朝だ夜明けだ潮の息扱き うんと吸い込むあかがね色の 胸に若さの漲る誇り 海の男の艦隊勤務(作詞:江口夜詩)と、歌にあるように、少年にとっては素晴らしい艦隊勤務だった。
辛かったのは初めての航海で船酔いした時だけ。その後は修理艦として2ヶ月ばかり、ドックに入った。飲まず食わずで痩せ細った私にとっては地獄で仏である。砲弾・燃料を降ろしての、乾ドック入りだから、地震にでも遭わない限り揺れる心配もない。
食事もトイレも造船所のを使用。何よりも有難かったのは、ドブ板並べたようなトイレから解放されたこと。フネでは大便するのに横一列に並んでするのだから嫌になる。
仕切りの無いドブで、ドブ板に尻をつけて用を足す感じだ。ウンコを流す水がドブのように流れていて、階級が下の私は、いつも川下に座らなければならない。全てのウンコが私の尻の下を通過する。早もん勝ちで、上流に座っても良さそうなものだが……。
米軍払い下げの駆逐艦で一番嫌なことは、このドブ板トイレだった。狭い艦内を考えると、合理的な設計ではあるが日本人なら思いつかない。日米文化の違いに驚かされた。気に入ったのは、アイスクリーム製造機があって、無料で食べ放題だったこと。
ドックに入ったのは台風で損傷を受けた第5護衛隊の2隻(あさかぜ、はたかぜ)だった。生徒と呼ばれる少年隊員は、合わせて10名くらいが実習生として乗艦していた。
名目は実習だが、普通の乗組員と違うところは、7ヵ月したら術科学校に帰ることだけ。特別な実習スケジュールがあるわけでもない。新人として仕事を覚え、当直に入って働くだけ。分かり易く言えばアルバイト店員のようなものだった。
航海が終わってドックに入ったら急に暇になってしまった。修理中の乗員の基本的な作業は船体の錆うち作業だが、通信業務は24時間休みなく続く。だだし、業務量はかなり減った。オマケにエライ人は休暇等で居ないので、気楽な当直勤務だった。
艦内は居住区も電信室も極端に狭い。食って仕事して寝る以外は、何も出来ないスペースだ。そのような状況の中に、暇で懐に余裕のある同期の少年たちが暮らして居た。
親元を離れて、しかも修理艦としてドック入りで、上官の監視も緩んでいる。思春期の少年たちは、大人の遊びに熱中した。去年までは外出すると映画を観てぜんざいを食べていたのに、いつの間にかダンスと酒になってしまった。何が起きても不思議ではない。
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