2017年10月28日

米屋の息子が探偵?

悪戯三人組の中になぜ米屋の息子(以下コメヤ)が入っていたのか未だに分からない。オパーリンと私は変わり者同士だがコメヤは普通だ。それなのにオパーリンと一緒に何かするときは、いつも彼が居る。ロケット発射実験?の時も化学実験の時も居た。

コメヤは卒業後、私立高校から私立大学へと進んだが、勉強する代わりに社交ダンスと恋愛ごっこに熱中した。私が中学を卒業して就職した後も折に触れて会っていた。こうして二十歳くらいまで何となく付き合っていた。

後で知ったことだがコメヤの父親は裏の仕事を持っていた。それは金貸しだった。母は米屋を高橋さんと呼び何かと頼りにしていた。どうやら土地を担保に金を借りていたらしい。彼が玄関先でお茶を飲んでいるのを見た記憶が幾度かある。しかしコメヤの父親とは知らなかった。浅黒いギョロ目の丸顔でハンチングを被っていた。

コメヤは住宅難の当時としては珍しく自由に使える部屋を持っていた。遊びに行っても家族の姿を見たことがない。時には寝転びながら先生や同級生の悪口を言い、意味もない雑談をすることもある。ところで母は金に困ると高橋さんに借りているようだった。母は貧乏なのに金遣いは荒い。困れば高橋さんが助けてくれるからだろう。

気になるのはコメヤが私と付き合った期間だ。母が高橋さんから金を借りて土地を取られるまでの期間とほぼ一致していた。土地を売り清算が済むと同時にコメヤとの付き合いはなくなった。コメヤは遊んでいるように見えたが父親を助けていたのかも知れない。

副業としての金貸しは、かなりシンドイ仕事だ。貸金を踏み倒される危険もある。担保を取って契約書に印鑑を押させても万全ではない。暴力団が介入する余地は残っている。コメヤは私を通じて何気ない会話の中から我が家の様子を探っていたのかもしれない。

誰もが家の仕事を手伝う時代だった。酒屋の息子が御用聞きや配達をするように、金貸しの息子が家業の手伝いとして探偵をしていたとしても不思議ではない。考え過ぎだろうか。それともこんな私だから友が去るのかな。

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2017年10月21日

オパーリンの化学実験?

それほど気が合うわけでもないのに何となく付き合っている友がいた。考えててみると二人とも友達が居ないからだ。私と唐辛子屋はそういう仲だった。彼のあだ名はオパーリン、これからはそう呼ぶことにする。オパーリンは比較的裕福な家庭に育ち、一見優男風だが桁外れの変わり者である。ソヴィエト連邦の生化学者オパーリン博士の「生命の起源」を信奉し誰彼構わずその話をするのだ。

「オパーリンは偉大。オパーリンは生命を作る。オパーリンはダーウィンの再来だ」と熱っぽく話しても誰も聞かない。その代りにオパーリンと言うあだ名が付いた。「生命の起源」など普通の中学生には難しすぎる。先生でも理解できないかも知れない。

オパーリンの提案で無届の化学部ができた。メンバーは三人だけだが放課後に理科室で実験をした。彼は「最終目標は生命を作ることだが、先ず簡単な無機質から始めよう」と言って硫酸と亜鉛から水素を作る実験をした。細かいことは忘れたが、オパーリンが「化学では証明が大切だ」と言って水素らしき気体に火を付けたら爆発した。

突然パーン、パン、チャリン、ガチャンと理科室内が騒がしくなり、異変に気付いた先生が血相変えて駆け付けた。陸軍士官学校出身で痛いビンタを張ることで恐れられた先生だ。身体がブルブル震えてきたが、意外にも先生は怒らなかった。「栓が抜けてよかったな。フラスコが爆発したら今ごろ失明だ」と言いながら安全な実験方法を教えてくれた。

挨拶しない、廊下を走る、遅刻したとか細かいことでは、よく叱られたが不思議なことに大失敗ではお咎め無し。工事現場でのロケット?爆発の時もそうだった。子供の責任では負い切れない程の大失敗をすると、大人は人身事故にならなかったことに安堵する。そして叱るのを忘れるのだ。もちろん私は深く反省したがオパーリンはどうかな? 心の内が見えない人だった。

