2017年04月22日

子供はつらいよ


魚屋の真ちゃんがリヤカーを引いて坂を上って来た。町内の人だから知り合いである。魚屋のオヤジは凄く怖い人だ。中学生の真ちゃんは学校から帰ると売れ残った魚を売りに行かされる。渋谷は坂が多いので一人で坂を上るのが辛そうだから押して上げた。

「押してくれても何も上げないよ」
「分かってるよ。オヤジが怖いんだろう」
私は小学生なのに生意気な口を利く。真ちゃんはオヤジに虐げられて気が弱くなっているのだ。悪いけれど年上と言う感じはしない。ようやく坂を上りきる。

「サンキュー、だけど商売ものは上げられないんだよ」
「分かってますって。心配無用」
分かっているのは真ちゃんの腹の内だ。そのまま食える加工品でも上げたいのはやまやまだが、オヤジに知られるのが怖くて上げられない。根が優しい真ちゃんは迷っている。

こっちは腹ペコだから、くれるまで待とうとホトトギスの心境だ。私の気持ちは変わらないのに真ちゃんの心は揺れている。最後の勝利はこちらのものだ。

売れ残りの魚を売るのは楽じゃない。なかにはイチャモンを付ける人もいる。眼鏡をかけた青白い男が「こんな活きの悪いの食えたもんじゃない。エゴかったぞ。金を返えせ」と言って腐りかけた昨日の魚を持って来た。

真ちゃんは黙ってうつむいている。金なんか返したら大変だ。オヤジにこっ酷く怒られる。魚屋のオッサンは凄く怖いのだ。真ちゃんがシクシク泣き出した。いよいよ私の出番だ。

「オジサンの家はそこだよな」と指を差す。
「それがどうした」
「魚松のオッサンは怖いよ。息子から金取ったと聞いたら怒鳴り込んで来るぞ」

オジサンは魚を持ってスゴスゴ帰った。私は嘘を言ったのではない。魚松の家ではオヤジが威張り散らし、奥さんは唯唯諾諾と従うだけ。4人の子供は奴隷の様に使われていた。そうでもしなければ空襲で全てを失ったのに、1年で魚屋を再建することは出来ない。

真ちゃんは泣きながらリヤカーの中を物色している。ようやく決心したのか、さつま揚げとハンペンを持って来た。私はさつま揚げの臭いをかいだが異臭が無かったので、少しだけかじってみた。大丈夫だ悪くなっていない。こうして今日も栄養満点の食い物に有り付いた。明日も何とかなるだろう。

「売れ残りでも新鮮な魚もあるけれど、加工品は危ないので注意が必要です」
「今でいうところの日切れ食品だな」と先輩はしたり顔で言う。
「たとえ隣人でももらい物は要注意です」
「明日でも食えるものを今日他人に上げたりはしない」
「もらう者の自己責任で食べるのです」
「テレビドラマの腹ペコな人はもらった途端にかじりつくけどな」
「目と鼻と舌でチェックするのが基本です」
「応用編もあるのか?」
「基本チェックで合格したものを蒸かして、熱でバイキンを殺します」
「かなり念入りだな」
「子供の時から健康第一、歌って暮らせばラッキーカムカム。お金もかかりませんよ」

日本が戦争に敗れた1945年は混乱の時代、戦争が終わっても数年は混沌としていた。米軍の空襲で区内77%を焼失した渋谷区は特に酷かった。大人も大変だったと思うが子供も苦労した。苦労を子供に押し付ける親も少なくない。苦労は水の流れのように上から下へとなだらかに降りてくる。

混乱の時代では全ての親が子供の面倒を見るわけではない。人生いろいろ親もいろいろ。温かい親、冷たい親、自分ばかり可愛がる親、無気力な親、怒るだけの親、例を挙げれば切りがない。乱世では子供でも強くなければ生きて行けない。弱い私は頭を使った。生きる知恵は困れば自然にわいて来る。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代