2023年01月28日
第一の運
2023年01月21日
楽しい洋楽カラオケ
2023年01月14日
仲よき事は美しき哉?
2023年01月07日
ケチな夫婦
2022年12月31日
ペットになりたい
2022年12月24日
演技上手はどっち?
2022年12月17日
ベンガル虎に会いに行こう!

2022年12月10日
流れた歓迎カラオケ
2022年12月03日
口と心は元気
2022年11月26日
一人でペッタンコ
2022年11月19日
チンピラと熟年

2022年11月12日
お喋りラジオ体操
2022年11月05日
カラオケごっこ
2022年10月29日
私たちの定年騒動
2022年10月22日
3年ぶりのカラオケ
2022年10月15日
トイレの神様
2022年10月08日
代行さん
2022年10月01日
Whyが大好き
2022年09月24日
女性が羨ましい

「何か書いていたのでしょ。邪魔して悪かったね」
「いいんですよ。暇つぶしですから」
「話したら、なんだか気が晴れたわ。ありがとね」
「それは良かったですね。叉、話しましょう」
これでお別れと思ったが… …
「あらっ! なに書いてるの。ちょっと見せてよ」
「嫌ですよ! 日記ですから」
親切な女性には敵わない。断ったのに、近寄ってのぞいた。
「なんかよく分からないねぇ」
「字が下手ですからね。ワードを使って書き直します」
「この字違っているよ。直してあげる」
「いいですよ。後でワードが直してくれるから」
「ワダさん?」
タイミングよく、休養室に年配の女性が入って来た。
「お友達みたいですよ」
「入院したばかりで、話し相手がいなくて寂しいんだって」
「そうですか」
「話し終わると、話してくれてありがと。とお礼を言うの」
と、言うが早いか私を置いて、お喋りに行ってしまった。
二人の女性は昨日会ったばかりというのに、まるで10年来の親友のようだった。こんなこともあって、書く気もなくしたので、病室に帰り隣のベッドの人に声をかけた。
「女性は素直に自分の気持を言えるから羨ましいですね」
「あんたもそうすればいいじゃないか」
「話し相手がいないから寂しいの、なんて言えませんよ」
「もっと気軽に、調子はどうかいとか言ってみな」
「調子はみんな悪いんですよ」
「みんな?」
「病人ですからね」
2022年09月17日
幸せのスーパーメロン
詳細→放射線治療、自宅→入院→自宅
「夕張メロンかい」
「スーパーメロンです」
「聞いたことないなぁ、高いだろう」
「そうかい、どこで買ったの?」
「近所のスーパーです」
2022年09月10日
不思議な入院
コロナ禍は入院生活を大きく変えた。面会と外出は禁止、そして4人部屋だが、同室者とは一言も口をきかないで1ヶ月間過ごした。私だけでなく他の患者も同様だ。お陰でとても静かな入院生活だった。
一方、13年前に近所の病院に入院した時は大違いだった。病室は雑談で賑やかだし、食事はテーブルを並べて喋りながら食べていた。押し並べて楽しい入院生活と思うが、入院初日は大変だった。しかも、不思議な入院でもあった。
「今すぐ入院ですか。ラジオがあるので明日にして下さい 」
「直ぐに入院しなさい。ラジオは出てもいいですよ」
即入院の緊急性と「ラジオは出てもいいですよ」というおおらかさ。この落差は一体なんだろう。私にはピンとこなかった。ともかく、スタジオには行けることになったのでホッとした。
病室は6人部屋だった。ともかく、隣の人に挨拶、よろしくお願いしますと簡単にすますと、「山田太郎です。84歳です」と、丁寧に応じられたのでやり直した。
「中波三郎、67歳です。風邪をひいてこの病院に来たら検査して、即入院となりました」
「そうですかぁ。お客さん少ないからねぇ」
先ほどの院長先生のセリフ、「直ぐに入院。ラジオはいいよ」を思い出した。まさか、肺炎と診断して見せてくれたあのCT画像の白い影は「消しゴムツール」で加工したのではないかと、一瞬疑った。おじいさんとの話は延々と続きそうだが、ラジオの準備をしなければならない。「進行表」と「台本」をチェックしようとしたら看護師さんが点滴に来た。
