2019年04月27日

苦い思い出

捕鯨問題で国際的に揉めている。反捕鯨国の反対意見は理解できないことも多い。しかし、反対意見が圧倒的に多いのなら獲らなければいいと思う。不味いから食いたくないのだ。これは小学校の給食で嫌々クジラを食った私の偏見。美味しいクジラ肉を食べれば一瞬で変わると思う。何処かで安くて旨い鯨肉を食べたい。

クジラでは苦労したが、給食の苦労と言えば小学時代のA君を思い出す。1950年代と言う遠い昔だが、A君は何故か服は着っぱなし、風呂も入っていない感じだ。ちょっと不潔な感じのA君が給食当番になった。

その頃の清潔・不潔は各家庭の経済状態に起因していたので、A君に清潔にしろと言っても無理。金が無くては銭湯にも行けないし、貧乏暇なしだから、命に直接影響のない洗濯は後回しになる。ところでA君の鼻は寒さと温かい料理に反応して、シチューの入ったバケツの中に鼻水を落としてしまった。寒い冬だったからね。

それを見た女生徒の一人が「私、食べない!」というと、女生徒全員が食べないと言い出した。私はシメタと思い大喜び。もちろん腹いっぱい食べた。同じ思いの男子生徒は少なくない。たちまちバケツは空っぽになった。

鼻水落としたA君はホッとしていたが、すきっ腹かかえて、給食食べ損ねた女生徒たちの心中は穏やかでなかったと思う。今と違って都会の食糧事情は最悪だった。栄養の大部分を給食に頼っている生徒も少なくなかった。

鼻水なんかかき混ぜれば何のこともない。食べたい女生徒も沢山居たと思う。しかし乙女心は悲しいものだ。見栄の張り合いで食べるとは、どうしても言えなかったのだと思う。

この「給食食べない事件」の主役は二人。この二人さえ居なければ多くの女子生徒が空腹の苦しみを味わわずにすんだのだ。一人は「私食べない」と言ったお金持ちのお嬢さん、もう一人は食べ終わると直ぐに、空の食器を持ってバケツに向かって突進した私だ。

空前の大空襲に遭って77%を焼き尽くされた渋谷区は、戦災の爪痕が5年たっても残っていた。逆に貧富の格差は拡大していた。お嬢さんは黙って食べなければ好かったのだ。私はしばらく様子を見るべきだった。そうすれば「事件」には発展しなかった。いつも人の後から行動する私が、この時ばかりは迅速に動いた。苦い思い出である。
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代

2019年04月20日

幸せは外にある

2007年10月の中島公園は「サクラマス遡上騒動」で大喜びだった。こんな話は聞いたことがないし、二度と起こらないだろう。現にあれから12年たつのに起こる気配もない。遡上なら川を上るはずなのに下ってきている。それでも皆喜んでいた。
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中島公園に現れたサクラマス。

しかし、サクラマスの死骸をカラスが突っつくのを見かけるようになってからは人々の反応は変わってきた。このまま放置してはまずいのではないかと。
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10月に入るとサクラマスの死骸があちこちで見られるようになった。

滅多にない珍事なので「鴨々川に迷い込んだサクラマス」について一部始終をウェブサイトに記録した。それはさておき、取材中に悔しいこと楽しいこと、いろいろあった。

サクラマスを驚かさないように、そおっと写真を撮っていると、後ろから声がする。
「あ〜、だめだめ。 もっと姿勢を低くしないと」
振り向くと年配だが、かなりお洒落な女性が立っている。二コリともしないで見ず知らずの私に上から目線で指示するのだ。文字通り上からね。

「私、写真屋に勤めていたのよ。カメラ持ってこなくて残念だわ。低くしないと水面が反射して写らないよ。腰が高すぎるよ、もっと低く!」
こちらはモニターを見ながら撮っているので、反射しているかどうかは言われなくても分かるのだ。それでも彼女は指示を連発する。もしかして私は奴隷オーラを発散させていたのかも知れない。だから人様は私の動作を見ると何か命じたくなるのだ。

「もっと低く、水面ギリギリで撮るのよ」
無茶を言っちゃー困る。そんなことできる訳がない。身体は固いし腰痛持ちだ。しょうがない。終わったフリして立ち上がることにした。

「あら、もう帰るの?」
”あなたがいたのでは落ち着いて写真も撮れません”と言いたいのはやまやまだが、口から出さずに飲み込んだ。

「いろいろご指導ありがとうございます。きっといい写真が撮れていると思いますよ。こちらがホームページのアドレスです」と言って名刺型のチラシを渡す。どんなに悔しくても、これだけは忘れない。当時はアクセスもバンバンやる気モリモリ、宣伝活動に余念がなかった。あのころ私は若かった。気持ちだけね。

