2022年05月14日

お金とお足

私は井の中の蛙。在職中は皆、同じ様な給料をもらい同じ様な暮らしをしていた。定年退職して1年たったら家庭の事情で老人福祉センターの無料講座を受けることになった。当然、貧乏な老人が市の援助で勉強させてもらっていると思っていた。ところが、これが大間違い。

「このコート10年も着ているんだけど、15万もしたかと思うとなかなか捨てられないね」とAさんは何気なく言う。えっ、そんなに高いのとビックリした。それなのに、「今日は土曜日なので高いのよ。一人380円だって」とボヤいている。このギャップは何処から来るのだろうか? 因みに私のアノラックはベトナム製で7800円だが、カラオケで380円は安いと思っていた。

15万のコートをハンガーから外して触ってみた。手触りが良くて気持いい。手にとって見るとふわりと軽い。いい臭いがした。こんな高級なコートに触ったのは初めてだ。在職中、私の周りで着ている人など居なかった。住む世界が違う様な気がする。退職して初めて知る別世界体験だ。元公務員の私は老人福祉センターでは中流と思っていた。全く私は世間知らず。井の中の蛙とつくづく思った。

「いつまでも触ってないで、さっさと、曲選んで、あんたが先よ。一番若いんだから」。そうなのだ。ここでは私が一番若い。こうして、月1回のカラオケは始まった。始まったら最後、3人で3時間休み無しの3交替。お喋りは騒音の中で残った二人が大声でする。終わった頃には、もうガラガラのへとへとだ。3人は福祉センター、無料講座の仲間だった。皆んなで一緒に歌ったこともあるので音痴なのは知られていた。それなのに誘ってくれるのが嬉しかった。

カラオケも終わって料金の精算となった。「今日は土曜日だから、高いんだって。一人380円よ!もう土曜に来るのは止そうね」とAさんは言った。15万円のコートと、このしみったれた発言のギャップが、私には面白かった。長い間働いていた以前の職場では、絶対にあり得ない。何もかも明け透けなのも心地よかった。

30%割引、飲み物無料券、シニア割引等、ありとあらゆる割引を駆使しているので、安いときは150円のこともあった。何でもご主人が社長なので法人カードが使えるらしい。バブルのころは薄野をほぼ独占していた法人だが、運良く私も残り滓の恩恵を受けた。 

帰りがけのロビーで、ふとAさんの足元を見ると洒落た靴が目に入った。「いい靴ですね」と言った。一見、普通の運動靴の様に見えるが洒落ていて高級感があった。

「分かる? 足を怪我したとき、姉が見舞いに100万くれたから、25万で買っちゃった」
「そうですか。世界中の山歩きをした健脚へのお礼ですね」
「違うわ。痛みに耐えた自分にご褒美よ!」

世界中の山歩きをしていたAさんは、皮肉なことに藻岩山を下山の時、足を折って入院した。彼女はキリマンジェロを登頂、エベレストやK2ではトレッキングの経験もある。体力はもちろん、お金もかかる。必要な時は使うが無駄遣いは苦痛のようだ。

Aさんは老人福祉センターで2階の教室に行くにもエレベーターを使う。山でもないのに歩くのは、体力が勿体無いと言っていた。金も足も無駄には使わない。そう言えば東京で表具師をしていた養父はお金を「お足」と言っていた。この二つには共通なものがあるのかも知れない。

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年05月07日

心に太陽を持て

スポーツもゲームもできないし、車も無いし旅行する気もない。こんな私の唯一の気分転換は、書いて心のうさを晴らすこと。腹に溜まったモヤモヤも嘘のように消えて行く。

ブログは心のうさのすてどころ。酒は涙か溜息か。思わず馴染みの歌詞が次々と浮かんでくる。だが歌への想いは増すばかり。愛されたくて愛したのではない。燃ゆる思いをぶつけただけ。自分の思いのまま文章を書こうと思っても、頭に浮かぶのは歌詞ばかりで、どうにも止まらない!

早いもので癌との付き合いが始まって10年もたってしまった。始めチョロチョロと言う感じで、今は中パッパという気分だ。一時、こんな人生は終わった方が好いと思っていたが、今はもっと長生きしたいと思っている。大して苦しんでいないのだから、こう思って当然だ。3回の手術も私が寝てる間に済んでしまった。

初めて舌癌の疑いを持たれたのは、およそ十年前、かかりつけの歯医者さんが舌のぐあいが変なので口腔内科で診てもらった方が良いと、H大病院に紹介状を書いてくれた。病院では7年間にわたり、大勢の先生が私の舌を診てくれたが、いずれも経過観察、舌の組織を取って調べることもなかった。

状況が変わったのは通院して8年目の2020年1月のこと。舌の疑わしい部分の組織を取って調べたら陰性。ああ良かった、これで病院通いもお仕舞いかなと思ったら、なお疑わしいので別の場所の組織を取って調べると言う。結果はまたもや陰性。疑いは晴れたと安心したのは束の間、更に、舌の一部を切り取って調べなければ確認できないないと言う。

そして舌癌と診断され8月に手術をした。疑いがもたれて8年目、本格的に調べて8ヶ月目に手術は終わり退院となった。八と八とは末広がりで縁起が良いと喜んだ。ところが広がったのは癌の方だった。舌癌がリンパ節に転移したのだ。

手術1年3ヶ月後、今回も転移の疑いはあるが断定はできなかった。PET等の精密検査をを繰り返した結果、癌と診断された。2022年3月25日入院、29日手術、そして4月9日に退院と決まった。今度こそお仕舞いだ。治ったらああしよう、こうしようと楽しいことが頭に浮かんで来た。

病み上がりだから先ずは家でできるオンライン会合(Zoom)から始めよう。外出できるようになっらカラオケだなとか自分なりの予定を立てていた。私が所属しているシニアネットでは各種クラブ活動が盛んだ。そしてZoomでの活動もある。学習会が盛んだが、勉強は苦手なので笑いヨガや落語で笑い、手話で歌って楽しむ。そして体調が戻ったら、いよいよカラオケだなとかワクワクしてきた。

ところが、退院直前に癌が再発する可能性が高いので更なる治療が必要と聞いてガッカリした。再入院も必要だと言う。人生の一番美味しいところを闘病闘病で暮らすなんて勿体無い。治療なんて止めて自由に暮らそうと決めた。緩和ケアも悪くないモルヒネやって安らかに、と思ったら吹っ切れた。

それなのに、日が経つに連れて時々怖くなるんだから嫌になる。優柔不断は死ぬまで治らない。更に考え直して、治療を受けることに決めたらホッとした。私は決断のできない人。こんな自分が面白いと感じ思わず笑ってしまった。

