光陰矢の如し、NHKの朝のドラマを観続けて55年。最初に観たのは1965年の「たまゆら」だった。職場で一番年上の所長が昼休みに毎回観ていたので、他にやることもなく一緒に観ていた。
1966年には自分から進んで「おはなはん」を観ていた。それからは、忙しくても苦しくても朝ドラを観た。酒やタバコと同じように毎回観る習慣がついてしまったのだ。もちろん、楽しいから観ている。酒やタバコだってそうだった。
先週の「エール」では戦争中の映画「決戦の大空へ」と、その中で歌われた「若鷲の歌」が話題になっていた。早速、ユーチューブで「決戦の大空へ」を観た。戦争中の作品は、当時の目線で鑑賞できるので、とても興味深く感じている。戦意高揚の宣伝映画としても、戦後の作品では知りえない事実が垣間見える。
そして、思い出したのが、海上自衛隊M練習隊時代のこと。当時、外出時に利用した「日曜下宿」のことだった。私は14歳だが、「決戦の大空へ」の練習生(海軍飛行予科練習生)と同じ年ごろだ。少年等が班員一同で日曜下宿に行くシーンが印象的だった。
下宿先の家族構成はおばさん、お姉さん、その弟と妹の4人。家族と練習生との交流が和やかで楽しそうだった。皆一緒になって食べたり話したり、歌ったりする。
1943年上映の映画だが、それから敗戦、占領下、朝鮮戦争、日本独立、自衛隊創設と、時代は目まぐるしく変化した。そして12年たった。私は日曜下宿にいたが、家族が居る気配はない。私達は日曜の昼しか行かないので、その時間は外出していたのだと思う。なるべく接触しないようにしていたのだ。私は知らなかったが自衛官は税金泥棒と言われる時代だった。
世の中も状況も随分変わったと思ったが、調べてみると、そうでもなかった。ネットで「日曜下宿」をキーワードにして検索したら、陸軍士官学校生徒について、次のようなことが書いてあった。
「日曜下宿で、生徒は、一日中、何をしていたか。いま思い出しても、ただ、ごろごろして飲んだり食ったり、新聞雑誌を読んだりするだけであった」。
それでは「決戦の大空へ」の日曜下宿風景とは何だろう、と考えてみた。何といっても、昭和を代表する「伝説の女優」原節子がお姉さん役だ。彼女を中心に夢を描いていたのだと思う。当時考えられる限りの最高の夢を。お姉さんのピアノ伴奏で練習生たちが「若鷲の歌」を歌うシーまであった。
現実の日曜下宿は士官学校生徒が感じたとおりと思う。猛訓練から解放されたら、外に出て畳でごろごろが一番の楽しみだと思う。夢の世界はドラマの中にしか存在しない。ただ、日常生活でも、ごく稀に夢の世界に浸れることもある。無さそうで有るのが夢。だから人生は面白いのだ。
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