2022年12月31日

ペットになりたい

「私たちの将来について大切な話があります」
は〜い!
「そんな大きな声を出さなくても聞こえます」
「洗濯機に返事したんだよ」
「私の話と洗濯機の自動音声とどちらが大切ですか」
「洗濯機に決まってるでしょ」

なるほど、言いたいことは分かる。洗濯機は毎日働いているのに私は何もしないで、汚れ物を出して食べて寝るだけだ。それではいけない。遅まきながら変わることを決意した。洗濯機や炊飯器にも負けない役立つ人間になるのだ。決心はしたものの私に何が出来るだろうか。不器用で体力もない、しかも病み上がりである。

お母さんは毎日3度の食事を用意して、洗濯に掃除、病弱の私に合わせて巣ごもりまでしてくれている。今までの様に威張らせてあげて、言うことを聞くだけでは足りない。私も役に立つ人にならなければいけない。出来ることとは何か? 一生懸命考えたら直ぐ分かった。食事の支度である。

「私も食事の支度を手伝いたいと思います」
「狭い台所に二人もいたら邪魔だからいいよ」
「私が一人で作りますから、テレビでも見ててください」
「絶対に嫌! 何を食わされるか分りゃしない」

そう言えば、退職直後、一週間交代で食事の支度をすることにした。一週間どころか、三日で止めさせられた。
「あの頃は嫌々やっていました。反省しています」
「あれで懲り懲りだよ」
「今度こそ心を入れ替えて… 」
「からだ丸ごと入れ替えなけりゃダメ!」

それでも、お母さんのために役に立ちたいとの思いは変わらない。そして、ペットになることにした。以前、猫を飼うことを提案したことがある。そしたら動物を飼うのはアンタ一人でたくさんだと断られた。ならば私がペットになろう。お母さんには癒しが必要だ。本当は素晴らしく気立がいい人なのにギスギスしている。

私がペットになる以上、ご主人様に忠実なだけではいけない。犬猫並みでは人としての誇りが許さないのだ。人間にしかできないことでご主人様のお役に立ちたいのである。家事が苦手な点では本物のペットも私も同じだ。一生懸命考えたら私には一つだけ彼らより優れた点がある。それは言葉、私が日本語を話せることである。

1日にご主人様を3回は言葉で笑わせる優れたペットになりたい。極めて難しい課題だが犬猫ペットに差をつけるとすると、これしか無い。それに私は言葉遊びが大好きだ。といっても得意ではない。しかし、好きなことをやり続けることは健康に良い。これだけは確かだ。

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ところで、私の言葉遊びも一区切り。そう思うとトイレに行きたくなった。便座の蓋を開けてビックリ! 出された物が鎮座していたのだ。レバーを押して一挙に解決。今日は大晦日、気持よく水に流そう。来年も楽しく静かに暮らしたい。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2022年12月24日

演技上手はどっち?

60代から70代前半までは若者気分で元気よく、充実していたが不満も多かった。私はこの時代を「自由時代」と呼んでいる。思い起こせば、あの頃が懐かしい。とは言え、今の静かな生活も捨てたものではない。

「亭主、おん出してやったわ」
とAさんが、気炎をあげている。
「ホントですか」と、60代だった私。
「眠れないから、ラジオつけたり、本読んだりするでしょ」
「そうそう。私もそうです」
「そしたら、あのろくでなし、眠れないとか、あーだーこ〜だ〜いうのよ。眠れないのは私じゃあないの」
「ラジオはイヤフォンで聴きましょう」
と、思わずご主人の代弁。
るさいわねぇ! 部屋なんかいっぱいあるでしょ、好きなところに行って勝手に眠むんなさい!」

ご主人の代わりに叱られてしまった。そういえばAさんの家は大きい。グランドピアノを置いた居間の他、子ども部屋4室はすでに空き部屋、それに寝室、応接間、書斎まである。

