2019年06月29日

数字の発音(航空無線)

ノロマだから現場の仕事は苦手だが、管制業務については興味深く感じていた。失業者の私を救ってくれたのが、この仕事だった。当時、航空管制官は問題のある職種として話題になっていた。殆どはマイナスイメージである。責任の割に給料が安いという報道が多かった。ある雑誌にはボロ服を着て管制塔に勤務する惨めな姿も載っていた。

不人気なのが何よりだ。就職のためには絶好のチャンスと思った。職を転々としたが虚弱体質の私にとって肉体労働ほど辛いものはなかった。断って置くが、汗をかいて終わる程度の労働は大好きだ。働いた後のビール程うまいものはないし、好く眠れるので充実感さえ得られる。もし私に人並みの体力があれば転職など考えなかったと思う。

精一杯力を出しているのに、もっと出さなければならない状況が辛いのだ。同僚が軽々持ち上げているものを担げないのも情けないしね。努力しても乗り越えられないものがあることを知るのに数年もかかってしまった。世間は教科書に書いてあるほど甘くない。とにかく辛い肉体労働から解放されるのが唯一の目標となった。

不人気職種にオリンピック景気が重なるという、社会情勢に助けられて航空管制官に採用された。そこは面白いというか、風変わりな英語を使う世界だった。例えば、世界中のパイロットや管制官が使うように定められているフォネティックコードがある。そこで数字の発音に発音記号でなく異なる英単語を使っているのが面白かった。

1 oneはWUN ワン、どういう意味か分からない。とにかく発音はWUN。
2 twoはTOO トゥー、両方とも発音は同じと思うが分かり易い。
3 threeはTREE トゥリー、「th」の発音は苦手だが国際的にも問題なのかな?
4 fourはFOW-er フォウアー、大文字にアクセント。
5 fiveはFIFE ファイフ 、濁らない方がクリアに聞こえるのだろうか?
6 sixはSIX シックスで発音は同じが、人によりSEXと聞こえるのは気のせいか?
7 sevenはSEV-en セブン
8 eightはAIT エイト、意味は分からないが確かにエイト、「gh」は要らない。
9 nineはNIN-er ナイナー、判別し易く聴き易い。
000 thousandはTOU-SAND タウザンド、国際的にも「th」は嫌われている?

「英語表記は読み方を表すもので、つづりは通常の英語と変わりません。また、カタカナ表記は分かりやすく似せたもので、正しい発音とは若干異なる場合があります」との注意書きがついていた。記憶を呼び戻すためネット情報を参考にした。蛇足になるが、英語を知らない私の感想も付け加えてみた。 

ノロマなので現場の仕事は苦手だった。退職したら一日も早く忘れたいと思っていたので、沈黙していた。10年たったら懐かしくなり、ある出来事がきっかけで喋りはじめた。時間がたっても記憶は残るが嫌な思いは消えてしまう。そして懐かしさだけが残っている。

記憶−嫌なこと=懐かしさ。今となっては全て懐かしく、思い出しては楽しんでいる。これが老人というものかな? もしそうならば老人生活は楽しい。おまけに金もかからない。

参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』通話表
タグ:都内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 定職時代(24-60歳)

2019年06月22日

泣き虫ガキ大将

小学2年くらいの時、ガキ大将はペンキ屋の息子、タケちゃんだった。メンバーは10人ぐらいと思うが、近所の小学生全員がタケちゃんの引率で学校に通っていた。放課後遊ぶのも一緒、そして小生意気なアオガクのガキどもを苛めるのも一緒だったのである。

アオガクとは青山学院初等部の生徒のこと。われわれ公立小学校生徒はヨレヨレでマチマチのボロ服なのに、彼らはパリッとした制服制帽姿だ。給食に焼きリンゴが出るそうだ。彼らの親は金持ちなのに、私らの親は職人と商人ばかりだ。オマケに私のような貧乏人も少なくない。地元の子供たちは羨ましさを吹き飛ばすはけ口を求めていた。

