2021年09月25日

信じても嫌いな人

先日お母さん(妻)は80歳の誕生日を迎えた。これで二人そろって80代。こんなに長生きできるとは、夢にも思わなかった。これで二人仲良く暮らせたら言うことはない。実はこれが一番難しい。しかし、何とか乗り越えた。
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かなり前の話だが、長年連れ添った夫婦が、感謝の言葉を綴る「60歳のラブレター」という企画があった。それなら、トイレに飾られた二枚の書は80歳の告白だろうか?

トイレに立つと目の前に見える二枚、黙って貼ったのは何故だろう? 定年退職後の3年間はケンカばかりしていて、離婚も真剣に考えた。凄く面倒臭くて巨大なパワーが必要と分かった。怠け者には無理なので、冷戦に切り替えた。

その後、静かで長い闘いが続いた。二人の闘いにルールは無いが、戦法はいろいろある。私の場合は無抵抗、無行動、絶対服従だ。つまり、何を言われようと御尤もと従う。自分からは何もしない、言われたことは必ず実行する。

ところで、無抵抗・絶対服従と口で言うのは簡単だが、現実は毎日が忍耐の連続だ。それが5年、10年と続く。些細な例で恐縮だが、水道を出しっ放しにすれば、たとえ10秒でも叱られる。相手が出しっ放しなら、私は黙って止めるだけ。一事が万事、こんな具合で我慢と忍耐の対応が続くのだ。

体力がなく不器用なので仕事では苦労した。いつの間にか、人の言うことに無条件で従う癖がついてしまった。もちろん、家でそうするつもりはなかった。ところが、絶対服従をやってみて、これが強情で我が儘な相手を変える、唯一の方法であることが分かった。

いつの間にか、お母さんは私がして欲しいと思うことを、先回りしてやってくれるようになった。成果が表れるまで長い歳月を要したが、憧れの楽チン生活に入ることができた。

ところで、二人とも、我が家の財布を握るのを面倒くさがり押し付け合って来た。私たちは漠然とした倹約はするが、金の勘定は苦手で嫌いだ。退職後は「アンタは暇だから」と言われ、不本意ながら私が財布を持たされてしまった。

10年以上に及ぶ長い喧嘩をしている時でさえ、お互いに相手は正直と思い込んでいた。これが唯一の絆かも知れない。連れ合いがギャンブル・アルコール依存症、あるいは浪費癖があったら大変だ。手の打ちようがない。

かなり我が儘だが私も同じだ。嫌いな人でも信頼できれば、いずれ和解する日も来る。お洒落で魅力ある浪費家と暮らすのは楽じゃない。平凡で安定した暮らしが何よりである。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2021年09月18日

究極の早口言葉

思いっきり歌が下手で高齢な私は、絶対にカラオケ会でロックを歌ってはいけない。拙い英語はもっての外。凄く異様な感じがして周囲の人は凍りつくだろう。困ったことに、私はロックンロール時代の幕開けを象徴する名曲「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大好きだ。危ない人だから自粛が大切、変な人と思われたくなければね。

この歌は1955年の映画「暴力教室」の主題歌だった。映画を観たのは多感な少年時代、力強いリズムに魅了され、その思いを抱き続けて60年余り。ところで、不良少年役のヴィック・モローは、後に人気テレビドラマ『コンバット!』のサンダース軍曹となる。役の上でだが不良少年から戦場のヒーローへ。一方、私は何の進歩もない。

ふと歌いたいと思い、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の歌詞を見たら、1から12までの数字、とオ・クロック、ロック・ロック・ロックの羅列、後はデイライトぐらいかな。これなら英語の苦手な私でも大丈夫? 夜通し歌って踊って楽しもう、強烈なリズムに乗って心ふるえるかも知れない。

ところで、真面目なフリも45年も続けると、それが外から見える自分の姿になってしまう。定年退職して自由な身になると、心の中に押し込まれた熱い想いが噴き出して来る。しかし、外見は変わらないどころか益々老いて行く。極めて地味な外見とタガが外れて露出した派手な胸の内、とのアンバランスに戸惑っている。ホントに自由とは苦しいものだ。

自分が好きなことを自由にやると、著しい違和感が生じてしまう。ただ、変人と思われても「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を歌いたいと言う気持ちはある。年は取っても上手に歌えば違和感はない。現にそういう人は居る。しかし、下手な私には不可能だ。

色々考えたが、結論は平凡だった。陰でコッソリ歌ってみることにした。試しに少しだけ歌ってみると、外見とか内面とか、音痴とか英語とか以前の問題が浮き上がって来た。口が回らない。全く回らない。一体これは何だろう。なぜ口が回らないのだろう?

