2022年02月26日

天才募集

定年退職して数年後のことだが、数人の高齢者グループで忘年ランチ会を開いた。そして、毎度お馴染みの話題で盛り上がっていた。もしも宝くじで3億円当ったらどう使おうという、あの話である。

「私なら豪華客船に乗って世界一周旅行がいいな」
「とりあえず2億円の豪華マンションを買おうかな」
「たった3億なんか何時の間にか無くなっちゃうよ」

こう言い放ったのは、国内外問わず1年の半分くらいは旅行しているAさんだった。突然、こちらを向くと、「貴方さっきから黙っているけど、何に使いたい」。急に振られた私は、その場の空気も読めず本音を漏らしてしまった。

「苦学生の奨学金にに使いたいです」
「お金の使い方しらないの?」
「お金は教育の為に使うのが一番良いと思いますが…」
「いいから、いいから、次のひと〜」
残念ながらこの素晴らしい提案はAさんには通じなかった。

ひと回りした後で、再び私に回って来たので続きを説明… … 
「ケチっぽいのに、考えることだけは気前いいのね」
「医療と教育は無料であるべきです」
「空気を読めないのはダメ。亭主より格好の悪い男もダメ」
「ご主人はヨボヨボのガリガリと伺っておりますが…」
「痩せても枯れてもH大スキー部のキャプテンよ」
「そんな昔のことを言ってはダメですよ」

私の学問への憧れは強いが、勉強はしたくない。だけど中学で出会ったような天才と話をしたいのだ。テレビや本の伝聞だけでは物足りない。生の天才と話したい。

「例えば、T大生に捨てられたシングルマザーの子とか、頭がよくても金が無い子が居るでしょ」
「それで貴方が奨学金?」
「3億あれば10人くらい面倒みれますよ」
「貴方、宝くじ買ってないんじゃない」
「ありますよ」
「10年以上前? それとも大昔かな、一等百万円とか」

何故分かるのだろうか。ズバリと言い当てられてしまった。ところで、私は空想が大好きだ。貧しいけれど才能のある人が埋もれている。そんな人を見つけて、支援して一流大学を出す。そして友達になってもらう。お互いの幸せのために良いと思う。しかし、空想が現実になることは無いだろう。思い余って天才募集!

「もしもし、私は天才です。お話しましょう」
「ありがとう。電話とは言え願ったり叶ったりです」
「ロボットですが、いいですか?」

AIでいいから叶えてこの願い
中学時代の友人とは → 天才ユガワ君

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年02月19日

誰が7億円当てたのか

[米女性が宝くじで830億円 単独では北米史上最高当選額],こんな見出しが目を引いた。当選者の氏名、顔写真が大きく載っている。喜びに溢れた表情で「仕事辞めます」と言っていた。その他、いろいろな個人情報も公開。テレビでも同じような報道を見たことがある。おおらかなものだ。しかし、日本では誰が年末ジャンボを当てたか報道されない。

もし私が7億円当たったとしたら報道して欲しくない。しかし、中には報道して欲しい人もいるかも知れない。それなのに、何十年もの長きにわたって、宝くじの大当たり報道に接したことがない。考えてみれば不思議だ。本人が同意しても、公にしてはいけない決まりがあるのだろうか?

ただ、「宝くじ当せん者レポートはどんな人?」とのアンケート調査の結果は、「宝くじ公式サイト」で公表されている。しかし、任意調査で全て匿名なので雰囲気が分かるだけで、公正さの証明とは程遠い。

冒頭に紹介した海外の事例とは大違いだ。実名でインタビューに応じ、大喜びした当選者が職業、家族、大金の使い道を語る。こんな姿を見れば、公正に当たりくじを引き当てたことに疑問の余地はない。一方、日本の場合は当選者について何も語らないので、色々な憶測がなされる余地がある。

ネットでは、予め大半の1等を抜き取っているとか、高額当選くじが存在しないとか、バレたらマズい事実は往々にして隠蔽されるとか、好くない噂が流れている。いずれも匿名の無責任な書き込みと思うが、当選者の公表がないことが、こうした憶測を生むのだと思う。

公正な宝くじの運用、及びその検証はどうなっているのか、ネットでチョコっと検索しても出てこない。と言っても、10分足らずの作業だったが気になった。こんなことはチョコっと検索すれば直ぐ出てくると思っていたので意外だった。

もし私が7億円引き当てたとしたら、公表して欲しくない。いろいろなトラブルに巻き込まれそうな気がするのだ。だから公表しないことには賛成だが、公表しない理由と宝くじが公正に運営されていることを、誰もが簡単に知ることが出来る方法で知らして欲しいと思う。

「知ってどうする」
「当たるかもと思い、安心して買って楽しめるでしょ」
「7億円当たるとしても、確率二千万分の一だぞ」
「そうなんですか」
「交通事故で死ぬ確率は、7億円当たる確率の百倍以上だ」
「そうなんですか」
「7億円当たる前に交通事故でお陀仏だよ」
「そうなんですか」
「お前はそれしか言えないのか!」
「言えません」
「何か言えよ」
「その前に寿命が尽きるでしょ」
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年02月12日

退職したら家事は半々?

