2023年03月25日

ただの子供じゃないんだよ

私の定年退職時、息子はすでに独立していたのでD子(妻)と二人暮らしになってしまった。退職当初は二人の間に、争いも摩擦もあったが、いつの間にか収まってしまった。特に話し合った訳ではなく少し工夫をしただけだった。

不機嫌な顔はあまり見たくないので、自室にこもり問題点を整理してみたら、一つのことが分かった。それはD子は家庭という職場の大先輩で自分は新人だということである。

私が外で働いている間に、D子は我が家に根を張ってしまったのだ。30年以上かけて張った根は深く隅々まで行き渡っている。根無しの私に勝てる見込みはない。

そこで大先輩をたてる新人になる決心をした。凝り性の私はその程度では満足せず、絶対服従の家来になった。家来だから自分の意見は口にしないで、命令を聞くだけである。

D子の命令は実に少ない。何もない日もあるので、私の仕事は一日平均30分くらいだ。お陰で自由時間はタップリある。毎日、心置きなく好きなことが出来るのだ。

家事のほとんどを自分の仕事として引受けてくれるので、感謝の言葉も自然に私の口から出る。これが笑顔の好循環の始まりとなり、穏やかで楽しい暮らしが続いている。

それでも会話がある以上は、行き違いもあり喧嘩になりそうなこともある。そんな時は直ちに謝る。これが「負けるが勝ち」の戦術。短期決戦は苦手なので出来るだけ早く手を挙げて損害を最小限に止める作戦である。

長い間一緒に暮らして分かったのはD子が裏表が無い正直な人であること。正直な人は自分も正直と思っている。そして、正直こそ一番大切と思っているのだから始末が悪い。正直なD子は自分が間違っていても気付かない。悪いのは自分ではなく私と決めつける。これが厄介なのだ。凄く強情で手が付けられない。

一方、私には人並みの裏表があるからD子には信頼されていない様だ。私が家来になったのはこの疑いを晴らす為だ。家来は何でも殿様の言う通りに実行する。これを繰り返すことにより信頼を得ることにした。しかし、家来と言っても何となくしっくりしない。働きが少なすぎて違和感を拭えないのだ。こんなことでは胸を張って家来とは言えない。

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ピッタシの関係を思いついた、それは母子である。D子がお母さんで私は子、年齢を除けばこの関係が一番自然で心地よい。それに、私だって中学生並みの手伝いはしている。そして、子供の仕事は勉強である。

このブログを書くのは国語の勉強。洋楽カラオケは音楽と英語の二刀流、毎日の散歩と週一のリハビリは保健体育だ。勉強の目的は認知症対策、80代を生き抜くためには重要な課題である。こんな風に大義名分も見つけた。ただの子供じゃないんだよ。エッヘン(・`ω´・)
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般

2023年03月18日

試練の洋楽カラオケ?

テレビで観ている歌番組は「NHKのど自慢」だけだが、クラシック音楽のドラマも楽しい。今観ているのは「リバーサル・オーケストラ」で、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調に感動。昔観たのは映画「のだめカンタービレ」、そこで演奏されたクラシックにも感動。それなのにコンサートに行くと寝てしまうのは何故だろう。

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1ヶ月に1回は洋楽カラオケに行く。歌は苦手だが老人力がついているから大丈夫。老人力とは私の心に潜む未知の力、意地悪な人はモーロクと言う。英語で歌うのが好きだが、口が回らないしカタカナっぽい。それなのに何故と聞かれても答えられない。娯楽とはそんなもの、独りよがりだから楽しいのである。しかし、上達するためには試練も必要だ。

1曲目に歌ったのはアップテンポの「恋の片道切符」、チュウーチュウー・トレイン、汽車は行く〜と言う感じの歌だが、マスクがズレて気になって仕方がない。マスクがずれ〜る、ウ・ウ・ウ・ウ〜と想定外の試練に苦しむ。

