2017年06月10日

家を出る

「自分史を書こうと思っています」
「年寄りは猫も杓子も自分史だな。書いてどうする」と先輩は冷ややかだ。
「ともかく、右サイドページのカテゴリを見てください」
「めんどくさいよ」
「順番は滅茶苦茶で書きたいことを書いています」
「そうかい」
「何年か後には幼児から老人時代まで繋がり自分史になるのです」

最初にこれまでの経緯を少しだけ説明
19歳のときは東京の家からは遠く離れて働いていた。家計を助けるためである。1959年の秋、母から手紙が来た。家業である経師屋の仕事が忙しくなってきたので家に帰って来いと書いてあった。家で働いて暮らしが成り立つなら、それに越したことはない。

家に帰って来たものの、仕事が忙しかったのは12月までの2ヶ月間だけだった。一体なんの為に私を呼んだのだろう。母は私が貯金をいっぱい持っていると思っていたようだ。勤め先から衣食住は支給されるが月給は5,000円だ。その内4,000円を約4年にわたり毎月家に送金し続けていたのだから貯金などある筈がない。

一方、母は私を買いかぶってくれたのだろうか。中卒で何の技能も技術も無い私が地方に出てバクバク稼いでいると思っていたらしい。まったく世間知らずの母だが、私が文無しだと知ると家を出ることに反対はしなかった。20歳になった私は、遅まきながら親孝行ごっこの夢から目を覚ました。 以上、「複雑な家族関係」の後段より抜粋。

家に帰れば事情もよく分かった。子供たちは誰も家に寄り付かないのだ。家には高校を中退して銀座の飲食店で働いている妹が残っているだけだった。中波さんは私にとっては養父だが妹にとっては実父だ。中波家の本当の家族は父母と妹の3人だけと感じた。この三人だけが深いところで繋がっている。結局母に頼まれて養子となり中波性になったのは、私だけで兄二人は伊吹性のままだった。正直言って母にハメラレタと後悔した。妹がこんなことを言っていた。

「家に金なんか送ったって何にもならないんだよ。母ちゃんがこれは三郎が私にくれたとか言ってパチンコして使っちゃうんだから」
「えっ!まさか? 餓死するとか一家心中とか手紙に書いて来るんだよ」
「三郎が中学を出て働きに行った時が最悪。その後いろいろ変わったんだよ」

家族全員がサブローと呼ぶので7つ下の妹は最初から私を呼び捨てにしていた。ところで東京オリンピックを前にして渋谷の地価は急上昇し担保にすれば金は幾らでも借りられた。しかし借りた金は返さなければならない。母にとっては返さなくても済む金も必要だ。高利貸から借りるのも、私に送金させるのも全て自分の才覚と思っていたようだ。

「食えないと言うから仕送りを続けたんだ。3年9か月もな。俺の小遣いなんかゼロだ」
「バカ見たね」
「月給前には必ずオフクロから手紙が来るんだ。生活が苦しいから助けてくれとな」
「今じゃ母ちゃんの言う事を信じる人は誰も居ないよ」
「帰ってから何か変だとは思っていたけど聞けば聞くほど酷いもんだ」

「私は父ちゃんが可哀想だから一緒にいるけどね。兄ちゃんたちも出て行ったし三郎も出たらいいよ。今は誰も相手にしてくれないから、貸してくれるのは高利貸だけ。土地は彼らに取られちゃあうと思うよ。私のことは心配ないよ。我家の男どもと違って強いからね」
「お前には悪いけど家を出るよ」
「送金しても何にもならないからね。借金は百万単位だから焼け石に水だよ」
「心配無用。自分が食うのに精一杯だ」

極貧の家を再興しようと思い、生活を切り詰めて送金したのに遊びに使われたと聞いてガッカリした。家の状況は著しく変わっていた。土地を担保にした借金財政だ。金貸しは十万単位で貸してくれるのだから4千円なんかパチンコ代に過ぎないのか。それなのに欲しいと言って手紙を送りつける。見栄と欲望に取りつかれた母に関わり合っていたら未来はない。自分の生きる道を考えなければならないと思い家を出た。20歳の時だった。