またもやコロナ禍で巣ごもり暮らしだ。暇になると色々思い出す。定年退職後の二人暮らしもその一つだ。在職中は私は仕事、妻は家事と一種の分業が成り立っていた。それが退職して家でブラブラするようになるとバランスが崩れた。二人とも思惑が外れてイラつき始めたのである。

私は虚弱体質で極端に疲れやすかった。仕事から帰るとご飯食べて直ぐ寝てしまう弱い人。妻は私が仕事を辞めてしまうことを恐れて、懸命に支えてくれた。だから二人とも定年退職を凄く楽しみにしていたのだ。

待ちに待った「ハッピーリタイアメント、さあノンビリするぞ!」と喜び勇んだのは、つかの間。厳しい現実が待っていた。期待に反して、なんだかんだと居心地が悪い。しばらくすると自分の立場に気付いて愕然とした。

我家はいつの間にか妻の支配下にあり、私は単なる新入りに過ぎなかった。二人にとって「家でノンビリ」は長年の夢。ここは天下分け目の関ヶ原、お互いに負けられない状況だ。私は創意と工夫で、この難局を打開する決心をした。妻も自分の城を守る決意は固く一歩も譲る気配はない。

新入りの私は、先ずは敵を知ろうと威力偵察。半年もすると、二人暮らしのコツを覚えた。嫌・駄目・出来ないはご法度。一生懸命やる必要はない。とりあえずは「うんうん、それもいいね」と首をたてに振れば、万事OKだ。

「家事は半々」と言われても驚くことはない。「うんうん、それもいいね」と言って置けばいいのだ。別に、何時からと言われた訳ではない。だが「明日からやって」と言われたら、少々知恵を働かさなければならない。

「うんうん、いいね」は決まり文句だから、そのままで良い。難しいのは後半だ。間違っても「出来ない」と言ってはいけない。そんなこと言ったら、厳しい訓練が待っている。妻は決して甘くはない。「予定があるので三日後からやります」と、とりあえずは先送りする。三日後に同じことを言ってくることは滅多にない。

敵の弱点は充分研究してある。妻は忘れっぽいのだ。しかし、忘れっぽい妻が三日も覚えていたとしたら、ただ事ではない。毅然とした対応が迫られる。

「食事は支度から皿洗いまで私がやりましょう!」
「ホント? 頑張ってね」
「ご飯できましたと言うまでテレビでも見てて下さい」
「上げ膳据え膳ね」
「出したものは残さず食べてください」

結局、三日ももたなかった。私は「良い作り手」になれなかったし、妻は「良い食べ手」になれなかった。そして、其々の得意分野を生かすのが良いと悟ったのだ。事態は何も変わらないのに争いはなくなった。ポイントは家事は半々、との提案に両手を挙げて賛意を表したことにある。こんなことで良いのだろうか。小ズルくて(^-^;) ゴメン

タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年02月05日

心の中の目

先日、久しぶりに兄から電話があった。長話になったが、お前、とても良い人と一緒になったねと言われて答えに窮した。素直に「はい」とは言えないのだ。と言うのは私が十年以上もかけて悪妻を優しいお母さんに作り替えたと思っていたからだ。今考えると正直で良い人に巡り会ったと思う。

母親には恵まれなかった。食卓を一緒にした記憶がないし、愛された記憶は全くない。子供の私は常識が邪魔をして、母親の本心を見抜くことが出来なかった。生活保護と私の親孝行に頼る自分勝手な人と気づいたのは二十歳の頃だった。

話は戻るが、定年退職をきっかけに妻とのトラブルが始まった。この先は二人で暮らすしかないのだから、自分が変わることにより、相方を優しいお母さんに変える決心をした。長年夢見ていた、憧れのお母さんを作ることにしたのだ。

二人暮らしは単純だ、相方は自分を映す鏡のようなものだから、変えたいのなら自分が変わるしかないのだ。それを知らなかった私は丁寧に説明して理解を求めたが、全く効果がなかった。考えてみれば当たり前だ。相手は鏡の中の私だから。クドクド言って聞かせても反発されるだけで、話など何も聞いてもらえない。言うだけ無駄だった。

とは言え、現状は悲惨だから変えなければならない。ヒントはドラマの中にあった。ヒーローは変身して自分を変えることで、周囲を変えていく。一対多数だから大変だ。とても普通の人にできることではない。ただし、二人暮らしなら話は別だ。相手は一人なので一対一、普通の人でも相手を変えることが出来る。簡単に言えば、自分が優しくなれば、いずれ相手も優しくなる。態度を改めれば良いのだ

先ずは絶対服従と決めた。そんなことかと思うのは、現実を知らない人の反応だ、冷たい戦争中の二人暮らしは会話も接触も少ない。従って、服従するチャンスも少ないのだ。四六時中、絶対服従、絶対服従と心の中で唱えていなければ、千載一遇である服従のチャンスを逃すことになる。

チャンスを捉えるより大切なことがある。それは、服従しながらも優しい目をしていること。それがなければ相手を変えるのは無理。そして、会話も接触も少ない時は、相手が変わるとしてもホンの少しである。しかも、こんな状態が延々と続くのだから辛抱が必要だ。

心が折れそうになっても私には、優しいお母さんを得て幸せな暮らしをするという、最終目標がある。「求めよさらば与えられん」とは本当だった。お母さんと呼べる人は居なかったが、妻を優しいお母さんに作り替えてしまった。

「肝心なのは目力、力を付けるのに5年はかかりますよ」
「目力?」
「目はその人の心の中を映し出す鏡と言われています」
「それがどうした」
「目を見れば、その人の心の様子が分かるのです」
「本心がわかるのか?」
「態度が服従でも目が反抗していたら逆効果なのです」
「なるほど、肝心なのは目力だな」
「そうなんです!」
「アンタ、目が赤いぞ。力の入れすぎだよ」

タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 18:25| Comment(0) | 80歳以降