2019年05月11日

私の一番長い日(後編)

私の入院第一夜は素晴らしい個室で始まった。酸素吸入の可能性があると言うことで個室が割り当てられたのだ。病状は特に息苦しくもないので嬉しかった。午前の点滴が終わると、妻に持ってこさせたパソコン等の荷物を使いやすいようにセッティングした。

身体はきつかったが、こうしていると夢がドンドン膨らんできて楽しい。まるでホテルにカンヅメにされた締め切り前の人気作家のような気分だ。すっかり空想モードに入ってしまった。ドアをノックする音が聞こえる。「おやっ、編集者かな?」と、一瞬の勘違い。

先ほどの看護師さんだ。言いにくそうに、アレコレ話していたが、けっきょくは「酸素が必要な人が来たので、直ぐに出て欲しい」と、いうことだ。何たることだ! 太鼓判を押したばかりではないか。しかし、命に関わることに変更はあり得ない。諦めるより仕方がなかった。

夢はあえなく萎み、忙しさに拍車がかかった。とにかく移動準備だ。広い個室に散らばった荷物を一ヶ所にまとめると、昼食の時間もない。食欲もないけれど、なんとも忙しくてやりきれない。大急ぎで6人部屋へ移ったが疲れ切ってヘトヘトだ。

増えてしまった荷物でベッドのまわりは足の踏み場もない。ともかく、隣の人に挨拶をした、「はじめまして、よろしくお願いします」と簡単にすますと、
「宍戸譲二です。84歳です」と、丁寧に応じられたのでやり直し。
「中波三郎。67歳です。風邪をひいてこの病院に来たら検査して、即入院となりました」
「そうですかぁ。お客さん少ないからね〜」
「……?」

昨日の院長先生のセリフ、「直ぐに入院。外出はいいよ」を思い出した。肺炎と言って見せてくれたあのCT写真の白い影は、加工したのだろうか。画像処理ソフトの「ぼかしツール」を使えば私でも出来る。一瞬、こんな疑問が頭をよぎった。

もうクタクタのヘトヘトだ。午後の点滴をしながら眠ってしまった。目が覚めると17時。入院しても忙しいのに、点滴の落ちる速度がやけに遅い。20時からは地元のFMラジオに出なければならない。時間が気になってイライラした。

胸もムカムカした。点滴が終わると18時になってしまった。食欲が全くないのだ。食後の薬の為、少しだけ食べてみたが味が無い。砂を噛むよなとは、こんなことかと思った。とにかく、地下鉄中島公園駅から地下鉄に乗って、放送30分前の19時30分までに円山のスタジオに行かなければならない。ケチな私はタクシーの利用を思いつかなかった。

やっとの思いで受け持ちの放送を終わらせて家に着くと22時、やることがいっぱいある。電話連絡は病院に帰ってからでも出来るが、メールはネットが使える今夜の内にしなければならない。とにかく破らなければならない約束が山ほどある。外出許可を受けているのに、時間がないと焦っている。判断力が鈍っているのだ。「入院するから行けない」とだけ書いて送るのが精一杯と思った。いろいろ気にはなるのだが疲れて寝込んでしまった。

目が覚めたら夜中の3時、とにかくメールを出さなければならない。なにぶん前触れ無しの入院だから簡単な説明が必要だろう。しかし、どこの誰に何を書くかがまとまらない。考える時間はないので、所属している団体500人宛てのメーリングリストに流してしまった。こうして長い長い一日が、日にちをまたいで終わった。

役目があって毎日のように出番と締め切りがある暮らしは有意義で楽しい。体内には義務感の虫とハシャギ過ぎの虫が同居している。普段は別々に動いているからいいのだが、義務感虫とハシャギ虫が一緒になって動くと大変だ。ハシャギ虫には理性がない。こんな時は倒れる。今はノンビリと穏やかに暮らすように心がけている。朝起きると気分は良好、幸せ感いっぱいだ。ただし腰と頭が痛くなくて咳が出なければね。
posted by 中波三郎 at 16:53| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)
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