2019年08月24日

さらばA空港出張所

前回書いた事故については後日、週刊誌に「A市上空、恐怖の3時間」と言うような見出しで記事になった。今、忘れ去られているのは死傷者がゼロだったからだと思う。ところで事故直後、若い副操縦士は機長の冷静な対応を興奮しながら称えていた。機長がこの程度のことは戦争中は日常茶飯事だ、と言っていたことを今でも覚えている。

1年余りの勤務だが事故はいろいろあった。着陸に失敗してプロペラ破損、ヘリコプターが低空で浮力を失いドスンと落ちて破損、悪天候で着陸禁止の空港に緊急着陸もあった。雲の切れ目に滑走路が見えたので運を天に任せて着陸を強行したと言っていた。

空港は低い雲で覆われ着陸禁止、雲の中からヨロヨロしながら出てくる軽飛行機を見てビックリした。命拾いしたばかりの人の話を聞くのは、これで二度目である。以後このような経験は一度もない。小さな空港だから興奮冷めやらぬ事故後の肉声を聞けたのだ。

A空港に赴任して1年余りで転勤することになった。私の希望が叶ったのだが、空港出張所の人たちにとっては面白くない事態だった。いくら面白くないと言ってもやってはいけないことがあると思う。その頃、普通免許を取得するために自動車学校に自費で通っていた。私が知らない内に退学手続きがとられていたのである。

着任早々、転勤希望を本省に出していたことがバレたせかも知れない。一種の腹いせと思う。面倒見たのに裏切ったと思われたのだ。私が自動車免許を取りたいと言ったとき、所員一同とても喜んでくれ、全面的に協力してくれた。私は内緒で転勤希望を本省に出していた。しかし、直ぐに転勤できるとは思っていなかった。

同僚たちは空港の普通車を使って実技訓練の手伝いをしてくれたのだ。A市は農業の中心都市だから、私有地の農道で運転している人が、道路でで運転するために自動車学校に来る。実技でモタモタするのは、初めて運転する私ぐらいだ。多くの運転できる小母さんたちが街に買い物等の用事をする為に、免許が必要と考えて学校に来るのである。

小さな職場ではお互いが職種を超えて協力しなくてならない。免許取得者が少なかったので仕事のために取ると勘違いしての協力だった。仕事上の必要から無免許で空港内を運転することは多い。一方私はこんな暇なタワーに居たら、いつまでたっても仕事を覚えられない。万一の失業に備えて免許が必要と考えていた。

本人に断りなしで他人の意向で退学をさせられるなんて、頼む方も頼む方だが受ける自動車学校もどうかしている。ここでは私の常識では考えられないことが起こる。ともかく転勤できて有り難い。新任地で文字通り新人として一生懸命ガンバって仕事を覚える覚悟をした。仕事抜きで安定した生活などあり得ない。仕事、仕事、今度こそ仕事。
タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 定職時代(24-60歳)
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