2022年11月26日

一人でペッタンコ

二人だけの朝食は、いつものようにテレビを消して話しながらとる。消化に良いといわれているが逆の場合もある。最近はほぼ巣ごもり状態で人に接する機会が少ない。どうしても、事件や社会問題が話題の中心になる。これがいけなかった。見解の相違でケンカになる場合が多いのだ。

「救急車で病院に連れて行かれても、帰りが大変だよね」
「命が危ないのに帰りの心配するのですか」
「入院できなかったら大変でしょ」
「なんとかなりますよ」
「病気なのに可哀そうでしょ」
「タクシーを呼べばすむ事です」
「夜中でタクシーは来ないのよ」
「救急車は負傷者や急病人を病院に運ぶ為にあるのです」
「困っている人を助けたっていいじゃない」
「救急車の仕事ではありません」
「なによ偉そうに。もうペッタンコしてやんない!」

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河川敷なぜか一人でペッタンコ淋しくないの土曜日の君
何が気に入らないのか、もう貼り薬をはってくれないと言うのだ。散々な朝ご飯になってしまった。その日は体調が良いので、久しぶりに部屋の整理をした。休み休みの作業だが、夕方になると腰が痛くなった。

「腰にこれを貼ってくれませんか。手が届かないのです」
「貼って上げないって言ったでしょ」

おや、覚えている。意外に執念深いなと思ったが、心配はない。私には奥の手がある。「ハリハリ失敗作戦」だ。自分で貼って、失敗するところを見せれば、テキは我慢ができなくなって、口を出したり手を出したりしてくるに決まっている。善は急げ、さっそく実行。

「なにやってんのよ、あんた! もったいないじゃない」
「ごめんなさい、又失敗。今度こそ上手くやります」
「もう、いいよ」
「何がですか?」

こうして作戦は成功したが、貼り薬2枚の損害をこうむった。クチャクチャにくっついて、使用できなくなってしまったのだ。不幸なことだが勝利の陰には尊い犠牲がある。

ところで「一人でペッタンコ」という製品がある。背中など貼りにくい部分にも、ひとりで湿布が貼れるそうだ。税込1025円だが、不器用な私では使いこなせないと思う。やっぱり貼ってもらいたい。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年11月19日

チンピラと熟年

男と言えば若いころは渡哲也だった。彼は「裕次郎二世」として期待されていたが、日活のアクション映画ではチンビラ役がピッタリだった。そして極めつけは実在のヤクザ石川力夫の生涯を描いた、第一回東映作品「仁義の墓場」。この映画のキャッチコピーは「おれが死ぬ時はカラスだけが泣く」。なんて格好いいのだろう。昔の映画はね。

石川は29歳で刑務所の屋上から身を投げて死んだ。独房に残された日記帳にはこう書いてあった、「大笑い30年のバカ騒ぎ」。昭和29年1月29日、自ら幕を引いた破滅の人生を彼らしく結んだつもりかも知れない。この映画は渡哲也の病気療養後の第一作。「病み上がりで本調子ではなかったが、それがかえって幸いして石川の不気味な迫力をいやが上にも増大した(Wikipedia)」。

ひたむきで哀れなチンピラ役がよく似合う渡哲也も、いい歳になったらどうなるのか心配だった。それが刑事役として大成功。テレビドラマ「大都会シリーズ」「西部警察シリーズ」とヒットは続いた。それでも「この先は?」と心配は尽きない。しかし、テレビドラマ「熟年離婚」をみて、何をやっても似合う人だなと、認識を新たにした。

ところで、渡哲也主演のテレビドラマ「熟年離婚」とは、仕事一筋で生きてきた男がが定年退職を迎えると、長年連れ添ってきた妻から突然離婚を言い渡されてしまう。そんなシーンから始まる夫婦の物語。男は戸惑うが妻は自立した女性として、第二の人生を歩みたいと考えている。

離婚届という紙切れ1枚で35年もの結婚生活が消えるのかと、困惑する夫は妻を全く理解していなかった。心を開いて徹底的に話し合うこともなかったからだ。

我が家の場合は状況は違うが、お互いの無理解については同様だ。妻のP子は私に不満をもっているようだが、私だって同じである。ドラマと違って心の中で離婚をしたいと考えたのは私の方だった。
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しかし、解決しなければならない問題が山ほどあった。離婚に伴う膨大な手続き、住居をどうするか、少ない収入、資産を二つに分けて生活ができるのか等、いろいろだ。こんな時にテレビドラマ「熟年離婚」が放映された。比べてみればテレビの夫は、経済的にも家庭的にも恵まれている。それでもあれ程の問題がある。

我が家の喧嘩原因は双方が我を通そうとすることにある。しかし、P子は絶対に我を折らない。そこから導かれる結論は、ただ一つ。私が折れれば済むことだ。そもそも、離婚して一人で気楽に暮らせる筈がない。

こう考えて、絶対服従3年間でP子を優しい「お母さん」に作り変えてしまった。過ぎ去った3年は凄く短い。相手を変えたければ自分が変わればいいのか。あまりにも簡単に解決したので、破綻も早いのではないかと心配になった。こんな時には若いころ流行ったあの歌が聞こえてくる。いいじゃないの幸せならば・今が良けりゃ・楽しければ。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年11月12日

お喋りラジオ体操

私はハッピーリタイアメント以後の61歳から74歳までを自由時代と思っている。82歳の今になって振り返れば、恥ずかしいことばかりだが楽しい思い出も多い。

毎朝、中島公園でラジオ体操していた。ダラダラとお喋りしながら体操する、高齢者グループが目障りだった。彼らは元気いっぱい休むことなく体操を続けている。皮肉なことに、力いっぱい体操していた私が腰痛で入院してしまった。

