2019年05月04日

私の一番長い日(前編)

今はノンビリ暮らしているが、60代はいろいろあった。ああ、くたびれた。2008年2月14日は波乱万丈。「短編ドラマ」のような一日だった。なんでこんなことになってしまったのだろう。13日夕方、中島公園近くの病院での話である。

「今すぐ入院ですか。それは困ります。明後日ではダメですか?」
「直ぐ入院して下さい。外出はしてもいいですよ」
即入院の緊急性と、「外出はしてもですよ」というおおらかさ。この落差は一体なんだろう。私にはピンとこなかった。

ともかく、パソコンや電話で連絡しなければいけないことが山ほどある。外出できれば家に帰れるので全てを処理できるのでホッとした。この時は、明日が私にとって「いちばん長い日」になるとは夢にも思わなかった。

運命の2月14日の朝はバス・トイレ付きの個室で始まった。まるでホテルのシングルルームのようだ。広さも調度品も充分である。うるさい同居人の居る我家より快適だ。

当時は退職して自由の身になったばかりだったので張り切っていた。恥ずかしいから書かないが何でも手を出した。つまり毎日のように出番と締め切りがあったのだ。ジッとはしていられない。突然の入院について多数の関係者に知らせなければならない。メールの下書きを手帳に書いていると何か音がする。ドアがノックされているようだ。

「おはようございます。担当のA(看護師)です。酸素吸入の可能性があるので個室に入ってもらいました。何か心配なことはありませんか?」
「吸入が必要でなくなったら、この部屋追い出されるのですか?」 
一番気になることを聞いた。
「どうぞ退院まで使って下さい。部屋割りは私の責任でやっています」
頼もしい看護師さんだ。

太鼓判を押されて一挙に夢が膨らんだ。「よ〜し、ここを書斎にしてバンバン書いたるぞ」。病気で入院していることなど忘れて、気分も上々だった。さっそく、妻に電話してパソコンとか持ってきて欲しい物をアレコレお願いした。ブツブツ言っていたが、何とか説得する。

朝の9時から11時までの2時間は点滴中だった。妻が来て頼んだ荷物を置くと「寂しくなければ帰るからね」と言うなり私の返事を待つことなく、さっさと出て行ってしまった。まもなくデパートの開店時間である。なるほどと思ったが、これが「一番長い日」の始まりになるとは夢にも思わなかった。

後編へ続く、更新は5月11日(土)、よろしくお願いします!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)
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