2020年06月20日

ボッタクリ

夜の街でのコロナ感染が話題になっているとき、何故か60年以上前のことを思い出した。キーワードは新宿の夜の街。独身の頃はどうしようもない淋しさに押されて、夜の街を一人でふらついたこともあった。そんな時、若い女性に「良い店あるから行ってみない」と声を掛けられた。

新宿の夜は初めてだ。先ずは、お手軽なスタンドバーにでも入ろうかと思っていた。そのことを呼び込みの女性に言うと。「ちょうど好かった。500円ポッキリよ。案内してあげる」と言った。ところで、19歳で失業して、4年ぶりに渋谷に帰って来たが懐は寂しい。それまでは仕事で地方都市を転々としていた。

路地裏をしばらく歩いたが、店の前で入店を躊躇した。小汚い店は嫌いなのだ。突然、ドアが開き赤ら顔したオジサンが飛び出して来た。「坊や、こんな店に入ったらダメだ」と言って走って行った。私もつられて走ったが誰も追いかけてはこなかった。

危うくボラれるところだったが、ポケットには千円札2枚と小銭だけ。全部取られてもボッタクリ料金には届かない。こんな時にボッタクラレ・オジサンが現れるなんて、なんと運が良いことだろう。早すぎても遅すぎてもボッタクられる。見知らぬオジサンに感謝。

酒飲む習慣がついたのは、艦隊勤務がきっかけだった。先輩から酒を勧められて断る勇気はなかったし、未成年を理由にすれば、飲んで仕事も一人前になれと言われるだけだった。最初は連れられてだが、一人でもバーとかに行くようになった。いろいろ理由はあるが、一番の理由は金余りである。

15歳で月給5400円で、毎月4000円を家に送金した。残り1400円といっても自由に使えるお金は500円程度だ。少しは昇給もあったが、大幅アップは艦隊勤務になった時だった。

乗船手当、航海手当等があるので月給は一挙に1万円以上にアップした。自由に使える金は500円程度から5000円程度へと10倍になった。映画を観て、ぜんざい食うぐらいでは使いきれない。何か買っても狭い艦内には置く場所がない。

家が貧乏なので、家族の生活を支える為の送金が主な支出だった。貯金する余裕がなかったので、18歳になっても貯金通帳も持っていなかった。もちろん、貯めれば纏めて家に取られてしまうという心配もあった。貧乏な家とはそういうものだ。

突然の収入アップで、飲み歩く習慣がつき、失業して懐が寒くなっても、夜の街をぶらついていた。歩くだけのつもりでも「5百円ボッキリ」とか言われると、ついフラフラとついて行ってしまった。

金余りでも素寒貧でも、結婚するまで夜の街をぶらついていたが、不思議なことに1回も怖い目に遭ったことがない。新宿のボッタクリもオジサンのお陰でセーフ。運だけは好かった。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:都内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 転職時代(15-23歳)
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