主婦に定年はない。それでいいのだろうか? 私はそうは思わない。それで思い切って「主婦の定年宣言」、結果は上々。しかし、そこまで行くのに紆余曲折はあった。
私の定年退職後しばらくして、妻のP子にも定年を言い渡した。妻にも定年があっていい筈だという、彼女の要望に応えたつもりだ。
「ご苦労さまでした。今日から貴女も定年です」
「じゃあ、アンタが家事をやってくれるんだね」
「やりません。私はすでに定年の身です」
彼女は定年になって家事から解放される意味を理解していないようだ。共に家事から自由になることである。決して嫌な仕事を押し付け合うことではない。「じゃあ、誰がやるのさ!」と態度急変、えらい剣幕だ。私は何とか話し合いの糸口を見いだそうとした。
「我慢できなくなった方がやるというのはどうでしょう」
「… … 」
ふくれっ面の沈黙。話し合う気もないらしい。
「例えば、腹が空いた方がご飯をつくるとか…」
「ダメダメ、そんなの絶対だめ」
妥協点を探ろうとする私の努力は徒労に終わった。
「共同生活ですよ。貴女の思いどおりにはなりません!」
「… … … … … … 」
長い沈黙が怖いのでトーンを下げて反応を待つ。
「イコール・パートナーとして協力し合いましょう」
「協力協力って、一体アンタに何ができるの。何も出来ないくせに何がイコールよ。一人前のこと言うんじゃない!」
やはりキレてしまった。私がなだめ役になるより仕方がない。少し考えてみたらこんなことを思い出した。犬は序列の生き方をする動物で、上下関係により動くそうだ。人間だって動物には違いない。この線で説得することにした。
「いい方法を考えたので聞いてください」
「コンビニとか、コインランドリーの話なら聞かないよ」
「私があなたの家来になりましょう」
「家来?」
「何でも言うこと聞きますから気軽に命じてください」
P子は正直で単純な人だ。誰もが自分のような表裏のない人だと信じている。そして、自分が正しい主張をしたから私が分かってくれたと思ったようだ。表情が柔和になった。
それに彼女は「命じないと動かない部下」をもった経験がない。これがどんなにシンドイか分かってない。こうして「敗者なきウインウインの関係」が我が家の中で成立した。
「奥さんの命令をなんでも聞く? ヨボヨボになるまでこき使われてもいいのか」と、先輩は余計な心配。
「こき使いやしませんよ」
「それは甘い、家来になると言ったじゃないか」
「敵を知り己を知れば百戦危うからず……」
「どっちが皿を洗うかくらいのことで大げさだぞ」
在職中に、私は仕事P子は家事という習慣がで出来上がってしまった。P子の家事は身に付いた習慣だ。私に家事をさせようとしても、それは頭で考えたことに過ぎない。身体で覚えた習慣の方が頭で考えたことより強いのだ。一方、家でゴロゴロは私の身に付いた強い習慣、これも侮りがたい。
何でも気軽に命じてくださいと言ったところで、しばらくすれば頼むのが面倒になり、彼女が自分でやるに決まっている。こうして私はP子の家来になったが、殿様としての彼女は正直で情け深く、しかも自分で働く癖がついている。ズボラな家来としてはこんなに有難い殿様はいない。
「主婦の定年はどうした?」
「あれは止めました」
「無責任だな。定年を言い渡したはずだろう」
「家来は殿様に従うだけです」
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