2022年03月24日

更新休止のお知らせ

「アハハッハー、ひん曲がった笑いだって。どんな顔するんだろう。面白いね」。この陽気さには何時も救われている。思わず私も笑ってしまった。先生は「後遺症で口が引きつるかも知れません。笑う時とか… … 」と言っただけだ。お母さんにかかると何もかも笑い話になってしまう。

現在の状況を暇に任せて考えてみた。私は幸福という名の電車に乗っているような気がする。リンパ節癌とか言われただけでは不幸になれない。依然として幸せのまま笑って暮らしている。「土壇場駅」に着くまで、この感じは続くだろう。そこで初めて苦しみ、ジタバタするのだ。しかし、終わってしまえば直ぐにでも、幸せに戻るに違いない。

遠い過去を振り返れば不幸という名の電車に乗っていた感じだった。その頃でも楽しい時も嬉しいこともあったが、直ぐに不幸せに戻ってしまった。幸不幸はどちらも長期に及ぶもの、そして喜怒哀楽は短期に留まるものと思う。いずれにしろ、一旦幸せになったら簡単には不幸に戻れない。

PET検査による画像を見せてもらったが、鮮明でとても綺麗だった。ガンの部分がキラキラと輝いていて美しい。私の体の一部だが間もなく切り離されてしまう。本体より先に天国に行くのだろうか。小さな星になって夜空に輝くのかも知れない。医学は天文学に似ている。分からないことが多すぎて、空想の世界を無限に広げて行くことができる。

一昨年の8月、病室から手術に行くとき「全身麻酔すると、綺麗な幻影が見えるから楽しんで来て」と励まされた。しかし、見たのはストレッチャーが猛烈な勢いで走り、手術室や廊下の風景が、車窓から見る風景のよう流れていただけだった。今度こそはと期待している。手術時間が前回の3倍だから、きっと美しい幻影が見られると思う。

「私が逝ってしまったら、良い人を見つけて… … 」
「冗談じゃない! オトコはアンタ一人で懲り懲りよ。毎日三度の飯を食わして、掃除して洗濯して、トイレ汚してもそのまんま。オマケににケチくさい… …  」
「はいはい、分かりました。こちらを見て下さい」
「なにそれ?」
「私が密かに溜め込んだ財産目録です」
「エッ! アンタただのケチンボじゃないんだね」
「どうぞ、心置きなく一人暮らしを楽しんで下さい」

こんな事情でブログの更新はしばらくお休みにします。又、良くなったら再開したいと思います。カラオケにも久しぶりに行けるのではないかと楽しみにしています。Zoomでの手話や笑いヨガは、リハビリ中でも参加出来るので有難いですね。皆様との再会を楽しみにしているので、よろしくお願いいたします。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(3) | 80歳以降

2022年03月19日

パソコン落ちこぼれ

私にとってパソコンとは小うるさい古女房のようなものだ。その心は、自分は正しいと文句ばかり言って動こうとしない。初めて買ったのは1980年と早い。当時は「マイコンを使えこなせないサラリーマンは失格」とか雑誌等で盛んに煽っていた。しかし、その割に普及はしていなかった。マイコンとは マイクロコンピュタの略で、気持ちとしては「私のコンピュータ」である。ただ、NEC等、パーソナルコンピュータとして売り出したメーカーも少なくなかった。

買ったのはシャープMZK2E RAM領域32KB(MBの間違いではない)、本体とテープレコーダー(HDの代用)とキーボードが一体となっていた。凄く重かったので外装は鉄製と思う。別売りのプリンタも買ったので25万円もした。その時の月給は14万だった。苦しい家計をやりくりしている妻子の手前、一生懸命勉強したが何の役にも立たなかった。しかし、酒を止めることに成功した。その後、富士通、アップルと、時流に合わせて次々と買い換えた。

1995年に颯爽と登場したのがウィンドウズ95。マック・ファンとしては洟も引っ掛けなかった。それがコロリとウィンドウズに変えた理由は、エクセル98バージョンアップに、マックが直ぐに対応しなかったからだ。エクセル98のVBA(Visual Basic for Applications)を使うため、長年の友、マックを捨てたのである。正確にはMicrosoft Officeに搭載したVBAだが、エクセルしか使ったことのない私は、このように理解していた。VBAは私が初期に必死に勉強した、素人向けプロブラミングの知識を生かせるソフトだった。

職場で電卓を使って三日もかかる1ヶ月分の統計作業をVBAを使って5分で処理して、周囲をアッと言わせた。この快感は忘れられない。しかし、それも束の間、私の「計算処理プログラム」は、作るのに半年もかかり、他の仕事には全く応用できない代物だった。だけど面白かった。お陰で酒も止められた。暇な時間を全てプログラミングに注いだからね。

最近、20年間はパソコンの勉強は嫌々やっている。やらなければ、ホームページやブログの更新が出来ないから仕方がない。この10年間は、パソコンの勉強は全くやらなくなった。分からないことはオンライン.サポートに頼っているが、上手くは行かない。トラブル続きで何も分からなくなってしまったし、やる気も湧かない。それでも情報発信したい気持ちが残っているので更新し続けている。

「パソコン役に立った?」と聞かれれば、酒やめられたとしか答えようがない。お陰で81歳まで生き延びられた。きっかけを作ってくれたパソコンに感謝!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般

2022年03月12日

その手は食わない

早いもので、カラオケを始めて16年もたつ。しかし、持病の悪化とコロナ禍の自粛で最近は、2年以上行っていない。持病が良いかなと思った頃に必ず新しい波がやって来る。こんな時は昔の出来事を懐かしく思い出す。以下は同年配の3人でカラオケに行くようになって1年たった15年前の話。