考えてみれば、私は運が良い。先生方は丁寧に調べ尽くして癌を見つけてくれた。もし、見つかっていなかったらどうなったかは私でもわかる。今回も肉眼で見えない癌の種を顕微鏡で見つけてくれた。そして、放射線で焼いて根治してくれると言うのだ。こんな有難いことはない。唇に歌を持て心に太陽を持て(ツェーザル・フライシュレン)

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年04月30日

秋が楽しみだ

2020年の年明け以来、ウィズ・ガン。癌と二人連れだ。こんなヤツとは縁を切りたいのにピッタリくっ付いて離れてくれない。2020年8月には舌癌の手術。これでお別れかと思ったら2021年末にリンパ節に転移の疑い。今年3月29日に手術、今度こそお別れと思ったのに、なお癌の虫が蠢いていると言うのだ。放射線で焼き殺してあげると言われても、ハイそうですかとは喜べない。いい加減にして欲しいのだ。

私は20年以上の長期にわたり「幸せ本線」にに乗っている。時々喜怒哀楽、いろいろ感じることはあるが、それは本線の停車駅のようなもの。不幸せがあっても短時間で過ぎて、再び幸せ本線を走り続ける。しかし、今回の「哀」は停車時間が少々長かった。前方に大事故があるような感じだ。

退院が決まりホッとしたとき先生は、更なる治療が必要だが、私の同意が必要だと言った。「エッ! まだやるの」、これが偽らざる思い。手術を終えたばかりで、後遺症で首から顎にかけて切った部分が腫れてバンバンだ。更なる治療とは撃ち漏らした癌の種を放射線で焼くというものだ。1ヶ月半にわたり30回の治療が必要で、後半は喉が痛くなり飯が食えなくなるので入院が必要とのことだ。退院したら直ぐ入院と聞いてガッカリ。

思わず血の気が引いて寒気がした。念のため、断ったらどうなるか聞いてみた。最終的には緩和ケアということになるが、ウチの病院ではやっていないので、H病院を紹介する。今までのデータを付けた手紙を書いてくれると聞いて、それもいいかなと思い、不安は吹っ切れた。しかし、結論は先延ばし。先生は奥さんも含め3人で話し合いたいと言う。

なぜこんな問題で私が迷うかと言うと、もらった文書「病状説明と今後につきまして」にある次の文言が気になった。そこにはこう書いてあった。「*術後治療をしない選択をしても再発しないで過ごせることもあるし、治療をしても再発することもあります」。これだったら、残りの人生は楽しく生きて、寿命が尽きるのを待つ方が好いと思ったのだ。

その後、お母さんを交えて3人で話し合いをした。お母さんは放射線治療を受けた人は、その後どうなったのかと、先生にしつっこく聞いた。先生は元気に生きている人が多いですよと言った。二人のそんなやりとりを聞いているうちに、放射線治療を受けるのも良いかなと思い直した。そして、「お仕舞いにしましょう」と思った時と同じ様にホッとした。

と言うことで、少なくとも後3ヶ月は癌と二人連れ。28日に事前の準備として歯を抜いて、放射線治療に必要な仮面(シェル)を作った。歯は落ち着くまで抜いたまま、顎から肩にかけて右側の首に傷、床屋も行けないし髭も剃れない。

笑えばひん曲がった口に歯が抜けている状態では、人前には出る気もしない。楽しみは秋までお預けだ。幸い今はマスクをするのが常識の時代。マスクと帽子で顔は隠れるので中島公園散歩だけはできる。コンビニも百円ショップにもね。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 80歳以降

2022年03月24日

更新休止のお知らせ

「アハハッハー、ひん曲がった笑いだって。どんな顔するんだろう。面白いね」。この陽気さには何時も救われている。思わず私も笑ってしまった。先生は「後遺症で口が引きつるかも知れません。笑う時とか… … 」と言っただけだ。お母さんにかかると何もかも笑い話になってしまう。

現在の状況を暇に任せて考えてみた。私は幸福という名の電車に乗っているような気がする。リンパ節癌とか言われただけでは不幸になれない。依然として幸せのまま笑って暮らしている。「土壇場駅」に着くまで、この感じは続くだろう。そこで初めて苦しみ、ジタバタするのだ。しかし、終わってしまえば直ぐにでも、幸せに戻るに違いない。

遠い過去を振り返れば不幸という名の電車に乗っていた感じだった。その頃でも楽しい時も嬉しいこともあったが、直ぐに不幸せに戻ってしまった。幸不幸はどちらも長期に及ぶもの、そして喜怒哀楽は短期に留まるものと思う。いずれにしろ、一旦幸せになったら簡単には不幸に戻れない。

PET検査による画像を見せてもらったが、鮮明でとても綺麗だった。ガンの部分がキラキラと輝いていて美しい。私の体の一部だが間もなく切り離されてしまう。本体より先に天国に行くのだろうか。小さな星になって夜空に輝くのかも知れない。医学は天文学に似ている。分からないことが多すぎて、空想の世界を無限に広げて行くことができる。

一昨年の8月、病室から手術に行くとき「全身麻酔すると、綺麗な幻影が見えるから楽しんで来て」と励まされた。しかし、見たのはストレッチャーが猛烈な勢いで走り、手術室や廊下の風景が、車窓から見る風景のよう流れていただけだった。今度こそはと期待している。手術時間が前回の3倍だから、きっと美しい幻影が見られると思う。

「私が逝ってしまったら、良い人を見つけて… … 」
「冗談じゃない! オトコはアンタ一人で懲り懲りよ。毎日三度の飯を食わして、掃除して洗濯して、トイレ汚してもそのまんま。オマケににケチくさい… …  」
「はいはい、分かりました。こちらを見て下さい」
「なにそれ?」
「私が密かに溜め込んだ財産目録です」
「エッ! アンタただのケチンボじゃないんだね」
「どうぞ、心置きなく一人暮らしを楽しんで下さい」

こんな事情でブログの更新はしばらくお休みにします。又、良くなったら再開したいと思います。カラオケにも久しぶりに行けるのではないかと楽しみにしています。Zoomでの手話や笑いヨガは、リハビリ中でも参加出来るので有難いですね。皆様との再会を楽しみにしているので、よろしくお願いいたします。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(3) | 80歳以降

2022年03月19日

パソコン落ちこぼれ

私にとってパソコンとは小うるさい古女房のようなものだ。その心は、自分は正しいと文句ばかり言って動こうとしない。初めて買ったのは1980年と早い。当時は「マイコンを使えこなせないサラリーマンは失格」とか雑誌等で盛んに煽っていた。しかし、その割に普及はしていなかった。マイコンとは マイクロコンピュタの略で、気持ちとしては「私のコンピュータ」である。ただ、NEC等、パーソナルコンピュータとして売り出したメーカーも少なくなかった。