「もうですか?」
「ラジオがあるから早くしてと言ったでしょ」
「すみません。お願いします」
もうクタクタのヘトヘトだ。点滴しながら眠ってしまった。目が覚めると17時。泥縄だが、点滴しながら放送をイメージしてみた。点滴の落ちる速度がやけに遅い。20時からの放送に遅れそうな気がしてイライラした。胸もムカムカした。点滴が終わると18時になってしまった。食欲はまったくないが、少しだけ食べて食後の薬を飲んだ。
大急ぎで円山のスタジオに向った。途中、地下鉄中島公園駅ででカロリーメイトをほおばったが、いつもと違って口の中がパサパサして食べにくい。スタジオに着き何とか1時間の番組を終了。タクシーを拾って家に着いたのが21時20分だった。病院の消灯が21時なので予め外泊許可をもらっていた。
家に帰ってもやることが山ほどある。メールはネットが使える今夜の内にしなければならない。とにかく破らなければならない約束がいっぱいあった。何となく気になったが、疲れて寝入ってしまう。
一眠りすると目が覚めた。夜中の3時だが、目が冴えて眠気がない。なにぶん突然の入院だ。誰に何を知らせるかが難しい。困り果てて、所属するシニアネット全員宛のメーリングリストに流してしまった。こうして長い長い一日が終わった。
この3年で3回入院したが、いずれも面会・外出禁止。一方、13年前の入院は面会はもちろん、外出さえ自由だ。糖尿病だから運動も治療の内とか言って、毎晩ダンスに通う患者もいた。私も徒歩10分の家に帰り風呂に入ったりパソコンしたりしていた。この新旧二つの入院を比べてみれば、面会・外出禁止の方が良いと思った。入院した以上、治療に専念して1日でも早く退院した方が良い。少なくとも1ヶ月以内の短期入院なら、この方がいいと思った。
2022年09月03日
さようならオシドリ
オシドリについてだが、今年の秋は今まで一番多いような気がする。しかし、あのカラフルで美しいオシドリの姿が全く見られない。この時期のオスは「エクリプス」と呼ばれる状態の羽毛へと変化しているので、メスと同じように地味な色をしている。しかし、10月頃になれば美しく変身するだろう。
オスが一斉に綺麗に変身すれば、中島公園の風景に彩りを添えてくれる。しかし現実は、そうなった試しがない。マガモは凍結するギリギリまで池で粘っているのに対し、オシドリはさっさと何処かへ飛び去ってしまうのだ。しかし今年こそ、カラフルで美しいオシドリのオスがあちこちで見られると期待している。
退院して久しぶりに中島公園を散歩するとアチコチにオシドリがいた。偶然撮ったこの写真にも3羽写っていた。手前の大きい2羽と石の上の1羽はオシドリだ。菖蒲池から鴨々川 まで至る所でオシドリが居たが、全部メス。一体カラフルで美しいオスは何処に行ってしまったのだろう。1羽も姿を現していない。
だがこれは私の勘違い。非繁殖期である夏になり、エクリプスと呼ばれる状態の羽毛へと変化していたのだ。つまりオシドリはマガモ同様に、オスは繁殖期には美しい冬羽にしてメスにアッピールする。そして夏に近づけば夏羽に変わり、オス・メス同じ色になるが、見分けることはできる。
オシドリのオスはメスと違ってくちばしが赤い。上の写真はくちばしを見ても黒っぽいだけで色の違いがサッパリ分からない。今年の8月25日の撮影だが、うまく撮れていない。仕方がないので撮り溜めた過去の写真を使うことにした。
2021年9月6日撮影 羽毛はメスと同じような地味な色。手前の1羽はメス。赤っぽいくちばしの2羽はオス。この日は中島公園に沢山のオシドリが来ていたので、都合よく並んでくれた。
2021年4月17日撮影 くちばしが赤くカラフルなオシドリのオス。手前のメスはくちばしが黒っぽい。冬の繁殖期が終わっても6月頃までは冬羽のまま。メスと同じ色になり始めるのは7月ごろか?
