2017年12月30日

音痴のカラオケ

私は音痴にも関わらずカラオケを趣味とする変な人だ。しかしネットの世界は広い、お仲間も居るかも知れないと思い「音痴のカラオケ」で検索してみた。似た者同士で傷をなめ合おうというわけだ。残念ながら見つからなかったが良い情報に巡りあえた。求めよさらば与えられん。いつだって運は私の味方だ。

良い情報とは「絶対に音痴が治る!カラオケを上手く歌う練習方法」というタイトルのサイトである。私にとっては夢のような話だ。絶対に直らないと信じていたのに、奇跡の練習法があると言うのだ。サイトには、「音楽を聞きながら歌手の声に合わせて声を出してみた。すると、どこがハズレているのかすぐに分かるようになった」と書いてあった。

アレレちょっと違うぞと思いガッカリした。歌手の歌に合わせて声を出しても、どこがハズれているか分からないから困っているのだ。音痴の程度には差があるようだ。この方は軽度で私は重症、治るのは軽症者に限るのではないか。うまい話はなかった。

直すのは諦めたが関連記事を読み続けた。あるあるある、悪口雑言が山ほどある。「音痴な歌を聞かされるのは拷問だ」「気持ち悪くなって吐き気さえする」「不愉快な思いをさせておきながら自分は悦に入っている」。最後に「音痴だという自覚が全くないからタチが悪いんだ」とまとめてある。この部分だけは何とかクリアしていると思う。

幸か不幸か自覚だけはあるが、これ程の苦しみを与えているとは知らなかった。馬齢を重ねてきただけの私は、何事も言われないと分からない。面と向かって言い難いことが腹に溜まり、匿名でネットに流れて行くのだろう。ともかく私にとってはほろ苦い良薬だ。

ネットにはこうも書いてあった。「下手でも楽しく歌う人なら許せる」「他の人が音痴でも分からない人は幸せだ」。「はい幸せです」と思わず心の中で頷いた。テレビでプロの歌手が歌うのを聴くよりも仲間の歌をカラオケで聴く方が好きだ。

皆すごく上手いからとても楽しい。世の中は不公平、迷惑をかけている私が一番楽しんでいる。人の歌を聴いて苦しんだことなど一度もない。いつもとても気分よく聴き惚れている。考えてみれば私の幸せは皆様の不幸せかも知れない。私に出来ることは拍手と笑顔、そして静かに聴くことだけだ。そのあたりで頑張ろう! マイクが回ってきたら歌うけどね 

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2017年12月23日

初めての酒

私の人生は酒とパソコン抜きには語れない。酒には弱いし、算数が苦手なのでコンピュータのことも全く分からない。それなのに何故? この二つに共通しているのは一人でも出来ること。誰もがそれなりに楽しめること。つまり孤独で不器用でもやれるのだ。

年の暮れになると大ちゃんちの新年会を思い出す。あの日初めて酒を飲みゲロを吐いた。中学卒業を前にしてのことだった。大ちゃんの家は空襲に遭わなかったので古くて大きい家だが、生活は苦しいようだ。美人で快活なお姉さんはバスガールをして家の生活を助けていた。お母さんは本当に優しそうな人だった。

新年会は男子同級生数人でミカンなどを食べながらの雑談で始まった。話題が途切れると大ちゃんはニヤリと笑い奥の部屋に行こうと言った。北側で炬燵も無いのでジャンパーなどを着てしのいだ。彼は「寒いな飲もうぜ」と言って押し入れから一升瓶を出した。

オヤッと思ったがビックリはしなかった。冬休みだし正月だ。それに皆は経験があるようだし、私にも好奇心はある。初めて飲んだが不味かった。湯呑に注いだ酒を早く片づけたいと思い一気に飲んだ。大ちゃんは行けるじゃないか、もっと飲めと言って並々と注いだ。よせばいいのに飲めるふりした。心臓がドキドキして頭に血が上って敢え無くダウン。

