2022年09月24日

女性が羨ましい

昔、近所の病院に入院したが、患者どうしは仲良くやっていた。しかし、一人になりたいと思うこともある。そんな時は休養室に行って雑文の下書きをしたりしていた。コッコッと足音がするので反射的に顔を向けると目があってしまった。思わず、ニッコリ笑い挨拶を交わした。これがキッカケで年配の女性の愚痴を聞くはめになった。

「私、何の為に一人でガンバッテきたのでしょうね」
彼女は定年まで働いて、その後は新築のマンションを買って一人暮らし。夫は64歳の若さで亡くなったと言う。
「主人は貴方に似て前ハゲなの。何だか懐かしいのよ」
「そうですか」
軽く聞き流すふりをしたが凄く嬉しい。
「この歳で初めて入院したの。上と下が悪くてね」
「上と下ですか?」
「吐き気と下痢よ。こんなにやせちゃった」
「お若いのに大変ですね」

「甥に篠路の老人ホームみたいな所に連れて行かれたの」
「一緒に歩いていた方ですね。お子さんかと思いました」
「子供はいないし、迷惑かけられないから入らなければね」
「まだ若いから気が進まないでしょう」
「今まで一人で頑張って来たからね」
「ホームでのんびり暮らすのもいいかも知れません」
「寂しいよね」
「寂しいですね」
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「何か書いていたのでしょ。邪魔して悪かったね」
「いいんですよ。暇つぶしですから」
「話したら、なんだか気が晴れたわ。ありがとね」
「それは良かったですね。叉、話しましょう」
これでお別れと思ったが… … 
「あらっ! なに書いてるの。ちょっと見せてよ」
「嫌ですよ! 日記ですから」

親切な女性には敵わない。断ったのに、近寄ってのぞいた。
「なんかよく分からないねぇ」
「字が下手ですからね。ワードを使って書き直します」
「この字違っているよ。直してあげる」
「いいですよ。後でワードが直してくれるから」
「ワダさん?」

タイミングよく、休養室に年配の女性が入って来た。
「お友達みたいですよ」
「入院したばかりで、話し相手がいなくて寂しいんだって」
「そうですか」
「話し終わると、話してくれてありがと。とお礼を言うの」
と、言うが早いか私を置いて、お喋りに行ってしまった。

二人の女性は昨日会ったばかりというのに、まるで10年来の親友のようだった。こんなこともあって、書く気もなくしたので、病室に帰り隣のベッドの人に声をかけた。
「女性は素直に自分の気持を言えるから羨ましいですね」
「あんたもそうすればいいじゃないか」
「話し相手がいないから寂しいの、なんて言えませんよ」
「もっと気軽に、調子はどうかいとか言ってみな」
「調子はみんな悪いんですよ」
「みんな?」
「病人ですからね」

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | フィクション

2022年09月17日

幸せのスーパーメロン

ドラマを観ていると、こんなシーンによく出会う。男が女に「僕は貴女を必ず幸せにします」とか言っている。ずいぶん安っぽいセリフだ。私が幸せになるのは簡単だ。美味しいメロンが4分の1個もあれば充分である。

しかし、メロン4分の1で誰もが幸せになれると思ったら大間違い。そこまでに至るプロセスが肝心だ。大まかに振り返れば3年間だが、長すぎるので直近の3ヶ月の記憶をたどった。その頃、ある治療の副作用で味覚障害になり、口の中も粘膜炎で痛かった。それでも食べなければ体が持たない。
詳細→放射線治療、自宅→入院→自宅

生きる為に一生懸命食べた。痛くては食べられないので口の麻酔をしながら1日3食を完食。それを見た看護師さんが「カロリーが足りないので食事を増やしましょう」と言った。私の我慢は限界に達していたので、1階のコンビニで買い食いするからいいと断った。そうしたら、毎食後にプリンを付けてくれた。
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これを口に含んでブクブクすれば、口の痛みが和らぎ食事が出来る。

ところで定年後、4回入院したが病院の食事だけで済ました。食事も治療の内と考えたからだ。今回初めて、栄養補給のために買い食いをした。先ずはケーキと饅頭、すごく不味かった。病院の食事より格段と不味い。ジュース、チョコ、果物の缶詰、色々試したが全部不味くて、2度と食べる気がしなかった。