2021年4月8日撮影 上と同様、泳いでいるところも撮ってみた。撮り溜めた写真で判断すると、6月頃までのオスは綺麗な冬羽のままだった。私は見たままを書いているだけで、分からないことが多い。
2021年9月2日撮影 この時期は一部のオシドリが繁殖期に備えてカラフルで綺麗な冬羽への変化が見られる。
2015年9月11日撮影 この時期になると徐々に冬羽へと生え変わる。頭部は中央から線状に羽毛が生え変わっていく。こんなヘアスタイルの洒落男を見たことがある。
2015年9月16日撮影 9月中旬にもなると殆どのオスは羽毛が変化してきている。変化の程度はいくらか違う。
10月中には次の画像のように綺麗になると思うのだが、その前に何処かへ飛び去っている場合も多い。せめて10月いっぱいは居て欲しい。菖蒲池が凍結した真冬に鴨々川 に来ることもあるのだが、数は少ない。春の雪解け時にはよく見かける。
野鳥については殆ど知らないのだが、21年間中島公園を散歩して来た。居る、居ない、多い、少ない等、見た目で分かることについて書いてみた。
「さようなら」とは言いたくないが、池が凍結すれば水鳥は必ず去って行く。でもオシドリは去るのは早すぎる、せっかく綺麗に変身したのだから、マガモのようにギリギリまで居て美しい姿を見せて欲しい。そうすれば中島公園がもっと楽しくなる。
最後に参考としてオシドリ親子、母のくちばしが黒っぽい。夏にはオスもメスと同じ色の羽毛になるが、くちばしは赤っぽくなっている。
2022年08月27日
夫婦喧嘩は所構わず
夫婦喧嘩は家の中だけとは限らない。街中、それも店員やお客さんで賑うお店の中で突発的に起こる場合もある。昔の出来事だが、店員に夫婦揃って手玉に取られ、罠にはまってしまった。まるで孫娘に操られた老夫婦のようにね。
新築のマンションの照明を買う為に、S駅北側の大きな電器店のショウルームに行った。そこで店員の計略と妻の強情の為、必要のないリモコンを大量に買わされてしまった。
店員は「ヒモは要りますか?」と聞いた。「いりません」と声をそろえて答えた。ここまでは私達の息はピッタリと合っていた。我家の習慣として照明の切り替えはしないので、壁にスイッチがあれば充分である。
しばらくすると、私は店員がリモコン付きの照明を勧めていることに気が付いた。しかし、妻はまだ気が付いていない。と言うよりもリモコン付き照明の存在そのものを知らないのだ。ここで決定的な認識の違いが生じたのである。
店員はリモコンの説明を何もしないでヒモが必要かと聞く。明らかに新製品のリモコン付き照明購入へと誘導している。店員に確認を求めるべきだが、突然二人の認識が違った為、いきなり夫婦喧嘩になってしまった。興奮して店員の存在など眼中になくなった。
「リモコンなどいらないでしょう」と私。
「リモコンって何よっ? ヒモの話をしているのでしょ」
「リモコンなんか使わないでしょ」
「ヒモだって使わないよ。今までもなかったし」
妻はヒモは要らないの一点張りでリモコンは眼中にない。店員も二人の争いを見ていれば、リモコン付き照明を勧める意欲も失せてしまうだろうと、チラリと目をやる。しかし、店員は思いもよらぬ行動に出た。「お二人で話し合って、決まったら知らせて下さい」と言うが早いか、その場を立ち去ってしまったのだ。
なんたることだ。若き店員は我家の力関係をしっかりと見抜いていた。罠を仕掛けた猟師のように、一休みして帰ってくれば獲物は罠にかかっているとの算段だ。
「それで、リモコン付き照明を買ったのか」と先輩。
「店員に逃げられたら強情な妻には勝てません」
「奥さんはリモコンを使っているのか?」
「使うも使わないもリモコンなんか知りません」
「どうしてヒモは要らないと頑張ったのだ。奥さんは」
「ヒモの分だけ安くなると思ったのでしょ」
妻は騙されていることに気付かない。だが、一旦要らないと言った以上、それを押し通す力がある。もちろん、リモコンも要らない。私だけが余計な出費を悔やんでいた。ヒモなんか鋏で切ればすむことだが、言えばケチと言われる。自分が言ったことなど忘れているのだ。“o(><)o”
