2018年11月17日

自衛隊体験記

職を転々し定職に就くのに9年もかかった。行き場がなくて自衛隊に入ったこともある。体験入隊みたいなもので、国民の為には何の役にも立てなかった。今まで内緒にしていたが、自分史のつもりなので包み隠さず全てを書くことにした。話さなかったことも書き易い事から徐々に明かすつもりだ。1年半の間に4か所も転々とした。おまけに任期を全うしない中途退職だから情けない。ともかく運よく食いつなぐことが出来のである。

1960年頃は自衛隊採用難の時代である。積極的に志願する人は少なく、殆どは募集担当者による一本釣りだ。「大型免許も取れるよ」とか言ってね。彼らは人集めに凄く苦労していた。時にはポン引きの疑いで逮捕されたりした。職業安定法違反だそうだ。こんな状況だから虚弱体質の私も採用され、新隊員教育を受けることになった。当時の教育担当者は厳しい訓練をしなければならないけれど、辞められても困るという微妙な立場だった。お陰で三か月の新隊員教育は無事終了した。

次の課程は専門教育だが、再就職に役立てたいと言う私の願いとは異なり飛行管理とかいう世間に無い職種だった。運転適性検査にも合格していたが、英語試験の結果上位15人は否応なく飛行管理に指定された。後になってその必要性がよく分かった。上位といっても後ろの方は20点程度だそうだ。百人以上はいたと思うけれど、中学程度の英語が分かる人は三人もいなかったと思う。あとで一緒に教育を受けてそう思ったのだ。

発足6年の航空自衛隊は教育資料にアメリカ空軍のマニュアルをコピーして使っていた。したがって専門教育終了試験も全部英語だ。5答択一式だから手紙を書く力が無くても受かるし、専門用語をキチンと覚えていれば合格できる程度の部内試験だった。しかしほとんどの隊員は中学の英語もろくろ知らないのだから極めて高いハードルである。

毎日がぺーバーテストから始まる。昨日習ったことは翌日にデイリーチェック、そして週末にウイークリーチェック、月末にマンスリーチェック、教育終了時はファイナルチェック。ファイナルに受かることが唯一の目的で、自衛隊らしい訓練をした記憶はない。私にとっては一番幸せな三か月だった。不器用でノロマだが暗記だけは得意なのだ。それに中学の英語も出来ないけれど英語は大好きなので授業が楽しい。

配属先は飛行管理隊、ここで働くために訓練を受けたのだが実務に就いたら全然ダメだった。仕事は日本各地の米軍基地からのフライトプランを電話で受けるのだが、米兵の英語を聴きながらタイプするのは凄く難しかった。好きな英語で飯が食えると思ったが大間違い。半年たっても出来なかったが、自衛隊はいろいろな職種があるから首にはならない。転属を希望したら直ぐに許可された。出来る人は絶対に放さないのにね。
タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 転職時代(15-23歳)