買ったのはシャープMZK2E RAM領域32KB(MBの間違いではない)、本体とテープレコーダー(HDの代用)とキーボードが一体となっていた。凄く重かったので外装は鉄製と思う。別売りのプリンタも買ったので25万円もした。その時の月給は14万だった。苦しい家計をやりくりしている妻子の手前、一生懸命勉強したが何の役にも立たなかった。しかし、酒を止めることに成功した。その後、富士通、アップルと、時流に合わせて次々と買い換えた。

1995年に颯爽と登場したのがウィンドウズ95。マック・ファンとしては洟も引っ掛けなかった。それがコロリとウィンドウズに変えた理由は、エクセル98バージョンアップに、マックが直ぐに対応しなかったからだ。エクセル98のVBA(Visual Basic for Applications)を使うため、長年の友、マックを捨てたのである。正確にはMicrosoft Officeに搭載したVBAだが、エクセルしか使ったことのない私は、このように理解していた。VBAは私が初期に必死に勉強した、素人向けプロブラミングの知識を生かせるソフトだった。

職場で電卓を使って三日もかかる1ヶ月分の統計作業をVBAを使って5分で処理して、周囲をアッと言わせた。この快感は忘れられない。しかし、それも束の間、私の「計算処理プログラム」は、作るのに半年もかかり、他の仕事には全く応用できない代物だった。だけど面白かった。お陰で酒も止められた。暇な時間を全てプログラミングに注いだからね。

最近、20年間はパソコンの勉強は嫌々やっている。やらなければ、ホームページやブログの更新が出来ないから仕方がない。この10年間は、パソコンの勉強は全くやらなくなった。分からないことはオンライン.サポートに頼っているが、上手くは行かない。トラブル続きで何も分からなくなってしまったし、やる気も湧かない。それでも情報発信したい気持ちが残っているので更新し続けている。

「パソコン役に立った?」と聞かれれば、酒やめられたとしか答えようがない。お陰で81歳まで生き延びられた。きっかけを作ってくれたパソコンに感謝!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般

2022年03月12日

その手は食わない

早いもので、カラオケを始めて16年もたつ。しかし、持病の悪化とコロナ禍の自粛で最近は、2年以上行っていない。持病が良いかなと思った頃に必ず新しい波がやって来る。こんな時は昔の出来事を懐かしく思い出す。以下は同年配の3人でカラオケに行くようになって1年たった15年前の話。

共通点と言えば、カラオケ初心者ということだけ。個性豊かと言えば体裁は良いが、実態は何もかもテンテンバラバラの破茶滅茶カラオケ会。それぞれが自由に歌って楽しんだ。10年くらい続いたが、1名亡くなり、1名上手になり、私だけがそのまんま。10年間、ビールを飲みながら楽しんでいた。酒に弱いので酔った勢いで歌っていたのだ。

1ヶ月に1回、キチンと行ってキチンと飲んで、バラバラに歌った。ところが12月3日は3人の都合がつかず中止になってしまった。私達のカラオケは3人で休みなしの3時間だからほぼ歌い放題。私の身体の中に月に1回、歌いまくるリズムが出来上がってしまっていた。

「どうしても歌いたいならオレが一緒に行ってやるよ」
「先輩に私の歌を聴かせるわけには… … 」
「なんだ、オンチか。聞いてないから心配するな」

と言われても歌の上手い先輩と一緒では気楽に楽しめない。ダメで元々と思いながら、お母さんに声をかけてみると、あっさりとOKした。「この日がいいね」と言うので、予定表を兼ねているカレンダーの12月7日の欄に「フタカラ」と書き込んだ。お互いにカレンダーを見ながら、それぞれの予定をたてる習慣になっている。

さて、明日はいよいよ始めての「フタカラ」だなと思って、カレンダーを見ると、「フタカラ」の字に重ねて、二本の線が引いてあることに気が付いた。

「何ですか。この二本線は?」
「食事に誘われたので消したの」
「約束破るなら、ひと言いって下さい」
「あら! アンタだって、黙って書くじゃない」
「消すときはひと言断るのが常識でしょう」
「書くのも、消すのも一緒じゃない!」

一度同じと言ったら、いくら説明しても絶対に違うとは言わない。不本意ながら黙ってしまい、気まずい沈黙が続いた。

「この人、知ってる。落語家なのよ」と突然の話しかけ。
「… … …」、ご機嫌とっても無駄だと黙っていた。
「手が震える病気になったんだって、鳩に豆やろうとして、手のひらに豆のっけたら、手が震えて豆が左右に動くもんだから、鳩が困ってしまったんだって、アハハハハ〜」
「… … …(一人で笑え)」
「面白いね。アハハハハ〜」

私が傷ついているのに、なんて鈍い人だろう。仕返ししてやろうと思った。私はその落語家の真似をして、手のひらに豆を置いた形で、お母さんの前に突き出して、手が震える真似をしてやった。そして、左右に激しく振ってみた。お母さんは困った鳩の真似をして、一生懸命首を左右に振った。 
「アハハハハ〜」
「ワハハハハ〜」
どうやら降参したらしい。それならそれでも好い。

こうして、喧嘩にならずに済んだ。良い人はどっちだ? 
「どっちもどっちじゃないか」
「はっきりして下さい」
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
「そんなこと言わないで」
「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」
「豆だけは食べて下さいね
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2022年03月05日

良い食べ手

どうやら食事の役割についての私の考えは、間違っていたようだ。長い間、お母さん(妻)が作り手で私が食べ手と思っていた。しかし、世間一般では作り手とは生産者のことで、食べ手はそれを使って料理して食べる人らしい。ただ食べるだけの人など論外、蚊帳の外である。

私はあらゆるジャンルで蚊帳の外、仕事を含めてまともに出来ることは何もない。そして、弱虫なのに勇敢な人が大好き、勉強ができないのに勉強が好き、それと同じように音痴なのにカラオケが大好きだ。おまけに、食べるのは大好きなのに料理は嫌いだし、グルメ情報にも全く興味がない。

それでも食の世界で何が出来るか懸命に考える私、愚か者につける薬はない。結論は一流の食べ手になること。と言っても世間では通用しない。家の中で良い食べ手になることである。その第一は「地産地消」、生産者と消費者が顔見知りになること。二人暮らしなら仲良くすることかも知れない。メシの時だけいい顔するなんて恥ずかしいからね。

第二は余さず食べること。自慢じゃないけど我が家の食品ロスは限りなくゼロに近い。ケチだからと言っては身も蓋もない。毎回、美味しいものが適量出るとは限らない。どうしても食べ切れない時は「後で食べます」と言って残す。なんと!次の食事の時、ちゃんと出てくるではないか。最初はビックリしたが、その後は覚悟した。美味しい美味しいと自己暗示をかけて凌いだ。成せばなる。

第三は挨拶と賛辞である。「いただきます」と「ご馳走様」は欠かさない。普通に美味しかったら、これ凄く美味しいですねと言う。「どこが美味しいの」と聞かれても、そこまで深くは考えていない。テレビの夫婦インタビューで「奥様のどこが好きですか」と聞かれたダンナのような気分だ。困った時は「全てです」と答える。

