カラオケも行けない巣ごもり生活を始めて2年たった。舌癌発病にコロナ禍が追い打ちをかけたのだ。1年半前のことだが医師に癌と言われた。病名が付いた以上は治してもらえると思い、ホッとして「そうですか」と言った。看護師さんが微笑みながら「怖くないのですか?」とささやいた。痛くて飯が食えないのに異常なしと言われる方が怖い。
何であれ、病名を付けてもらうことが快復の第一歩だ。長年、体調が悪くて病院に行っても異常なしと診断され続けた。14歳の時、息苦しくなり、やたらに心臓がドキドキするようになった。それ以来、人並みの動きをすると、息切れがするし疲れが酷い。その状態は現在に至るまで続いている。その為、退職し無職になってとても嬉しかった。
数年は張り切っていろいろやったが、自由な活動といっても、やはり人並みの体力がないと難しいことが分かった。周囲の人に合わせられないと、心ならずも存在自体が迷惑になることがある。いろいろやって、いろいろ楽しんだが、いろいろと疲れた。自由な活動もやっぱりダメだった。
妻は家でゴロゴロしている私に家事をさせようとしたが、出来が悪いので諦めた。その代わり何をしてくれても、嫌味たっぷりだ。憂鬱な状態は十年以上続いたが、発想を変えて解決した。夫婦関係を母子関係に切り替えたのだ。私は子供になってお母さんを尊敬することにした。そして、言葉使いに気を付けて、言うことを聞く良い子になるように心がけた。
ある日、トイレで用を足していると、突然電灯が消えて真っ暗になり、いきなりドアが開いた。そして叱られた。
「臭い! 電気も点けないで何してんの!?」
「ごめんなさい」
と謝った。トイレに入るため、お母さんは電灯を点けるつもりで消したのだ。そして、開けたら私が座っているので驚いたのだろう。良い子を演じている私は、口答えをしない。
こんな対応を三年も繰り返していたら、とても優しいお母さんに変わってしまった。もちろん喜んで私の世話をしてくれる。私は、ことあるごとに「この歳になるまで生きてこられたのはお母さんのお陰です」と言う。体調が何時も良くない私としては、嘘偽り無い本当の気持ちだから素直に信じてもらえる。ちょっと変だが、80歳の母と81歳の子になった。二人暮らしなら何にでも成れる。為せば成る。
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