どうやら食事の役割についての私の考えは、間違っていたようだ。長い間、お母さん(妻)が作り手で私が食べ手と思っていた。しかし、世間一般では作り手とは生産者のことで、食べ手はそれを使って料理して食べる人らしい。ただ食べるだけの人など論外、蚊帳の外である。
私はあらゆるジャンルで蚊帳の外、仕事を含めてまともに出来ることは何もない。そして、弱虫なのに勇敢な人が大好き、勉強ができないのに勉強が好き、それと同じように音痴なのにカラオケが大好きだ。おまけに、食べるのは大好きなのに料理は嫌いだし、グルメ情報にも全く興味がない。
それでも食の世界で何が出来るか懸命に考える私、愚か者につける薬はない。結論は一流の食べ手になること。と言っても世間では通用しない。家の中で良い食べ手になることである。その第一は「地産地消」、生産者と消費者が顔見知りになること。二人暮らしなら仲良くすることかも知れない。メシの時だけいい顔するなんて恥ずかしいからね。
第二は余さず食べること。自慢じゃないけど我が家の食品ロスは限りなくゼロに近い。ケチだからと言っては身も蓋もない。毎回、美味しいものが適量出るとは限らない。どうしても食べ切れない時は「後で食べます」と言って残す。なんと!次の食事の時、ちゃんと出てくるではないか。最初はビックリしたが、その後は覚悟した。美味しい美味しいと自己暗示をかけて凌いだ。成せばなる。
第三は挨拶と賛辞である。「いただきます」と「ご馳走様」は欠かさない。普通に美味しかったら、これ凄く美味しいですねと言う。「どこが美味しいの」と聞かれても、そこまで深くは考えていない。テレビの夫婦インタビューで「奥様のどこが好きですか」と聞かれたダンナのような気分だ。困った時は「全てです」と答える。
もし、私がお母さんのどこが好きかと聞かれたら「正直なところです」と迷わず答えるだろう。ところが、この正直が曲者だ。定年退職後は、この正直さ故に長い間苦しめられた。アンタは間違っている私が正しいと、自分の思いを正直にぶつけて来て一向に怯まない。正直な人は相手も正直と思うらしい。仲が悪い時でさえ私は正直者と思われていた。
ところで、退職後に二人暮らしを始めた頃は食事については交代でやろうと言っていたのに、三日で音を上げた。私が作ったものなど不味くて食えないそうだ。掃除・洗濯等させようと思っても気に入るようには出来ないので、何でも一人で抱えている。何にもさせないのは気の毒に思ったのか、我が家の財布を任された。私は何も出来ないけれど、正直な人と思われているようだ。誤解させて(^-^;) ゴメン
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