肉体労働する身体ではないのに仕事は肉体労働しかない。いくら頑張っても半人前の仕事しかできない。落ちこぼれの私は職を転々するしかなかった。困っている時にW大学に行っている兄の二郎が「インド通信」のアルバイトを世話してくれた。と言うか自分が止めるので後釜に据えたのだ。正確にはPTI(プレス・トラスト・オブ・インディア)の東京支局と記憶している。インド人の支局長とアルバイトが日勤と夜勤と一人ずつ。私は日勤を担当することになった。

家を出れば住む所が必要になる。兄の二郎と相談して目蒲線沿線に6畳一間を二人で借りることにした。1ヶ月の負担は一人3,000円だから何とか暮らせると思い一安心。ところが兄は3ヶ月もしない内に書置きも残さないで姿をくらました。風の噂によると大学も授業料滞納で除籍になったそうだ。私の収入は月15,000円のアルバイトだけ、6,000円の家賃が重くのしかかってきた。それでも仕事は楽だし全く遊ばないからやって行けた。家族も友達も居ない一人だけの生活は案外金のかからないものだと思った。

仕事はインドからテレタイプで送られてくるニュースを受け取って、インド大使館、外務省、NHK、朝日新聞、関連通信社に配るだけ、余った時間は事務所で留守番だ。身体は楽だし一人で就職試験の勉強が出来るので好都合だ。新任の支局長は日本語が出来ないが、ほとんど取材に出ているので顔を合わすことも少ない。話すことは簡単な命令と報告だけだから単語を並べるだけで充分だった。
毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
posted by 中波三郎 at 10:10| Comment(0) | 求職時代

2017年06月03日

楽しい歩こう会

歩こう会は運動神経が鈍くても気兼ねなく参加できるので有難い。それに参加するたびに新しい発見がある。歩きながら話も出来る。タクシーに乗って帰れる範囲を歩くので万一体調を崩しても安心だ。しかも自然や郷土史の勉強にもなるので有意義である。

「SSN歩こう会」が主催する天神山ハイキングに参加した。天神山は火砕流の堆積物からなる火山灰台地で、かろうじて豊平川の浸食を免れた削り残りだそうだ。ところで私は、自然の恵みだけでは生きられず、文明の恩恵を受けて何とか生かされている。ひょっとして虚弱人間の削り残りかも知れない。先ずは幸運に恵まれたことに感謝。(*^-゚)

「何かと縁のある天神山に登ってきました」
「登った? 一体何メートルだ」と、先輩はあえて聞き返した。
「89メートルです」
「軽い散歩じゃあないか」
「山あり谷あり、危険もありました。低いからと言ってなめてはいけません」

昼食後、平岸天満宮や久保栄文学碑、石川啄木の歌碑のあるコースを歩いた。皆さんが立って石碑を見ていた時のことだが、疲れた私は座り場所を探していた。ふと遊歩道に沿って設けられた丸太の柵が目に入った。渡りに船とばかりにドッコイショと柵に座ると、勢い余って壊れてしまった。行き場を失った私の尻は地面に叩き付けられた。

柵は遊歩道と山の斜面との間に道なりに設けられたものだ。危うく転がり落ちるところだったが誰かが支えてくれたのか、起こしてくれたのか、あるいは自分で立ち上がったかは覚えていない。ただ帽子が脱げなかったことだけは覚えている。

一瞬のことだがスキンヘッドの俳優のことを思い出した。西部劇のアクション場面で転げまわっているシーンで何故かカウボーイハットが脱げないのだ。激しいアクション・シーンなのに立ち上がると帽子がちゃんと頭に乗っている。演じていたのはユル・ブリンナーだったと思う。私の帽子も西部劇の俳優の様に転がっても脱げなかった。

「帽子が脱げなかったのでホッとしました」
「いまさら気にすることもないだろう」と、髪の毛フサフサの先輩。
「先輩には私の気持ちなんて分かりません」
「分かりたくないね。そうはなりたくないんだよ」
「最近抜け毛が増えていませんか。そうなると後は早いですよ」
「おいおい、脅かすなよ」
「ところで、不思議な声が聞こえたのです」
「どんな声だ?」
「上から方から聞こえてきたので天使の声かも知れません」

ホンの一瞬かも知れないが転んだまま地面で仰向けになっていた。木々の緑の合い間に青い空と白い雲が見え、木漏れ日も差していた。神秘的な気分に浸っていると天から声が……。 これから佳境に入るのだが、先輩に話の腰を折られた。