「ご主人ビックリしたでしょう」
「出たっきり、帰ってこないのよ〜」
「家の中で寝ているのなら、いいじゃないですか」
「淋しくなったら、いつ帰ってもいいのよ。と言ってあげているのに、まだ帰ってこないのよ〜」
「優しいのですね。私なんか、もう帰って来なくていいと言われてしまいました」
「どこから?」
「病院からです」
「そう、病院から帰らないとすると焼き場に直行かな?」
「もっともっと酷いところがあるのですよ」

つい先日のことである。朝、病院に行こうとすると、お母さんの「服装チェック」。毎度のことだが、もうウンザリだ。出かけようとするとジロリと見てケチを付けるのだ。あぁ、叉か。と思いながらも、素直に「はいはい」と言っておく。朝から揉め事はゴメンだ。とりあえず、ズボンを脱いでステテコ姿でいた。

「何よ!その格好」
「ズボンを替える準備です」
「そんな、みっともない格好して、誰か来たらどうするの。時間がないから出かけるからね」
「はいはい、行ってらっしゃい」
続いて、小さな声で独り言「せいせいするわい」。これが聞こえてしまったようだ。厳しい言葉が返ってきた。
「病院に行ったら、もう帰って来なくていいからね!」

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病院に行ったきり帰れないとは如何なる場合だろうか。大学医学部の地下にある「ホルマリンプール」行きとか聞いたことがある。私の抜け殻も人体解剖用にプールに沈められるらしい。ひょんな調子で浮き上がると棒で突っつかれるそうだ。打ち所が悪いとバラバラに壊れてしまうとか?

ところで、80代の今から思うと60代はまだ若い。恥ずかしいことも含めて全てが懐かしい。既に男性の平均寿命を過ぎているのに、まだ生きている。楽しい二人暮らしだが口喧嘩は絶えない。そんなとき私は、直ぐに謝る。凄く喜ばれるからね。「この世は舞台、人はみな役者Shakespeare」だそうだ。二人のうち演技上手はどっちだろうか?
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年12月17日

ベンガル虎に会いに行こう!

とにかく謎の多い人だ。6年間の付き合いなのに話題が尽きない。今日もAさんの独演会。Bさん、Cさんも、なかなかな人物だが聞き役に終始している。私などはいうまでもなく「うなずきマン」だ。

「男でも度胸のないのはダメね。皆尻込みしているのよ」
「3週間も山歩きした後では仕事が忙しいのでは… … 」
「何が忙しいのよ! 怖いだけ。情けない男たちよ」

今ならベンガル虎に関する探索ツアーも旅行好きな人々には知られている。しかし、Aさんは「私がこの探検ツアーの最初の参加者」と言っていた。20年前のことだが、たった一人で行ったそうだ。旅行社の担当者自身さえ経験がなく、後で体験談を根掘り葉掘り聞かれたそうだ。

「誰も行ったことがないと言うのに、鈴木が待っているというのよ。なぁんだ日本人がいるじゃないの、と思ったらガッカリして気が抜けちゃったわ」
「好かったですね。ホッとしたでしょ」
「行ってみたら、言葉もろくに通じない現地人がいただけ。ジープ型の車に乗せられてジャングルに行ったのよ。その車がスズキなんだって」
「初めての日本人になれて良かったですね」
「何がよかったのよ!」
私の頷きは気に入らなかったょうだが、聞いた話を自分なりにまとめると次の様な次第だ。

船で川を渡り、ジャングル内のコテージに入る。食事中に突然呼び出された。何事かな? と思ったが、ガイドに促されるまま暗いジャングルを通り抜け、着いたところは真っ暗な小屋。明かりと言えば、時々つける懐中電灯だけ。小屋には外に向けて穴がいくつも付いていた。

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不安になって何か聞こうとしても、ガイドは指を口に当てて「シー」と言うだけだ。とにかく、この穴から外を見ろということらしい。同行の外国人4人も皆そうしていたのでAさんも穴に目をあてたそうだ。ガサガサと音がすると投光機が一斉に明かりを放ち、付近一帯は真昼のようになった。

