2017年04月15日

古き渋谷に似た山鼻

中島公園近くのマンションに転居して約16年たった。1ヵ所に定住した期間としては、76年にわたる人生で最長である。だから第二の故郷のように思っている。では本当の故郷は何処かと言えば、それがなかなか難しい。

生れたのは横浜市内だが3歳までだから全く記憶がない。4歳から5歳にかけて栃木県内と福島県内へと2回の疎開。そして神奈川県の大船で終戦を迎えた。この辺りは断片的な記憶しかない。更に大船の違う場所に移住し、6歳のとき東京に移住した。この頃から記憶がハッキリし始めている。それで渋谷区金王町を故郷のように感じている。そこには6歳から約10年間住んでいた。他に故郷と思う場所はない。

なお渋谷には15歳から23歳までの間は出たり入ったりしながら3年くらい暮らしていた。計13年くらい渋谷に居たことになる。そして東京オリンピックが開催された1964年にやっと定職を得ることが出来た。職を転々とすることがどんなに不安定で辛いかは充分承知していたので、苦手な仕事だが定年まで勤め上げた。それからは自由な人生を心から楽しんだ。

ところで、中島公園の南西部に山鼻と呼ばれる地域がある。そこは道路の向きが微妙に違うのだ。磁方位、真方位との違い等諸説あるが別々の基準で道路が造られたことは確かだ。東本願前停留所から山鼻9条方面を見ると線路が曲がっている。
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画像は市電「東本願寺前」停留所。旧山鼻地域の碁盤の目と旧札幌地域の碁盤の目は方位がずれている。この二つを繋ごうとすれば曲線になる。言い換えれば曲がった場所が旧札幌と旧山鼻との境界線である。線路の曲がりが札幌の歴史を語っている。

話は横道にそれたが私が書きたかったのは16年前に中島公園近くに転居してビックリしたことだ。それは私が故郷と思っている終戦後の渋谷と余りにもよく似ていたことである。遠い昔に思いを馳せてアチコチ散歩した。とても懐かしい。

改めて転居して好かったと思った。感激のあまり此処を故郷と定め挨拶代わりに地域貢献をしようと思ったがなかなか上手く行かない。いろいろ手を付けては引っ込めた。その中で何とか続いているのが中島公園に関するウェブサイト「中島パフェ」である。
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山鼻から札幌市を見ると街のつくりが渋谷に似ていると思う。都心からの位置関係だが大通中心街から薄野、山鼻へと続いている。これは渋谷駅周辺の繁華街から花街といわれた円山町、それに隣接する松濤の高級住宅地との関係に似ている。ともに都心から歓楽街を抜けると住宅地になっている。

故郷を感じさせるもう一つは住処と路面電車停留所の位置関係である。両方とも徒歩2分の位置に停留所がある。子供の頃は毎朝ガタンゴトンチンチンという都電(路面電車)の音で目を覚ました。「青山車庫前」に停車して発車する都電の音である。隙間風の入るバラックには音も遠慮なく入って来た。今も市電「行啓通」停留所の近くに住んでいるが二重窓でコンクリート造りの共同住宅だから電車通りの音は聞こえない。

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故郷と山鼻はよく似ている。停留所のすぐそばに”ほねつぎ”をする「整骨院」があるところまでそっくりなのだ。60年もたってから、また同じ様な場所に住むとは夢にも思わなかった。路面電車のある風景が似ているのかも知れない。子供の頃は線路に釘を置いて電車に轢かせ平たい釘を「製作」する遊びが流行っていた。今だったら大騒ぎになるだろう。

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砂利道が細くなったり行きどまったりする。札幌には今でもこんな道があるのかとビックリした。そして懐かしく感じた。60年前にタイムスリップしたような思いだ。正面のビルを除けば子供の頃渋谷で見ていた風景にそっくりだ。

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同じ道を反対側から見るとこんな感じ。右側の暗い家に懐かしさを感じた。つくりは頑丈そうだが子供の頃住んでいたバラックと似ている。前を見ても後ろを向いても道は細くなったり太くなったり曲がったりしている。この点は終戦後に私が住んでいた渋谷区金王町と似ている。そこは何年か過ぎて区画整理事業が実施され道路は真っ直ぐになった。現在の山鼻の姿は懐かしいけれど不思議だ。区画整理が出来ないのだろうか。

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これは山鼻で見た火事による焼跡だが、焼け残るものは戦災の時に似ている。戦災被害者の最初の仕事は焼トタン等焼跡の廃材を利用してバラックと呼ばれた仮小屋を建てることだった。山鼻界隈に転居して多くの懐かしい風景を見ることが出来た。私は焼跡や不規則な砂利道、あばら家を見ると心が反応する。子供のときに心に刻まれたものが大人になって記憶としてよみがえるのだろうか。これが私の原風景かも知れない。

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見事に傾いている小屋も私にとっては懐かしい。子供のときは見慣れたものだが、今では滅多に見られない。これが市電の停留所から見えるなんて感動的だ。

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札幌まつりの日、行啓通では地元の祭りが行われた。ちょっと寂れたような街の感じが懐かしい。皆が協力してつくる手作り感のある祭りを見て遠い昔を思い出した。終戦後しばらくして職人・商人が協力して戦災で焼失した御神輿を新たに作り祭りを再開した。

御神輿は建具屋や大工が中心になって作ったが、ブリキ屋やペンキ屋も参加した。我家は経師屋だから出番が無いと思っていたら、御神輿に障子を付けてくれた。町内会が全員参加に拘ったのだ。軍国主義を反省し、誰もが民主主義とか男女同権を口にする良き時代だった。町内会も「明朗会」と言う名称だったと記憶している。
タグ:札幌 渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 高齢時代
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