もし、私がお母さんのどこが好きかと聞かれたら「正直なところです」と迷わず答えるだろう。ところが、この正直が曲者だ。定年退職後は、この正直さ故に長い間苦しめられた。アンタは間違っている私が正しいと、自分の思いを正直にぶつけて来て一向に怯まない。正直な人は相手も正直と思うらしい。仲が悪い時でさえ私は正直者と思われていた。

ところで、退職後に二人暮らしを始めた頃は食事については交代でやろうと言っていたのに、三日で音を上げた。私が作ったものなど不味くて食えないそうだ。掃除・洗濯等させようと思っても気に入るようには出来ないので、何でも一人で抱えている。何にもさせないのは気の毒に思ったのか、我が家の財布を任された。私は何も出来ないけれど、正直な人と思われているようだ。誤解させて(^-^;) ゴメン
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年02月26日

天才募集

定年退職して数年後のことだが、数人の高齢者グループで忘年ランチ会を開いた。そして、毎度お馴染みの話題で盛り上がっていた。もしも宝くじで3億円当ったらどう使おうという、あの話である。

「私なら豪華客船に乗って世界一周旅行がいいな」
「とりあえず2億円の豪華マンションを買おうかな」
「たった3億なんか何時の間にか無くなっちゃうよ」

こう言い放ったのは、国内外問わず1年の半分くらいは旅行しているAさんだった。突然、こちらを向くと、「貴方さっきから黙っているけど、何に使いたい」。急に振られた私は、その場の空気も読めず本音を漏らしてしまった。

「苦学生の奨学金にに使いたいです」
「お金の使い方しらないの?」
「お金は教育の為に使うのが一番良いと思いますが…」
「いいから、いいから、次のひと〜」
残念ながらこの素晴らしい提案はAさんには通じなかった。

ひと回りした後で、再び私に回って来たので続きを説明… … 
「ケチっぽいのに、考えることだけは気前いいのね」
「医療と教育は無料であるべきです」
「空気を読めないのはダメ。亭主より格好の悪い男もダメ」
「ご主人はヨボヨボのガリガリと伺っておりますが…」
「痩せても枯れてもH大スキー部のキャプテンよ」
「そんな昔のことを言ってはダメですよ」

私の学問への憧れは強いが、勉強はしたくない。だけど中学で出会ったような天才と話をしたいのだ。テレビや本の伝聞だけでは物足りない。生の天才と話したい。

「例えば、T大生に捨てられたシングルマザーの子とか、頭がよくても金が無い子が居るでしょ」
「それで貴方が奨学金?」
「3億あれば10人くらい面倒みれますよ」
「貴方、宝くじ買ってないんじゃない」
「ありますよ」
「10年以上前? それとも大昔かな、一等百万円とか」

何故分かるのだろうか。ズバリと言い当てられてしまった。ところで、私は空想が大好きだ。貧しいけれど才能のある人が埋もれている。そんな人を見つけて、支援して一流大学を出す。そして友達になってもらう。お互いの幸せのために良いと思う。しかし、空想が現実になることは無いだろう。思い余って天才募集!

「もしもし、私は天才です。お話しましょう」
「ありがとう。電話とは言え願ったり叶ったりです」
「ロボットですが、いいですか?」

AIでいいから叶えてこの願い
中学時代の友人とは → 天才ユガワ君

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年02月19日

誰が7億円当てたのか

[米女性が宝くじで830億円 単独では北米史上最高当選額],こんな見出しが目を引いた。当選者の氏名、顔写真が大きく載っている。喜びに溢れた表情で「仕事辞めます」と言っていた。その他、いろいろな個人情報も公開。テレビでも同じような報道を見たことがある。おおらかなものだ。しかし、日本では誰が年末ジャンボを当てたか報道されない。

もし私が7億円当たったとしたら報道して欲しくない。しかし、中には報道して欲しい人もいるかも知れない。それなのに、何十年もの長きにわたって、宝くじの大当たり報道に接したことがない。考えてみれば不思議だ。本人が同意しても、公にしてはいけない決まりがあるのだろうか?

ただ、「宝くじ当せん者レポートはどんな人?」とのアンケート調査の結果は、「宝くじ公式サイト」で公表されている。しかし、任意調査で全て匿名なので雰囲気が分かるだけで、公正さの証明とは程遠い。

冒頭に紹介した海外の事例とは大違いだ。実名でインタビューに応じ、大喜びした当選者が職業、家族、大金の使い道を語る。こんな姿を見れば、公正に当たりくじを引き当てたことに疑問の余地はない。一方、日本の場合は当選者について何も語らないので、色々な憶測がなされる余地がある。

ネットでは、予め大半の1等を抜き取っているとか、高額当選くじが存在しないとか、バレたらマズい事実は往々にして隠蔽されるとか、好くない噂が流れている。いずれも匿名の無責任な書き込みと思うが、当選者の公表がないことが、こうした憶測を生むのだと思う。

公正な宝くじの運用、及びその検証はどうなっているのか、ネットでチョコっと検索しても出てこない。と言っても、10分足らずの作業だったが気になった。こんなことはチョコっと検索すれば直ぐ出てくると思っていたので意外だった。

もし私が7億円引き当てたとしたら、公表して欲しくない。いろいろなトラブルに巻き込まれそうな気がするのだ。だから公表しないことには賛成だが、公表しない理由と宝くじが公正に運営されていることを、誰もが簡単に知ることが出来る方法で知らして欲しいと思う。

「知ってどうする」
「当たるかもと思い、安心して買って楽しめるでしょ」
「7億円当たるとしても、確率二千万分の一だぞ」
「そうなんですか」
「交通事故で死ぬ確率は、7億円当たる確率の百倍以上だ」
「そうなんですか」
「7億円当たる前に交通事故でお陀仏だよ」
「そうなんですか」
「お前はそれしか言えないのか!」
「言えません」
「何か言えよ」
「その前に寿命が尽きるでしょ」
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年02月12日

退職したら家事は半々?