やっと見つけたのが、牛乳とソフトサラダと言う名の柔らかい塩せんべい。旨くはないけれど嫌な味もしなかった。ソフトサラダはカリカリという感触が好きだった。ご飯も薄切りの食パンも味がない点が好かった。本来の味はあるのだが私には感じない。つまり、食事をして美味いと思ったことはない。

退院して1ヶ月半もすると、味覚が徐々に戻ってきた。2ヶ月たったころには90%程度回復した。なぜか、お茶と高級ジュースは渋くて不味かった。高級なものほど回復が遅いのだ。ともかく、味覚回復は普通6か月、長い人は1年と言われていたのに2ヶ月でほぼ回復した。1年もかかった人は、私と違って食通だったと思う。世の中何が幸いするか分からない

味覚障害とは味を失うことでなく、美味いものを食いたくなくなるほど不味くすることと知った。舌癌手術後にした鼻から胃袋にチューブで栄養を送る方が楽だった。だけど、苦あれば楽ありとは本当だった。

味が回復して初めて食べたメロンが美味しかった。「幸せだなぁ、僕はメロンを食べている時が一番幸せだ」と心から思った。この幸せ感がなんとも言えない。幸せになるのは簡単だ、美味しいものを食べれば良い。

「メロン食べて幸せになりました」
「夕張メロンかい」
「スーパーメロンです」
「聞いたことないなぁ、高いだろう」
「ええ、凄く高かったですよ。安売りなのに1280円もしました」
「そうかい、どこで買ったの?」
「近所のスーパーです」
タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年09月10日

不思議な入院

コロナ禍は入院生活を大きく変えた。面会と外出は禁止、そして4人部屋だが、同室者とは一言も口をきかないで1ヶ月間過ごした。私だけでなく他の患者も同様だ。お陰でとても静かな入院生活だった。

一方、13年前に近所の病院に入院した時は大違いだった。病室は雑談で賑やかだし、食事はテーブルを並べて喋りながら食べていた。押し並べて楽しい入院生活と思うが、入院初日は大変だった。しかも、不思議な入院でもあった。

「今すぐ入院ですか。ラジオがあるので明日にして下さい 」
「直ぐに入院しなさい。ラジオは出てもいいですよ」

即入院の緊急性と「ラジオは出てもいいですよ」というおおらかさ。この落差は一体なんだろう。私にはピンとこなかった。ともかく、スタジオには行けることになったのでホッとした。

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2008年2月ラジオカロス札幌「山鼻あしたもいい天気」

病室は6人部屋だった。ともかく、隣の人に挨拶、よろしくお願いしますと簡単にすますと、「山田太郎です。84歳です」と、丁寧に応じられたのでやり直した。

「中波三郎、67歳です。風邪をひいてこの病院に来たら検査して、即入院となりました」
「そうですかぁ。お客さん少ないからねぇ」

先ほどの院長先生のセリフ、「直ぐに入院。ラジオはいいよ」を思い出した。まさか、肺炎と診断して見せてくれたあのCT画像の白い影は「消しゴムツール」で加工したのではないかと、一瞬疑った。おじいさんとの話は延々と続きそうだが、ラジオの準備をしなければならない。「進行表」と「台本」をチェックしようとしたら看護師さんが点滴に来た。

「もうですか?」
「ラジオがあるから早くしてと言ったでしょ」
「すみません。お願いします」

もうクタクタのヘトヘトだ。点滴しながら眠ってしまった。目が覚めると17時。泥縄だが、点滴しながら放送をイメージしてみた。点滴の落ちる速度がやけに遅い。20時からの放送に遅れそうな気がしてイライラした。胸もムカムカした。点滴が終わると18時になってしまった。食欲はまったくないが、少しだけ食べて食後の薬を飲んだ。

大急ぎで円山のスタジオに向った。途中、地下鉄中島公園駅ででカロリーメイトをほおばったが、いつもと違って口の中がパサパサして食べにくい。スタジオに着き何とか1時間の番組を終了。タクシーを拾って家に着いたのが21時20分だった。病院の消灯が21時なので予め外泊許可をもらっていた。

家に帰ってもやることが山ほどある。メールはネットが使える今夜の内にしなければならない。とにかく破らなければならない約束がいっぱいあった。何となく気になったが、疲れて寝入ってしまう。

一眠りすると目が覚めた。夜中の3時だが、目が冴えて眠気がない。なにぶん突然の入院だ。誰に何を知らせるかが難しい。困り果てて、所属するシニアネット全員宛のメーリングリストに流してしまった。こうして長い長い一日が終わった。