反省して、2曲目はスローな曲にした。選んだのは「トゥー・ヤング」、若すぎると言う意味かな。1曲目に続き2曲目も、自分に似合わない曲を歌ってしまった。3分でいいから違う自分になりたかった… (^-^;) ゴメン

今回からかなり広いステージで歌うことになった。ならばマスクを外していい筈だと思った。とりあえず状況を偵察。座席の関係で後ろ側に位置するステージをチラリ、チラリと振り返って見た。皆んなマスクを外して歌っていた。マスクがズレる悩みは、何時ものように横並びで解決した。

ところが想定外の事態に遭遇して狼狽えた。マスクを外した途端に伴奏が突然聞こえなくなったのだ。ステージに立つ私にとっては、舌癌発症以来の緊急事態である。一体どうしたことだろう? マスクを外す時に耳に掛けた補聴器が外れて落ちたのだ。薄暗い中で足元にあるのを見つけてホッとした。たった数十秒間の出来事と思うが凄く長く感じた。

こんな失敗は2度としたくないので3曲目を歌う前にマスクを外し、代わりに両手で押さえて出番を待った。ところが前の人が歌い終えたので拍手をしようとしたら、手が離せない。マスクの紐を上に持ち上げて外せばよいことが分かったのは4曲目を歌うときからだった。勉強になったなぁ。

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現在私は補聴器訓練生、耳の聞こえが悪いので耳鼻科に行ったら3ヶ月間の補聴器トレーニングを勧められ実行中。補聴器は無料貸与だが紛失したら弁償である。ステージで補聴器を落とした時は本当にビックリした。耳からボロリと10万円を落とした様な気がした。(>_<;)
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 80歳以降

2023年03月11日

ナラローウ

普通の人は中学1年から英語の勉強を始めるが、私は20歳になってから始めた。教科書の表紙には
「American Language Course 航空幕僚監部」と書いてあった。米空軍の作成だから、この航空幕僚監部の6文字以外は全て英文の教科書である。中卒以来働きずくめで勉強には縁がなかったので凄く嬉しかった。だから、62年も前のことなのに冒頭のダイアログを今でも覚えている。

Does this bus go to the train station?
No, but I can give you a transfer.
What bus do I take?
Take the bus marked Central station.
Where do I get off?
I will let you know.
Thanks a lot. 
Nat at all.

最初のダイアログは、こんな感じと記憶している。訓練方法、説明を含め教科書の全てが録音されていて学習マシンを使って自習できるようなシステムになっていた。教科書もテープも全てが英語なので中学の英語をサボっていた私には、雲を掴むような感じだった。聞いて覚えろと言われても最後の2行は繰り返し聴いてもタンクスアラッ、ナレローとしか聞こえない。最近知ったことだが、テンクサラーッ、ナラローウが「ネイティブも驚いた画期的発音術」だそうだ。(「怖いくらい通じるカタカナ英語の法則」池谷裕二)

我が家は生活保護家庭なので最初から中学を出たら働くと決めていた。だから英語、数学とかの難しい勉強はしなかった。これで良いと思っていたが、給料をもらいながら勉強する機会を与えられたら気が変わった。中卒以来5年も職を転々としたのは肉体労働者として働く力がなかったからだ 。何とかして飯のタネにしたいとの思いが込み上げてきた。

3ヶ月の英語訓練は米兵と電話で情報の受け渡しをする仕事のためだった。現場に行っら会話能力も向上するかと楽しみにしていたが、直ぐに行き詰まってしまった。結局他の部署に配置転換され数ヶ月後に依願退職する羽目になった。

そのころ東京はオリンピック景気で働き口は色々あった。新橋の森ビルにあるインド通信東京支局でアルバイトをすることにした。支局長はロンドンから赴任したばかりの日本語ができない記者、そこで雑用することになった。苦労するかも知れないが英会話の勉強になるかもと期待した。