そこには、杭に繋がれた羊のような動物と、それに食いついたベンガル虎の凶暴な姿があった。ようやくAさんも事態が飲み込めた。これがこのツアーの目玉。だから食事中にも関わらず呼び出されたのだ。 

虎は一旦獲物に食いついたら、光を浴びても逃げたりしない習性があるそうだ。暗い小屋も、しゃべるなという指示も、覗き穴も全てはこの一瞬のためにある。ガイドは「あなた方は非常に運が良い」と言った。ベリー・ラッキーを連発していたのでAさんも理解できたそうだ。それに参加者の全員が興奮して凄く喜んでいた。 

翌日はゾウに乗って更に奥地に進んだが、言葉の通じない「ゾウ使い」と二人だけの旅だった。道がないからゾウに乗るのだが、それよりも重要なのは安全保障。ジャングルには凶暴な野生動物がうようよしているので、ゾウの上が一番安全だという。ジャングルの景観、音、におい、風、すべてが素晴らしい。少し怖くて、だいぶお尻が痛くなったけれど、十分堪能したインド奥地ジャングルの旅だったそうだ。

話を聞いたのは2008年のことだが、凄く面白かったので書き留めて置いた。一応、事実確認のため最近の状況を検索してみた。
下のURLをクリックするとグーグルの関連情報表示。
 ↓
ゾウに乗ってのトラ探し?
もう一つ、バンダウガルに来たら是非体験して頂きたいことが一つあります。 公園内でのゲームドライブは通常、ジープで行いますが、 運がよければ、車の入れない薮の中をゾウに乗ってトラを見に行く (=タイガーショー)と呼ばれるオプショナルも体験していただけます。 ゾウの背中に乗って、道なき道を行きますので、激しく揺れることもあります! その為、ちょっとお尻が痛くなりますがトラを間近で観察できる人気のオプショナルです。 現地判断でのオプショナルとなりますが、是非機会があれば体験してみて下さい。
(『インドへトラに会いに行こう!!』のツボよりコピー)
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年12月10日

流れた歓迎カラオケ

水に恵まれた札幌で、まさかの断水。カラオケ店員はマニュアルに書いていない事態に遭遇して右往左往していた。準備中と言ったまま1時間も待たされた。

「一体どうなっているの、開店時間はとっくに過ぎてるよ」
「断水ですから飲み物料理などの提供はできません。トイレも使えません。カラオケだけはできます」
「そうゆうことは、もっと早く言ってよ」とAさん。

「腹減ったから近くのラーメン屋にでも行こうか」と、仲間4人で相談していると、
「この辺一帯、全部断水です」と店員の声。
「それも早く言ってよ〜。聞かなきゃ何も教えてくれないの!」と思わず切れてしまった。

飲食はともかく、トイレが使えないのは致命的だ。みんなそろってAさんのお宅にお邪魔をすることにした。飲んだり食べりしながらAさんは何時もの様に面白い話をいっぱいしてくれた。特にベンガル虎に会いに行こう!という探索ツアーの話が、聞いていて痛快だった。話に夢中になって、気が付けばご主人がいない。

「アレッ、ご主人様が見えませんが、どちらへ?」
「趣味やってんのよ。見たい?」
「何ですか?」
「煙がもうもうよ」
「見たい見たい」3人そろって見たいを連発した。 

Aさんはご主人と連絡をとりに行った。どんなことをやっているのだろう。私たちは期待に胸を膨らませた。
「煙がもうもうだって、ワクワクするね」
「マジックかもしれないよ」
「ダンナさん、口から火を吹いたりしてね」
「だから、煙でもうもうなんだよ」

案内されて2階に上がるや否や、煙の正体を知ってガッカリした。そこにはタバコをくわえ熱心に仏像を組み立てるご主人の姿があった。灰皿の上には吸殻がいっぱいで、それを完全に消してないせいか煙を立てていた。