この3年で3回入院したが、いずれも面会・外出禁止。一方、13年前の入院は面会はもちろん、外出さえ自由だ。糖尿病だから運動も治療の内とか言って、毎晩ダンスに通う患者もいた。私も徒歩10分の家に帰り風呂に入ったりパソコンしたりしていた。この新旧二つの入院を比べてみれば、面会・外出禁止の方が良いと思った。入院した以上、治療に専念して1日でも早く退院した方が良い。少なくとも1ヶ月以内の短期入院なら、この方がいいと思った。

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年09月03日

さようならオシドリ

オシドリについてだが、今年の秋は今まで一番多いような気がする。しかし、あのカラフルで美しいオシドリの姿が全く見られない。この時期のオスは「エクリプス」と呼ばれる状態の羽毛へと変化しているので、メスと同じように地味な色をしている。しかし、10月頃になれば美しく変身するだろう。

オスが一斉に綺麗に変身すれば、中島公園の風景に彩りを添えてくれる。しかし現実は、そうなった試しがない。マガモは凍結するギリギリまで池で粘っているのに対し、オシドリはさっさと何処かへ飛び去ってしまうのだ。しかし今年こそ、カラフルで美しいオシドリのオスがあちこちで見られると期待している。

退院して久しぶりに中島公園を散歩するとアチコチにオシドリがいた。偶然撮ったこの写真にも3羽写っていた。手前の大きい2羽と石の上の1羽はオシドリだ。菖蒲池から鴨々川 まで至る所でオシドリが居たが、全部メス。一体カラフルで美しいオスは何処に行ってしまったのだろう。1羽も姿を現していない。

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左端下で正面を向いているのがマガモ。くちばしが黄色い。

だがこれは私の勘違い。非繁殖期である夏になり、エクリプスと呼ばれる状態の羽毛へと変化していたのだ。つまりオシドリはマガモ同様に、オスは繁殖期には美しい冬羽にしてメスにアッピールする。そして夏に近づけば夏羽に変わり、オス・メス同じ色になるが、見分けることはできる。

オシドリのオスはメスと違ってくちばしが赤い。上の写真はくちばしを見ても黒っぽいだけで色の違いがサッパリ分からない。今年の8月25日の撮影だが、うまく撮れていない。仕方がないので撮り溜めた過去の写真を使うことにした。

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2021年9月6日撮影 羽毛はメスと同じような地味な色。手前の1羽はメス。赤っぽいくちばしの2羽はオス。この日は中島公園に沢山のオシドリが来ていたので、都合よく並んでくれた。

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2021年4月17日撮影 くちばしが赤くカラフルなオシドリのオス。手前のメスはくちばしが黒っぽい。冬の繁殖期が終わっても6月頃までは冬羽のまま。メスと同じ色になり始めるのは7月ごろか?

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2021年4月8日撮影 上と同様、泳いでいるところも撮ってみた。撮り溜めた写真で判断すると、6月頃までのオスは綺麗な冬羽のままだった。私は見たままを書いているだけで、分からないことが多い。

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2021年9月2日撮影 この時期は一部のオシドリが繁殖期に備えてカラフルで綺麗な冬羽への変化が見られる。

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2015年9月11日撮影 この時期になると徐々に冬羽へと生え変わる。頭部は中央から線状に羽毛が生え変わっていく。こんなヘアスタイルの洒落男を見たことがある。

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2015年9月16日撮影 9月中旬にもなると殆どのオスは羽毛が変化してきている。変化の程度はいくらか違う。  

10月中には次の画像のように綺麗になると思うのだが、その前に何処かへ飛び去っている場合も多い。せめて10月いっぱいは居て欲しい。菖蒲池が凍結した真冬に鴨々川 に来ることもあるのだが、数は少ない。春の雪解け時にはよく見かける。

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野鳥については殆ど知らないのだが、21年間中島公園を散歩して来た。居る、居ない、多い、少ない等、見た目で分かることについて書いてみた。

「さようなら」とは言いたくないが、池が凍結すれば水鳥は必ず去って行く。でもオシドリは去るのは早すぎる、せっかく綺麗に変身したのだから、マガモのようにギリギリまで居て美しい姿を見せて欲しい。そうすれば中島公園がもっと楽しくなる。 

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最後に参考としてオシドリ親子、母のくちばしが黒っぽい。夏にはオスもメスと同じ色の羽毛になるが、くちばしは赤っぽくなっている。

posted by 中波三郎 at 13:38| Comment(0) | その他