11月20付け北海道新聞に掲載された「読者の声」について、ある女性(89歳)の投稿が目を引いた。見出しは「結婚69年 初のラブレター」。入院した93歳の夫を心配して書いた、妻の手紙のことである。夫は5通の手紙を大切にして持ち帰った。高齢夫婦の心温まる心の交流が羨ましい。
去年の夏、私も手術のため入院したが、同じようにコロナ禍で面会禁止だった。だが、お母さんは手紙を一度もくれなかった。記憶をたどれば、知り合ってから56年間、手紙は一回ももらっていない。投稿を読んで寂しい現実を思い知った。
退院してから1年もたってから、トイレにこのような書が貼られた。意外も意外、お母さんも80歳になるのに、やってくれるではないか。今まではタヌキ(私)が一方的に騙し勝ち続けて来たが、キツネとタヌキの騙し合いが始まったのだ。
「ありがとう、あなたに出逢って、よかったです」と書いてある。何回読んでもホッコリする。お母さんは黙って貼ったが、私も何故か聞かない。それで良いと思うのだ。分からない方が楽しいこともある。
現実は出逢って良かったどころではない。やれ、引き出しが開けっ放し、トイレの電気も点けっ放しとか、細かいことにくどくどと煩い。毎日のように小言を言われ、反駁もできずに腹を立てている。少しは控えてほしいものだ。
それなのに、トイレでオシッコを流してないとか、何回も言われて悔しい。一方、私はお母さんが大きいのを流し忘れても、黙って流すだけ、何事も無かったように水に流す。火の始末と違って、大事に至る可能性が全くないからだ。
お母さんには何を言われても言い返さない。例えば、オシッコを流さないと言われても、貴女だって流さなかったとは決して言わない。グッと堪えている。情けは人の為ならず。
口で言うのは簡単だが、これに慣れるのに十年以上かかった。しかし、慣れてしまえば極めて簡単なことだ。独りよがりでいいから、自信を持つことが肝心だ。そして小言も排出物と一緒に、一気にジャーっと流せばスッキリする。この時背中を押してくれるのが画像にある2枚の書なのだ。キツネの計略かも知れないが、タヌキは黙って受けてたつ。