2022年01月29日

耳は不思議ね

幸せ本線に乗っているから悩まない。苦しいことがあっても治れば直ぐに本線に戻ってしまう。ところで、耳が悪くなっても自分では分からない。だが、今のテレビは音量をデジタル表示してくれる。音量を上げれば数値が上がるので、嫌でも難聴を自覚してしまう。

目には老眼鏡、歯に入れ歯、ついに耳には補聴器になってしまった。一般社会をを戦場に例えれば、私は無敵の特殊部隊の隊員と空想した。暗い所では暗視鏡、耳は高性能受信機を装備して世の中で戦っている。しかし、入れ歯の隊員を空想できなかった。高性能入歯で噛付きとかどうかな?

難聴は不思議だ。聞こえてくる方向が分からないし、大きく聞こえる音もある。洗面所で歯を磨いていると、少し離れた居間からお母さんの話し声が聞こえ、電話かなと思った。声が緊張しているのが気になって居間に行った。そこには誰も居なかった。トイレ前にスリッパがないのでトイレでもなさそうだ。電灯が点けっ放しなのに気付いて消した。

突然、玄関の方から大きな声がしたが、緊張感が更に増している。一体どうしたのだろう? 玄関に行ってみたが誰もいない。覗き窓から外を見ても誰も居ない。その時、お母さんの叫び声が聞こえた。外ではないらしい。一体何があったのかと緊張して戻り、トイレの前でお母さんを見つけた。

「勝手に換気を止めないでよ。臭いでしょ」と怒鳴られた。なるほど、歯を磨いていた時、居間で声がすると思っていたけど、トイレだったのか。換気は止め忘れていると思って止めたのだ。それでも臭くてゴメンと謝った。自分の出したウンコの匂いだから我慢しなさいとは言わない。家事全般はお母さんの仕事で、我慢は私の唯一の仕事と割り切っている。

「人が入っているのに、何で電灯を消すのよ」と立て続けに叱られた。そう言えば、あの時はかなり怒った声だった。私も緊張して玄関に走った。状況把握も方向も間違っていた。補聴器は付けているけれど、左耳だけだ。右耳は聞こえないので方向が分からない。私は不思議だと思いながらも錯覚を楽しんでいた。スリル満点で緊張したが神秘的でもあった。

難聴は不思議だ。音の世界が変わる。方向、音質も変わる。補聴器を付けても大きくなるだけで聞きにくいときもある。感覚が今までの自分と変わるから不思議だ。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年01月22日

浅知恵

世の中は思い通りには行かないものだ。一生懸命調べて考えたのに、悪知恵と一蹴されてしまった。

定年退職して家でブラブラしていた頃、ある新聞記事が目を引いた。見出しはこうだ、「妻が怖くて退職言えず…」「生活費稼ぎの為ひったくり」。当時は妻と二人暮らしで、何かと虐げられていた。他人事ではなく身につまされる記事だった。私だって妻が怖いから働いているフリをしたい。

ならば、給料をもらっているフリもしなければならない。幸い私にはへそくりがある。新聞記事の男みたいに「生活費稼ぎの為ひったくり」などをする必要はない。使いきったら失業したと言えば済むことだ。何よりも「仕事しています」と言う雰囲気を出すことが肝心だ。

先ずは就業規則だ。勤務時間は10時から16時、週休三日制、年次休暇は50日。こんなものでどうだろう? これで規則に基づいて働いている感じが出てくると思う。役職は課長ぐらいにしようかな。時には上司に言われて仕方なく、と言えるような歯止めも肝心だ。何から何まで自由では「働いている感」が滲み出てこない。

名刺は業者に頼む、パソコンで作ったような名刺では課長の貫禄が出てこない。給料明細書はパソコンで作れる。幸い私はプリンタを持っていない。妻はネットプリントでコンビニで出力とは夢にも思わないだろう。ネットでもらった暗証番号をコンビニの多用途プリンタに打ち込めば、20円で明細書が印刷される。経費としては安いものだ。

大切なのはオフィスだ。これがなくては折角用意した課長の椅子の置き場がない。実は耳寄りな話があった。ある人が事務所に借りたワンフロアの半分を自分が使用して、残りを又貸している。6脚の事務机があって、事務机1脚分の場所を月9500円で貸してくれる。電話の取次ぎもしてくれるし、郵便物なども各机ごとに振り分けてくれる。しかも、一階が喫茶になっているので、お客様の応接も出来るのだ。

これなら名刺に固定電話の番号も入れられるし、住所も世間に知られた伝統あるビル名を使える。勤め先オフィスとして、充分機能するのではないか。長年連れ添った妻を騙すには最低限、この程度の準備は必要だ。

新聞記事の男は、妻が怖くて退職したことを言えなかった。その気持ちは分かるが、何の準備もしないで働いているフリはまずかった。それが「生活費稼ぎのためにひったくり」に繋がったのかも知れない。配慮が足りなかったと思う。

「友人の友人が机を一つ借りていて、趣味のサークル活動の事務局として使っているそうです」
「何を考えているのか知らんが、働きたいのなら真面目に働け。働いているフリなどとんでもない!」
「友人の友人が4月の(本職)移動で地方に転出するそうです。そこを借りられればオフィスの問題も一 挙に解決して、憧れの『仕事』ができるのです。楽しみですね」
「アンタは人の言うこと、何も聞いてないね」
「奥さんが怖くてひったくりなんて可哀想ですよ」
「俺は悪知恵が働くお前より、ひったくり男が好きだな」
「そうですね。私もです」
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | フィクション

