2017年01月07日

生い立ち

「実はね私、お金持ちの生まれなんですよ」
「ああ、そうかい」と、先輩はそっけない
疑っているようだ。彼は2歳年下だが職場では先輩なので未だに上から目線だ。
「女中さんだって5,6人居たのです」
「結構毛だらけ 猫灰だらけ。俺んちは10人だ」
「真面目に聴いて下さい」
「アンタは貧乏くさいんだよ。いきなり金持ちだったとか言われてもねぇ」
「そうですね。分かりました。詳しく説明しましょう
「いいよ。俺忙しいから」

もし貴方がNHK朝のドラマを観ていたら、「ぺっぴんさん」に登場する坂東すみれの生家を覚えているかも知れない。ストーリーはお金持ちが米軍の空襲で何もかも失うところから始まる。それは私の生い立ちと余りにもよく似ている。終戦時は5歳だったが「ぺっぴんさん」のすみれみたいに大きな庭と池のある邸宅で育てられたのだ。

そして我が家には何人もの女中さんが働いていた。幼かった私は彼女たちに身の回りの世話をしてもらっていた。終戦時の家族は父母と9歳と7歳の兄、そして5歳の私、当時では珍しい核家族だった。何故か母は忙しく、子育てまでは手が回らないようだった。

次兄は後頭部に楕円形の小さなハゲがある。「お前にナタで殴られた」とよく言われた。何回も言われると本当のような気がしてくる。長い廊下をナタを持ってキャッキャと笑いながら次兄を追う自分の姿が見えて来る。何となくそんな気がするのだ。歳を重ねるに従って気になってきたが、聞いて確かめる術はない。彼は30年以上前に行方不明になっているからだ。これはほんの一例。22歳までの記憶はなにもかも闇の中である。

「5歳の記憶ってあやふやなものですね」
「俺はとっくに忘れているよ。必要がないからね」
「自分の記憶には人から聞いた話が含まれているのです」
「人がウソを言ってもアンタの頭の中でホントに化ける」
「例えば家の中に父が勤める会社のマークが刻まれたアルマイト製の食器が山のように積まれていたことを覚えているのです」
「幼児じゃあ会社の名もアルマイトも分からないのにな。後で人から聞いた話だろう」

それらは敗戦の混乱の中で持ち込まれた隠匿物資の一部と思う。金属が極端に不足した当時としては宝の山である。母は父の仕事について心配していた。戦前から物資を扱う仕事をしていたが戦後は闇商売にも手を染めていたからだ。

父は首都圏で海軍関係の仕事をしていたが、戦後はいち早く米軍関係に乗り換えた。接待のつもりか我家の広間でダンスパーティーなどを開いていた。軍服を着たアメリカ人と着物姿の日本女性が踊っていて、父も母も英語で談笑していた。これも5歳の記憶としては、かなりの疑問符が付くと思われそうだが、そう記憶している。

我が家の悲劇は終戦から少し遅れてやって来た。ある夜、男が「伊吹さんがやられたー」と叫びながら玄関のドアを激しく叩いた。そして血だらけになった父が担ぎ込まれた。大怪我をして頭から血を流していた。幼かった私は怖くもないし悲しくもない。ただ皆が大騒ぎしていたことだけを覚えている。その傷害事件からしばらくして父は家を出た。

沢山の握り飯をリュックにつめている父の姿を今でも覚えている。なぜかそこは日当たりのいい廊下だった。北海道に逃げたそうだ。闇物資を巡るトラブルで身の危険を感じ、母子を置き去りにして身を隠したのだと思う。

混乱期は欲望と裏切りの世界でもある。混乱の中で一部の人は財を築いたが多くは躓いて傷つき表舞台から消え去った。父もその一人だ。誰もが自分の身を守るのに精一杯だった。戦争が終わっても個人の戦いは続いていた。5歳の私は何が起きたか分からない。悲しくもないし心配でもなかった。

父が遠い所に行ったことしか覚えていない。母一人が怒り狂っていて、そばに寄るのも恐ろしかった。何故か家族でご飯を食べていた記憶がない。父が居る時も居ない時もそうだっだ。5歳の記憶は纏まりもなくあやふやだ。

「一コマの画のように断片的な記憶は残っているのに何故か感情が伴わないのです」
「悲しみも悩みも恨みもない。なんだか俺んちの猫みたいだな」
「優しさとか怖さは覚えていますよ」
「優しさねぇ。ミーコだって分かってるよ」
「家で働くお姉さんたちに可愛がってもらいました」
「まるで猫可愛がりだな」
「人を猫あつかいするのは止めてください!」
「とんでもない。猫を人扱いしているんだよ。お互い尊い命じゃないか」
「そうですね。みんな平等みんな仲良くが一番です」
「ところで怖いのは?」
「それは言わないルールです。思い出は楽しくなくてはいけません」

毎週土曜更新、次は1月14日、「生い立ち2-東京へ」です。
またの訪問をお待ちしています!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 幼児時代

2017年01月01日

2017年1月1日『空白の22年間』開設について

2017年1月1日『空白の22年間』開設について

もし私に親友がいれば、やりたいことがあります。
それは夢や希望を語り合って心を通わせることです。
家族はいても人生を語り合うことはありません。
腹いっぱい食べていますが心のビタミンは足りないのです。

衣食足りて60年たったら精神的にもビタミンが欲しくなりました。
その様な訳で、心の栄養を求めて55年の時空を超える旅に出ます。
と言っても仮想の旅、ブログを書きながら空白の22年をたどりたいと思います。
個人的な楽しみで書いていますが、ご一読下されば嬉しく思います。

毎週土曜更新で第1回は1月7日、タイトルは「生い立ち」です。
ご訪問をお待ちします。

中波三郎(仮名)
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 人生全般