2019年10月19日

恐怖の金縛り

改めて私の生い立ちから振り返ってみたい。5歳の時に終戦を迎えたが、自分は金持ちの子と思い込んでいた。母は仕事で忙しく可愛がられた記憶も、躾を受けた記憶もない。若い女性に面倒を見てもらっていたが、贅沢で我が儘な甘えん坊だった。後で知ったことだが、1946年ごろから複雑な家族関係になっていた。全ては戦争のせいだ

戦後の混乱の中で父親は自分の命を守るため、妻子と生活資金を残して北海道に逃亡した。そして、母は再婚のため三人の子を連れて東京に行った。養父となる人は、渋谷を焼き尽くした「山の手大空襲」で家と妻子を失い、バラックで侘しい一人暮らしだった。母の金で焼け跡に家を建てる計画だったが、彼が肺病に架かり建築資金を失った。

ところで、70歳を過ぎてから勘違いと分かったことがある。それは5歳のとき豪邸に住んでいたと思い込んでいたことである。久しぶりに東京から来た兄に本当のことを聞かされた。母は金持ちの奥様ではなく女子寮の管理人、そして海軍さん相手の宴会を取り仕切って、忙しく働いていたそうだ。今さらの壊された思い出話を聞かされたてガッカリした。

このブログでも隠していたことがある。それは我が家が生活保護を受けていたこと。何とかして保護を受けるのを止めたいので、中学を出たら働くことにした。ただ勉強もしたいと思っていたので、発足2年目の自衛隊生徒に志願した。給料をもらえるから家に送金もできる。4年間勉強して中堅幹部になるそうだが中堅幹部って何だろう?

ところが入隊を前にして体調に異変があった。今までスイスイ歩いていた街中の坂を上るのに、息苦しく感じるようになったのだ。何か変だが自衛隊で鍛えてもらえば治るだろうと楽観していた。これは滅茶苦茶な勘違いだが、14歳の時はそう思った。

赴任地である舞鶴練習隊で、最後の関門たる入隊前身体検査が行われた。肺に陰があり再検査となった。故郷を遠く離れていたので、病気で落ちたら行く所がない。何でもいいから入隊したいと思った。幸い再検査で合格になったが、それからが大変だった。

街中の坂を上がるにも息切れがする私にとっては、毎日が猛訓練のように感じだ。就寝時の金縛りにも悩まされた。金縛りについては何も知らないので、いつも死の恐怖に怯えていた。はっきりと意識があるのに体が動かない、圧迫されて地獄に落ちて行くような感じがするけど動けない。助けを呼ぼうにも口が動かない。最初は突然に強い恐怖、何回も続くと、そのうち来るかもという恐怖、とにかく病気と考えていたので治したいと思った。

金縛りを知ったのは何年も後になってからだ。「本人は目が覚めているのに、身体を動かすことができない。この状態が、完全に覚醒するまで続く。2割の人がこの症状を経験する」と、何かに書いてあった。なんだ5人に一人は経験者か、死ぬと思っていた私はバカだった。しかし15歳の時は真剣に死にたくないと考えた。そして医務室に行った。続く
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 転職時代(15-23歳)