2022年08月20日
仲直り
私がいろいろ活動して自由を楽しんでいたのは定年退職後の15年間だけだった。自由は素晴らしいことだが、いくらかのトラブルも付き物だ。80代は心ならずも持病とコロナ禍で巣ごもり時代になってしまった。静かに暮らし、それなりに幸せだが、時には自由時代を思い出して懐かしんでいる。
例えばこんなこと。その日は楽しい3人カラオケ。いつもの時間に、いつもの場所で1か月ぶりの再会だ。しかし、私たちの話に割り込んだBさんの一言で、危うく別れ別れで帰ることになるところだった。私はとぼとぼバス停へ、Aさんは車で颯爽と、左と右に泣き別れ。ひょっとしたら永遠の別れになったかもしれない。
実は、カラオケボックスに入った途端に楽しい気分も吹き飛ぶような「事件」が起こったのだ。原因は1匹の小さなハエ。トラブルの詳細はカラオケで喧嘩に書いたので、ここでは省略するが心にしこりが残ってしまった。
いつもなら「乗って行かない」と声をかけてくれるのだが、この日は違った。ハエの一件が尾を引いているようだ。
「バス何時?」とAさん。
「40分くらい後ですね」
そばにいたBさんが口を出す。「歩いて行けばいいじゃない。真っすぐ行けば豊平川、後は簡単よ」。確かに道順は簡単だが、1時間以上もかかりそうだ。今日はバスで帰るつもりだったが、Bさんの一言で気が変わった。「乗せてくれない」と、Aさんに頼んだ。意外にもこころよく乗せてくれた。車の中でAさんがいった。
「歩くの嫌なの?」
「嫌じゃないけど、お名残惜しいでしょ」
「そう」
「ハエのことではゴメンナサイ」
便乗させてもらっている身としては、生き物を踏み潰してはいけないとは言えない。我が家では家に蜘蛛などの虫が入ってきても、ティッシュで軽く掴みベランダに出すだけ。虫の脱出を確認してからティッシュを回収してゴミ箱に入れる。虫の生死は自然に任せている。
「踏み潰さなければ、1時間も2時間もブンブン飛び回ってうるさいでしょ」
カラオケ中はブンブンなど聞こえないとは言わない。
「お陰様で、ハエに邪魔されないで楽しいカラオケでした」
「バスがくるまで、お茶でも飲もうかと思ったのよ」
「今から行きましょうか?」
「もう、いいよ。話は済んだからね」
アレレ、謝らせてお仕舞いかと思ったが、ここはAさんの車の中。ジッと我慢だ。しかし、これで終わりではなかった。Aさんは決して謝らない。その代わり命令を下す。「いろいろありましたが、丸ごとひっくるめて付き合ってください」。後でメールにこう書いて来たので、思わず笑ってしまった。付き合って20年、巣篭もり中の今でも時々LINEで話したりしている。
2022年08月13日
触らぬ神に祟りなし
「困りましたねぇ。どうしましょう」
「宴席だろう。お世辞に決まっているよ」と先輩。
「期待して待っていたら、悪いじゃないですか」
「それは絶対にない! 聞いたことも忘れているはずだ」
でも、万が一ということもある。「何を書くの?」と聞かれたのは初めてだ。なんとかしてAさんの期待に応えたい。すると、ある光景がパッと浮かんだ。私にとっては夢のような出来事だった。思い切って書いちゃおう。サプライズだ。
ある夏の昼下がり、Aさんから突然電話がかかって来た。
「私、わかる? 今あなたの家の前の公園。出られる?」
何だろう。こんなことは初めてだ。ともかく行ってみよう。公園はすぐそこだ。
Aさんは私より年上で社交的でお洒落な人。パワフルで世界中歩き回っている。何もかも私とは正反対である。
ベンチのある広場に行ってみたが、見当たらない。やや遠くの方にスラックス姿の女性が一人。洒落た帽子にサングラス、足を組んでタバコをふかしていた。ひょっとしたらと思ったが、彼女はタバコを吸わない。アチコチ見渡したが、らしい人はいないので念のため近づいてみるとAさんだ。ニヤッと笑って開口一番こう言った。