またもやコロナ禍で巣ごもり暮らしだ。暇になると色々思い出す。定年退職後の二人暮らしもその一つだ。在職中は私は仕事、妻は家事と一種の分業が成り立っていた。それが退職して家でブラブラするようになるとバランスが崩れた。二人とも思惑が外れてイラつき始めたのである。

私は虚弱体質で極端に疲れやすかった。仕事から帰るとご飯食べて直ぐ寝てしまう弱い人。妻は私が仕事を辞めてしまうことを恐れて、懸命に支えてくれた。だから二人とも定年退職を凄く楽しみにしていたのだ。

待ちに待った「ハッピーリタイアメント、さあノンビリするぞ!」と喜び勇んだのは、つかの間。厳しい現実が待っていた。期待に反して、なんだかんだと居心地が悪い。しばらくすると自分の立場に気付いて愕然とした。

我家はいつの間にか妻の支配下にあり、私は単なる新入りに過ぎなかった。二人にとって「家でノンビリ」は長年の夢。ここは天下分け目の関ヶ原、お互いに負けられない状況だ。私は創意と工夫で、この難局を打開する決心をした。妻も自分の城を守る決意は固く一歩も譲る気配はない。

新入りの私は、先ずは敵を知ろうと威力偵察。半年もすると、二人暮らしのコツを覚えた。嫌・駄目・出来ないはご法度。一生懸命やる必要はない。とりあえずは「うんうん、それもいいね」と首をたてに振れば、万事OKだ。

「家事は半々」と言われても驚くことはない。「うんうん、それもいいね」と言って置けばいいのだ。別に、何時からと言われた訳ではない。だが「明日からやって」と言われたら、少々知恵を働かさなければならない。

「うんうん、いいね」は決まり文句だから、そのままで良い。難しいのは後半だ。間違っても「出来ない」と言ってはいけない。そんなこと言ったら、厳しい訓練が待っている。妻は決して甘くはない。「予定があるので三日後からやります」と、とりあえずは先送りする。三日後に同じことを言ってくることは滅多にない。

敵の弱点は充分研究してある。妻は忘れっぽいのだ。しかし、忘れっぽい妻が三日も覚えていたとしたら、ただ事ではない。毅然とした対応が迫られる。

「食事は支度から皿洗いまで私がやりましょう!」
「ホント? 頑張ってね」
「ご飯できましたと言うまでテレビでも見てて下さい」
「上げ膳据え膳ね」
「出したものは残さず食べてください」

結局、三日ももたなかった。私は「良い作り手」になれなかったし、妻は「良い食べ手」になれなかった。そして、其々の得意分野を生かすのが良いと悟ったのだ。事態は何も変わらないのに争いはなくなった。ポイントは家事は半々、との提案に両手を挙げて賛意を表したことにある。こんなことで良いのだろうか。小ズルくて(^-^;) ゴメン

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2022年02月05日

心の中の目

先日、久しぶりに兄から電話があった。長話になったが、お前、とても良い人と一緒になったねと言われて答えに窮した。素直に「はい」とは言えないのだ。と言うのは私が十年以上もかけて悪妻を優しいお母さんに作り替えたと思っていたからだ。今考えると正直で良い人に巡り会ったと思う。

母親には恵まれなかった。食卓を一緒にした記憶がないし、愛された記憶は全くない。子供の私は常識が邪魔をして、母親の本心を見抜くことが出来なかった。生活保護と私の親孝行に頼る自分勝手な人と気づいたのは二十歳の頃だった。

話は戻るが、定年退職をきっかけに妻とのトラブルが始まった。この先は二人で暮らすしかないのだから、自分が変わることにより、相方を優しいお母さんに変える決心をした。長年夢見ていた、憧れのお母さんを作ることにしたのだ。

二人暮らしは単純だ、相方は自分を映す鏡のようなものだから、変えたいのなら自分が変わるしかないのだ。それを知らなかった私は丁寧に説明して理解を求めたが、全く効果がなかった。考えてみれば当たり前だ。相手は鏡の中の私だから。クドクド言って聞かせても反発されるだけで、話など何も聞いてもらえない。言うだけ無駄だった。

とは言え、現状は悲惨だから変えなければならない。ヒントはドラマの中にあった。ヒーローは変身して自分を変えることで、周囲を変えていく。一対多数だから大変だ。とても普通の人にできることではない。ただし、二人暮らしなら話は別だ。相手は一人なので一対一、普通の人でも相手を変えることが出来る。簡単に言えば、自分が優しくなれば、いずれ相手も優しくなる。態度を改めれば良いのだ

先ずは絶対服従と決めた。そんなことかと思うのは、現実を知らない人の反応だ、冷たい戦争中の二人暮らしは会話も接触も少ない。従って、服従するチャンスも少ないのだ。四六時中、絶対服従、絶対服従と心の中で唱えていなければ、千載一遇である服従のチャンスを逃すことになる。

チャンスを捉えるより大切なことがある。それは、服従しながらも優しい目をしていること。それがなければ相手を変えるのは無理。そして、会話も接触も少ない時は、相手が変わるとしてもホンの少しである。しかも、こんな状態が延々と続くのだから辛抱が必要だ。

心が折れそうになっても私には、優しいお母さんを得て幸せな暮らしをするという、最終目標がある。「求めよさらば与えられん」とは本当だった。お母さんと呼べる人は居なかったが、妻を優しいお母さんに作り替えてしまった。

「肝心なのは目力、力を付けるのに5年はかかりますよ」
「目力?」
「目はその人の心の中を映し出す鏡と言われています」
「それがどうした」
「目を見れば、その人の心の様子が分かるのです」
「本心がわかるのか?」
「態度が服従でも目が反抗していたら逆効果なのです」
「なるほど、肝心なのは目力だな」
「そうなんです!」
「アンタ、目が赤いぞ。力の入れすぎだよ」

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posted by 中波三郎 at 18:25| Comment(0) | 80歳以降

2022年01月29日

耳は不思議ね

幸せ本線に乗っているから悩まない。苦しいことがあっても治れば直ぐに本線に戻ってしまう。ところで、耳が悪くなっても自分では分からない。だが、今のテレビは音量をデジタル表示してくれる。音量を上げれば数値が上がるので、嫌でも難聴を自覚してしまう。

目には老眼鏡、歯に入れ歯、ついに耳には補聴器になってしまった。一般社会をを戦場に例えれば、私は無敵の特殊部隊の隊員と空想した。暗い所では暗視鏡、耳は高性能受信機を装備して世の中で戦っている。しかし、入れ歯の隊員を空想できなかった。高性能入歯で噛付きとかどうかな?

