「ためらいのなきことなにかあたたかきこと」、ホッとする温かい言葉。朝食後のひととき、私はテレビを観ていた。相変わらずのコロナ禍報道だ。お母さんは新聞を読んでいた。
「私は無職だからいいけど、コロナがまん延する中で働く人は大変ですね」
「アッハハハ〜」
「何ですか、人が真面目に話しているのに」
「全裸の男が現れたけど、マスクしてたんだって」
お母さんは新聞の小さな記事に気を取られて、私の話は聞いていなかったらしい。顔を赤くして、全身で笑っていた。何とか気を取り直して話を合わせた。
「エッ!裸でもマスク、靴は履いてたんですか?」
「リックサックも背負っていたよね」
「どおして?」
「裸だったら電車に乗れないでしょ。アアッハハハ」
まだ、顔を赤くして笑っている。
「近所の人かもしれないでしょ」
「アンタ、常識無いね。裸で近所歩けないよ」
と言いながら笑い続ける。
以前は、家でお母さんが心の底から笑ったのを見たことがなかった。友人と電話で話すときは大笑いするのにね。もちろん、外で友達と会って、笑い転げていることもあると思う。しかし、その場に居合わさない私は知る由もない。
お母さんが家で顔を赤くして心の底から笑うようになったのは、ここ数年のこと。私が絶対服従に徹して、何事にも逆らわないことに決めてからだ。何かとギクシャクしている定年後の二人暮らしを、何とかして変えようと思ったのだ。苦節三年とか言うが、変えるのに十年以上かかった。
二人の世界は対応次第で、天国にも地獄にもなる。遅まきながら自分が変われば相手も変わることを知った。私は意図的だが、お母さんは、ごく自然に手のひらを返すように変わってしまった。幾つになっても分からない事ばかりだが、このような素晴らしい発見もあった。
妻のこと「母さん」と呼ぶ
ためらいのなきことなにかあたたかきこと
(「サラダ記念日」俵万智)