2022年08月27日

夫婦喧嘩は所構わず

夫婦喧嘩は家の中だけとは限らない。街中、それも店員やお客さんで賑うお店の中で突発的に起こる場合もある。昔の出来事だが、店員に夫婦揃って手玉に取られ、罠にはまってしまった。まるで孫娘に操られた老夫婦のようにね。

新築のマンションの照明を買う為に、S駅北側の大きな電器店のショウルームに行った。そこで店員の計略と妻の強情の為、必要のないリモコンを大量に買わされてしまった。

店員は「ヒモは要りますか?」と聞いた。「いりません」と声をそろえて答えた。ここまでは私達の息はピッタリと合っていた。我家の習慣として照明の切り替えはしないので、壁にスイッチがあれば充分である。

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しばらくすると、私は店員がリモコン付きの照明を勧めていることに気が付いた。しかし、妻はまだ気が付いていない。と言うよりもリモコン付き照明の存在そのものを知らないのだ。ここで決定的な認識の違いが生じたのである。

店員はリモコンの説明を何もしないでヒモが必要かと聞く。明らかに新製品のリモコン付き照明購入へと誘導している。店員に確認を求めるべきだが、突然二人の認識が違った為、いきなり夫婦喧嘩になってしまった。興奮して店員の存在など眼中になくなった。

「リモコンなどいらないでしょう」と私。
「リモコンって何よっ? ヒモの話をしているのでしょ」
「リモコンなんか使わないでしょ」
「ヒモだって使わないよ。今までもなかったし」

妻はヒモは要らないの一点張りでリモコンは眼中にない。店員も二人の争いを見ていれば、リモコン付き照明を勧める意欲も失せてしまうだろうと、チラリと目をやる。しかし、店員は思いもよらぬ行動に出た。「お二人で話し合って、決まったら知らせて下さい」と言うが早いか、その場を立ち去ってしまったのだ。

なんたることだ。若き店員は我家の力関係をしっかりと見抜いていた。罠を仕掛けた猟師のように、一休みして帰ってくれば獲物は罠にかかっているとの算段だ。

「それで、リモコン付き照明を買ったのか」と先輩。
「店員に逃げられたら強情な妻には勝てません」
「奥さんはリモコンを使っているのか?」
「使うも使わないもリモコンなんか知りません」
「どうしてヒモは要らないと頑張ったのだ。奥さんは」
「ヒモの分だけ安くなると思ったのでしょ」

妻は騙されていることに気付かない。だが、一旦要らないと言った以上、それを押し通す力がある。もちろん、リモコンも要らない。私だけが余計な出費を悔やんでいた。ヒモなんか鋏で切ればすむことだが、言えばケチと言われる。自分が言ったことなど忘れているのだ。“o(><)o”


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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年08月20日

仲直り

私がいろいろ活動して自由を楽しんでいたのは定年退職後の15年間だけだった。自由は素晴らしいことだが、いくらかのトラブルも付き物だ。80代は心ならずも持病とコロナ禍で巣ごもり時代になってしまった。静かに暮らし、それなりに幸せだが、時には自由時代を思い出して懐かしんでいる。

例えばこんなこと。その日は楽しい3人カラオケ。いつもの時間に、いつもの場所で1か月ぶりの再会だ。しかし、私たちの話に割り込んだBさんの一言で、危うく別れ別れで帰ることになるところだった。私はとぼとぼバス停へ、Aさんは車で颯爽と、左と右に泣き別れ。ひょっとしたら永遠の別れになったかもしれない。

実は、カラオケボックスに入った途端に楽しい気分も吹き飛ぶような「事件」が起こったのだ。原因は1匹の小さなハエ。トラブルの詳細はカラオケで喧嘩に書いたので、ここでは省略するが心にしこりが残ってしまった。 

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いつもなら「乗って行かない」と声をかけてくれるのだが、この日は違った。ハエの一件が尾を引いているようだ。  

「バス何時?」とAさん。
「40分くらい後ですね」

そばにいたBさんが口を出す。「歩いて行けばいいじゃない。真っすぐ行けば豊平川、後は簡単よ」。確かに道順は簡単だが、1時間以上もかかりそうだ。今日はバスで帰るつもりだったが、Bさんの一言で気が変わった。「乗せてくれない」と、Aさんに頼んだ。意外にもこころよく乗せてくれた。車の中でAさんがいった。

「歩くの嫌なの?」
「嫌じゃないけど、お名残惜しいでしょ」
そう」
「ハエのことではゴメンナサイ」

便乗させてもらっている身としては、生き物を踏み潰してはいけないとは言えない。我が家では家に蜘蛛などの虫が入ってきても、ティッシュで軽く掴みベランダに出すだけ。虫の脱出を確認してからティッシュを回収してゴミ箱に入れる。虫の生死は自然に任せている。

「踏み潰さなければ、1時間も2時間もブンブン飛び回ってうるさいでしょ」
カラオケ中はブンブンなど聞こえないとは言わない。
「お陰様で、ハエに邪魔されないで楽しいカラオケでした」
「バスがくるまで、お茶でも飲もうかと思ったのよ」
「今から行きましょうか?」
「もう、いいよ。話は済んだからね」

アレレ、謝らせてお仕舞いかと思ったが、ここはAさんの車の中。ジッと我慢だ。しかし、これで終わりではなかった。Aさんは決して謝らない。その代わり命令を下す。「いろいろありましたが、丸ごとひっくるめて付き合ってください」。後でメールにこう書いて来たので、思わず笑ってしまった。付き合って20年、巣篭もり中の今でも時々LINEで話したりしている。