難聴は不思議だ。聞こえてくる方向が分からないし、大きく聞こえる音もある。洗面所で歯を磨いていると、少し離れた居間からお母さんの話し声が聞こえ、電話かなと思った。声が緊張しているのが気になって居間に行った。そこには誰も居なかった。トイレ前にスリッパがないのでトイレでもなさそうだ。電灯が点けっ放しなのに気付いて消した。

突然、玄関の方から大きな声がしたが、緊張感が更に増している。一体どうしたのだろう? 玄関に行ってみたが誰もいない。覗き窓から外を見ても誰も居ない。その時、お母さんの叫び声が聞こえた。外ではないらしい。一体何があったのかと緊張して戻り、トイレの前でお母さんを見つけた。

「勝手に換気を止めないでよ。臭いでしょ」と怒鳴られた。なるほど、歯を磨いていた時、居間で声がすると思っていたけど、トイレだったのか。換気は止め忘れていると思って止めたのだ。それでも臭くてゴメンと謝った。自分の出したウンコの匂いだから我慢しなさいとは言わない。家事全般はお母さんの仕事で、我慢は私の唯一の仕事と割り切っている。

「人が入っているのに、何で電灯を消すのよ」と立て続けに叱られた。そう言えば、あの時はかなり怒った声だった。私も緊張して玄関に走った。状況把握も方向も間違っていた。補聴器は付けているけれど、左耳だけだ。右耳は聞こえないので方向が分からない。私は不思議だと思いながらも錯覚を楽しんでいた。スリル満点で緊張したが神秘的でもあった。

難聴は不思議だ。音の世界が変わる。方向、音質も変わる。補聴器を付けても大きくなるだけで聞きにくいときもある。感覚が今までの自分と変わるから不思議だ。

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2022年01月22日

浅知恵

世の中は思い通りには行かないものだ。一生懸命調べて考えたのに、悪知恵と一蹴されてしまった。

定年退職して家でブラブラしていた頃、ある新聞記事が目を引いた。見出しはこうだ、「妻が怖くて退職言えず…」「生活費稼ぎの為ひったくり」。当時は妻と二人暮らしで、何かと虐げられていた。他人事ではなく身につまされる記事だった。私だって妻が怖いから働いているフリをしたい。

ならば、給料をもらっているフリもしなければならない。幸い私にはへそくりがある。新聞記事の男みたいに「生活費稼ぎの為ひったくり」などをする必要はない。使いきったら失業したと言えば済むことだ。何よりも「仕事しています」と言う雰囲気を出すことが肝心だ。

先ずは就業規則だ。勤務時間は10時から16時、週休三日制、年次休暇は50日。こんなものでどうだろう? これで規則に基づいて働いている感じが出てくると思う。役職は課長ぐらいにしようかな。時には上司に言われて仕方なく、と言えるような歯止めも肝心だ。何から何まで自由では「働いている感」が滲み出てこない。

名刺は業者に頼む、パソコンで作ったような名刺では課長の貫禄が出てこない。給料明細書はパソコンで作れる。幸い私はプリンタを持っていない。妻はネットプリントでコンビニで出力とは夢にも思わないだろう。ネットでもらった暗証番号をコンビニの多用途プリンタに打ち込めば、20円で明細書が印刷される。経費としては安いものだ。

大切なのはオフィスだ。これがなくては折角用意した課長の椅子の置き場がない。実は耳寄りな話があった。ある人が事務所に借りたワンフロアの半分を自分が使用して、残りを又貸している。6脚の事務机があって、事務机1脚分の場所を月9500円で貸してくれる。電話の取次ぎもしてくれるし、郵便物なども各机ごとに振り分けてくれる。しかも、一階が喫茶になっているので、お客様の応接も出来るのだ。

これなら名刺に固定電話の番号も入れられるし、住所も世間に知られた伝統あるビル名を使える。勤め先オフィスとして、充分機能するのではないか。長年連れ添った妻を騙すには最低限、この程度の準備は必要だ。

新聞記事の男は、妻が怖くて退職したことを言えなかった。その気持ちは分かるが、何の準備もしないで働いているフリはまずかった。それが「生活費稼ぎのためにひったくり」に繋がったのかも知れない。配慮が足りなかったと思う。

「友人の友人が机を一つ借りていて、趣味のサークル活動の事務局として使っているそうです」
「何を考えているのか知らんが、働きたいのなら真面目に働け。働いているフリなどとんでもない!」
「友人の友人が4月の(本職)移動で地方に転出するそうです。そこを借りられればオフィスの問題も一 挙に解決して、憧れの『仕事』ができるのです。楽しみですね」
「アンタは人の言うこと、何も聞いてないね」
「奥さんが怖くてひったくりなんて可哀想ですよ」
「俺は悪知恵が働くお前より、ひったくり男が好きだな」
「そうですね。私もです」
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2022年01月15日

さえずりたい

昨日、久しぶりに長電話をした。話しの中でAさんが自分自身の壮絶な人生を語ってくれた。とても感動したので、私も40年以上前のことを打ち明けたくなった。それは「音痴なのに歌うな」と叱られた情けない話だ。初めて人に話してスッキリした。簡単に言うと次のような出来事だった。

職場の懇親会で皆が順番で歌うことになった。大きな会場なので遠慮したが、歌えと言われて歌った。三日ぐらいして、近所の友人三人で飲む機会があった。散々飲んで12時を過ぎた頃、目の据わったB君に「お前は音痴なのに何故歌うんだ」と叱られた。頼まれても歌ってはダメだと絡んできた。家に帰ったのが午前2時頃だから、随分長く絡まれていたものだ。

B君はベロンベロンに酔っ払っていて、このことを覚えていなかった。彼はほとんど意識のない状態で、胸に溜まっていたことを一気に吐き出したのだ。正直に言ってもらって目が覚めた。私が歌うと不快に感じる人がいることが分かったのである。以後、25年間人前で歌ったことはない。

それなのにカラオケに行くようになったのには訳がある。65歳の時、Cさんにカラオケに誘われた。Cさんは、あるカラオケ会に入ったが歌えないので練習をしたいと言う。練習仲間として選ばれたのが、音痴の私と仲良しのDさんだった。ビールがジョッキで一杯付いて、150円と言う破格の安さだ。それに三人で三回の誕生日にはケーキが付く。法人カードを持っていて、各種割引を駆使するとこうなるそうだ。

その頃、地元を語るFMラジオで放送委員の一人として中島公園の話をしていた。公園だけで1時間はもたないので、私が所属するシニアネットのカラオケ会の会長にゲストのお願いをした。カラオケ会を知る必要があったので、取材のつもりで例会に参加した。歌うつもりはなかったが、無理矢理舞台に立たされて(楽しく)歌ってしまった。カラオケは健康にもいいのですよと誘われ、その後の例会にも参加するようになった。

当時のカラオケ会は酒を飲みながら歌うのが普通だった。私は酒に弱いので直ぐ酔っ払って、我を忘れて歌ってしまう。それから10年もすると、飲まないで歌うのが普通になってきた。それでも私はさえずりたいのは、動物としての本能かも知れない。小鳥のようにピーチクパーチク。皆様のおかげで楽しく歌わさせてもらっている。今は持病とかコロナ禍の影響で休んでいるが、例会に参加できる日が来ることを楽しみにしている。

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2022年01月08日

やめましょう

1月4日に4回目の検査を受けたが、結果は変わらないので専門家の判断に委ねることになった。現在の状況は癌転移の観察を続けるか、手術をするか二つに一つ。結果は近日中に出る予定。ブラブラしているのも勿体ないので、少しでも病状回復の為、私に出来ることはないか聞いてみた。

