2019年09月28日

親友募集?

前回のブログで長年隠していたことを書いてしまったが、書きにくいことを書くのは本当にシンドイ。本当は公開などしないで親友だけに話したかった。長い間叶わぬ夢を追い続けている。親友を作ろうとの試みは、全て失敗して現在に至っている。みんな自分が悪いのだ。それとも探し求める親友とは、ドラマの世界だけに存在する幻か?

地下歩行空間の休憩コーナーで高齢女性が二人で楽しそうに話し合っていた。用事を済ませての帰り道、同じ席を見ると今度は深刻な顔で話していた。あれから2時間半以上はたつ。あんな長い時間を退屈もしないで話せるなんて、二人は親友に違いない。私もあんな風に二人で長く深く話したい。

年を取ったら親友が出来ないのかも知れない。青少年時代は各地を転々としていたので26歳になるまで市区町村の選挙人名簿に登録されなかった。同窓会通知が来たのは中卒後1回だけだった。転々としている内に行方不明扱いになったらしい。何処に行っても人の輪は出来上がっている。孤独を感じても輪の中に割り込むのは容易ではない。

つくづく孤独な人間だなと思う。結婚して子供が出来たのも奇跡のような感じがする。振り返ってみれば、何でもいいから結婚したいと言う一念だった。それでも孤独の状態は変わらなかった。15歳で家を出て未だに地に足が付いていないような気がする。

このままで、一生フワフワと雲の上にいるような感じで過ごすのだろうか。私は諦めきれない人、今でも奇跡的に親友が出来るかも知れないと思っている。もし、そうなったらこのブログともおさらばだ。何でも話せるのだから書かなくてもよい。

ところで、地下歩行空間で見た高齢女性は、あまり幸せそうにも見えなかった。愚痴をこぼし合って、ストレスを解消していたのかも知れない。それなら私もやっている。このブログでね。自分史のつもりだが「愚痴こぼし史」のようになりそうだ。そうならないように注意するが、先ずはブログ訪問者に感謝! おかげさまで静かに楽しく暮らしている。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般

2019年09月21日

隠していたこと

このブログ、「空白の22年間」は写真、文書、物品等が何も残っていない22年間を、記憶だけを頼りに書いている。開設して2年近くなるが、幼少期から現在に至るまでを書いているのに、まったく触れていない部分がある。最も書きにくい部分が残ってしまったのだ。私の人生に最大の影響を与えた部分だが、書くか書かないか未だに迷っている。

私と同年配の人達は、日本のどん底からバブル景気、そして長い低迷時代を生きて来た。家庭に電話が無い時代からスマホの時代まで駆け抜けて来た。汲み取り便所からシャワートイレまでの経験がある。仕事に使う自転車を買うのにに苦労した時代から趣味で車を買える時代に……。前置きばかり長くなり、なかなか本題に入れない。

書きにくくて書かなかったことは、我が家が生活保護家庭だったこと。先ず、高校に行くことなど考えられない。自分の意思として中学を出たら働いて、保護の要らない家庭にすることが第一と考えていた。当時は貧困の時代、友人の家庭を含め、多くの貧しい人々が体が弱くても栄養失調でも保護を受けずに頑張っていた。命がけで働く時代だった。

2歳年上の次兄は成績優秀なので、先生が進学を勧めに何回も来た。金持ちの同級生も父が金銭的援助するからと進学を勧めに来た。次兄は彼が家に来ることを凄く嫌がっていた。先生も同級生も保護を受けていたら進学など出来ないことは知らないらしい。あるいは我が家が生活保護家庭であることを知らないのかも知れなない。先生は担任ではなく、自らも夜間の大学に通う苦学生で、貧しい生徒の進学に情熱をもって支援していた。

法的には知らないが生活保護を受けていたら高校には行けない、ただし働きながら定時制高校に行くことは目をつぶる、と言うのが当時の空気だった。私は次兄の進学騒動を見ていたので最初から高校に行く気はなかった。目をつぶると言うような曖昧なことでは、定時制高校にも行きたくなかった。

そんなときガキ大将の大ちゃん が雑誌を持って来た。そこには自衛隊の制服を着た少年が整列している写真があった。大ちゃんは「格好いいだろう。俺と一緒に受けないか」と言った。結局、3年生4人が受けることになった。受かったのは私一人。大ちゃんは商船高校も落ちて、水産高校に行き、他の二人は普通の高校に行った。

これで私は、生活保護の子供と知らない世界に行けると喜んだ。しかし未成年だから入隊には親の許可が必要だ。母は最初は渋っていたが、5400円の給料の内4000円を送金すると言ったら許可してくれた。働きながら定時制に行っている兄も二人いるし、これで生活保護から抜け出せると、私も前途に期待することが出来た。中学で就職する最大の理由は、生活保護家庭の子供と言う恥ずかしいレッテルを剥がすことだった。
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 中学時代