「私、フランス映画みたいにタバコを吸いながら男を待ってみたかったの」。一瞬、これは先日のお詫びかな、と思うのには訳がある。とりあえずは「様になっていますよ。ジャンヌ・モローみたいです」と調子を合わせた。
実は数日前、Aさんの友達と3人でお茶を飲んだ。「ここは私が持ちましょう」と言うと、こともあろうに「私、男と認めた人からしか奢られたくないのよ」と来たもんだ。一瞬ムッとしたが、Aさん流の気遣いかなと思いなおした。
だけど、彼女はこの一瞬を見逃さなかった。だから、お返しに来たのだ。「男と認めない」を帳消しにするため「男を待つ」ことにしたのだと思う。
「よかったな。男になれて」
「誤解を与えるような発言は謹んでください!」
「なにっ?」
「いえ。何でもありません。私の誤解です」
Aさんにだまって書いたので、自分のことと気づいて怒るかな、とか心配になって落ち着かない。私は知人のことを書くときは慎重だ。本人に気付かれないように性格、年齢、出来事、言葉遣いに至るまでガラリと変えることにしている。
それから、しばらくして懇親会でAさんと再会。この記事は期待に応えて書いたつもりだが、今じゃ心配の種だ。恐る恐る、あさっての方向から探りを入れた。
「Bさんのブログ面白いですね」
「私、お仲間のブログには興味ないのよ。もっと面白いのいくらでもあるでしょ」
まさに先輩の言う通りだ「何を書くの?」と聞いたことなど完全に忘れている。やはり読んでいなかった。更に、読まれる気配など全くない。好いことを知った。瓢箪から駒だ。これからもジャンジャン書いてやろう。静かに余生を送っている私に、これほどネタを提供してくれる人は居ないのだ。
Aさんは私にとっては余人をもって変え難い人。神様のような存在である。触らぬ神に祟りなしとも言うけれど私は療養中、快復のために軽いストレスも大切だそうだ。
2022年08月06日
普通の人になりたい
「早く90歳になりたいですね」
「ヨボヨボになっても生きたいのか」
「今だってヨボヨボですが、楽しいですよ」
「そりゃ良かったね」
食欲など命を繋ぐための欲は色々あるけれど、美味いものなど金を出せば何時でも食えるし、他の欲だって爺さんになればパッと消え去ると思っていた。ところが、これが大間違い。食欲だけがパッと消えた。しかも、一瞬の内に。
放射線治療の副作用はいろいろあるが、私の場合は味覚障害と口の痛みだった。この二つが重なると食べるのが苦痛になる。腹が減るので食欲がない訳ではないが、食事は生きるための仕事になってしまった。
考えてみれば不思議な巡り合わせだ。45年間食うために仕事をして来た。定年退職したら途端に幸せになった。そして、20年たったら食事が仕事になってしまった。食わなければ生きては行けないから、最も重要な仕事になった。
怠けの罪で罰を与えられた様なものだ。味覚障害は6ヶ月の刑、比べてみれば、口の痛みの刑期は短かい。一方、しつこい味覚障害にも仮釈放がありそうだ。仕事ぶりが認められたからだ。「ワッ、凄い完食!」と毎食後、看護師さんに褒められた。私は模範囚ならぬ模範患者?
担当の医師は長い人は1年かかると言った。私は既に何不自由なく食事をとっているが、美味しくはない。この口に美味しいものを食べさせるのは勿体無い。お金もね。楽しみは3ヶ月先の私の誕生日までとって置きたい。後3ヶ月で完治と自己診断。先が明るいことも幸せの元である。
「後8年で90歳、失われた過去を取り戻したいのです」
「取り戻して、どうする?」
「普通の人になりたいですね」
「そういえばアンタ、どこか変だ」
「自分の思い通りにふるまっても、道に外れることがない様な人になりたいのです」
「もう遅いだろう」
「いえいえ、今が一番早いのです!」
2022年07月23日
放射線治療、自宅→入院→自宅
2022年06月01日
更新中止のお知らせ
2022年05月28日
なるようになる
2022年05月21日
カラオケデビュー?