先生は「普段通り生活していて結構です。癌を早く見つけて直ぐに手術することが第一です」と言った。しかし、私が普段通りに出来ることは食べて寝る事。そして20年近く続けていて、習慣になっている公園散歩と、ブログやホームページの更新だけ。他のことにはなかなか手が付けられない。

一年の計は元旦にあるというけれど、元旦は何となく過ぎてしまった。新年の抱負は書き損なったので、似たようなものを書くことにした。一応、現在の気持ちを素直に書いたつもりだが、これで良かっただろうかと自問している。

気分転換に独りよがりの老人会を考えてみた。世の中は金と才能のある人に支配されている。そして、彼等が自分の基準で才能ある人を選んでいる。何とかしてこの基準を変えたい。もし無能な人が世の中を支配すれば変えられる。良し悪しは別として変わる。怖い感じもするけどね。

新基準が出来れば、音痴の人にレコード大賞(の様なもの)を与えることが出来る。悪文の人に芥川賞(の様なもの)も与えることが出来る。不可能なことも可能となるのだ。なぜ、老人会かと言うと、自分が無能と見極めるには永い年月が必要だからだ。私は50年もかかった。

それに、老人だから末永く吹きだまってもらえる。若者だったら進歩して去ってしまう。だから、才能がなくても認められたい老人には、今と違う基準が必要だ。無能な老人は団結して新しい基準を作るべきである。世の中は1%の天才と9%との怠け者と90%の真面目だが報われない人で構成されている。民主主義国なら多数決が機能するはずだ。

試みに、無能老人会の決まりを作ってみた。
1.入会資格
  しょうがない人、一度も賞をもらえなかった人
2.対象作品
  意見、川柳、絵、写真、その他メールで送れるもの
3.表彰の決まり
   種 類:むいみで賞、むなしいで賞、やめま賞
   審査員:当分の間ボク

「なんだ、これが新年の抱負か。ふざけるな!」
「抱負のようなものです」
「意味がないだろう」
「むいみで賞、もありますよ」
「バカバカしい」
「笑って暮らしましょう」
「むなしいねぇ」
「そうですね、やめま賞」
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2022年01月01日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
昨年は手術した舌癌のリンパへの転移が疑われ、12月は3回の検査をしました。その結果、年明けの4日に4回目の検査を行うことになりました。年末の27日の入院予定がキャンセルされたので、一先ずは安心しています。

新年は、これからの抱負などを書いてみたいと思いましたが、次回に延期します。4日の検査結果を聞いてからにします。このような訳で、1月8日(土)に今年の予定などを、希望を含めて書きたいと思っています。

万一入院ということになっても、それはそれで良いことと思います。お医者さんたちが治してくれるのですから。今年もよろしくお願いいたします。

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明治17(1884)年、社殿を現在地に建立。中島公園界隈で一番古い神社。後方に薄野の高層ビルが見える。
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2021年12月25日

生活習慣は強い

2年間お世話になっている口腔内科の先生から「27日からの入院はキャンセルしました」と言われてホッとした。今年の正月も今までどうりに家で過ごせる。

心配で何も手が付けられなかったと言っても、中島公園散歩とホームページ、ブログの更新は行っている。18年も続けたことは習慣になっているので、自然に体が動くのだ。

全身倦怠感やリンパ節の腫れなどの自覚症状はない。ただ、超音波検査(エコー検査)の結果で異状が見られたので、造影CT検査と悪性リンパ腫・PET検査とかの検査をしたようだ。その結果が曖昧で「切ってみて癌が無かったら困る」と先生は言っていた。それでは私も困る。と言うことで27日からの入院はキャンセルされた。

手術の必要性は1月4日のエコー検査で、癌らしきものが大きくなっているかを見て判断することになった。私の考えでは小さくなっていると思う。退院後6回はエコー検査を受けているが、引っかかったのは今回だけ。たまたま何かが癌風に見えたのではないかと思っている。

今は悩みと言っても深くはない。例えば、歌が大好きなのに音痴で悩む。もの覚えが悪いので「手話の勉強」で悩む。これらと同じ程度だ。おおまかに言えば悩んでいない。

幸い私は幸せ本線に乗っている。小さな悩み事があっても、過ぎ去れば直ぐに本線に戻れる。入院がキャンセルになった今は、一先ず幸せに感じている。来年も今までと同様、静かで幸せな明るい年になると思っている。

ところで、お母さんが珍しく私にクイズをだした。「アタシの今年一番良かったこと当ててごらん」。いきなりそんなこと言われても無理だ。一日三度のご飯の支度をしたり、掃除洗濯ばかりしていて、気晴らしの外出もしていない。どこに良いことがあるのかサッパリ分からない。

「自分のことばかり考えているから分からないんだよ」
「すみません」
「入院がキャンセルされたことでしょ」
「心配してくれてありがとう」
「はぁ?」
「私のことを心配……」
「いろいろメンドクサイんだよ」

なるほど分かった。お母さんにとって食事用意、掃除洗濯は日常の習慣なのだ。そう言えば私の散歩、ウェブサイト更新も毎日の習慣である。誰でも習慣でやっている日常作業以外はメンドクサイものだ。何故か和田弘とマヒナスターズの『潮来船頭さん(作詞:古川静夫)』の歌詞を思い出した。
それでいいんだ いいんだよ
漕いでギッチラコとヨー 泣いている
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2021年12月18日

雨垂れ石を穿つ

世の中は複雑すぎて、自分の力では何もかも思うように行かない。しかし、退職して二人暮らしになれば話は別だ。相方を説得して好きなように生きられる。

相手が一人だから対応が簡単で、効果の確認も正確に評価できる。失敗したら止める。成功したらやり続ける。簡単に言えばこれだけで良い。といっても予め決めなければ、一歩も前に進めないことがある。それなりの覚悟も肝心だ。

決めるべきは、この先一緒に暮らすか離婚するかである。先ず離婚について考えた。宣言、諸手続き、一人暮らし、その他諸々について、三日三晩懸命に考えた。結論は私の様な怠け者には絶対に無理。苦しくても一緒に暮らした方が、より楽でより幸せだ。

このまま一緒に暮らす方が良い。そう決めれば、どう生きるかは簡単に結論が出る。二人で仲良く楽しく暮らす方法を考えて、実行するだけである。

幸い相方はアル中でも薬物中毒者でもない。ギャンブルには興味がなく、浮気もしたことないし、鬱陶しい親戚もいない。お洒落が大好きな浪費家でもない。おまけに物を盗まないし暴力も振るわない。もちろん嫌なところも沢山ある。

自分勝手で我が儘で、私を常識のない人と軽蔑している。しかも、自分本位で人の都合など全く考えない。自分は正しく私が間違っていると主張、私の言い分など絶対に聞かない。

こんな人といかに幸せに、いかに楽に暮らすかを考えた。相方は法令をキチンと守る常識的な人、しかも外面は悪くない。欠点は私に対する態度だけ。これだけを直せば理想的なパートナーになり得る。どうすれば私が幸せになれるか、真剣に考えたら一時間もしないで解決法を思いついた。

結論は簡単だ。自分自身を嫌われている人から、好かれる人に変えればよい。ヒントは大好きな恋愛ドラマの中に山ほどあった。女性に好かれる為に、滑稽なほどの涙ぐましい努力をする。例えば、「男はつらいよ」の寅さんのように。こんなことは人前では絶対に出来ないが、第三者が居ない二人暮らしなら可能だ。楽ちん暮らしは私の夢。やる気満々!

