持病とコロナ禍で3年間の巣ごもり生活。最近少しは外出するようになったが、人に会うことは殆どない。これではネタがない。止むを得ず、自由に行動していた頃を思い出しては書いている。今回は15年くらい前の夏の話。あの頃の二人暮らしは薄暗く、楽しみも生き甲斐も外に求めていた。
Aさんに呼ばれていたので、病院の帰りに寄ってみた。心に傷を負っているので慰めてもらいたい気持もあった。
「精神的虐待を受けているのです。これってドメスティック・バイオレンスじゃあないですか」
「そう思うアンタが異常。早くお家に帰りなさい」
「用事があると言うから、来て上げたのですよ」
「草むしりでもしてもらおうと思ったけど、腰痛じゃあねぇ。亭主は膝がガクガクだというし。まったく情けない男ばかりだね。年は取りたくないものだ」
「お互い様でしょ。庭の草むしりぐらい自分でやってよ」
「公園の草むしりよ。皆でやろうと言ったでしょ」
「アレッ! 今日でしたか?」
「ヒマができたときパッとやらないと、いつまでたっても出来ないでしょ」
草むしりは体調不良ということで解放されたが、「帰って来なくていい」といわれているのに直ぐ帰るのも癪だ。中島公園をブラブラして、腹が減ったら「狼スープ」にラーメンでも食べに行き、その後で帰ることにした。
昨日は二人仲良く映画「相棒」を観に行ったのに、今日は「悪妻は百年の不作」と思い、顔も見たくない気分だ。本当に人の気持は移ろい易いものである。しかし、40年近くも一緒に暮らしていたら「仲良し」と言われても仕方がない。なぜ、仲良しなのだろうと考えてみた。答えは意外に簡単だった。二人ともケチだからだ。
妻の場合、「こんな家、出て行く!」と言っても、実家に帰るには旅費もいるし、手ぶらと言う訳にも行かないだろう。家の近くのホテルに泊まるにしても帰るまで、毎日お金がかかるのだ。
私だってマンガ「巨人の星」の星一徹のように叱りたい。「黙れ!」と一喝、ちゃぶ台ひっくり返したら、さぞかし気が晴れるだろう。その代わり、一食分の全てを失った上、お茶碗が割れるかもしれない。こんなことを考えているようでは派手なケンカなど思いもよらない。ケチケチしている間に40年もたってしまった。
あれから更に15年以上たった。時の流れは早いものだ。最近は特に早い。振り返ってみれば、在職中は自己否定的人間だった。仕事が苦手で、趣味とスポーツが全然ダメだから肯定など思いもよらない。
退職したら思うがままに生きられるので、次第に自己肯定的人間になって行った。自由の身になったのだから、これも当たり前。なんでも見てやろう、やってみようと手の平返したように前向きになった。
その後、加齢による体調低下に応じて活動範囲を縮小、80代になったら家に引き籠り、静かに愉しく暮らしている。しかし、自分の生き方を肯定する気持ちは変わらない。状況が変わっても、これはこれで良いものだと思っている。