月末になれば再入院、今は自宅療養中、こんな時は昔を思いだす。60代はいろいろな出会いがあって楽しかった。今は書くことだけが楽しみになってしまった。僅かながら読んで下さる方々に感謝。有難うv(^_^ v)
2002年の暮れのことだった。いい年して蝶ネクタイをして舞台に立って歌う羽目になった。平穏な暮らしをしている私にとっては、定年退職後最大の危機。こんな苦労までして「やさしい英会話」にしがみつくのには訳がある。
以前に参加した高齢者向け講座は幾つもあったが、すべて三日以内に止めていた。今度ばかりは1年は続けようと固く誓った、と言うよりも同居人に誓わされたのだ。
そして、クリスマス音楽祭の日がやって来た。意外なことに皆んな楽しそうだ。しかし考えてみれば当たり前、嫌な人は来ないのだから。どうやら受講生の義務と感じていたのは私だけらしい。好きな人だけで歌えば済むことだった。友達がいないからこんなことも知らなかった。とは言え収穫はあった。それは自分の殻を破ったことである。
音楽祭には、4年で4回参加した。「英会話」といっても年末の音楽祭に備えて半分くらいは歌の練習だ。ただ歌うだけで特別な指導があるわけでない。だから4年間も続けられたのだと思う。隣でAさんが、きれいな声で歌っているのが聞こえる。小さな声で合わせたつもりで歌ってみると、なかなか気分がいい。こんなことを4年間も続けてきた。
ある日、Aさんがカラオケに誘ってくれた。長い付き合いなので、下手もオンチも承知のはずだ。その上でのお誘いなので喜んで応じた。一年たっても上達はしないが、充分楽しめた。上手いも下手も、パチパチもない。ひたすら順番がきたら歌うだけだが、これがなかなかいいのだ。お喋りに夢中で私の歌など誰も聞いてない。すべてが自然だ。自分達がやりたい様にしていたら、楽しいカラオケ会になってしまった。
「そろそろカラオケデビューしたいのですが…」
「そお」
「有料で行きたいと思っているのですが…」
「当たり前でしょ」
「こんなメニューでいかがでしょうか?」
「なになに? ハトポッポ10円、青い山脈100円、二人の世界1000円、何よこれ? 意味わからない」
「私への歌代です。賛成してくれたでしょ」
2022年05月14日
お金とお足
私は井の中の蛙。在職中は皆、同じ様な給料をもらい同じ様な暮らしをしていた。定年退職して1年たったら家庭の事情で老人福祉センターの無料講座を受けることになった。当然、貧乏な老人が市の援助で勉強させてもらっていると思っていた。ところが、これが大間違い。
「このコート10年も着ているんだけど、15万もしたかと思うとなかなか捨てられないね」とAさんは何気なく言う。えっ、そんなに高いのとビックリした。それなのに、「今日は土曜日なので高いのよ。一人380円だって」とボヤいている。このギャップは何処から来るのだろうか? 因みに私のアノラックはベトナム製で7800円だが、カラオケで380円は安いと思っていた。
15万のコートをハンガーから外して触ってみた。手触りが良くて気持いい。手にとって見るとふわりと軽い。いい臭いがした。こんな高級なコートに触ったのは初めてだ。在職中、私の周りで着ている人など居なかった。住む世界が違う様な気がする。退職して初めて知る別世界体験だ。元公務員の私は老人福祉センターでは中流と思っていた。全く私は世間知らず。井の中の蛙とつくづく思った。
「いつまでも触ってないで、さっさと、曲選んで、あんたが先よ。一番若いんだから」。そうなのだ。ここでは私が一番若い。こうして、月1回のカラオケは始まった。始まったら最後、3人で3時間休み無しの3交替。お喋りは騒音の中で残った二人が大声でする。終わった頃には、もうガラガラのへとへとだ。3人は福祉センター、無料講座の仲間だった。皆んなで一緒に歌ったこともあるので音痴なのは知られていた。それなのに誘ってくれるのが嬉しかった。