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年08月13日

触らぬ神に祟りなし

「困りましたねぇ。どうしましょう」
「宴席だろう。お世辞に決まっているよ」と先輩。
「期待して待っていたら、悪いじゃないですか」
「それ
は絶対にない! 聞いたことも忘れているはずだ」

でも、万が一ということもある。「何を書くの?」と聞かれたのは初めてだ。なんとかしてAさんの期待に応えたい。すると、ある光景がパッと浮かんだ。私にとっては夢のような出来事だった。思い切って書いちゃおう。サプライズだ。

ある夏の昼下がり、Aさんから突然電話がかかって来た。
「私、わかる? 今あなたの家の前の公園。出られる?」
何だろう。こんなことは初めてだ。ともかく行ってみよう。公園はすぐそこだ。

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Aさんは私より年上で社交的でお洒落な人。パワフルで世界中歩き回っている。何もかも私とは正反対である。

ベンチのある広場に行ってみたが、見当たらない。やや遠くの方にスラックス姿の女性が一人。洒落た帽子にサングラス、足を組んでタバコをふかしていた。ひょっとしたらと思ったが、彼女はタバコを吸わない。アチコチ見渡したが、らしい人はいないので念のため近づいてみるとAさんだ。ニヤッと笑って開口一番こう言った。

「私、フランス映画みたいにタバコを吸いながら男を待ってみたかったの」。一瞬、これは先日のお詫びかな、と思うのには訳がある。とりあえずは「様になっていますよ。ジャンヌ・モローみたいです」と調子を合わせた。

実は数日前、Aさんの友達と3人でお茶を飲んだ。「ここは私が持ちましょう」と言うと、こともあろうに「私、男と認めた人からしか奢られたくないのよ」と来たもんだ。一瞬ムッとしたが、Aさん流の気遣いかなと思いなおした。

だけど、彼女はこの一瞬を見逃さなかった。だから、お返しに来たのだ。「男と認めない」を帳消しにするため「男を待つ」ことにしたのだと思う。

「よかったな。男になれて」
「誤解を与えるような発言は謹んでください!」
「なにっ?」
「いえ。何でもありません。私の誤解です」

Aさんにだまって書いたので、自分のことと気づいて怒るかな、とか心配になって落ち着かない。私は知人のことを書くときは慎重だ。本人に気付かれないように性格、年齢、出来事、言葉遣いに至るまでガラリと変えることにしている。

それから、しばらくして懇親会でAさんと再会。この記事は期待に応えて書いたつもりだが、今じゃ心配の種だ。恐る恐る、あさっての方向から探りを入れた。

「Bさんのブログ面白いですね」
「私、お仲間のブログには興味ないのよ。もっと面白いのいくらでもあるでしょ」

まさに先輩の言う通りだ「何を書くの?」と聞いたことなど完全に忘れている。やはり読んでいなかった。更に、読まれる気配など全くない。好いことを知った。瓢箪から駒だ。これからもジャンジャン書いてやろう。静かに余生を送っている私に、これほどネタを提供してくれる人は居ないのだ。

Aさんは私にとっては余人をもって変え難い人。神様のような存在である。触らぬ神に祟りなしとも言うけれど私は療養中、快復のために軽いストレスも大切だそうだ。

タグ:ときめく
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年08月06日

普通の人になりたい

「早く90歳になりたいですね」
「ヨボヨボになっても生きたいのか」
「今だってヨボヨボですが、楽しいですよ」
「そりゃ良かったね」

食欲など命を繋ぐための欲は色々あるけれど、美味いものなど金を出せば何時でも食えるし、他の欲だって爺さんになればパッと消え去ると思っていた。ところが、これが大間違い。食欲だけがパッと消えた。しかも、一瞬の内に。

放射線治療の副作用はいろいろあるが、私の場合は味覚障害と口の痛みだった。この二つが重なると食べるのが苦痛になる。腹が減るので食欲がない訳ではないが、食事は生きるための仕事になってしまった。

考えてみれば不思議な巡り合わせだ。45年間食うために仕事をして来た。定年退職したら途端に幸せになった。そして、20年たったら食事が仕事になってしまった。食わなければ生きては行けないから、最も重要な仕事になった。

怠けの罪で罰を与えられた様なものだ。味覚障害は6ヶ月の刑、比べてみれば、口の痛みの刑期は短かい。一方、しつこい味覚障害にも仮釈放がありそうだ。仕事ぶりが認められたからだ。「ワッ、凄い完食!」と毎食後、看護師さんに褒められた。私は模範囚ならぬ模範患者?

担当の医師は長い人は1年かかると言った。私は既に何不自由なく食事をとっているが、美味しくはない。この口に美味しいものを食べさせるのは勿体無い。お金もね。楽しみは3ヶ月先の私の誕生日までとって置きたい。後3ヶ月で完治と自己診断。先が明るいことも幸せの元である。

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病院で出会った唯一の友達、亡き妹に似て美しい。

「後8年で90歳、失われた過去を取り戻したいのです」
「取り戻して、どうする?」
「普通の人になりたいですね」
「そういえばアンタ、どこか変だ」
自分の思い通りにふるまっても、道に外れることがない様な人になりたいのです」
「もう遅いだろう」
「いえいえ、今が一番早いのです!」

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降