「気は確かか? 頭打ったのか」
「シリモチつきました」
「そうかい。天使さんは何て言ったんだ」
「この事件をー、ブログに書きなさーい、とささやきました
「そりゃ空耳だよ。聞こえたような気がしただけさ」
「本当に聞こえたのです。はっきりと覚えています」
「それならオバサンの声だ。からかわれたんだよ」

木の柵は腐ってボロボロだった。誰が座ろうと一瞬の内に壊れたと思う。今まで壊れなかったのは誰も座った人が居なかったからだろう。何千人もの人たちがここを通り過ぎたのに座ろうとしたのは私一人とは情けない。

「それでも登った自分を褒めて上げたいと思います」
「登ったと言うほどでもないだろう。柵を壊した自分を褒めるのか?」
「悪いですか」
「市民の財産を壊したのだから弁償しなければいけない」
「柵は腐っていたのですよ」
「それが自然界の風情と言うものよ。座る奴が悪いんだ」

座りたがり屋の私が腐った柵で難を受けるのは分かる。しかし、滅多に旅行をしない私が、行けば必ず災難にぶつかることには納得が行かない。何かの祟りだろうか?

「アンタは大袈裟なんだ。天神山ハイキングは旅行じゃあないよ」
「面白くないから話題を変えたのです。東京とハワイと釧路の話をしてもいいですか」
「旅行は嫌いなんだろう」
「東京は結婚式、ハワイは所属グループの研修、釧路は葬儀です。嫌々行きました」

東京に行ったら、帰りの便が大雪で欠航になり翌日の昼まで待たされた。数十年ぶりの大雪だそうだ。何の因果で20年ぶりの東京で数十年に1回の大雪に遭うんだ。宿を探しに雪の大都会を右往左往したことは一生忘れない。空港のロピーで一晩過ごした方がマシだった。旅慣れない私はそんなことさえ思いつかなかった。東京も旅も大嫌いだ。

ホノルルでは一生に一度の海外旅行なのに知らない女性の夫と間違われ隣に座らせられた。キッカケは航空会社のおもてなし。つまり夫婦一緒に座らせてやろうという親心だ。原因は「後ろに並んでいるのは夫か?」と英語で聞かれた女性が意味も分からずに肯いたからだ。私の券は有無を言わさず書き替えられて隣に座る羽目になった。成田までの8時間、偉い夫のこと自分のこと豊富な海外体験等、自慢話を聞かされ続けてうんざりした。寝たふりをしても終わらない。海外旅行は何が起こるか分からない。

「去年の夏、釧路に行った時は帰りの特急が運休でした」
「よくあることじゃないか」
「水害で4ヵ月も運休なんて前代未聞です。何で私が行くとこうなるんですか。滅多に旅行などしないのに不公平です」 
「日頃の行いが悪いからじゃないか」
「そんなことありません」
「天神山の柵をぶっ壊したじゃあないか」
「あれは私が座りたがるからいけなかったと反省しています」
「じゃあ何の文句があるんだ」
「東京では50年ぶりの大雪、ハワイでは夫すり替え、釧路では旅行難民。遠出したのは、この40年間で5回くらいなのに当たり過ぎです」
「だからどうした」
「腐った柵を壊したくらいいいじゃあないですか」
「許せない。後ろの山に棄ててやる!」

歌を忘れたカナリヤが後ろの山に棄てられるように、旅を忘れた私も姥捨て山に棄てられるのだろうか。「寝るほど楽はなかりけり」と信じていたが、どうやら目を覚まさなければならない時期が来たようだ。どうしよう?

真剣に考えたら知恵が出た。「象牙の舟に銀のかい」を「月夜の海に浮かべ」てもらえばいいのだ。そうすれば私も旅の良さを思い出すだろう。そして旅行が楽しめる真人間になれるのだ。 早く来い来い象牙の船よ私祈ってます。

札幌シニアネット(SSN)は「学びあい 支えあい 助け合い」の組織なのにお世話になるばかりで大変申し訳なく思っている。私のような無能で世間知らずの老人でも何とか楽しく過ごして行けるのもSSNのお陰と感謝している。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!

童謡「かなりあ」(詩・西条八十)
歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 後期高齢