2019年02月23日

昔のネットは好かった

今から15年以上前のことだが新聞の人生相談が好きだった。しかし答えが現実離れしていると思うこともある。例えば人の輪に入りなさいとか難しいことを簡単に言う。必要なのは、いかにして入るかだがスッポリ抜けている。何故だろうと考えたら直ぐに分かった。誰でも自分の経験を重視する。回答者は魅力的な人気者、しかも世渡りの達人で、人の輪に入ことなど朝飯前だ。ショボクレタ老人とは全く違うのである。

これは社会の底辺で暮らしてきた私の思い込みかも知れない。ともかく回答者は何らかの成功を収めて何らかの地位に就いた人である。そんな人より、同じレベルの人が相談に乗った方が好いのにと考えた。そんな訳でネットで人生相談をやりたくなった。せっかく誰もが発信できるツールが出来たのだからね。

私が抱いていた長年の夢が実現する環境が整ったのだ。パソコンがネットに繋がると、さっそく「メル友コーナー」に登録。「人生相談承ります」と掲示板に書き込んだ。さて、忙しくなるぞと、待ち構えたが一週間たっても一通のメールも来ない。

「変だな〜、パソコンの故障かな?」と思って、5人の同年輩の見知らぬ男性に、質問を兼ねたテストメールを送った。3人の親切な男性から返信があった。内容はみな同じようなものだ。「メル友に登録したらメールが来ると思ったら大間違いですよ」とあった。

苦節6年、ようやく相談者が現れたので、張り切って相談に応じたのが、前回に書いた「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」である。たった1回の「人生相談経験」で何かが分かるとは思わないが、相談者は必ずしも役に立つ回答を求めているのではない。私が気楽に趣味の相談を始めたのと同様に、気楽に相談する方も多いようだ。退屈しのぎにね。

その後、「相談者」とは週一くらいの割合で1年ほどメールの交換をした。プライバシーに関することなので書けないのは残念だが、まさに人生いろいろと思った。叱られたりもしたが、未知の人と匿名で内緒話ができて楽しかった。15年以上も前のことだが、ネットでの自由を謳歌できる時代だった。トラブルに巻き込まれる懸念など全く感じなかった。昔のネットには安全・自由で好かったなぁと懐かしんでいる。ちょい悪だけどね。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2019年02月16日

夫婦喧嘩は犬も食わない

およそ15年まえのことだが、人生相談を受けたことがある。本当は違うかも知れないけれど、その様な感じのメールをもらったのだ。「定年退職した夫が家でゴロゴロしていて、何もかもかみ合わない二人暮らしに、ウンザリしている」と言うような内容だった。

念のため確認すると酒乱でもないしギャンブル狂でもない、浮気もしない普通の人だそうだ。その上で、夫は外に出てサークル等、人の輪に入ったらいいのにと不満を漏らしていた。簡単に言うけれど普通の高齢者には難しい課題だ。第一、人の輪は既に出来上がっている。そこに割って入るのは至難の業である。人気者じゃあないのだから。

妻は大変と思うが夫も楽じゃない。退職したばかりだった時の私と状況が似ていて、他人事とは思えない。問題を解決して、楽しい二人暮らしをしてほしいので一生懸命考えた。先ず前提条件が事実なら解決も簡単と思った。

少し長いけれど次の様な内容の返信メールを送った。挨拶抜きで要点のみを掲載。
「何事も直ぐに出来ることから始めるのが近道です。愛、誠実、真心など抽象的で難しい問題は、一先ず棚に上げて置きましょう。そして人間本来の姿に帰ればいいと思います。集団生活をする動物だから主従の関係が何よりも大切です。どちらかが従にならなければなりません。御主人が従にならないのなら、貴女が従になればいいと思います。

どちらかが従に徹することにより、緊張感は遅かれ早かれ消滅するでしょう。そして、お互いの意思の疎通が軽やかになり、話し合いが気楽に出来るようになります。小さなケンカをしても後には引かなくなるでしょう。棚上げにして置いた愛、誠実、真心なども自然に降りてきます。主従関係を作るのは問題解決の始まりであって終わりではありません。

民主主義は大きな集団には必須でも、二人暮らしには邪魔なだけです。いつも1対1で引き分けでは何も出来ません。従だからといって格下というわけではないのです。単なる役割、二人でも頭は一つしか要らないと思います。そのうち主従関係は流動的になります。時と場合に応じて交替するから、楽しく暮らしていくことが出来ると思いますよ」。

直ぐに返信があったが提案については何のコメントも無い。そして、「夫に犬と私とどっちが大切かと聞くと、犬だと言うので頭に来た」と書いてあった。夫婦喧嘩は犬も食わないと言うのは本当だった。本人に解決する気がないことが分かった。真剣に取り組んだ私がバカだった。そう思いながら、何故かメールの交換は1年くらい続いた。私は野次馬?

