2020年07月25日

横浜ジルバ

何をやっても上手くいかない。歌って踊れれば人生はもっと楽しいはずだが、音痴で運動神経も鈍い。しかし、ジルバだけは昔取った杵柄と思っていたが、これもダメ。何かがおかしい。

所属する高齢者団体の文化祭でダンス・タイムがあった。テンポが早い曲がかかると踊りたがって身体がムズムズしてくる。気配を察したのか誘ってくれた親切な女性がいた。

これは有難いと踊ってはみたものの上手くいかない。運動神経が鈍いのは生まれつきだが、それだけではない。あれから半世紀以上もたっているが、何かが変わってる。

1958年の春、第5護衛隊(旗艦はたかぜ、僚艦あさかぜ)は修理艦としてドックに入っていたので仕事は減っていた。「乾ドック」生活は羽を伸ばす絶好のチャンスだ。エライ人の多くは休暇を取っている。二日に1回は入場料百円程度のダンスホールに行った。そこにはいつも乗艦実習中の同期生がいた。18歳の少年、数人が何となく集まる。

そこでジルバを教えてくれたのが、私と同じ護衛艦、あさかぜ水測員のS君と、旗艦はたかぜのF君だった。水測員は音波によって潜水艦を探知する職なので、音感の好い隊員が選抜されていた。S君は歌も上手いしダンスも得意だ。F君は通信設備の充実した旗艦の電信員でスポーツ万能。ダイナミックに踊るスタイルだ。

残りの同期生はダンスは初めてなので、素直に従った。今思うとかなり動きが激しく自由なジルバだった。片手を繋いで、もう片方は指先を下に向けてブラブラ。右手左手やたらに持ち替え、右に左にクルクル回る。

何も知らない私は、それがジルバと思っていたが、大間違い。話は半世紀後に戻るが、シニアの皆さんが踊っているのは、もっと優雅な感じだ。それは別にしても69歳のジイサンが18歳の気分になってはいけない。恥をかいて当然だ。

最近になって知ったことだが、ジルバは終戦(1945年)後、米軍兵士が踊るのを日本人がまねして踊ったのが始まりと言う。ジターバグ (Jitterbug) が転じて、ジラバ、更に転じてジルバで定着した。そして横浜で流行ったのが横浜ジルバ、通称ハマジル。横浜と横須賀は近い、横須賀とS市は米海軍基地をもつ軍港、S市の若者がハマジルの影響を受けるのはうなずける。

「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」という歌が好きだ。セリフがいい。60年前の軍港、S市を思い出す。時代は違うが歌の背景が似ている。韓国に近いS市に居たのは「港のヨーコ」がリリースされる30年前。朝鮮戦争が休戦になってから5年たつが、戦争の影響が色濃く残っていた。歌は懐かしい遠い昔を思い出させる。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 転職時代(15-23歳)
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