音痴だから音楽そのものから受ける感動は、普通の人と比べて少ないと思う。恥ずかしながら、コンサートホールで、交響曲の名演を聴いて涙が出たことがない。しかし、歌の場合は話は別、歌詞には人並み以上に感動する。
「さすらい」とはさすらうこと。故郷を出て他の土地をさまよい歩くことを言うそうだ。ならば、生まれてから定職に就くまでの23年間は、まさにさすらいの人生だった。暇に任せて思い出し、数えてみたら21か所をさまよっていた。
平均1年の滞在では友達も出来ない。そんな人生を23年も続けていると自分だけの世界に閉じこもるようになる。定職に就いた後も付き合いは苦手だ。遊んでくれる人も居ないので、映画を観たり本を読んだりして楽しみ、足りなければ空想で補った。
さすらいの旅人の私は、映画の小林旭のように強きをくじき弱きを助けながらの旅ではない。ただ、「さすらい」の歌詞にあるように、どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ♪ と思うだけ。そして、歌うたびに いつになったら この淋しさが♪ 消える日があろ 今日も今日も旅ゆく♪ と、さすらいの旅人の気分で生きて来た。
この歌の持つ孤独感が好きだ。歌のルーツを探ってみると、「ギハロの浜辺」という題名で、敗戦後、フィリピンの捕虜収容所で歌われていたと言う。作詞者は第十六師団(京都)の将兵と書いてあったが、その中の何方かの作詞と思う。
第16師団は敗戦の色濃い絶望的な1944年8月、レイテ島に移駐。10月、圧倒的な兵力の米軍がレイテ島に上陸。その結果、第16師団は壊滅した。13,000名で臨んだレイテ決戦の生還者は僅か620名と悲惨な結末を残して終わった。
「ギハロの浜辺」は、奇跡的に生き延びたフィリピン抑留の兵士たちの間で歌われていた。それを持ち帰った復員兵から、いくつかの変遷を経て、大ヒットした小林旭が歌う「さすらい」へと育って行った。原曲は異国情緒豊かでロマンチックな歌詞だった。戦争が激化する前に作られたと推測する。
作詞:西沢爽 補作曲:狛林正一 採譜:植内要
夜がまた来る 思い出つれて
おれを泣かせに 足音もなく
なにをいまさら つらくはないが
旅の灯りが 遠く遠くうるむよ
夜がまた来る 思い出つれて
おれを泣かせに 足音もなく
なにをいまさら つらくはないが
旅の灯りが 遠く遠くうるむよ
知らぬ他国を 流れながれて
過ぎてゆくのさ 夜風のように
恋に生きたら 楽しかろうが
どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ
過ぎてゆくのさ 夜風のように
恋に生きたら 楽しかろうが
どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ
あとをふりむきゃ こころ細いよ
それでなくとも 遙かな旅路
いつになったら この淋しさが
消える日があろ 今日も今日も旅ゆく
それでなくとも 遙かな旅路
いつになったら この淋しさが
消える日があろ 今日も今日も旅ゆく
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