「そ〜ぉ。これからなのにぃ」
しばらく木の陰に隠れて、彼女が立ち去るのを見届けることにした。

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サクラマスが来た地下鉄幌平橋近くの鴨々川。足元のサクラマスを撮る人。

「さあ、撮るぞ!」と再び川に近づくと、今度は違うおばさん。
サクラマスをじっと見て「美味しそうだね」と一言。
「食べちゃダメだよ」
とモンクを言ってやった。江戸の敵を長崎で討つ!
「食べられないよ〜。 私、獲れないから〜。 ワハハハハハ、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜、あ〜疲れた」
サクラマスはなかなか撮れなかったけれど、思いがけず笑いが取れてしまった。
しかも極めて簡単に。笑う門には福来る、先ほどの嫌な気分は吹っ飛んだ。

家に帰ってつぶやく。 
「大笑いすると気持ちがいいかも知れなせんね」
「そんなこと出来るわけないでしょ」
疲れるまで笑ってくれる、あの人を思い出しながら……。
「そうですね。つまらないことを言いました」
黙々と飯を食う。幸せは外にあると思いながら。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2019年04月13日

コイの街すすきの

薄野は歓楽街として知られているが、もう一つの顔は鴨々川の流れる古の街である。そして「すすきの六条寺町通り」という小説の舞台にもなっている魅力的な街である。ところで、南9条橋から8条の藻山橋に至る鴨々川沿いは、私の好きな風情ある散歩道だが通る人は少ない。危ない街と思われているのかも知れない。
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手前に戻ると中島公園、前方に見えるのは南8条橋、そこから藻山橋(駅前通)までがコイの放流場、その先も放流場だが、そこで一区切りされている。

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藻山橋(南8条)上流の鴨々川。コイが越冬できるように川の中央が一段と深く掘られている。ただし冬のコイは深い所全体に居るわけではなく、橋の下で纏まって過ごしている。2019年3月下旬に通りかかると汚泥を取り除く作業をしていた。コイが一段と綺麗に見れるようになるだろう。薄野には別なコイもある。それが何かは言わぬが花。

ふと、昔のことを思い出した。およそ15年前のことだが、藻山橋から鴨々川をじっと見ていると、妙齢の婦人に声をかけられた。私と同じ様にコイを探しているのだろうか。011009hasi.jpg

「何か探しているのですか?」
「コイです」と私。
「楽しそうですね。見つかりましたか?」
楽しい気分もあるが、心配もしている。居るはずのコイが見えない。 

「いや、まだのようですね。冬は養鯉業者に預けてあるのです。そろそろ戻されてもいい頃なんですよ。川底を深く掘ってコイをここで越冬させる手もあるのに勿体ないですね。預かり料も安くないと思いますよ。

だいたい1メートルくらい掘ればコイも越冬出来る筈です。コイは冬の間はエサを食べなくても生きて行けます。この川は流れがあるので普通は凍らないのですが、凍ることも少なくありません。氷が解けてコイの姿が見えるとホッとすると思いますよ。時々そんなことを想像するのです。水温が上がって来ると……」。私は川を見ながら一生懸命説明していた。 

ありゃりゃ? 私に話しかけた女性が見えない。よくぞ聞いて下さいましたとばかりに、一気に説明したのだが、まったくもう、興味がないのなら聞かないでくれ!

数日して同じ場所を通ると、橋の上に例の女性が立ち、通りすがりの男性に声をかけている。なるほど、声をかけるのが彼女の「仕事」なのだ。そして私はカモと思われたらしい。ちなみに川の名はカモカモ川。私は御用済みの老人とは見られていなかったのである。80歳近くになって思うと65歳は決して老人ではない。

ところで薄野の鯉放流場だが、その後川底を深く掘り、今ではコイが越冬できる様になっている。冬の鴨々川では橋の下にコイの姿がよく見られる。私が見たときは横一列になって、コイは揃って上流に向いていたが動きがない。071205hasisitakoi.jpg
2007年12月5日撮影、2006年に川底は60センチばかり掘られコイは越冬している。

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私の愛読書となった「すすきの六条寺町通り」。この本の著者とは、道新コラム「朝の食卓」が縁で知り合った。文学のことは何も知らないが、文学館で特別展があるときは、よく一緒に行った。難しい説明は分からないから肯くだけだが、文学的雰囲気は好きだから楽しい。私に分かることは何もない。文学も美術も音楽も雰囲気だけは大好きだ。

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このコラムが縁で知り合った。薄野育ちだそうだ。コラムとは関係なさそうで在る。
タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)