共通点と言えば、カラオケ初心者ということだけ。個性豊かと言えば体裁は良いが、実態は何もかもテンテンバラバラの破茶滅茶カラオケ会。それぞれが自由に歌って楽しんだ。10年くらい続いたが、1名亡くなり、1名上手になり、私だけがそのまんま。10年間、ビールを飲みながら楽しんでいた。酒に弱いので酔った勢いで歌っていたのだ。

1ヶ月に1回、キチンと行ってキチンと飲んで、バラバラに歌った。ところが12月3日は3人の都合がつかず中止になってしまった。私達のカラオケは3人で休みなしの3時間だからほぼ歌い放題。私の身体の中に月に1回、歌いまくるリズムが出来上がってしまっていた。

「どうしても歌いたいならオレが一緒に行ってやるよ」
「先輩に私の歌を聴かせるわけには… … 」
「なんだ、オンチか。聞いてないから心配するな」

と言われても歌の上手い先輩と一緒では気楽に楽しめない。ダメで元々と思いながら、お母さんに声をかけてみると、あっさりとOKした。「この日がいいね」と言うので、予定表を兼ねているカレンダーの12月7日の欄に「フタカラ」と書き込んだ。お互いにカレンダーを見ながら、それぞれの予定をたてる習慣になっている。

さて、明日はいよいよ始めての「フタカラ」だなと思って、カレンダーを見ると、「フタカラ」の字に重ねて、二本の線が引いてあることに気が付いた。

「何ですか。この二本線は?」
「食事に誘われたので消したの」
「約束破るなら、ひと言いって下さい」
「あら! アンタだって、黙って書くじゃない」
「消すときはひと言断るのが常識でしょう」
「書くのも、消すのも一緒じゃない!」

一度同じと言ったら、いくら説明しても絶対に違うとは言わない。不本意ながら黙ってしまい、気まずい沈黙が続いた。

「この人、知ってる。落語家なのよ」と突然の話しかけ。
「… … …」、ご機嫌とっても無駄だと黙っていた。
「手が震える病気になったんだって、鳩に豆やろうとして、手のひらに豆のっけたら、手が震えて豆が左右に動くもんだから、鳩が困ってしまったんだって、アハハハハ〜」
「… … …(一人で笑え)」
「面白いね。アハハハハ〜」

私が傷ついているのに、なんて鈍い人だろう。仕返ししてやろうと思った。私はその落語家の真似をして、手のひらに豆を置いた形で、お母さんの前に突き出して、手が震える真似をしてやった。そして、左右に激しく振ってみた。お母さんは困った鳩の真似をして、一生懸命首を左右に振った。 
「アハハハハ〜」
「ワハハハハ〜」
どうやら降参したらしい。それならそれでも好い。

こうして、喧嘩にならずに済んだ。良い人はどっちだ? 
「どっちもどっちじゃないか」
「はっきりして下さい」
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
「そんなこと言わないで」
「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」
「豆だけは食べて下さいね
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年03月05日

良い食べ手

どうやら食事の役割についての私の考えは、間違っていたようだ。長い間、お母さん(妻)が作り手で私が食べ手と思っていた。しかし、世間一般では作り手とは生産者のことで、食べ手はそれを使って料理して食べる人らしい。ただ食べるだけの人など論外、蚊帳の外である。

私はあらゆるジャンルで蚊帳の外、仕事を含めてまともに出来ることは何もない。そして、弱虫なのに勇敢な人が大好き、勉強ができないのに勉強が好き、それと同じように音痴なのにカラオケが大好きだ。おまけに、食べるのは大好きなのに料理は嫌いだし、グルメ情報にも全く興味がない。

それでも食の世界で何が出来るか懸命に考える私、愚か者につける薬はない。結論は一流の食べ手になること。と言っても世間では通用しない。家の中で良い食べ手になることである。その第一は「地産地消」、生産者と消費者が顔見知りになること。二人暮らしなら仲良くすることかも知れない。メシの時だけいい顔するなんて恥ずかしいからね。

第二は余さず食べること。自慢じゃないけど我が家の食品ロスは限りなくゼロに近い。ケチだからと言っては身も蓋もない。毎回、美味しいものが適量出るとは限らない。どうしても食べ切れない時は「後で食べます」と言って残す。なんと!次の食事の時、ちゃんと出てくるではないか。最初はビックリしたが、その後は覚悟した。美味しい美味しいと自己暗示をかけて凌いだ。成せばなる。

第三は挨拶と賛辞である。「いただきます」と「ご馳走様」は欠かさない。普通に美味しかったら、これ凄く美味しいですねと言う。「どこが美味しいの」と聞かれても、そこまで深くは考えていない。テレビの夫婦インタビューで「奥様のどこが好きですか」と聞かれたダンナのような気分だ。困った時は「全てです」と答える。

もし、私がお母さんのどこが好きかと聞かれたら「正直なところです」と迷わず答えるだろう。ところが、この正直が曲者だ。定年退職後は、この正直さ故に長い間苦しめられた。アンタは間違っている私が正しいと、自分の思いを正直にぶつけて来て一向に怯まない。正直な人は相手も正直と思うらしい。仲が悪い時でさえ私は正直者と思われていた。

ところで、退職後に二人暮らしを始めた頃は食事については交代でやろうと言っていたのに、三日で音を上げた。私が作ったものなど不味くて食えないそうだ。掃除・洗濯等させようと思っても気に入るようには出来ないので、何でも一人で抱えている。何にもさせないのは気の毒に思ったのか、我が家の財布を任された。私は何も出来ないけれど、正直な人と思われているようだ。誤解させて(^-^;) ゴメン
タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降