起こされたが酔いは醒めない。お母さんが皆さんで召し上がれと言ってお汁粉を持ってきてくれた。酒は止めなさいと言うサインだと思う。お汁粉を食べたら胸がムカムカして吐き気がしたので、窓から首を出して吐いた。食べたばかりのお汁粉が勢いよく口から飛び出し、少しだけ気分が良くなった。しかし庭が汚物で汚れたと思う。

後で考えると大ちゃんの家には随分迷惑をかけたものだ。今思うと不思議だが叱られたり非難されたりした記憶がない。愚かな私は酒に酔って吐くのは当たり前と考え、特に反省もしなかった。嘔吐物の後始末の経験もないので、後片付けの苦労にも考えが及ばなかった。初めてなのに酒飲みの悪行をシッカリとやってしまった。しかも未成年者飲酒禁止法違反である。今になっては遅いけれど深く反省。

今日の物忘れ:エレベーターの扉が開かない。故障? 実はボタンの押し忘れ。

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タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 中学時代

2017年12月16日

適度なストレス

楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。しかし頑張らなくては楽しめない。在職中はカラオケ嫌いと言うよりも、歌えない人として知られていた。長い間、自分でもそう思って来たが、二つの出来事がキッカケとなりカラオケを楽しむようになった。

第一のキッカケは親しくしているAさんに誘われたこと。下手同士でカラオケをやろうと言うのだ。もう一人の下手な人はお年寄りのBさんだが、しばらくして病気で亡くなられた。代わりに二人のお爺さんが仲間に加わった。4人グループだが私が一番若い。人は入れ替わったが12年も続いている。次は誰の番かなとか言いながら楽しんでいる。

Aさんは毎回、ジョッキ1杯のビールを御馳走してくれる。その上いろいろな割引サービスを利用して、当初は会費を150円ぐらいに抑えてくれた。歌が下手なお陰で大サービスを受けてしまった。まったく何が役に立つか分からない。

第二のキッカケは約10年前のこと。地元のコミュニティFMラジオ番組で中島公園の話をする機会があったが、放送時間が1時間もある。一人じゃもたないと思って元プロ歌手のCさんに応援を頼んだ。そして取材のつもりでCさんが主宰するカラオケ例会に参加した。

歌いたいから参加したと誤解されて半強制的にステージに立たされた。これが縁で例会にも参加するようになった。この二つの偶然がなければカラオケをやることはなかったと思う。チャンスに恵まれ老人力に背を押され、いつの間にかカラオケが趣味になっていた。

音痴だから練習しないと歌えない。せっかく練習をしたのだから、と言う気持ちに押されて歌いたくなるのだ。練習は動機づけとして何よりも大切である。決して上手くなるためではない。それよりもっと良いことがある。

例会で歌っていると緊張したり、楽しかったり恥ずかしかったりするから刺激になる。これが健康のために良い。毎日ノンビリ暮らしている私には適度なストレスが必要なのだ。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 後期高齢(75歳以上)

2017年12月09日

昔の航空路管制

新聞に管制トラブルに関する記事があった。かって働いていた職場なので遠い昔を思い出した。札幌航空交通管制部においての対空通信障害で空港が大混乱だそうだ。約1時間半後に復旧したが、34便が欠航し、遅延が26便あったとのニュースが流れた。ところで航空管制官の約半数は空港ではなく航空機の見えない管制部で働いている。

ふと昔を思い出した。何日間かにわたる長期の障害だが影響は殆ど無かった。交通量が少なく、レーダーもコンピューターもなかった時代だ。当時は我が職場の存在感も薄いなと感じて少し寂しかった。もちろんマスコミ報道もない。1970年代初めの頃だった。  

人手に頼る半世紀前の航空路管制では紙(運航票)と鉛筆と電話さえあれば仕事はできた。無線障害があっても隣接管制機関や空港と専用電話を使って適切な調整をすることで対応できた。しかし今は違う。規模も機能も様変わりだ。