カラオケも終わって料金の精算となった。「今日は土曜日だから、高いんだって。一人380円よ!もう土曜に来るのは止そうね」とAさんは言った。15万円のコートと、このしみったれた発言のギャップが、私には面白かった。長い間働いていた以前の職場では、絶対にあり得ない。何もかも明け透けなのも心地よかった。
30%割引、飲み物無料券、シニア割引等、ありとあらゆる割引を駆使しているので、安いときは150円のこともあった。何でもご主人が社長なので法人カードが使えるらしい。バブルのころは薄野をほぼ独占していた法人だが、運良く私も残り滓の恩恵を受けた。
帰りがけのロビーで、ふとAさんの足元を見ると洒落た靴が目に入った。「いい靴ですね」と言った。一見、普通の運動靴の様に見えるが洒落ていて高級感があった。
「分かる? 足を怪我したとき、姉が見舞いに100万くれたから、25万で買っちゃった」
「そうですか。世界中の山歩きをした健脚へのお礼ですね」
「違うわ。痛みに耐えた自分にご褒美よ!」
世界中の山歩きをしていたAさんは、皮肉なことに藻岩山を下山の時、足を折って入院した。彼女はキリマンジェロを登頂、エベレストやK2ではトレッキングの経験もある。体力はもちろん、お金もかかる。必要な時は使うが無駄遣いは苦痛のようだ。
Aさんは老人福祉センターで2階の教室に行くにもエレベーターを使う。山でもないのに歩くのは、体力が勿体無いと言っていた。金も足も無駄には使わない。そう言えば東京で表具師をしていた養父はお金を「お足」と言っていた。この二つには共通なものがあるのかも知れない。
2022年05月07日
心に太陽を持て
2022年04月30日
秋が楽しみだ
2022年03月24日
更新休止のお知らせ
2022年03月19日
パソコン落ちこぼれ
2022年03月12日
その手は食わない
2022年03月05日
良い食べ手
2022年02月26日
天才募集
2022年02月19日
誰が7億円当てたのか
2022年02月12日
退職したら家事は半々?
待ちに待った「ハッピーリタイアメント、さあノンビリするぞ!」と喜び勇んだのは、つかの間。厳しい現実が待っていた。期待に反して、なんだかんだと居心地が悪い。しばらくすると自分の立場に気付いて愕然とした。
我家はいつの間にか妻の支配下にあり、私は単なる新入りに過ぎなかった。二人にとって「家でノンビリ」は長年の夢。ここは天下分け目の関ヶ原、お互いに負けられない状況だ。私は創意と工夫で、この難局を打開する決心をした。妻も自分の城を守る決意は固く一歩も譲る気配はない。
新入りの私は、先ずは敵を知ろうと威力偵察。半年もすると、二人暮らしのコツを覚えた。嫌・駄目・出来ないはご法度。一生懸命やる必要はない。とりあえずは「うんうん、それもいいね」と首をたてに振れば、万事OKだ。
「家事は半々」と言われても驚くことはない。「うんうん、それもいいね」と言って置けばいいのだ。別に、何時からと言われた訳ではない。だが「明日からやって」と言われたら、少々知恵を働かさなければならない。
「うんうん、いいね」は決まり文句だから、そのままで良い。難しいのは後半だ。間違っても「出来ない」と言ってはいけない。そんなこと言ったら、厳しい訓練が待っている。妻は決して甘くはない。「予定があるので三日後からやります」と、とりあえずは先送りする。三日後に同じことを言ってくることは滅多にない。
敵の弱点は充分研究してある。妻は忘れっぽいのだ。しかし、忘れっぽい妻が三日も覚えていたとしたら、ただ事ではない。毅然とした対応が迫られる。
「食事は支度から皿洗いまで私がやりましょう!」
「ホント? 頑張ってね」
「ご飯できましたと言うまでテレビでも見てて下さい」
「上げ膳据え膳ね」
「出したものは残さず食べてください」
結局、三日ももたなかった。私は「良い作り手」になれなかったし、妻は「良い食べ手」になれなかった。そして、其々の得意分野を生かすのが良いと悟ったのだ。事態は何も変わらないのに争いはなくなった。ポイントは家事は半々、との提案に両手を挙げて賛意を表したことにある。こんなことで良いのだろうか。小ズルくて(^-^;) ゴメン