2017年10月21日

オパーリンの化学実験?

それほど気が合うわけでもないのに何となく付き合っている友がいた。考えててみると二人とも友達が居ないからだ。私と唐辛子屋はそういう仲だった。彼のあだ名はオパーリン、これからはそう呼ぶことにする。オパーリンは比較的裕福な家庭に育ち、一見優男風だが桁外れの変わり者である。ソヴィエト連邦の生化学者オパーリン博士の「生命の起源」を信奉し誰彼構わずその話をするのだ。

「オパーリンは偉大。オパーリンは生命を作る。オパーリンはダーウィンの再来だ」と熱っぽく話しても誰も聞かない。その代りにオパーリンと言うあだ名が付いた。「生命の起源」など普通の中学生には難しすぎる。先生でも理解できないかも知れない。

オパーリンの提案で無届の化学部ができた。メンバーは三人だけだが放課後に理科室で実験をした。彼は「最終目標は生命を作ることだが、先ず簡単な無機質から始めよう」と言って硫酸と亜鉛から水素を作る実験をした。細かいことは忘れたが、オパーリンが「化学では証明が大切だ」と言って水素らしき気体に火を付けたら爆発した。

突然パーン、パン、チャリン、ガチャンと理科室内が騒がしくなり、異変に気付いた先生が血相変えて駆け付けた。陸軍士官学校出身で痛いビンタを張ることで恐れられた先生だ。身体がブルブル震えてきたが、意外にも先生は怒らなかった。「栓が抜けてよかったな。フラスコが爆発したら今ごろ失明だ」と言いながら安全な実験方法を教えてくれた。

挨拶しない、廊下を走る、遅刻したとか細かいことでは、よく叱られたが不思議なことに大失敗ではお咎め無し。工事現場でのロケット?爆発の時もそうだった。子供の責任では負い切れない程の大失敗をすると、大人は人身事故にならなかったことに安堵する。そして叱るのを忘れるのだ。もちろん私は深く反省したがオパーリンはどうかな? 心の内が見えない人だった。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!

タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 中学時代

2017年10月14日

謎の宇宙旅行協会

愚か者だが中学生の頃はもっと愚かだった。月世界征服(米1950年)という映画に感動して宇宙への旅を夢想した。その第一歩として宇宙旅行協会に入会。月一回発行されるガリ版刷りの会誌にはロケットの作り方が書いてある。簡単そうなので作ろうと思った。

心細いので唐辛子屋の息子と米屋の息子を誘った。この三人は小学校も一緒の悪戯仲間だが、どんな人物かは朗らか先生と真面目先生に書いたので省略する。三人寄れば文殊の知恵で何とか全長30cmのロケットを作り上げた。先ずは試したかったのだ。

人口密集地の渋谷でロケットを発射する場所は大きな道路の工事現場しかない。調べると12時から1時間は昼休みの為、工事現場が無人になることが分かった。準備に30分はかかるとして12時29分にカウントダウンと決めた。「スリー、ツー、ワン、発射!」と映画のようにカウントして導火線に火をつけたが、ロケットまで届かないうちに消えてしまった。予備の導火線に付け替えたりいろいろ試したが、どうしても点火しない。

想定外のトラブルであせった。1時には作業員が戻ってくるので時間がない。万策尽きてロケットを上に向けて立て、その周りで焚き火をした。最低限、点火だけはしたかった。だがどっちに飛ぶか分からない。20mほど離れた物陰に隠れ首だけを出して見守った。

突然の大音響にビックリしてロケットを見るのも忘れた。どこに飛んだかも分からない。慌てて火を消し辺りを見渡すと、休憩所から作業員が飛び出すのが見えた。恐怖におののいたのはつかの間だった。遠くから「おーい大丈夫か〜」と心配そうな声が聞こえる。どうやら逃げなくてもいいらしい。見つかったら叱られる。ただじゃすまないと思っていたのにお咎め無し。なぜだろう? 宇宙旅行協会って何だろう? 当時の住所は枚方市だった。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 中学時代

2017年10月07日

謎のコレスポンデンス協会?

「小学6年くらいの頃アメリカ人と文通していました」
「嘘だろう。出来るはずない」
職場の先輩だから私の英語能力は良く知っている。困ったことに下手の横好なのだ。
「本当ですよ。アメリカのペンフレンドから誕生日プレゼントをもらいました」

双眼鏡のような形をしていて、覗きながらレバーをカチャカチャと押すと次々にイエローストーン国立公園の風景が立体的に映るのだ。当時(1950年代)の日本では見たことなかったので私にとっては宝物だった。

「大人になっても書けないアンタが何で小学生の時に……」
「英語ですか。ローマ字習いましたよ」
「ローマ字?」
「アルファベットだけで大丈夫です。協会からね。英文が何行か書いた文書が来て、この通り書いて次の住所に手紙を送れば外国から素晴らしいプレゼント……」
「ちょっと待った。協会って何だ?」と先輩は話の腰を折る。

確かユネスコ・コレスポンデンス協会と記憶しているが、違うかも知れない。65年以上前のことなので記憶が定かでない。意味も分からないまま書いて送ったら、忘れた頃に分厚い郵便物が届いてビックリした。開けて見ると美しい風景や華やかな若い男女の写真がいっぱい。全て外国語なので何のことかサッパリ分からなかったが嬉しかった。

