キリコとかサチコとか女性の名の付く歌は多い。どれを歌っても私には似合わない。ただし、チャコだけは別だ。「夜霧に消えたチャコ」は大好きだ。これだけは似合わなくても歌いたい。
カラオケ(ライブダム)の画面を見ているだけでも懐かしい。映画の一部を使用したものと思うが、シーンが変わるごとに1950年代の東京の風景が映っているように見えて、とても懐かしい。ガード下とか省線の線路とか女給さん募集の張り紙とか、一つ一つが昔なじみの風景で、今は無い故郷の思い出と重なる。
チャコも思い出の人。本名は知らないので歌に合わせてチャコとする。掘っ立て小屋の様なスタンドバーをマスターと二人でやっていた。歌にあるような可憐な人ではなかった。意地と度胸で生きている不良っぽい人だが、それが魅力になっていた。なぜか、私に会うのを楽しみにしてくれた。
いつも開店したばかりの6時頃行くので誰もいない。マスターも居ないのでチャコと二人になれた。冷房もないので暑い日は、外で夕涼みしながら話した。チャコは余り笑わないで喧嘩の話をするのが好きだった。ビール瓶叩き割って一喝したら逃げてったとか、聞いていても面白い。
たまたま8時ごろに行ったことがある。チャコは珍しく酔っぱらっていた。アンタ、おどおどしてるからイラつくんだよと、絡んで来た。繰り返し同じことを言っている。悩みがあるらしい。ギターを持った流しがくると、頼まなくていいからねと大きな声で私に言った。
遅くなるとチャコにも流しにも迷惑かなと思って夕方に行くことにした。それで六時の人になってしまった。私は失業中で家の仕事を手伝っている有様だから貧乏丸出しだ。
だからチャコは金を使わないように、気配りをしてくれた。どう考えても客ではなく友達あつかいだった。金も無い、職もないから夢もない。こんなことがなければ淋しいばかりの20歳だった。
だから60年もたった今でも覚えている。私がどん底にいた時に、もう一つのどん底を教えてくれた人。私の知らない厳しくて暴力的な人生を語ってくれた人。ホントかウソかなど問題でない。話していてとても楽しくて慰められた。
これが私の「夜霧に消えたチャコ」の思い出。人には親切にするものだと、つくづく思う出来事だった。された人は何十年も覚えている。私は職を得て遠くに行った。夜霧に消えたような別れだった。会ってお礼をいいたくてもチャコだけじゃあ探しようもない。
チャコチャコ 忘れはしないいつまでも♪
あの日の悲しい悲しいまなざしを♪
夜霧に消えたチャコ
宮川哲夫作詞、渡久地政信作曲
宮川哲夫作詞、渡久地政信作曲
俺のこころを知りながら なんでだまって消えたんだ。
チャコチャコ 酒場に咲いた花だけど
あの娘は可憐な可憐な娘だったよ
夢がないのが淋しいと 霧にぬらした白い頬
チャコチャコ 忘れはしないいつまでも
あの日の悲しい悲しいまなざしを
チャコチャコ 忘れはしないいつまでも
あの日の悲しい悲しいまなざしを
青いネオンが泣いている 紅いネオンも涙ぐむ
チャコチャコ 返っておくれもう一度
俺の切ないせつないこの胸に
チャコチャコ 返っておくれもう一度
俺の切ないせつないこの胸に
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