嫌われ者から好かれる人になるには忍耐が必要だ。30年間も嫌われ続けてきたから、好かれる人になるのに15年もかかってしまった。その方法は? 具体的にはこちらをクリックすればリンク一覧 を表示 → タグ/楽しい我家 

まるで、 雨垂れ石を穿つような、忍耐に忍耐を重ねるような作業だった。「終わりよければすべてよし」と思っているが、果たして今は終わりだろうか。考えればきりがない。
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2021年12月11日

公園で出会った二人

定年退職後の十年間は何とも言えない開放感を味わった。嬉しくて楽しくて、全ての人々を友達のように感じていた。そんな気分の時に中島公園のホームページを開設した。それが縁でいろいろな機会に恵まれ、いろいろな人たちと知り合うことができた。Aさんもその一人。ボランティア活動で知り合った絵の上手な女性だった。

ある日、Aさんからメールが来た。少しドキドキしながら開いた。「猫とハーモニカのことだけど、ひょっとして貴方も興味があるかと思ってね。どうもハーモニカではないようです」との書き出しだった。猫ではなく「牧神パン」と書いてあるので違和感を覚えた。正式な彫刻名は「猫とハーモニカ」だし、壊れた耳を修復すればネコそっくりだ。

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中島公園百花園の「猫とハーモニカ」札幌市公文書館所蔵。百花園は廃止され、跡地は「香りの広場」と呼ばれている。耳のある猫の像は写真でしか見たことがない。

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20年前に「香りの広場」で見た時は既に耳が欠けていた。

その後、Aさんがキタラのコンサートに来る機会があったので、開演前に一緒に猫の像を見に行った。
「猫がハーモニカを吹いているように見えますが……」
「ギリシャ神話の神でパンです。パーンとも発音します」
と、Aさんはキッパリと断定した。
「口にくわえているのはハモニカでしょ」
「パンの笛、パンという半獣神が作った笛です」
「そう言えば、胸のあたりが獣っぽいですね」
コンサートの開演時刻も近づいたので、こんな話をしながら短い散歩は終わった。

数日して、Aさんから「中島公園でデートしませんか」とメールが来た。何となくワクワクしたのだが。「……『猫とハーモニカ』のハーモニカは『パンの笛』でした。この楽器は実在しております。何と、パンの笛を自作して演奏をしている方にお会いしました。日曜日午後に中島公園にいらっしゃるそうです。ご都合が良ければ、いらっしゃいませんか」。日時を決めて特定の場所に集まるのもデートなのか。勝手に誤解して恥ずかしかった。

待ちに待ったその日がやって来た。中島公園菖蒲池の看板近くのベンチで話しながら、二人で待っていると、柔らかい笛の音が聞こえてきた。

「パンの笛の音色ですよ。スペイン・カタロニア民謡の『鳥の歌』です」とAさんが言うので、少し歩いて反対側の岸に行ってみると、若い男性が演奏する姿が見えた。初めて聴くパンの笛は素晴らしい。しばらく聴き惚れていた。

その方は竹笛太郎と名乗っていた。アマチュアのパンフルート演奏家で知識は深く、いろいろなことを教えてくれた。「パンの笛」は、世界最古の管楽器で一般的にはパンフルートと言われている。広島で盛んで、日本にもプロの演奏者が10人ほどいるそうだ。

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太郎さんのパンフルート。文字部分を拡大(下)。

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知る人ぞ知る
ヴァイオリンの名器。太郎さんの意気込み、ジョークそれとも偶然の一致。私のハモニカにも書こうかな。

今は中島公園を散歩する程度で、静かに楽しく暮らしている。後にも先にも自ら進んで自由に活動していたのは、この退職後十年余りだけだった。
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2021年12月04日

恥かき人生

私の恥かきは2種類あり、それらが人生を心豊かに楽しくしてくれた。一つは何事も人並みに出来なくて悩む、消極的恥多き人生。もう一つは、能力もないのに、やたらに手を出した積極的恥かき人生だった。いずれも、恥かき最中は一生懸命で後になってから恥ずかしくなった。

何故か長い間、楽をすることだけを目的として生きて来た。今は殆ど全ての家事をお母さんに任せて、楽をさせてもらい幸せだ。「私が長生きできたのは、お母さんのお陰です」と、三日に一度はお礼を言っている。

定年退職後は仕事から解放され自由を謳歌した。羽目を外して出来ない事にまで手を出して散々恥をかいた。これが積極的恥かき人生の始りである。切っ掛けは中島公園についてのホームページの開設だった。

開設1年半後にテレビ局から取材があり、新聞のインタビューもあった。これが切っ掛けで、活舌が悪く満足に話せないのに地元のラジオで中島公園について話した。そして、その道の達人と誤解され、ろくな文章も書けないのに新聞にコラムも書いた。毎回のように担当記者が直してくれた。ここに書いたような文章では新聞には載せられない。

人前で話したことがないのに講演まで依頼され、あちこちで恥をかいて来た。つまり、やらなくてもよいことを沢山やり続け、恥をさらし続けたのだ。そう思ったのは後になってから。当時はやる気モリモリで一生懸命だった。大抵の皆さんが若い時やっていたことを高齢になってやり始めたのだ。

今思うと何か夢を見ていたような気がする。食う為に働く、私にとっては奴隷の様な労働を続けてきた反動だと思う。せっかく自由になれたのだから、何でもやってみようと言う思いが強すぎた。振り返ってみると45年にわたる消極的人生は、現在の幸福感の種になっているような気がする。そして、積極的に恥をかいた定年後の十年も懐かしい。

不思議なことに積極的恥かきは、カラオケ部門で未だに続いている。音痴なのに75歳で始めた洋楽カラオケでは、思いっきり恥をかいた。しかし、歌っている時は何も考えない。伴奏から大きく遅れた時は、懸命に追いつこうとした。ラジオも講演も同じだった。失敗すればするほど真剣になった。

今のように平穏で幸せな人生を送っていると。苦労した遠い昔も、ジタバタ独り相撲を取っていた定年後の年も懐かしい。恥をかきながらも楽しくて充実していた。

長い間退職後を楽しみにして働いて来たが、期待した通りで良かった。余裕ができたら、恥を全くかかないのも勿体ないと思った。そして、カラオケを残すことにした。

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般