傍には「五重塔の70分の1スケール銘木製模型キット」や、陽明門等の完成作品が置いてある。部屋の中には置き切れず、作品の置いてある別の部屋にも案内された。この家には部屋が10以上もある。しかも住人は二人だけ。作品は立派だし、ご主人のスキルもたいしたものだ。しかし、それ以上に重要な役目を果たしているのは大きな家である。 

狭いマンション住まいの私には思いもよらない趣味だ。人間は環境によって行動が左右される。私も大きな家に住んでいたら、別な人生を歩んでいたかもしれない。

「断水も終わったようだから、そろそろカラオケに行かない?」とCさんが言った。
「せっかくだから、ここでゆっくりして行ってよ」
と言いながらAさんはワインを持って来た。
「地下鉄駅近くに来たのに、戻るのはねぇ」
とワインをチラリと見ながら私。
「もう充分歓迎されたから結構よ」とBさん。

アッ!そうだ。今日は東京から3か月ぶりに帰って来たBさんの「歓迎カラオケパーテー」だった。どうやら皆さん思い出したようだ。
「歓迎カラオケ、流れちゃったね」
「断水なのに?」

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懐かしの画像、昔通った映画館は今ではカラオケ。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年12月03日

口と心は元気

60代のとき見知らぬ人からお爺ちゃんと呼ばれて気を悪くした。80代の今はどうだろう。何故か比べてみたくなった。身体が衰えたのは言うまでもないが心はどうだろうか。

およそ15年くらい前だろうか、先輩とこの様な話をした。
「ショックですね」
「何が?」
「私のことお爺ちゃんと呼ぶのですよ」
「誰が?」
「最近、コイのことが気になるので、池を見ていると、後ろから声をかけられたのです」
「何て?」
「お爺ちゃん、池の中に何かいるの? と聞くのです」
「あんたはお爺ちゃんなんだから当たり前だろう」
と先輩は断定。相変わらず大雑把な人だ。

「先輩もお爺ちゃんですよ。それでいいんですか?」
「俺はお爺ちゃんだよ。孫がいるからね。だけど他人からお爺ちゃんとは呼ばれたことないね」
「子供はともかくお婆さんから言われたくないですよね」
「おや!お婆ちゃんだったのか。お気の毒様」
「いえ、お婆ちゃんは歓迎ですが、お互いにお爺お婆と呼び合わなくてもいいと思うのですよ」
「じゃあ、なんと呼べばいいんだ」

「普通でいいですよ」
「ふつうって何だ?」
「例えば、青年が池を見ていたとします。青年さん、池の中で泳いでいるのは何ですかと聞きますか?」
「ちょと、すみません。とか、失礼ですが、とか呼びかけるよ。見知らぬ人には丁寧にな」
「そうでしょう。少年少女、青年、爺とか区別する必要はないのです。池を見ているのは私ひとりなのです」
「そんなこと気にするなんて、ホントにあんたはお爺ちゃんだね。だから言われるんだよ」

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このような訳で私は60代で太鼓判付きのお爺ちゃんとなった。あれから15年以上たった80代の私はどう見えるだろうか。自慢じゃないけど、この間に入院5回、癌関連手術3回、放射線治療1ヶ月半、そして最近3年間はほぼ巣ごもり状態だ。さぞかしヨボヨボと思われることだろう。

とこれがそれは大間違い。人に会うことは滅多にないが、会った人からは必ず「元気そうだね」と言われる。お世辞でも慰めでもない正直な印象と思う。外見はそう見えるらしい。事実、口と心は今までにないくらい元気なのだ。

人は生きている限り悩みから解放されることはない。しかし、今まで生きてきた中で一番悩みが少なくなっているから不思議だ。選択の余地が少なくなったせいかも知れない。

タグ:コロナ禍
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般