繰り返しても繰り返しても同じことだ。それなのに、歌にならなくても口が回れば楽しいだろう、との思いが浮上してきた。同年配の友人は健康に良いと言って懸命に早口言葉の練習をしている。それなら歌の方が絶対に楽しい。究極の早口言葉で健康にも良い、一石二鳥で更に良くて(^-^;) ゴメン
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2021年09月11日

似合わなくてゴメン

もうじき81歳なのに爺さんになったような気がしない。未だにお爺さんとは他所の人と思っている始末だ。ハゲて耳が遠く、動作もノロく、ヨボヨボなのに困ったものだ。

孫がいないと爺さんの気持ちになり難い。おまけに自分の祖父母は写真でさえ見たことがない。爺さんになるには環境が悪すぎた。しかも私は、爺さんになる為の努力を全くしなかった。これでは立派な爺さんに成れるはずがない。祖父母→父母→自分→子→孫、この循環の中でお爺さんの気持ちが徐々に熟成されていくのだろうか。

仕事や実生活にはルールがあるので、私自身も年齢に応じて変わって行く。その点、趣味の世界は自由だ。大きな声では言えないが音痴なのにカラオケをしている。曲の好みは十代のままフリーズしている。当時の歌が大好きだ。歌っている内に少年時代にタイムスリップしたような気分になる。

当時は好きになっては振られるばかりの、やるせない人生だった。歌は私の気持ちに寄り添ってくれた。例えば、「畜生恋なんてぶっとばせ♪(ダイナマイトが150トン)」とか、「夜通し歩いて諦めろ♪(女を忘れろ)」とか言って慰めてくれた遠い昔が懐かしい。

今は、こんな曲を歌えれば最高に幸せと思っている。
「なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の宝物
じいちゃんあんたに そっくりだよと 
人に言われりゃ 嬉しくなって
下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔 
(『孫』作詞:荒木良治 作曲:大泉逸郎)」

しかし、そうも行かない。温かくて、とても好い歌詞だけど孫のいない私が歌えば嘘になる。実生活なら嘘も方便、人を助けることも喜ばすこともある。歌の場合は、嘘にもリアリティを与えられるのはプロだけである。真逆の私は嘘丸出しになる。残念ながら『孫』は御法度だ

仕方がないので遠い昔を懐かしんで懐メロばかりだ。柄にもなく愛とか恋ばかり。事実ではないが嘘でもない。ノスタルジーと叶わぬ夢を歌っているつもりだ。孫とか母なら好いのにね。ホントにホントに似合わなくて(^-^;) ゴメン
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2021年09月04日

静かな暮らし

誤解を恐れずに白状すると、私の夢は楽をすること。退職して二人暮らしだが、お母さんに家事一切を任せ楽ちん生活に入った。夢は叶ったのである。長い人生だから、懸命に働こう、勉強しよう、真摯に生きよう、と思ったことは何度もある。しかし、いつの間にか本来の怠け者に戻っている。

少しは負い目を感じているので、頼まれたことは何でも喜んでする。例えば、散歩の帰りに牛乳をを買ったり、朝食の皿を並べたり、張り薬をペッタンコと張ったりね。あとはゴミを捨てること。何故かとても少ないので、頼み事は一切しないように心がけている。私は静かなネコ(*^-゜)

ところで、お母さんの喉は調子が好いらしい。いつも「のど飴」を舐めて、私にも分けてくれるのに、最近は滞っている。私は相変わらず喉の調子が悪いのでコンビニに買いに行った。買ったのは、19種類のハーブエキス配合の「R角散のどすっきり飴」。

一人で買って一人で舐めるのは気が引けるので、二つ買って一つはお母さんに上げたら、ニッコリ笑って有難うと言ってくれた。プレゼントを気に入ってもらったような気がして、とても嬉しかった。

これで、のど飴は双方一袋ずつだが、しばらくしたら私の分は無くなったので、お母さんのを頂こうとした。のど飴袋を手にすると何か違和感を覚えた。袋の中で飴と飴がくっついて一塊になっていたのでビックリした。

お母さんは、ほとんど舐めていなかった。しかも、袋の口は閉じずに開けたまま放置した。だから、湿気が入り飴同士がくっ付いてしまったのだ。喉を使い過ぎたことはなかったのか。喉の乾燥を感じたことは無かったのか。ニッコリ笑って有難うと言ったのは嘘なのか。疑問は次々と湧いて来た。

それだけなら我慢できるが、こともあろうに、自分の不始末は棚に上げて「アンタ、私のR角散盗ったでしょ」と抜かした。あんなに粗末に扱いながら所有権だけは、しっかりと主張するのだ。

「ついに堪忍袋の緒が切れました」
「面白いね。それでどうした」
「修繕しました」
「なに?」
「堪忍袋を修繕したのです」

堪忍の袋を常に首へかけ破れたら縫え破れたら縫え
道歌(道徳的な、又は教訓的な短歌)より
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降