2017年07月01日

管制官採用試験の思い出

1964(昭和39)年は東京はオリンピック景気で浮かれていた。私もしっかりと便乗、好景気に押されて航空管制官採用試験に受かってしまった。中卒で短大程度の試験を受けるのだから3年はかかると考えていたが、体験のつもりで受けたら合格してしまったのだ。実力など無いのだから運が好かったとしか考えられない。

先ずは時の運である。時代は東京オリンピック景気のさなかにあった。民間と比べて公務員、特に国家公務員の給料が著しく安いので人気がなかった。それでも贅沢しなければ食えるのだ。私にとってはそこが肝心。職を転々としてきたので安定こそ全てと考えていた。それで中級職の航空管制官採用試験を受けることに決めたのである。

理由は前回も書いたが20歳から27歳までの男子なら誰でも受けられること。しかも専門試験は英語だけだから頭が悪くても時間と熱意さえあれば合格出来ると考えた。インド通信東京支局にいても電話も滅多にかかって来ないし来客もほとんど居ない。しかも支局長はほとんど取材に出ているので留守番のようなものだ。自由時間はたっぷりある。それに私は公務員にならなければ生きて行けないのだから熱意も充分である。

他の専門試験なら学校に行く必要があるが、英語なら本とノートとラジオがあれば一人でも勉強できる。27歳まで受験資格があるので5回は受けられる。学校に行く金もないし肉体労働も出来ないのだから合格するまで受けるだけだ。極めて困難だがそれしか生きる道がないのだから話は簡単だ。迷いがなければ精神も安定し目標に向かって一直線に進める。仕事中も含めてすべての時間を英語の勉強に使うことに決めた。

勉強の中心はラジオ英語講座、事務所には机があるから勉強しやすい。テレタイプで送られてくるニュースの配信はのんびりと都電に乗っての配達だから車内や停留所でも単語の暗記などはできる。このようにして仕事中でも90%以上の時間を勉強に使えた。仕事が楽なこと時間に余裕があること。この二つの幸運が私に希望を与えてくれた。

退社後はトイレや食事時間を含め全てを勉強にあてた。疲れて横になったら何も分からないのに米軍のラジオ放送を聞いていた。Far East Networkという言葉が頻繁に出てくるが私にはファー・イースト・ナポリとしか聞こえない。聴いて分かった英語はドライブ・セイフリーとセイブ・ユア・マネーくらいである。アメリカ兵にはこの二つが大切なのだろう。

英語に集中したお蔭で悩みが消えた。病気で働けなくなって死ぬという妄想から解放された。気分が安定し充実した毎日を送ることが出来たのである。英語も教養試験も難しくて分からなかったのに、何故か試験に合格した。出来たのは多めに見積もっても半分くらいだった。実際は半分以下かも知れない。ともかく運がついたのだ。

最初の9ヶ月は羽田の訓練所での研修だが外国人留学生が一人居た。発展途上国の若い空軍中尉だった。彼は日本語が出来ないので休み時間には英語で雑談をするが、我々日本人研修生でまともな英会話ができ出来たのはアメリカの航空会社から転職したB君だけだった。出来ない私たちはみっともないカタコトで語り合い笑いあった。

それから約30年後のことだが、国内某所で管制に関する国際会議があった。かってのカタコト同期生がいつの間にか英語ペラペラになっていたのでびっくりした。大勢の前で堂々とスピーチをするし、懇親会では外国人管制官相手にホストとしての役目を立派に果たしていた。その機関では彼が所属長で私はヒラ、つくづく地位は人を作ると感じた。一方私は「枯れ木も山の賑わい」の木々の様に会場片隅の席に植わったままだった。

暇に任せて昔のことを思い出していた。失業していたのに運好く定職につけた。全ての社会環境が私の味方だった。餓えている時に天から飯が降って来た様なものだ。ノロマで体力がないので何処に行っても勤まらず職を転々としていたが、インド通信東京支局で働くようになってから運が向いて来た。支局では英語も少しは必要と言うことで大学生のアルバイトとして引き継ぎられて来たが兄が辞める時に私を入れたのだ。これも運。

人手不足は極まっていた。コツコツ一人勉強の私にまで知人を介してロイター通信社から声がかかったほどだ。それは大卒職種でないので大卒は採れないという理由からだった。しかし高卒の資格は必要と言う。中卒はホントにつらい。知人は私が管制官採用試験を目指して勉強していることを知っていたので高校ぐらい出ているだろうと思い込んでいたらしい。知人も私もガッカリした。

話しは戻るが管制官試験には60名が合格したのに半数くらいしか入って来なかった。しかも研修中に2名辞めたので半分しか管制官にならなかった。これらは後で分かったことで、当時の私は手放しで大喜びしていた。自覚していない才能が受験に触発されて芽吹いたとか勘違いをした。愚かな私は次の目標は上級職試験とか高望みした。

運が好過ぎて英語も身につかない内に採用されてしまった。それなのに目標達成ということで勉強する気がなくなった。根が怠け者の私は公務員なら病気になっても首にはならないだろうと安堵してしまったのだ。本当はそれからが勉強なのに困った性格である。

私は運動が苦手で碁将棋麻雀等のゲームも出来ない、しかも虚弱体質でノロマで音痴だ。それでも仕事が出来れば生きられるが、そんなことはあり得ない。それなのに安定した職に就き定年まで勤めることができた。現在は苦手な仕事からも解放されて幸せに暮らしている。私のように運のいい人はいない。

運悪く現在苦しんでいる人も多いと思う。そのような人たちにとって、私のような低学歴、低体力、低脳力の人間が幸せにノホホンと暮らして居るのを見ると目障りで腹が立つかも知れない。でも勘弁して欲しい。人生最大の苦しみに遭う日も近い。それまでのホンの一瞬のことだから。私はセミ、長い間真っ暗な土の中に居た。そして今、温かくて明るい緑の大地で大木にへばり付いて歌っている。ミーン、ミーンミン♪

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:都内某所
posted by 中波三郎 at 09:41| Comment(0) | 在職時代
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