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未曾有の台風にも負けなかった 2004年9月8日、台風18号で中島公園は被害甚大。それでもラジオ体操は休まず、倒木の中でも続けられた。 

退院後のラジオ体操は、家で妻のP子と一緒に楽しみながらやることにした。成功のコツは成功者の真似から始めよ、と言う。不真面目な高齢者グループを見習い、P子と向かい合って話しながら体操をすることにした。

今朝の話題はニュースで聴いたばかりの死亡事故。小学生が天窓の上に乗ったらガラスが壊れ、落ちて亡くなったそうだ。そんな所に乗る子が悪いと、P子が得意の自己責任論。私は管理する学校にも責任があると考えた。体操をやりながらだから、イチ、ニイ、サン、シ、の合間に短い言葉で言わなければばならない。誤解の生じ易い状況である。

施設は利用状態に応じた強度で造らなければならない。もし、不可能なら立入禁止など必要な制限をつけるべきだ。しかし、P子は作った人が悪いと受け止めたらしい。それを自分の料理へと連想させ、いきなりかみ付いてきた。

「私が作った料理が多いと言って残すでしょ。それなら自分で作ればいいのよ」
どうして、このような展開になるのか理解できない。
「それとこれとは別でしょう」
「同じことよ、あんたの兄弟はみんなそうなのよ。お兄さんも理屈っぽいしね!」
こんなことを長々としゃぺっていては体操にならない。

「ホラホラ体操が音楽に合っていませんよ」
「後ろ向いてよ!」
厳しい注文だ。顔も見たくないということだろう。 
「料理と事故は別でしょう」
「その話はもう終わったの!」

小学生の自己責任と言われても、はい、そうですねとは頷けない。造った者の責任も指導者の注意義務もあるのではないか。断じて同意できない。しかし、黙ってしまった。 

何か言えば「しつっこいね!」と返されて、それでお仕舞いだ。ラジオ体操は型どおり終了した。勝ったP子は朝食の支度にかかった。負けた私は、いつもの「紅茶サービス」をする気も失い、自室にこもってしまった。

しばらくして、P子が呼びに来た。
「紅茶番いないから、コーヒーにしたよ」
紅茶番とは私のことである。
「インスタントですね」
「当たり前よ。部屋で何していたの?」
「これからの人生について考えていました」
「どうして?」
「文句ばっかり言われているでしょう」
「そうかなぁ? 7割くらい嫌いだから言ってるかもね」
残り3割、まあいいか。野球なら打率3割で超一流だ。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年11月05日

カラオケごっこ

退職して寂しいという人も居る。一方、退職して自由になり、趣味やスポーツを満喫できると楽しみにしている人も居る。ところで私は、スポーツはできないし趣味もない。それでも退職して楽しかった。仕事が凄く苦手だったので解放された奴隷のようにルンルン気分だった。

自由は楽しい、好きなことが出来るからだ。カラオケ、ダンス、マージャンにゴルフと、楽しんでいる人も多い。できれば私も楽しみたいが、それは無理。人には得手不得手がある。若いころなら「やればできるから、頑張りなさい」と言われればその気になる。しかし、この歳になると、生まれつきそうなのだから仕方がないと諦める。そもそも楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。

そこで私が選んだ遊びは「記者ごっこ」。子供の遊びみたいなものだ。遊びだから自ら進んで取材などはしない。そのかわり、誘われればどこにでも行ってしまう。今日は苦手な大カラオケ会だ。果たしてどうなることやら。万一、歌えと言われたら逃げてやろう。
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道新コラム「朝の食卓」2010年6月23日投稿。画像クリック=拡大

大カラオケ会には50人くらい集まったが、いつもと違う華やかさがある。特に女性が美しい。同じシニアネットの仲間なのになぜこうも違うのだろうか? 少し考えてみた。ヒントは17年前のノートパソコンはかなり大きかったこと。

パソコンを背負っていないからお洒落ができるのだ。勉強会の後でも、皆んなそろってホテルへランチに行くことがある。重そうなリュックサックを背負った集団を、ホテルマンは何者に見ただろうか。登山でもない。旅行者でもなさそうだ。さては新手の行商人グループか? 

カラオケクラブ例会は新任のO部長の引き語りで始まった。実にうまい。うまいはずだ。往年の人気テレビ番組「ザ・ヒットパレード」で歌っていた経歴があるのだ。私が担当する地元のラジオ番組「山鼻、あしたもいい天気!」に、Oさんにゲストとして出演をお願いした。

その頃の私は記者ごっこだけでなく、放送ごっこもしていた。放送の前にOさんの歌も、ぜひお聴きしたいとの思いもあって、このカラオケ例会に参加させてもらった。ラジオでの話題は「音楽と中島公園」とした。Oさんがドン・ホーの歌を4曲選んでくれた。ハワイ公演、テレビ出演などの思い出話なども話してくれた。

ところで、カラオケ会で歌ってしまった。なんとなく歌わされるような雰囲気を感じたので、トイレに逃げ込んで時間をつぶして出てくると、なぜか私の番になっていて舞台に連れて行かれた。遅蒔きながらカラオケごっこもしてしまった。

「記者ごっこに放送ごっこにカラオケごっこか? なんでも『ごっこ』と付ければ済むもんじゃないよ」
「もの書きとはそうゆうものです」
「ほっ〜、もの書きと来たか。後光がさしてるよ、先生」
「よして下さい。拙い真似事ですよ」
「後ろが光ってるぞ〜」
 ムカッ(-_-メ)
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)