郵便料金だけでこんなに綺麗な外国の写真が手に入るとは有り難い。大人になってから考えると私は知らずに観光パンフレットを要求したのだ。考えてみれば罪なことをしたものだ。日帰り旅行をする余裕もないのに海外旅行の資料を要求したのだ。それにしても汚いあばら家によく届けてくれたものだ。郵便配達員は首を傾げていたに違いない。

ユネスコ・コレスポンデンス協会?のサービスは海外ペンパル紹介、手紙の翻訳、そして特別企画「こう書けばコレがもらえる」だった。今考えると子供相手の怪しげな英語ビジネスとの印象だ。料金は子供の小遣いで払える程度。果たして儲かっていたのだろうか。それともボランティア? それにしても1950年代は混沌として何でも有りの時代だった。

「英語も分からないのにアメリカ人と文通してたのか」
「コレスポンデンス協会で翻訳してくれるので、それを見ながら書くのです」
「大袈裟に言えば詐欺だな」
「何でですか?」
「文通相手のアメリカ人に英語ができると思わせている。とんだ三角野郎だ」
「四角四面の真面目人間ですよ」
「その実態は怠け者」
「今じゃ動物園のナマケモノ」
「なるほど、エサは年金、家は檻(おり)」

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代

2017年09月30日

気分が一番大切

やってはいけない事をしてしまった。それは自分の歌を録音して聞くことである。12年前にカラオケを始めた時、これだけはやらないと決めていた。聞いたらガッカリして歌う気がしなくなると思ったからだ。やっぱりガッカリしたが止める気はしなかった。

12年とは途轍もなく長い時間だ。5歳でフィギュアスケートを始めた少女が世界の頂点に立つまでの時間である。それなのに私の時間は何も残さずにアッと思う間に過ぎ去った。馬齢を重ねるとは正にこのことだ。

ところで、65歳でカラオケを始めて10年たったとき、洋楽カラオケに手をつけた。そして2
年たった。結果として好かったと思う。音痴は直らないが言葉は繰り返すことにより口が回るようになる。何となく進歩したような気分になるから有難い。

将棋も玉突きも繰り返して練習したが何の成果もなかった。英語の歌は意味が分からなくても口が回れば、歌えたような気がするから面白い。私にとっては気分が一番大切だ。周囲の人には申し訳ないが聴いてもらえるような歌ではない。それでも人前で歌えば百倍も楽しい。我ながら困った性格だ。自分がこんな人間とは知らなかった。

スポーツや芸能・ゲーム一切できない。いろいろやった結果、自分には生まれつき能力がないのだと諦めた。当然仕事も出来ない。曲がりなりにも英語を使う仕事だった。口が回らない私は繰り返し繰り返し一生懸命練習した。そのせいで本当は怠け者なのに真面目な努力家と誤解された。退職後は化けの皮も少しずつ剥がれ、今は完全脱皮状態である。

当時は仕事だから口が回るようになるまで繰り返すより仕方がなかった。お蔭で繰り返す癖がついた。私にとっては良い癖だ。同じことを何回繰り返しても厭きることがない。そういうものだと思っている。お金もかからないしね。おまけに健康にも良いのだから止められない。

「アンタが英語の歌をね〜」
「ホンの真似事です」
「心配してるんだよ。大丈夫か?」
「訛っていますが何とか」
「そういえばインド人は訛っているな、タンキューとかティンクとかね」
「私の場合は国とか地方は関係ないのです。中波訛りですから」
「中波って何だ?」
中波をご存知ない方はお手数ですがこちらをClick! →複雑な家族関係

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 後期高齢

2017年09月23日

子供たちの小遣い稼ぎ

前回ガラスを売って映画を観た話をすると先輩は異議を唱えた。
「何で、そこにガラスなんかが埋まっていると分かるんだ」
「小さな畑の片隅には焼け残った物を埋めた穴があるのです」
「何で畑に埋めるんだ肥料にもならんぞ」
「皆そうしてるよ。何でかな?」

元々狭い土地を無理をして畑にしているのだ。地上にガラクタを置いておく余裕は無いから埋めている。それが5年もして経済が上向けば資源に変わるのだから面白い。子供でも金が稼げることが何よりも嬉しかった。大人になった気分で映画館に行った。

最初に見たのが「毒薬と老嬢」、次に観たのが「夜も昼も」だったかな。いずれもケイリー・グラントが主演。内容などどうでもよかった。夢の国アメリカを感じれば好いのだ。英語も分からないのにアメリカ人と文通していた。「ユネスココレスポンデンス協会?」とかで翻訳をしてくれる。料金も安くガラスの稼ぎで間に合った。

ところで焼跡資源の掘り起こしは組織的に行われた。リーダーは子供はつらいよの魚屋真ちゃんだった。彼の家には商売で使うリヤカーと秤があったからだ。集めたガラス等を決められた日に真ちゃんの家の前に持って行く。彼はそれを量ってメモをする。グループは10人くらい居たと思う。ガラス、鉄、銅とか分けるが殆どガラスだ。種別に分けて全部まとめてクズ屋に売るのだ。

2,3人がリヤカーを押して、みんなゾロゾロと付いて行く。渋谷は坂が多いので上がり下がりは皆で協力して運ぶ。上がるときは皆で押し、下がるときは交代で引く。クズ屋は1キロほど先だが幾ら貰えるか楽しみにして頑張る。

売ったらその場で真ちゃんはメモに書いた重量に基づいてお金を分配してくれる。言えば簡単だが計算も必要だしつり銭の問題もある。真ちゃんはいつも魚を売りに行っているので手際がいい。このときばかりは15歳の真ちゃんが頼もしい大人に見えた。
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代