2017年03月18日

終戦後の渋谷

「私が住んでいた渋谷区金王町は焼け跡の中の田舎という感じでしたね」
「焼け跡に田舎も都会もないだろう」
「それがあるから不思議です」
「そうかい」と、今日の先輩はやけに素直だ。
「焼け跡に闇市が出来れば都会、その他は田舎。つまり自給自足
ですね」

私の言う「終戦後」とは敗戦の影響を色濃く残していた1952年ごろまでのこと。言い換えれば連合国占領時代を指す。今回は1947年頃のことだが、空き地は全て畑になった。大きな土地は麦畑。その横を通るとき麦を一口失敬する。もみ殻ごと口に入れて噛んでいると粘々してくる。水道でもみ殻を取り流すとガムのようなものが出来る。これを噛んでチューインガムを楽しんだ。褒められた話ではないがこれも自給自足だと思う。

小さい空き地は野菜畑になっていた。他人の土地でも畑にしてしまうのだ。食料不足は深刻なので空き地の畑作については地主も文句を言わない。我家の前は地元では知られた金貸しの所有する土地だがウチの畑だった。許可を受けていたかどうか子供の私には分からない。たいていの家では卵を得る為にニワトリを飼っていた。一部の家ではヤギやウサギを飼っていたがペットではない。全ては飲食のためである。

極端な燃料不足でトラックの代わりに荷馬車が登場した。都電(路面電車)「青山車庫前」停留所より並木橋方面に延びる道路は「かいせん道路」と呼ばれていたが本当の名は知らない。ともかく舗装された立派な道路だ。のろのろ歩く荷馬車を追い越してカラフルなアメリカの乗用車が颯爽と走っていた。生活水準の差を見せつけられたシーンだ。しかし、道路をパカパカとゆっくり歩く荷馬車は子供たちに人気があった。

「通学のときは荷馬車の後ろにぶら下がるんですよ。御者の小父さんは怒るけどね」
「危ないから注意するんだな」
「馬が疲れるからです。子供でも5人もぶら下がれば重いでしょ」
「なるほど、馬への愛だな」
「凄い剣幕ですよ」

しばらくは楽ちん通学を楽しんだが、結局は怒る小父さんの怒号に恐れをなして止めた。馬が疲れれば弱る。馬は大切な財産だ。失えば自分の生存を脅かさられるから小父さんは全身で怒るのだ。子供になめられるようでは大人も生きていけない世の中だった。

暮らしがが安定して世の中が平和になると、「昔の大人は叱ってくれた」とか懐かしそうに言う人が出て来た。確かにそのような教育的指導をする大人も居たのだろう。それも一つの事実と思うが私の体験とは違う。

私にとってほとんどの大人は怖いだけの存在だった。毎日の「仕事」は親、先生を含めた怖い大人からの攻撃をかわすこと。それに尽きた。そうしなければ弱い子は潰されてしまう。しかし子供も相当悪かった。当時の子供である私は、これを書きながら反省している。

「アンタ案外ズルいんだな」と先輩はズケズケ言う。
 「そうですね。つい逃げたり嘘ついたりしちゃうのです」
 「一緒に仕事をしていたときは正直で真面目な奴と思っていたけどな」
 「仕事用の顔も必要でした。状況が複雑ですから」
 「単純な状況など何処にある?」
 「我家です。子供もとっくに独立して、老人の二人暮しですから」
 「なるほど」
 「攻撃側が1人なら簡単にかわせます。2人なら難しい。3人以上だったら不可能ですね」
 「それで真面目なフリをしていたのかい」
 「仕方がないでしょう。生きる知恵です」
「アンタ案外ズルいんだな」

「それは言わないルールです」
「なんだと?」
「話が元に戻って無限ループに入ってしまいます。お仕舞にしましょう」

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代