2017年07月15日

自分史を書こうと思います

「自分史を書こうと思います」
「それは良いことだ。暇つぶしになるしボケ防止にもなる」と、先輩はうなづく。
「ブログで公開しようかな」
「誰も読まないよ。悪いけど俺もゴメンだ」

「グーグルが読んでくれるでしょ」
「マシンが自動的に索引を付けるだけだ。人が読まなくては意味ないだろう」
「歴史上の資料になります」
「腐るほどあるからアンタのは要らない」

今ある歴史は1%にも満たない勝者によって書かれている。事実かも知れないが極端に偏っていると思う。情報化以前の世界なら仕方がないが時代は変わった。現代はビックデータを解析する技術が進んでいる。更に技術が発展すれば思いもよらないなアイディアを実現できるようになるかも知れない。例えば歴史、勝ち組だけの歴史でなく敗者や普通の人々を含めた、幅広い事実を反映した歴史に変わるかも知れない。

「いったい何を言いたいのだ」
「私のブログも百年後には歴史データの一部になるかも知れません」
「なんで?」
「大量のデータを細かく分けて、組織的に論理的に調べるシステムが開発されました」
「それで自分史を含めた超ビックな歴史データを処理できると言うのか?」
「分かりません。できたらいいなと思いました」
「なんだ、また空想か」

科学的知識がないのだから空想するしか能がない。私のブログから空想を取り除いたら「起きて飯食ってウンコして寝た」の羅列になってしまう。ところで1980年頃の私は「新しい物好き」だった。物珍しさでパソコンを買ったが、ここまで情報化が進むとは夢にも思わなかった。ブログ、フェイスブック等、既に個人が世界に向けて発信できるシステムは出来上がっている。世界中にテキスト・映像、音声等の情報が、収集可能な状態で溢れている。この情報に目を付ける人は各方面から出て来ているが、今後その傾向は更に進むだろう。

約10年前に中島公園の歴史のページを更新しようとして明治時代の写真を捜したが僅か数枚しか見つからなかった。もし百年あるいは千年後の人が、振り返って現在を調べようとしたら映像、テキスト、音声等の資料が溢れている。金も権力も無い普通の人が残した資料も歴史学の発展に貢献するようになるかも知れない。

現代は各国各民族ででいろいろ違う歴史が語られている。戦争で負けたり勝ったりする度に歴史観が変わったりもする。一体世界で何通りの歴史が語れているのだろうか。こんなにバラバラで見解の異なる歴史観があっていいのだろうか。ときには戦争の原因にもなっているではないか。こんなに歴史認識が不安定では安心して暮らせない。永い時間をかけても世界共通の歴史観を構築する必要はあると思う。

「世界共通の歴史観のためにアンタの自分史も必要と言うのか」
「そうなんです。エライ人の歴史だけでなく普通の人の歴史も必要です」
「考えられないほど膨大な量だぞ」
「それでいいのです」
「なんで?」
「世界共通の歴史観を持とうとする意識が大切なのです」
「意識だけじゃあ何もできないよ」
「話し合が出来るでしょ」
「話し合っても合意できない。このことは歴史が証明しているよ」
「意志さえあれば大丈夫です」
「なんで?」
「結論が出るまで戦争は止めようとか先延ばしが出来るでしょ」

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 13:05| Comment(0) | 老人時代
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