2021年01月16日

二人の世界 後部電信室

「護衛艦あさかぜ」の前身はアメリカ海軍の高速駆逐艦エリソン、最大速力37.4ノット。第二次世界大戦中、北大西洋で活躍した艦は、選抜された海上自衛隊員により、米国から太平洋を越えて渡って来た。当時の主力、フリゲート艦の最速が18ノットと比べると雲泥の差だ。乗艦が決まると17歳の私は、小躍りして喜んだ。

3ヵ月後に、初めての戦闘訓練。電信員の戦闘配置は電信室に数名、艦橋電話に1名、そして後部電信室に2名だ。後部電信室は電信室が損害を受け、使用不能になった時のバックアップだから普段は無人。艦内旅行と称する見学で見ただけだった。因みに電信員で訓練中に海を見れるのは艦橋電話員だけである。

ところで、艦はプライバシーのない世界である。1,630トンの艦に約300人が乗っている。どこもかしこも人だらけ。その様な状況にも関わらず、後部電信室に配置される幸運に恵まれた。しかも、室は狭く二人でも密集、もちろん密着、密閉だ。たちまち、二人の世界になってしまった。憧れの先輩と一緒にね。

先輩は一つ年上の18歳、セーラー服姿が凛々しい紅顔の美少年、「君は東京の出身だね。仕事もいっぱいあるだろう」と入隊の動機に興味があるようだ。乗り組み以来艦内で二人きりに、なれたのは初めてだ。狭い室内には、心を開かせるような空気が漂っていた。先輩には何でも言えるような気がしてきた。

「生活保護を受けていたのが恥ずかしくて、知らない世界に行きたかったのです」。今では考えられないが、1950年代の渋谷区金王町の片隅は、職人と商人の町で物やカネの貸し借り等、助け合いながら暮らしていた。つまり、町内全住民が知り合いなのだ。生活保護を受ける身としては、極めて肩身が狭い思いをしていた。

「そうですか、僕といっしょだね」
「貧乏育ちにはみえませんが」
「妾の子なんだ」

制服を着て並んでいると個性が無いように見える。しかし、15歳で入隊し、「生徒」と呼ばれる少年には、複雑な事情を抱えている者が多かった。貧乏で親に仕送りが必要な子、複雑な家庭環境で悩む子、戦災で親を失い施設で育った子などだ。共通の入隊動機は、4年間勉強しながら給料をもらえること。ほとんど江田島の術科学校だが、約半年づつ、陸上通信隊実習と乗艦実習があった。

窓もなく密閉された後部電信室は別世界。一方、狭い艦内に300人もの乗組員、一人一人が耳も口もある人間だ。そこらじゅう人だらけ、この電信室だけが別世界である。時々ガン、少し置いてガンと、大砲を撃つ音がする。

音が聞こえても、見ることが出来ない世界は、無いのと同じだ。二人で静かに話していることが全てだった。訓練とはいえ戦闘配置、それなのに、ここだけが優しくて甘い香りに包まれていた。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 転職時代(15-23歳)
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