アオガクは颯爽とした制服姿で、我が町内を何の遠慮もなく通る。ただ通学しているだけだが地元の子供たちにはそう見える。だから苛めたのだ。「お前らここを何処の校区だと思っているんだ」とか言って因縁をつける。

渋谷区の学校では校区内で遊ぶように注意する。だから小学生は校区を自分の縄張りのように思っている。私立の学校には関係ないけれど、言いがかりだから正当な理由など必要がない。アオガクの生徒は物も言わずに逃げて行く、それを地元の子供が追いかける。少しだけ追いかけて喜んでいるだけで、決して暴力を振るったりはしない。

ある日突然状況が変わった。「お前らどこの校区……」とか言いかけると、「文句あるか!」とデカい声、見ると、ガキ大将のタケちゃんが押されて転がされ、仰向けになって倒れている。相手は今まで見たことがない、相撲取りみたいな体格のアオガク生徒だった。苛められた生徒が用心棒を頼んだに違いない。お金持ちには敵わない。以後、地元の子等はアオガク生徒に対する苛めを止めた。恐れおののいてしまったのだ。

苛めと言っても追いかけるだけで暴力を振るう訳ではない。仕返しと言っても押したら倒れただけだ。ただ力の差があり過ぎて悲惨な結果になってしまった。タケちゃんはシクシク泣いて立ち上がれなかった。彼は唯一の最上級生としてガキ大将となった。年功序列でなったのだから実力もなく意気地がない。それでもタケちゃんを中心にして行動していたから不思議だ。戦時中に空襲を警戒するために実施された集団登校の名残と思う。
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代

2019年06月15日

取り越し苦労の種は尽きない

人には言えない私の自慢、身体は弱いが、ひとつだけ強い所がある。それは何処かは言えない。拷問するぞ、と脅かされば、土下座して「すみません。嘘をつきました。許してください」と言う。お前に強い所などある筈ないと納得してもらえるだろう。

だけど私には人並み外れて強い箇所があるのは事実だ。しかし口には出せない。もちろん書くこともできない。黙って一緒に墓場に入るつもりだ。私自身のことだからね。

言えば聞いた人が気味が悪いと思うから言わない。だけど本当は、とても良いことなので自慢したい。言いたくてウズウズしているけれど、沈黙は金。毎日のように迷っているけど結論は沈黙。老後をのんびり暮らしたいなら、言わぬが花。

誰もが持っている、人には言えない自慢話、誰も言わないから、決して表に出ることもない。こんな話をしても共感してもらえないし、嫌悪感を与えてしまうかも知れないと心配する。こうして、決して明かすことができない密かな自慢が、個々の身体の中で育って行く。

こんな自慢話が心の中から溢れ出たのが小説と思っている。私は教養も知識もないのに考えることが大好きだ。世の中のすべてを自分が分かる範囲で一生懸命、しかも面白半分で考える。小説やドラマにに出てくる、強い人も勇気ある人も、立派な人も純粋な人も、情け深い人も極悪人も、すべては著者の自慢のような気がする。

自分の代わりに架空の人物に自慢させているのだ。それなのに私は、テレビドラマを観て感動のあまり泣いている。同時に目薬を差したばかりなのに涙と一緒に流して勿体ないと嘆き、もう一度指し直すべきかと思案している。昔に遡れば、こんな私にも心の底から好きな人がいた。口が裂けても言えない自慢話である。

たまに、からかい半分で「中波さんでも好きな人居たでしょ」とか聞かれる。「ハゲで音痴なのに居るわけないでしょ」と言うと、不本意ながら納得されてしまう。生まれつきハゲでもないし、音痴なんか歌わなければ分からないのに、なんでアッサリ納得するのだ!

そんなに素直に頷いて欲しくないという気持ちと、話さなずに済んで良かったという気持が、私の心の中で対立して争っている。だから何も言えない。沈黙は金、私の心の中で金がドンドン溜まって行く。溜まりに溜まって暴発したら大変だ。そこらじゅう金だらけになってしまい、後の掃除が大変だ。幾つになっても取り越し苦労の種は尽きない。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 後期高齢(75歳以上)