2019年09月14日

ゴミ捨ては辛いよ

25年間も全く別の世界で暮らしていた二人が偶然の出会いで結婚する。それが当然と思って何も考えずに年を取る。退職して家でゴロゴロ二人暮らし。そして、些細なことでも喧嘩するようにになる。それでは人生は楽しくない。平等とか思うからいけないのだ。そんなことは有り得ない。今まで主人だった私は家来になる決心をした。

二人居る以上は上下関係が必要だ。一番いい上下関係は親子と思う。それで私は子供になることにした。子供は凄く楽だ、お母さんにご飯とか家事一切やってもらって勉強してればよい。私はもう18年もやっている。子供の唯一の仕事はお母さんの言いつけを守ること。そうすれば叱られることもない。お母さんの尻の下で何不自由なく暮らせる。

ここで呼び方について少し説明、子供が家を出て二人暮らしになった時、お母さんと呼ぶことに違和感を感じた。それで名前で呼び合うことを提案したら一蹴された。しかし、今は喜んでいる。子供役の私にピッタリの呼び方である。

私がお母さんに言いつけられている仕事は朝のゴミ出しである。ゴミ出しは凄く厳しい仕事だ。他に何もやってないからね(笑)。共同住宅に住んでいるから、やたらに知ってるような知らない様な人に会うのだ。挨拶するのがもの凄く難しい。

昔は好かったとか言っても始まらない。今は挨拶するかしないか、顔を合わせるごとに判断を迫られる。これは案外つらい。この辛さから逃れるのは簡単だ。人に会わなければいいのだ。人に会わないテクニックを身に付けることにした。

我室は4階にある。先ず、乗るべきエレベーターが1階にあることを確認する。90%以上の確率で箱はカラである。問題は4階を通過する場合、人が乗っていれば好いのだが、カラの場合は上に行った箱は誰かを乗せて4階に降りてくる。そんな場合はゴミを持って階段を歩いて行く。こんなことを一瞬のうちに判断して行動に移すのである。

廊下で遭遇したら仕方ない。軽く頭を下げる、そして相手が「おはようございます」とか言ったら口頭の挨拶を付け加える。これが一番無難なやり方である。

上るときはエレベーターが1階に止まっていれば幸運だ。降下中の場合は階数を読む。もし8階ならば、玄関の反対に向かって、イチニーサンシーとハチまで数えながら歩き、それからエレベーターに向かって歩く。これで万全、カラの箱が待っててくれる。

家に帰るとお母さんが「今日は誰かに会ったかい」と聞いてくれる。私の苦労を知っていて労ってくれるのだ。そして「ごくろうさん、明日から連休だね」。そうなんだ。今日は金曜日でプラスチック、土曜日曜はゴミ捨てはない。
タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 後期高齢(75歳以上)

2019年09月07日

笑うな

穂村弘のエッセイが好きだから、ときどき彼の現代短歌に触れることがある。NHKラジオ深夜便で彼が話すのを楽しみにしていた。午前4時からだが最初は楽しく聴いていた。その内インタビュアーの笑い声が気になって来た。更に頻繁に笑うようになると邪魔に感じるようになった。穂村さんの話はとても面白いのだが、クスクスするだけで、ケラケラ笑うほどのものではない。それに冗談は時々しか言わない。それなのに彼女は頻繁に笑う。

彼の話を聴こうとすればするほど、彼女の笑い声が邪魔になる。しまいには彼女が笑いを止めても、今に笑うのではないかと恐ろしくなる、そんなときに笑われると、嫌という気持ちを飛び越えて腹が立ってくる。ついに聴くのを止めてしまった。

ところが突然、変なのは彼女ではなく私だと気付いた。インタビュアーはアナウンサーと思う。そうでないとしても話のプロか、それに近い方と思う。話のプロがリスナーの嫌がることをする筈がない。そんなことをすれば仕事を失う。現に彼女は仕事をしている。どう考えても変なのは私だ。年を取って笑い声を嫌がる変人になったのである。あ〜ぁ、嫌になっちゃうね。ついに、偏屈老人になってしまった。私こそ世の中の邪魔者だ!

ラジオ深夜便を聴き始めてから20年以上たつ。深夜に静かに語られる深夜便が大好きだった。1時間のタイマーをかけて聞いていると、何時の間に寝てしまう。その感じも好きだった。まさに寝て良し起きて良しのラジオ深夜便。それが数年前から笑い声が増えて来た。笑い声は次第に増え、ついに違和感を感じる程にまでなったのである。

実際に笑い声が増えたのか、どうかは分からない。私だけが気に障るようになったのかも知れない。とにかく話すプロはリスナーを意識するから、わざと笑おうとするのはリスナーが歓迎する場合に限られる。笑いが人々に好感を与える。それを不快に感じる私は知らぬ間に変人になってしまったのだ。気づいても元に返れない。

年を重ねるに従って、だんだん変人になったのか、世の中が静かな時代から笑い声の時代に変わっのか、未だに分かりかねている。もう世の中の変化についていく気力もない。穏やかに静かに生きているつもりだが、いつの間にか頑固な変人になってしもうた(笑)。まあいいか。人生いろいろ人もいろいろ。いいじゃないの幸せならば。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 後期高齢(75歳以上)