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2019年02月09日

学生時代は楽しかった

学生時代は楽しかったなぁとか言っても、私の場合は中学生時代のことである。アルバイトはしていたし、好きな科目だけ選択して勉強していた。つまり、授業によっては居眠りしたり好きな本を読んだり、あるいは空想したりして過ごすのだ。放課後は理科室に入りびたりで化学の実験に熱中した。宇宙旅行協会とかいう怪しげな会に入って、空想みたいな勉強ごっこを楽しんだ。会誌にロケットの作り方など書いてあったがデタラメだった。

映画を観たり買い食いをしたりする自由があった。親しい友人も何人かいた。驚くべきことに天才の友人もいたのである。一番好かったことは、頼りになる親分肌の同級生に出会ったことである。彼のお陰で苛めにも遭うこともなく自由を謳歌した。嘘みたいな話だが事実に基づいて書いたつもりだ。訳あって高校に行く選択肢はなかった。しかし、(中)学生生活は最高に楽しかった。

中学時代一番の思い出は、大ちゃんと呼ばれていた加藤大輔君との出会いである。体格が良く歌や絵の上手い親分肌の生徒。クラスの人気者でもあるが、何故か、取り巻きは私のような情けない感じの同級生ばかり10名くらいだ。表の特技は鉄棒等の器械体操、裏の特技は喧嘩だが、体格と威勢のよさでで相手を圧倒する猛者である。

大ちゃんは授業中に退屈すると精密にしてワイセツな絵を描く。そして教室内で回覧させたりする不良生徒でもあった。しかし、違う面も持っていた。校内で放送劇を上演するとき、先生の推薦で主役をやると、まるで声優のような語り口で女生徒たちを魅了した。勉強以外は何でも出来る人だなと思った。

テレビも一般家庭には普及していない頃なので、よく大ちゃんの家でお喋りをした。その後で街をぶらついたが、時々貧民窟に行く。そこには私が終戦後に住んでたような焼けトタンのバラックが無秩序に建っていた。そこに大ちゃんの彼女が住んでいると言う。

「中山が住んでいるんだよ。好きなんだ。アイツ可愛いだろう?」と同意を求めるが、そうでもない。中山さんは隣のクラスの女生徒だが、ごく普通で目がデカいだけだ。大ちゃんはクラスの人気者で女生徒にもモテモテだ。それが何故あの子にと不思議でならなかった。

世話になった大ちゃんの人となりについては、一番思い出の深い同級生として、大ちゃん〜幻の決闘に書いた。中学時代に苛めに遭わなかったのは大ちゃんのお陰と今でも感謝している。楽しく過ごすには欠かせない存在だった。コソ泥と苛めは自己責任で対応する時代だった。新聞は毎日読んでいたが、なぜか苛めが記事になった記憶はない。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 中学時代

2019年02月02日

困った時には運がつく

小学生時代の悩みはパラック住まいとズボンの下にパンツをはいてないことだった。先ずパンツだが社会情勢が私の味方になってくれた。10歳ぐらいで仕事が欲しいといっても、なかなか無いが、運よくS経済新聞が新しく発行された。

大都市東京の新聞配達は中学生程度の体力が必要だ。人口密集地区だから沢山の新聞を持たされる。しかし新規参入のS経済新聞は購読者が少ない。部数が少なければ小学生でも配達可能だ。配達時間に影響するので受け持ち区域は極端に大きくは出来ない。

そのため、賃金が安すく三大新聞の半分以下だったが仕方がない。1ヶ月千円だが小学生にとっては充分な金額だった。国鉄最低運賃が10円で、もりそばが17円、そして40円で古い洋画が観れたのだ。しかし、母に食い扶持として700円とられた。その代わり端切れを縫い合わせてパンツを作ってくれた。そのころの下着は手作りが普通だった。

母は怖い人、私だけでなく家族全員が怖がっていた。だから母の言うとおり700円の食い扶持を入れたが、納得はしていない。母の金扱いのずさんさを知っているので、黙って母の財布から少しずつ戻していた。良心の呵責はなかったが恐怖感があった。食い扶持と言っても500円が限度だ。私はそれ以上払う気がなかった。

貧乏だが運だけは好かった。何もしなくても忌まわしいバラックは、安普請ながら木造の新築住宅となった。戦災復興土地区画整理事業で道路の幅が広くなった。当然土地は狭くなったが家を建ててもらえた。両隣の人が爪に火を点すような暮らしをしながら、自力で同じような安普請の家を建てていた。他の家は区画整理案に合わせて建てたから、我が家のバラックだけが道路予定地にはみ出していた。

世の中は不公平だ、全力をかけて自力で建てた家並みの中に、無料で建てられた家が並ぶことになった。もちろん最低限の木造家屋だがバラックから脱出できて大喜びした。家の中に台所とトイレがあることが何よりも嬉しかった。それに木の香りは格別だ。

私にとって最大の悩みは遅まきながら解消された。バラックから解放されパンツもはいた。焼けトタンのバラックは冬は寒く、夏は焼けるように熱いのだ。そして雨が漏る。そんな暮らしとおさらばだ。しかも、学校では堂々とズボンを脱いでパンツ一丁で身体検査を受けられるようになったのである。こんな嬉しいことはない。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代