2022年04月30日

秋が楽しみだ

2020年の年明け以来、ウィズ・ガン。癌と二人連れだ。こんなヤツとは縁を切りたいのにピッタリくっ付いて離れてくれない。2020年8月には舌癌の手術。これでお別れかと思ったら2021年末にリンパ節に転移の疑い。今年3月29日に手術、今度こそお別れと思ったのに、なお癌の虫が蠢いていると言うのだ。放射線で焼き殺してあげると言われても、ハイそうですかとは喜べない。いい加減にして欲しいのだ。

私は20年以上の長期にわたり「幸せ本線」にに乗っている。時々喜怒哀楽、いろいろ感じることはあるが、それは本線の停車駅のようなもの。不幸せがあっても短時間で過ぎて、再び幸せ本線を走り続ける。しかし、今回の「哀」は停車時間が少々長かった。前方に大事故があるような感じだ。

退院が決まりホッとしたとき先生は、更なる治療が必要だが、私の同意が必要だと言った。「エッ! まだやるの」、これが偽らざる思い。手術を終えたばかりで、後遺症で首から顎にかけて切った部分が腫れてバンバンだ。更なる治療とは撃ち漏らした癌の種を放射線で焼くというものだ。1ヶ月半にわたり30回の治療が必要で、後半は喉が痛くなり飯が食えなくなるので入院が必要とのことだ。退院したら直ぐ入院と聞いてガッカリ。

思わず血の気が引いて寒気がした。念のため、断ったらどうなるか聞いてみた。最終的には緩和ケアということになるが、ウチの病院ではやっていないので、H病院を紹介する。今までのデータを付けた手紙を書いてくれると聞いて、それもいいかなと思い、不安は吹っ切れた。しかし、結論は先延ばし。先生は奥さんも含め3人で話し合いたいと言う。

なぜこんな問題で私が迷うかと言うと、もらった文書「病状説明と今後につきまして」にある次の文言が気になった。そこにはこう書いてあった。「*術後治療をしない選択をしても再発しないで過ごせることもあるし、治療をしても再発することもあります」。これだったら、残りの人生は楽しく生きて、寿命が尽きるのを待つ方が好いと思ったのだ。

その後、お母さんを交えて3人で話し合いをした。お母さんは放射線治療を受けた人は、その後どうなったのかと、先生にしつっこく聞いた。先生は元気に生きている人が多いですよと言った。二人のそんなやりとりを聞いているうちに、放射線治療を受けるのも良いかなと思い直した。そして、「お仕舞いにしましょう」と思った時と同じ様にホッとした。

と言うことで、少なくとも後3ヶ月は癌と二人連れ。28日に事前の準備として歯を抜いて、放射線治療に必要な仮面(シェル)を作った。歯は落ち着くまで抜いたまま、顎から肩にかけて右側の首に傷、床屋も行けないし髭も剃れない。

笑えばひん曲がった口に歯が抜けている状態では、人前には出る気もしない。楽しみは秋までお預けだ。幸い今はマスクをするのが常識の時代。マスクと帽子で顔は隠れるので中島公園散歩だけはできる。コンビニも百円ショップにもね。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 80歳以降