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2017年10月14日

謎の宇宙旅行協会

愚か者だが中学生の頃はもっと愚かだった。月世界征服(米1950年)という映画に感動して宇宙への旅を夢想した。その第一歩として宇宙旅行協会に入会。月一回発行されるガリ版刷りの会誌にはロケットの作り方が書いてある。簡単そうなので作ろうと思った。

心細いので唐辛子屋の息子と米屋の息子を誘った。この三人は小学校も一緒の悪戯仲間だが、どんな人物かは朗らか先生と真面目先生に書いたので省略する。三人寄れば文殊の知恵で何とか全長30cmのロケットを作り上げた。先ずは試したかったのだ。

人口密集地の渋谷でロケットを発射する場所は大きな道路の工事現場しかない。調べると12時から1時間は昼休みの為、工事現場が無人になることが分かった。準備に30分はかかるとして12時29分にカウントダウンと決めた。「スリー、ツー、ワン、発射!」と映画のようにカウントして導火線に火をつけたが、ロケットまで届かないうちに消えてしまった。予備の導火線に付け替えたりいろいろ試したが、どうしても点火しない。

想定外のトラブルであせった。1時には作業員が戻ってくるので時間がない。万策尽きてロケットを上に向けて立て、その周りで焚き火をした。最低限、点火だけはしたかった。だがどっちに飛ぶか分からない。20mほど離れた物陰に隠れ首だけを出して見守った。

突然の大音響にビックリしてロケットを見るのも忘れた。どこに飛んだかも分からない。慌てて火を消し辺りを見渡すと、休憩所から作業員が飛び出すのが見えた。恐怖におののいたのはつかの間だった。遠くから「おーい大丈夫か〜」と心配そうな声が聞こえる。どうやら逃げなくてもいいらしい。見つかったら叱られる。ただじゃすまないと思っていたのにお咎め無し。なぜだろう? 宇宙旅行協会って何だろう? 当時の住所は枚方市だった。

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2017年10月07日

謎のコレスポンデンス協会?

「小学6年くらいの頃アメリカ人と文通していました」
「嘘だろう。出来るはずない」
職場の先輩だから私の英語能力は良く知っている。困ったことに下手の横好なのだ。
「本当ですよ。アメリカのペンフレンドから誕生日プレゼントをもらいました」

双眼鏡のような形をしていて、覗きながらレバーをカチャカチャと押すと次々にイエローストーン国立公園の風景が立体的に映るのだ。当時(1950年代)の日本では見たことなかったので私にとっては宝物だった。

「大人になっても書けないアンタが何で小学生の時に……」
「英語ですか。ローマ字習いましたよ」
「ローマ字?」
「アルファベットだけで大丈夫です。協会からね。英文が何行か書いた文書が来て、この通り書いて次の住所に手紙を送れば外国から素晴らしいプレゼント……」
「ちょっと待った。協会って何だ?」と先輩は話の腰を折る。

確かユネスコ・コレスポンデンス協会と記憶しているが、違うかも知れない。65年以上前のことなので記憶が定かでない。意味も分からないまま書いて送ったら、忘れた頃に分厚い郵便物が届いてビックリした。開けて見ると美しい風景や華やかな若い男女の写真がいっぱい。全て外国語なので何のことかサッパリ分からなかったが嬉しかった。

郵便料金だけでこんなに綺麗な外国の写真が手に入るとは有り難い。大人になってから考えると私は知らずに観光パンフレットを要求したのだ。考えてみれば罪なことをしたものだ。日帰り旅行をする余裕もないのに海外旅行の資料を要求したのだ。それにしても汚いあばら家によく届けてくれたものだ。郵便配達員は首を傾げていたに違いない。

ユネスコ・コレスポンデンス協会?のサービスは海外ペンパル紹介、手紙の翻訳、そして特別企画「こう書けばコレがもらえる」だった。今考えると子供相手の怪しげな英語ビジネスとの印象だ。料金は子供の小遣いで払える程度。果たして儲かっていたのだろうか。それともボランティア? それにしても1950年代は混沌として何でも有りの時代だった。

「英語も分からないのにアメリカ人と文通してたのか」
「コレスポンデンス協会で翻訳してくれるので、それを見ながら書くのです」
「大袈裟に言えば詐欺だな」
「何でですか?」
「文通相手のアメリカ人に英語ができると思わせている。とんだ三角野郎だ」
「四角四面の真面目人間ですよ」
「その実態は怠け者」
「今じゃ動物園のナマケモノ」
「なるほど、エサは年金、家は檻(おり)」

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