2022年01月15日

さえずりたい

昨日、久しぶりに長電話をした。話しの中でAさんが自分自身の壮絶な人生を語ってくれた。とても感動したので、私も40年以上前のことを打ち明けたくなった。それは「音痴なのに歌うな」と叱られた情けない話だ。初めて人に話してスッキリした。簡単に言うと次のような出来事だった。

職場の懇親会で皆が順番で歌うことになった。大きな会場なので遠慮したが、歌えと言われて歌った。三日ぐらいして、近所の友人三人で飲む機会があった。散々飲んで12時を過ぎた頃、目の据わったB君に「お前は音痴なのに何故歌うんだ」と叱られた。頼まれても歌ってはダメだと絡んできた。家に帰ったのが午前2時頃だから、随分長く絡まれていたものだ。

B君はベロンベロンに酔っ払っていて、このことを覚えていなかった。彼はほとんど意識のない状態で、胸に溜まっていたことを一気に吐き出したのだ。正直に言ってもらって目が覚めた。私が歌うと不快に感じる人がいることが分かったのである。以後、25年間人前で歌ったことはない。

それなのにカラオケに行くようになったのには訳がある。65歳の時、Cさんにカラオケに誘われた。Cさんは、あるカラオケ会に入ったが歌えないので練習をしたいと言う。練習仲間として選ばれたのが、音痴の私と仲良しのDさんだった。ビールがジョッキで一杯付いて、150円と言う破格の安さだ。それに三人で三回の誕生日にはケーキが付く。法人カードを持っていて、各種割引を駆使するとこうなるそうだ。

その頃、地元を語るFMラジオで放送委員の一人として中島公園の話をしていた。公園だけで1時間はもたないので、私が所属するシニアネットのカラオケ会の会長にゲストのお願いをした。カラオケ会を知る必要があったので、取材のつもりで例会に参加した。歌うつもりはなかったが、無理矢理舞台に立たされて(楽しく)歌ってしまった。カラオケは健康にもいいのですよと誘われ、その後の例会にも参加するようになった。

当時のカラオケ会は酒を飲みながら歌うのが普通だった。私は酒に弱いので直ぐ酔っ払って、我を忘れて歌ってしまう。それから10年もすると、飲まないで歌うのが普通になってきた。それでも私はさえずりたいのは、動物としての本能かも知れない。小鳥のようにピーチクパーチク。皆様のおかげで楽しく歌わさせてもらっている。今は持病とかコロナ禍の影響で休んでいるが、例会に参加できる日が来ることを楽しみにしている。

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般

2022年01月08日

やめましょう

1月4日に4回目の検査を受けたが、結果は変わらないので専門家の判断に委ねることになった。現在の状況は癌転移の観察を続けるか、手術をするか二つに一つ。結果は近日中に出る予定。ブラブラしているのも勿体ないので、少しでも病状回復の為、私に出来ることはないか聞いてみた。

先生は「普段通り生活していて結構です。癌を早く見つけて直ぐに手術することが第一です」と言った。しかし、私が普段通りに出来ることは食べて寝る事。そして20年近く続けていて、習慣になっている公園散歩と、ブログやホームページの更新だけ。他のことにはなかなか手が付けられない。

一年の計は元旦にあるというけれど、元旦は何となく過ぎてしまった。新年の抱負は書き損なったので、似たようなものを書くことにした。一応、現在の気持ちを素直に書いたつもりだが、これで良かっただろうかと自問している。

気分転換に独りよがりの老人会を考えてみた。世の中は金と才能のある人に支配されている。そして、彼等が自分の基準で才能ある人を選んでいる。何とかしてこの基準を変えたい。もし無能な人が世の中を支配すれば変えられる。良し悪しは別として変わる。怖い感じもするけどね。

新基準が出来れば、音痴の人にレコード大賞(の様なもの)を与えることが出来る。悪文の人に芥川賞(の様なもの)も与えることが出来る。不可能なことも可能となるのだ。なぜ、老人会かと言うと、自分が無能と見極めるには永い年月が必要だからだ。私は50年もかかった。

それに、老人だから末永く吹きだまってもらえる。若者だったら進歩して去ってしまう。だから、才能がなくても認められたい老人には、今と違う基準が必要だ。無能な老人は団結して新しい基準を作るべきである。世の中は1%の天才と9%との怠け者と90%の真面目だが報われない人で構成されている。民主主義国なら多数決が機能するはずだ。

試みに、無能老人会の決まりを作ってみた。
1.入会資格
  しょうがない人、一度も賞をもらえなかった人
2.対象作品
  意見、川柳、絵、写真、その他メールで送れるもの
3.表彰の決まり
   種 類:むいみで賞、むなしいで賞、やめま賞
   審査員:当分の間ボク

「なんだ、これが新年の抱負か。ふざけるな!」
「抱負のようなものです」
「意味がないだろう」
「むいみで賞、もありますよ」
「バカバカしい」
「笑って暮らしましょう」
「むなしいねぇ」
「そうですね、やめま賞」
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | フィクション

2022年01月01日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
昨年は手術した舌癌のリンパへの転移が疑われ、12月は3回の検査をしました。その結果、年明けの4日に4回目の検査を行うことになりました。年末の27日の入院予定がキャンセルされたので、一先ずは安心しています。

新年は、これからの抱負などを書いてみたいと思いましたが、次回に延期します。4日の検査結果を聞いてからにします。このような訳で、1月8日(土)に今年の予定などを、希望を含めて書きたいと思っています。

万一入院ということになっても、それはそれで良いことと思います。お医者さんたちが治してくれるのですから。今年もよろしくお願いいたします。

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明治17(1884)年、社殿を現在地に建立。中島公園界隈で一番古い神社。後方に薄野の高層ビルが見える。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他