2017年01月21日

複雑な家族関係

「私の家族を紹介します」
「知ってるよ」
と先輩はきっぱりと言った。考えてみれば半世紀にもなる付き合いだ。

「私は中波三郎76歳、妻は花子75歳、そして一人息子は47歳、外で妻と二人暮しです」
「中波って誰だ? 聞いたことないぞ」
「都合により全ての氏名は仮名です」
「仮名じゃあ信憑性ゼロだね」
「私を信じてください」
「俺はいいけどね。アンタを知らない人に信じろと言っても無理だよ」
「大丈夫です。知らない人は読んでくれません」
「読まれない? ネットで流せばアクセスざくざくとか言ってたろぅ」
「それは有名人の場合、無名人のは限りなく無に近いのです」

今から25年前のことだが、息子が学校を出て就職先に提出する為に戸籍謄本をとった。それを見て初めて自分の生まれた場所と父親の名前を知った。伊吹だと思っていた父の姓は斎藤に変わっていた。因みに私は中波だからややっこしい。この機会に自分の生い立ちと家族の氏名を、その変遷を含めて整理することにした。

1940年10月、私は伊吹家の三男として出生したので当初の氏名は伊吹三郎、出生地は横浜市中区だった。0歳から22歳に至るまでは空白の時代。鉛筆1本紙1枚も残っていない。おぼろげな記憶があるだけである。ただし、抱っこされた1枚の写真を持っている。
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母、伊吹スミレと左から伊吹一郎、二郎、三郎(全て仮名)。画像クリックで少し大きくなる。

父の氏名は伊吹金吾、母の名はスミレ、長男は1936年生まれで一郎、次男は1938年生まれで二郎、そして三男の私は1940年生れの5人家族だった。伊吹家は1945年ごろまでは神奈川県内にあった。

1946年ごろ、終戦後の混乱の中で父親が命に関わるトラブルに巻き込まれ、妻子を残して北海道に逃亡し行方不明となった。そして、母は三人の子を連れて東京の表具師、中波常吉と再婚した。彼は米軍の空襲で妻子を失い一人暮らしだった。

行方不明の夫が居ては正式な結婚はできない。夫である伊吹と離婚することが先決だ。その為家族構成は中波が1人で伊吹が母子4人と変則だ。6歳の私は普通の家族と思っていたが、今風に言えば事実婚である。私は19歳まで伊吹三郎として生きて来た。

1947年中波常吉と伊吹スミレとの間に子が生まれ春子と名付けられた。入籍し中波春子となる。母もいつの間にか中波姓になっていた。この時点の家族構成は中波が春子を含む親子3人、連れ子の兄弟3人が何故か伊吹のままになっていた。

実父伊吹金吾は行方不明なのにどうやって離婚をしたのだろうか。母が姿をくらました実父と連絡をとるのは不可能だ。実父が必要に迫られて連絡して来たに違いない。離婚は双方にとって再出発の為に必要だった。この件に関しては母から何も聞いていない。私自身は家族6人と認識し、貧しい両親と幼い妹を助けるのは家族としての義務と思っていた。

19歳のときは東京の家からは遠く離れて働いていた。家計を助けるためである。ある日、母からの手紙と共に書類が郵送されて来た。私を「中波の籍に入れたいので署名して印鑑を押して返送して欲しい」と書いてあった。深く考えずに署名捺印して送り返した。家族が同じ姓になるのは当然と考え何の疑問も抱かなかった。

1959年の秋、母から手紙が来た。家業である経師屋の仕事が忙しくなってきたので家に帰って来いと書いてあった。家で働いて暮らしが成り立つなら、それに越したことはない。虚弱体質の私には肉体労働の仕事が辛かったせいもある。辞めて家に帰ると、兄2人は入籍を拒否して伊吹のままであることを知った。騙されたような気がしたが後の祭りだ。

家の仕事が忙しかったのは12月までで年が明けると仕事はバッタリ来なくなった。このままでは食べて行けないので職を探さなければならない。もう名前のことなどなどはどうでもよくなった。就職するのには父母と同じ姓の方が都合がいいと考え直した。

母は私が貯金をいっぱい持っていると思っていたようだ。衣食住は支給されるが月給は5,000円だ。その内4,000円を約4年にわたり毎月家に送金し続けていたのだから貯金などある筈がない。一方母は月々4,000円も送って来るのだから給料を沢山もらい貯金もいっぱい持っていると思ったらしい。母は私が文無しだと知ると家を出ることに反対はしなかった。20歳になった私は、遅まきながら親孝行ごっこの夢から目を覚ました。

「親孝行ごっこかよ」と先輩。
「そうですね。ままごとの孝行息子役です。何も考えていませんから」
「そう言えば昔は家の犠牲になっても親孝行するのが当たり前と思っていたな」
「話は変わりますが、オフクロの教育に失敗しました」
「母親の教育? なんだそれ?」
「パチンコを止めさせて真面目な母にしたかったのです」
「そうかい」

「また話変わりますが、もしアメリカの大統領になれと言われてら断ろうと思うのです」
「アンタが大統領。冗談とは思うけどバカバカし過ぎて笑えないね」
「万が一でもなれないと言うのですか?」
「俺忙しいんだ。もう止めよう」
「トランプ大統領だってなれないと言われましたね。彼と私はどう違うのですか?」
「沢山あり過ぎて数え切れないよ」
「共通点はその百倍も千倍もありますよ」
「聞いてやるから言ってみな」
「食べてウンコして寝る。テレビ観て音楽聴いて本を読む。目があって、口があって……」
「ちょっと待て、トランプ大統領と同じ人間だと言ってるだけじゃないか」
「いけませんか」

毎週土曜日更新、次回は1月28日更新。
再び幼児に戻り「吹き込まれた記憶」。ご訪問をお待ちしています。
タグ:札幌 渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 幼児時代
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