ところが、支局長はほとんど外回りの取材、留守番していても電話も訪問者も滅多にない。苦労も無いけれど勉強にはならなかった。その代わり一人で自由に使う時間がいっぱいあったから英語の勉強をした。

月給15,000円だが、職場の付き合いもないし、友人もいないので月5,000円は貯金できた。東京は奥が深い、世の中にこんな楽な仕事があるのかとビックリして喜んだ。欠点は健康保険、年金が無いこと。これでは定職にならないが、就職試験の勉強をするには最高の環境が与えられた。

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冠婚葬祭、飲み会、その他あらゆる付き合いがないと凄く楽だし金も要らない。貯金が貯まったら夜間の英語学校に行くつもりだったが、オリンピック景気とか幸運に恵まれて1年もたたない内に定職に就くことができた。就職したら学校に行く必要もないし勉強も止めてしまった。就職のための勉強は職についた途端にゴールになってしまうのだ。本当はスタートポイントなのに飛んでもない勘違いをしていた。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 転職時代(15-23歳)

2023年03月04日

男はつらいよ

恋愛とはおかしな言葉だ、英語で恋はLove、そして、愛もLove。ならば、恋愛はラブラブか? それならば、片思いこそ真のラブである。ラブラブ−ラブ=ラブとなる。自分なりに解けた。こう考えれば世渡りは楽しい。

Aさんは、病気一つしたことのない力持ち。山に登るときも疲れている人の荷物を持ってやるほどだ。そのAさんが不治の病に犯されてしまった。男らしい寡黙な人だったが今はよく話し、内容も以前とはずいぶん違う。柄にもなくロマンチックなことを言うようになった。その反面、妙に現実的な部分も出てきた。

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「ガラスの城」1950年製作、ミッシェル・モルガン、ジャン・マレー

「恋をしてるんだ。Bさんのことが何故か頭から離れない。片想いだから都合がいいんだ。お金はかからないし、トラブルの心配もない。おまけに振られる心配もないんだよ」
「そんなもんですか。私も倹約は大好きです」
「Bさんのことを思うと何か暖かい気分になれるんだよ。片想いなんて思っただけで恥ずかしいけどね」
「好いじゃあないですか。お金もかからないし」

「病気になって吹っ切れたよ。いろいろとな」
「いろいろ何ですか? 聞かせてくださいよ」
「嫌だね。誤解するから」
「Bさんは、明朗活発、頭脳明晰、美しい方ですね」
「そうそう、素晴らしい方だな」
「片思いでもですかぁ」
「まぁ、な」
「トラブルの心配も振られる心配もないから最高ですね!」
「… …  ムカッ(-_-メ)」

それでもAさんは気を取り直して話し始めた。話題を少し変えて恋愛談となるが、Bさんへの想いからは離れられない。
「恋愛をを3つに分け順番をつけてみたんだ。一番は相思相愛、二番は片想い、そして三番が恋愛もどきかな」

「なんで、哀れな片思いが二番なのですか?」
「恋愛もどきの悪いところは嘘をつくことだ。相手にも自分にもな。それに、見栄を張るので金もかかる。いずれ別れるか、一生猫被るかどっちかだよ」
「我輩は猫である」
「分かってるよ。丸くおさまりゃ何でもいいんだろう。片想いは、妥協はしない、見栄張らない、しかも純粋だよ」

「どこが楽しいのですか?」
「古い映画の話になるが無法松は幸せだったと思うよ。俺も無法松を見習ってBさんの為に誠心誠意尽くしてきた。何気なく尽くしてきた。この何気なくが一番大切なことなんだよ。自分の感情の片鱗も見せたことないよ」

「あなたは私にも、とても親切ですね」
「Bさんにだけに親切では、何気なくにならんだろう」
「なーんだ、目くらましですか」
「すまん」
「男はつらいですねぇ」
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)