2017年03月11日

合衆国空軍ワシントンハイツ団地

「灰燼に帰した東京に忽然と姿を現した『ワシントンハイツ』へ。私は時空を超えて、その記憶を辿る旅に出た。アメリカ化の原風景−−。すべてはここから始まった」
と秋尾沙戸子さんは新潮社発行の『ワシントンハイツ』に書いている。

「先輩! 決心しました。私も時空を超えて記憶を辿る旅に出ます」
「ああそうかい。行き先はワシントンハイツ。記憶の旅なら運賃も無しか」
「私の原風景がそこにあるのです」
「だけど入ったことないんだろう。受け売りはダメだよ」
「ハイツの住民は外にも出てくるのです」
「ほぅ、国際交流でもあったのかい?」
「まぁ、何と申しましょうか。なにぶん占領下の日本ですからね」

10歳の私は金が無い。楽しみと言えば街をぶらつくくらいだ。宮益坂を歩いて下り右折すると渋谷公会堂がある。そこで無料の浪曲を聞き、少し歩いてワシントンハイツに行く。そして金網にへばりついて中を見る。そこには浪曲とはガラリと変わった夢の世界が広がっている。グリーンの芝生にしゃれた住宅、赤、白、グリーンの乗用車がある。カラフルなシャツとジーンズ姿の少年がエンジン付きの模型飛行機を飛ばしていた。

「少年を見ていると恐怖の体験を思い出しました」
「恐怖とは大袈裟だな」
「殺されるかと思いましたよ。震えて歯がガチガチです」

青山学院中等部辺りの荒れ地で一人で遊んでいたら、突然、鉄棒を持ったアメリカの少年が現れて意味不明なことを叫んで鉄棒を振り回した。恐怖に駆られて逃げ出したら追いかけて来た。全力で走りながら振り返ると姿が見えない。ホッとしていると実践女子大の塀を乗り越え、私の前に現れた。相変わらず鉄棒を持っている。

怖くて逃げると追いかけて来る。何とか振り切って常磐松小学校付近にある馴染みの文房具屋兼駄菓子屋に逃げ込んだ。恐怖に震えて歯をガチガチさせながら「アメリカ人に追われている」と訴えると。文房具屋の爺さんは血相変えて「すぐに出て行け!」と怒鳴った。怖いから出て行かないでいると、爺さんは馬鹿力を出して私を押し出した。

ノートを買うと飴一個オマケしてくれたりして、好いお爺さんと思っていたのだが、アメリカが絡むと態度豹変だ。後で考えれば関わりたくない気持ちも分かる。占領下だから仕方がない。アメリカ人相手では警察も何も出来ない世の中だった。

「ワシントンハイツの話ではなかったのか」
「ハイツの少年がフェンスの向こうで好かったな、と思ったのです」
「なんで?」
「少年は柵の中に居るのです。外に居る私を苛めることはできません」
「情けなくないか」
「動物園で虎を見る人は皆そうでしょう」

ワシントンハイツとは戦後に突如として現れたアメリカン・ドリームの世界。それは渋谷区代々木に建設された合衆国空軍ワシントンハイツ団地(U.S. Air Force Washington Heights housing complex)のこと。明治神宮に隣接したアメリカ村は、終戦1年後の1946年に建設され東京オリンピック開催の1964年に返還された。跡地は整備され、NHK放送センター、代々木公園、国立代々木競技場等に変わっている。

広大な敷地に造られたワシントンハイツの存在が10歳の私の人格形成に大きな影響を与えた。青山学院横の道路を金髪をなびかせた女性が運転する赤いキャディラックが走り、パカパカ歩く荷馬車も通る。極端な燃料不足が荷馬車を復活させたのだ。否応なくその差を見せつけられた。オマケに私たちが住んでいるのは焼けトタンの粗末なバラックだ。

夢と現実が交差する世界で、子供たちは空腹と貧困の現実と戦いながら夢を見た。ジープも小型トラックの様なウエポンキャリアも見飽きた。子供たちの憧れはカラフルなアメリカの乗用車へと変わって行く。今覚えているだけでもフォード、シボレー、ビュイック、キャデラック、スチュードぺーカー等、スラスラと口から出て来る。しかし、貧しい自分が20年後に車を持つ身になるとは想像できなかった。

子供の頃は道路脇で「車種の当てっこ」をして遊んだ。誰が一番先に見つけて車種名を発するか競うのだ。フォードやシボレーはありふれていた。珍しい車をみつけると「キャデラック!」とか思わず大声をあげる。ビュイックやスチュードぺーカーの場合も同様だ。夢は車だが自転車も買えないのが現実だった。

車はもちろん、すべてのアメリカ化はワシントンハイツから始まっている。日本人立入禁止の場所は文明の国、アメリカのショーウインドの役目を果たしていた。極貧の私たちにとっては、決して買えない超高級品のウインドウショッピングをしているような気分だ。夢の世界を前にして腹を空かしていた。遠い異国に憧れた私に出来ることはワシントンハイツの金網にへばりつくことと洋画を観ることだけだった。

「腹がへっているのに映画を観るのか」
と先輩は細かいことを気にしている。
「そんなもんですよ」
「映画観る金で食い物を買えばいいじゃないか」
「いいじゃないの今がよければ。両方できる時もあるんですよ」

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 小学時代
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