2019年08月17日

航空事故3-記者団が抗議

小説とかドラマが好きなのは、フィクションの中にしかない、真実に出会えるからである。一方、私が書くのは自分の曖昧な記憶と直接耳にしたことだけで、事実を示す裏付けが無い。それでも自分が思う真実を伝えたい。それでフィクションというオブラートに包んで語ることにした。根拠のない思い込みで人様に迷惑をかけることは避けたいと思う。

A空港での業務は何から何まで異常だった。一応、A市が管理する空港とはなっていたが、人的にも物的にも体制が整っていなかった。今なら有り得ないけれど、55年も昔のことだから仕方がない。1945年の敗戦で日本の航空業界は既に壊滅していて、再開したと言っても発展途上のヒヨコ程度だった。

元々この空港は緊急着陸に対応できない。故障した航空機が高度を取れなくなり、周囲の山脈を越えられなくなったのだ。当該機が陥った状態は草原に不時着するのに似ていた。ただ滑走路があることと何人かの係員が居ることだけが違っていた。

旅客機が緊急着陸すると言うのに、大きめの消火器を手押し車に載せて一人で滑走路に向かっている人を見た。まるで戦車に向かって竹槍を構えているような感じだ。胴体着陸に対応するには化学消防車が必要である。皆が想定外の出来事に遭遇して、右往左往していた。手に負えなくても何もせずには居られない心理状態に陥ったのである。

A空港出張所は鍵をかけて建物内立入禁止とした。もちろん忙しくて手が回らないことは確かだが、やましいことがなければ記者たちを中に入れても問題はない。見せるのも取材協力だが、見られたり聞かれたくないことがあるから鍵をかけて閉鎖したのである。

結局、正しい情報は東京が先に得ることになり、現地の記者たちは面目丸つぶれになった。後日、現地記者団が抗議のために出張所に押しかけた。そして口々に取材拒否はけしからんといった。

意外にも所長は平然としていた。そして大勢の記者を前にして「あなた方は出張所開設の時、挨拶に来ましたか」と逆質問した。記者たたちはキョトンとしていた。私も挨拶とはこの期に及んで何を言うのかと思った。しかし所長の言うことにも一理あった。

緊急事態で忙しい時は関係者とか記者とかは顔を見て判断している。顔を知らない人を記者と名乗るだけで入れる訳には行かないと、所長は言った。結局、お互いに連携を密にして緊急事態にも対処しようと言う前向きな話になってしまった。意外も意外、こんな言い訳がスンナリと通ってしまったのだ。

本当は事故の痕跡を消したり、口裏合わせなど、いろいろあったが伝聞だ。私が聞いた話が事実とは限らないので具体例を書くことは出来ない。記者団からは更なる追及はなかった。隠蔽の事実を裏付ける情報を持っていないのか、抗議活動が一定の効果を挙げたので良しとしたのか分からない。

大まかな事実関係は一応明らかになったが、具体的な隠ぺい行為は闇の中となった。以上は、今78歳の私が24歳の時、A空港着任二ヶ月の新人の時に遭遇した事故の記憶である。機長の冷静な対応で着陸後火災も起こさせずに死傷者ゼロ、まさに歴戦の機長(旧軍出身)の腕だけが頼りの緊急着陸だった。壊れた機体は後日、解体し撤去された。
タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 定職時代(24-60歳)
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