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昔の運航票(コールサイン、ルート、高度、速度等のデータを書き込む)

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約50年前は運航票と無線・有線電話だけ。箱の中はゴム印、これが唯一の工夫。

当時はノンレーダー管制、即ち運航票に各航空機ごとに記載されたデータを見ながら有線・無線電話だけで管制業務をしていた。次にレーダーが入り、最終的には航空路レーダー情報処理システムによる管制業務となった。

この間に交通量も急激に増え仕事も難しくなった。ノンレーダー時代は衝突防止中心の業務だったが、レーダーが入ると秩序ある流れを作ることが重要視された。地上の管制官が飛んでいるパイロットに針路や速度を指示しなければならなくなったのである。40歳すぎてから仕事の質が変わると本当にシンドイ。

ところが最近、面白い研究がされている。パイロットも車のドライバーのように窓の外やミラーを見ながら交通状況を把握できるようにする。航空機同士がデジタル情報を送り合うことによりコックピットのディスプレイに交通状況を表示する研究が進んでいるそうだ。又、管制指示をコンピューターに代替させる研究プロジェクトもあると言う。
航空管制科学研究者へのインタビュー記事。 → 空の旅の裏側に広がる科学の世界


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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 定職時代(24-60歳)

2017年12月02日

大ちゃん〜幻の決闘〜

中学3年の頃だが忘れられない同級生がいた。大ちゃんと呼ばれた親分肌の生徒である。友人と言うよりも親分子分の関係に近い。彼の呼び掛けで10人くらいの子分が集まる。15歳の大ちゃんは体格がよく大人並だった。

中学時代当時も苛めが多かった。大ちゃんは「苛める奴がいたら俺に言え、片をつけてやる」と頼もしい。彼はアルバイトでトラックの助手をしていた。運転手が生意気だからぶん殴ってやったとか武勇伝を面白可笑しく聞かせてくれる。

ある日、意地悪なA君に呼び付けられた。毎度のことだが放課後氷川神社に来いと言うのだ。大ちゃんに相談すると、一緒に行くから心配するなと言った。A君は神社の近くの林の中で空気銃を持って立っていた。彼が無理難題を押し付けるときは必ず空気銃を持ってくる。私はそれを見ただけでビビッてしまうのだ。

気が弱いので空想の中で仕返しをする。A君をメタメタにやっつけて「ゴメンナサイ。もう決して苛めません」と泣かせて謝らせる夢を見る。今回は空想でなく大ちゃんが付いている。夢は正夢となるだろう。「お前はここで待ってろ」と言い捨てて大ちゃんはA君に向かって行った。いよいよ始まるぞとワクワクした。大ちゃんにとって同学年のA君なんか朝飯前だ。何しろ大人のトラック運転手だって叩きのめすのだから。

期待に胸を膨らませて二人を見ていると。あれれ、まるで仲良しだ。A君も大ちゃんも笑っている。まさか二人で私を笑い者にしているのではないだろうな。一体どうなっているんだ。疑念がわいてきた。しばらくすると大ちゃんは意気揚々と引き上げてきた。「話しつけて来たからな。もうAはお前に手出しはしない」と厳かに言った。その後苛めはなくなった。

安心はしたがガッカリもした。解決はしたものの大ちゃんはA君を懲らしめてはくれなかった。私を苛め尽くしたことは、無かったことになったのだ。助けてくれた大ちゃんに感謝したのは大人になってからである。

A君は空気銃、大ちゃんは腕力、お互いに強力な武器を持っているが、話し合いで解決をした。「子分」のもめ事でいちいち喧嘩をしていたら「親分」をやって行けないだろう。大ちゃんの様な生徒は今も居るに違いない。事件にならないから報道されないが。そして私の様な愚かで恩知らずの生徒もいるだろう。助けてもらったのにお礼も言わない。自分の思い込みが強すぎて助けられたことに気付かないのだ。その代り今でも時々思い出す。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 中学時代