2017年09月23日

子供たちの小遣い稼ぎ

前回ガラスを売って映画を観た話をすると先輩は異議を唱えた。
「何で、そこにガラスなんかが埋まっていると分かるんだ」
「小さな畑の片隅には焼け残った物を埋めた穴があるのです」
「何で畑に埋めるんだ肥料にもならんぞ」
「皆そうしてるよ。何でかな?」

元々狭い土地を無理をして畑にしているのだ。地上にガラクタを置いておく余裕は無いから埋めている。それが5年もして経済が上向けば資源に変わるのだから面白い。子供でも金が稼げることが何よりも嬉しかった。大人になった気分で映画館に行った。

最初に見たのが「毒薬と老嬢」、次に観たのが「夜も昼も」だったかな。いずれもケイリー・グラントが主演。内容などどうでもよかった。夢の国アメリカを感じれば好いのだ。英語も分からないのにアメリカ人と文通していた。「ユネスココレスポンデンス協会?」とかで翻訳をしてくれる。料金も安くガラスの稼ぎで間に合った。

ところで焼跡資源の掘り起こしは組織的に行われた。リーダーは子供はつらいよの魚屋真ちゃんだった。彼の家には商売で使うリヤカーと秤があったからだ。集めたガラス等を決められた日に真ちゃんの家の前に持って行く。彼はそれを量ってメモをする。グループは10人くらい居たと思う。ガラス、鉄、銅とか分けるが殆どガラスだ。種別に分けて全部まとめてクズ屋に売るのだ。

2,3人がリヤカーを押して、みんなゾロゾロと付いて行く。渋谷は坂が多いので上がり下がりは皆で協力して運ぶ。上がるときは皆で押し、下がるときは交代で引く。クズ屋は1キロほど先だが幾ら貰えるか楽しみにして頑張る。

売ったらその場で真ちゃんはメモに書いた重量に基づいてお金を分配してくれる。言えば簡単だが計算も必要だしつり銭の問題もある。真ちゃんはいつも魚を売りに行っているので手際がいい。このときばかりは15歳の真ちゃんが頼もしい大人に見えた。
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2017年09月16日

地下資源で映画を観る

「高校時代から洋画ばかり観ていたよ」と先輩。
「私はアメリカ映画が大好きでね。小学生の頃から観てましたよ」
「金はどうした? 貧乏人なんだろう」
「お金は米軍空襲の残骸を掘り起こして作りました」

1950年には私も10歳になっていた。一面の焼け野原は復興され、生活は苦しいが地域社会は機能していた。そんな状況でも得体の知れない人々があちこちに点在していた。彼らは町内会にも入らず、地域住民は嫌っていた。養父は土地の人だが、私ら母子4人はよそ者だ。得体の知れない人と思われていたかも知れない。

「腹減ったなぁ。車庫にでも行くか」と次兄に誘われた。東京都交通局が運営している青山車庫のことである。戦争で焼け残った金属やガラクタも在る所には有った。その一つが青山車庫である。家から徒歩10分くらいだ。ガラクタ集積所は都電教習所の線路から少し離れた所にあり、時々訓練用電車が通過するだけだった。

電車は通過したばかりで人気のないことを確認して、二人でやっと持てる大きさの鉄棒を持ち出した。一人で持てるような廃材は既に持ち去られていた。銅なら金になるが鉄は安い。馴染みのクズ屋に持って行くと、足元をみられて8円しかくれなかった。甘く味付けされた小さなパンを買って半分ずつ食べた。この「仕事」も終わりだなと思った。

ところが状況が変わった。朝鮮戦争が始まると景気が良くなり、金属やガラスの値段が上がった。人々は食料不足対策でやっていた畑を止めて、その下を掘り返した。焼け跡の廃材目当てだ。電線は銅を使っているので高く売れるが滅多に掘り出せない。ガラスはザクザクと出てくるが資源としては一番安い。

ガラスを二貫目(7.5kg)集めると50円になるので、一番安い映画館(百軒店のテアトルSS)に行って、40円で洋画を観て10円でパンフレットを買った。今になると集めたパンフレットを無くしたのが痛恨の極みだ。職を求めて住居を転々とする中で全ての物を失ってしまったのだ。気づいてみれば手元に残ったのは母子で写った1枚の写真だけだった。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:渋谷
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2017年09月09日

ボートは漂っている

中島公園の近所に転居して早くも16年たった。夏のレジャーとして人気の高いボートだが苦手なので乗ったことがない。ただテレビに出たときに1回だけ乗る機会があった。たった15分だが嬉しい体験だ。8年前、UHB「トークDE北海道」の「豊平川花火の穴場、中島公園」という番組を収録した時のことである。

よせばいいのに「花火を見るにはボートからが一番ですよ」とか言ってしまった。地元では新住民とか言われていたのに、突然中島公園の達人とか紹介されてテンションが上がってしまったのだ。案内人の立場もわきまえず、いつの間にか想像でものを言っていた。いつもボートに乗って花火を見る人を羨ましく思っていたからだと思う。

リポーターさんに「じゃあボートに乗りましょう」と言われて焦った。ボートに関しては恥ずかしい思い出がある。例の転覆事故以来ボートに乗ったことがないのだ。蚊の鳴くような声で「漕げないのですが」と言ったら、「いいですよ。私が漕ぎますから」と、あっさり言ってくれた。有難いけれど情けない。

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たった15分だがボートに乗った。「中島パフェ」:中島公園から見る花火大会の変遷

本来ならば中島公園の案内役である私が、ボートを漕いで花火鑑賞スポットを案内すべきである。「達人」としてはとても恥ずかしい。私が名乗った訳ではないがカメラの前では否定もできない。煮えきらないまま達人を演じた。人生は芝居のごとしと言う人もいるが。

「芝居をしています」
「アンタがねぇ。嘘だろう」
「三分間のステージです」
「なんだ、カラオケかぁ」
「私にとっては楽しい猿芝居です」
「主役、脇役、悪役、いろいろあるだろう。アンタの役は?」
「子役です」
「ずうずうしい奴だな。年寄のくせに」
「幼児と老人は下手でも許される。自慢じゃないけど老人中の老人、最高齢です」

伴奏を付け、拍手までしてくれるのだから有難い。オマケに金もかからない。みっともないから止めろと言われても止められる訳がない。代りがあれば話は別だ。何かあるかな?

ところで半世紀ぶりにボートに乗る機会に恵まれた。乗ってみるとやっぱり楽しい。中島公園が違うアングルから見られるのだ。ボートを漕ぐ練習をして、ボート上から中島公園を撮ってみたい。そう思っても嫌な記憶が足を引っ張っぱり未だに実現していない。今年こそやるぞと思って8年たった。年を取ると年月が急速に過ぎて行くのに、私のボートはゆっくりと漂っている。進んでいるのか止まっているのかさえ分からない。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 老人時代