2019年11月02日

病院天国退院地獄

前途に希望を持てるほど幸せなことはない。希望とは病気が治って健康になり、更に強い体になることである。やっと夢を持てた。入院した舞鶴地区病院は、私にとっては極楽のようだった。まだ治療も受けてないのに、全てが解決したような気分になった。

三日目には悩んでいた自覚症状がない。毎晩悩まされた金縛りが嘘のようになくなった。奇跡みたいだが症状を感じた記憶がない。そして息苦しくもならない。訓練をやらないのだから当然だが、徐々に快復して行くように感じて嬉しかった。

看護婦さんは優しいし、患者の隊員もいろいろ話し相手になってくれる。食欲も旺盛になった。不思議なことに、どんな治療をしたか覚えていない。15年の人生で一番楽しい1ヶ月となった。退院したのは6月のことで、まだ3ヶ月の訓練期間が残っていた。

退院して訓練に参加すると入院前よりも更に苦しくなった。快復したと思ったが大間違いだ。相変わらずの息苦しさと金縛りに悩まされた。そして周囲の目も一段と厳しくなった。

後で知ったことだが、入院させてくれた医官は、やぶ医者との評判だった。診察しても何の病気か分からないと「心臓脚気」と診断して地区病院に送り込む。だからその病名で入院すると怠け者とのレッテルが貼られる。私は金縛りが何かを知らないので、このままでは死んでしまうと思って懸命に訴えた。その迫力が彼に診断書を書かせたのだと思う。

退院後は怠け者として多くの同期生と教員に無視され、一部の教員からは徹底的に苛め抜かれた。数人の怠け者の内、半分が苛めの対象となった。残り半分は気の荒い不良だから苛められることはない。気の強い筋金入りの怠け者である。

ただ救われたは、私の班長だけは、あくまでも優しかった。彼はミッドウェー海戦とレイテ沖海戦に参加し、九死に一生を得て生還した、30歳半ばの歴戦の勇士だった。「わしは死にぞこないだから、人の辛さはよく分かる。お前が真面目なことは分かっとる。もう少しだから辛抱せい。次は術科学校だから勉強で頑張れよ」と励ましてくれた。

6ヵ月で舞鶴練習隊の訓練は終了するが、ここまでは試用期間で本採用ではない。私は落ちこぼれだから辞めさせられても仕方がない立場だった。首になったら不安定な肉体労働しかない。健康保険もないので生きられる保証がない。幸い、上の人たちは生徒隊員数123名、イチニサンに拘った。凄く縁起の良い数と思っていたようだ。事ある毎にイチニサンでガンバレと言っていた。いつもギリギリのところで運がついてくれた。
タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 転職時代(15-23歳)
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