先日お母さん(妻)は80歳の誕生日を迎えた。これで二人そろって80代。こんなに長生きできるとは、夢にも思わなかった。これで二人仲良く暮らせたら言うことはない。実はこれが一番難しい。しかし、何とか乗り越えた。
かなり前の話だが、長年連れ添った夫婦が、感謝の言葉を綴る「60歳のラブレター」という企画があった。それなら、トイレに飾られた二枚の書は80歳の告白だろうか?
トイレに立つと目の前に見える二枚、黙って貼ったのは何故だろう? 定年退職後の3年間はケンカばかりしていて、離婚も真剣に考えた。凄く面倒臭くて巨大なパワーが必要と分かった。怠け者には無理なので、冷戦に切り替えた。
その後、静かで長い闘いが続いた。二人の闘いにルールは無いが、戦法はいろいろある。私の場合は無抵抗、無行動、絶対服従だ。つまり、何を言われようと御尤もと従う。自分からは何もしない、言われたことは必ず実行する。
ところで、無抵抗・絶対服従と口で言うのは簡単だが、現実は毎日が忍耐の連続だ。それが5年、10年と続く。些細な例で恐縮だが、水道を出しっ放しにすれば、たとえ10秒でも叱られる。相手が出しっ放しなら、私は黙って止めるだけ。一事が万事、こんな具合で我慢と忍耐の対応が続くのだ。
体力がなく不器用なので仕事では苦労した。いつの間にか、人の言うことに無条件で従う癖がついてしまった。もちろん、家でそうするつもりはなかった。ところが、絶対服従をやってみて、これが強情で我が儘な相手を変える、唯一の方法であることが分かった。
いつの間にか、お母さんは私がして欲しいと思うことを、先回りしてやってくれるようになった。成果が表れるまで長い歳月を要したが、憧れの楽チン生活に入ることができた。
ところで、二人とも、我が家の財布を握るのを面倒くさがり押し付け合って来た。私たちは漠然とした倹約はするが、金の勘定は苦手で嫌いだ。退職後は「アンタは暇だから」と言われ、不本意ながら私が財布を持たされてしまった。
10年以上に及ぶ長い喧嘩をしている時でさえ、お互いに相手は正直と思い込んでいた。これが唯一の絆かも知れない。連れ合いがギャンブル・アルコール依存症、あるいは浪費癖があったら大変だ。手の打ちようがない。
かなり我が儘だが私も同じだ。嫌いな人でも信頼できれば、いずれ和解する日も来る。お洒落で魅力ある浪費家と暮らすのは楽じゃない。平凡で安定した暮らしが何よりである。
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