから黙っているけど、何に使いたい」。急に振られた私は、その場の空気も読めず本音を漏らしてしまった。

「苦学生の奨学金にに使いたいです」
「お金の使い方しらないの?」
「お金は教育の為に使うのが一番良いと思いますが…」
「いいから、いいから、次のひと〜」
残念ながらこの素晴らしい提案はAさんには通じなかった。

ひと回りした後で、再び私に回って来たので続きを説明… … 
「ケチっぽいのに、考えることだけは気前いいのね」
「医療と教育は無料であるべきです」
「空気を読めないのはダメ。亭主より格好の悪い男もダメ」
「ご主人はヨボヨボのガリガリと伺っておりますが…」
「痩せても枯れてもH大スキー部のキャプテンよ」
「そんな昔のことを言ってはダメですよ」

私の学問への憧れは強いが、勉強はしたくない。だけど中学で出会ったような天才と話をしたいのだ。テレビや本の伝聞だけでは物足りない。生の天才と話したい。

「例えば、T大生に捨てられたシングルマザーの子とか、頭がよくても金が無い子が居るでしょ」
「それで貴方が奨学金?」
「3億あれば10人くらい面倒みれますよ」
「貴方、宝くじ買ってないんじゃない」
「ありますよ」
「10年以上前? それとも大昔かな、一等百万円とか」

何故分かるのだろうか。ズバリと言い当てられてしまった。ところで、私は空想が大好きだ。貧しいけれど才能のある人が埋もれている。そんな人を見つけて、支援して一流大学を出す。そして友達になってもらう。お互いの幸せのために良いと思う。しかし、空想が現実になることは無いだろう。思い余って天才募集!

「もしもし、私は天才です。お話しましょう」
「ありがとう。電話とは言え願ったり叶ったりです」
「ロボットですが、いいですか?」

AIでいいから叶えてこの願い
中学時代の友人とは → 天才ユガワ君

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年02月19日

誰が7億円当てたのか

[米女性が宝くじで830億円 単独では北米史上最高当選額],こんな見出しが目を引いた。当選者の氏名、顔写真が大きく載っている。喜びに溢れた表情で「仕事辞めます」と言っていた。その他、いろいろな個人情報も公開。テレビでも同じような報道を見たことがある。おおらかなものだ。しかし、日本では誰が年末ジャンボを当てたか報道されない。

もし私が7億円当たったとしたら報道して欲しくない。しかし、中には報道して欲しい人もいるかも知れない。それなのに、何十年もの長きにわたって、宝くじの大当たり報道に接したことがない。考えてみれば不思議だ。本人が同意しても、公にしてはいけない決まりがあるのだろうか?

ただ、「宝くじ当せん者レポートはどんな人?」とのアンケート調査の結果は、「宝くじ公式サイト」で公表されている。しかし、任意調査で全て匿名なので雰囲気が分かるだけで、公正さの証明とは程遠い。

冒頭に紹介した海外の事例とは大違いだ。実名でインタビューに応じ、大喜びした当選者が職業、家族、大金の使い道を語る。こんな姿を見れば、公正に当たりくじを引き当てたことに疑問の余地はない。一方、日本の場合は当選者について何も語らないので、色々な憶測がなされる余地がある。

ネットでは、予め大半の1等を抜き取っているとか、高額当選くじが存在しないとか、バレたらマズい事実は往々にして隠蔽されるとか、好くない噂が流れている。いずれも匿名の無責任な書き込みと思うが、当選者の公表がないことが、こうした憶測を生むのだと思う。

公正な宝くじの運用、及びその検証はどうなっているのか、ネットでチョコっと検索しても出てこない。と言っても、10分足らずの作業だったが気になった。こんなことはチョコっと検索すれば直ぐ出てくると思っていたので意外だった。

もし私が7億円引き当てたとしたら、公表して欲しくない。いろいろなトラブルに巻き込まれそうな気がするのだ。だから公表しないことには賛成だが、公表しない理由と宝くじが公正に運営されていることを、誰もが簡単に知ることが出来る方法で知らして欲しいと思う。

「知ってどうする」
「当たるかもと思い、安心して買って楽しめるでしょ」
「7億円当たるとしても、確率二千万分の一だぞ」
「そうなんですか」
「交通事故で死ぬ確率は、7億円当たる確率の百倍以上だ」
「そうなんですか」
「7億円当たる前に交通事故でお陀仏だよ」
「そうなんですか」
「お前はそれしか言えないのか!」
「言えません」
「何か言えよ」
「その前に寿命が尽きるでしょ」
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年02月12日

退職したら家事は半々?

またもやコロナ禍で巣ごもり暮らしだ。暇になると色々思い出す。定年退職後の二人暮らしもその一つだ。在職中は私は仕事、妻は家事と一種の分業が成り立っていた。それが退職して家でブラブラするようになるとバランスが崩れた。二人とも思惑が外れてイラつき始めたのである。

私は虚弱体質で極端に疲れやすかった。仕事から帰るとご飯食べて直ぐ寝てしまう弱い人。妻は私が仕事を辞めてしまうことを恐れて、懸命に支えてくれた。だから二人とも定年退職を凄く楽しみにしていたのだ。

待ちに待った「ハッピーリタイアメント、さあノンビリするぞ!」と喜び勇んだのは、つかの間。厳しい現実が待っていた。期待に反して、なんだかんだと居心地が悪い。しばらくすると自分の立場に気付いて愕然とした。

我家はいつの間にか妻の支配下にあり、私は単なる新入りに過ぎなかった。二人にとって「家でノンビリ」は長年の夢。ここは天下分け目の関ヶ原、お互いに負けられない状況だ。私は創意と工夫で、この難局を打開する決心をした。妻も自分の城を守る決意は固く一歩も譲る気配はない。

新入りの私は、先ずは敵を知ろうと威力偵察。半年もすると、二人暮らしのコツを覚えた。嫌・駄目・出来ないはご法度。一生懸命やる必要はない。とりあえずは「うんうん、それもいいね」と首をたてに振れば、万事OKだ。

「家事は半々」と言われても驚くことはない。「うんうん、それもいいね」と言って置けばいいのだ。別に、何時からと言われた訳ではない。だが「明日からやって」と言われたら、少々知恵を働かさなければならない。

「うんうん、いいね」は決まり文句だから、そのままで良い。難しいのは後半だ。間違っても「出来ない」と言ってはいけない。そんなこと言ったら、厳しい訓練が待っている。妻は決して甘くはない。「予定があるので三日後からやります」と、とりあえずは先送りする。三日後に同じことを言ってくることは滅多にない。

敵の弱点は充分研究してある。妻は忘れっぽいのだ。しかし、忘れっぽい妻が三日も覚えていたとしたら、ただ事ではない。毅然とした対応が迫られる。

「食事は支度から皿洗いまで私がやりましょう!」
「ホント? 頑張ってね」
「ご飯できましたと言うまでテレビでも見てて下さい」
「上げ膳据え膳ね」
「出したものは残さず食べてください」

結局、三日ももたなかった。私は「良い作り手」になれなかったし、妻は「良い食べ手」になれなかった。そして、其々の得意分野を生かすのが良いと悟ったのだ。事態は何も変わらないのに争いはなくなった。ポイントは家事は半々、との提案に両手を挙げて賛意を表したことにある。こんなことで良いのだろうか。小ズルくて(^-^;) ゴメン

タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)