「困りましたねぇ。どうしましょう」
「宴席だろう。お世辞に決まっているよ」と先輩。
「期待して待っていたら、悪いじゃないですか」
「それは絶対にない! 聞いたことも忘れているはずだ」
でも、万が一ということもある。「何を書くの?」と聞かれたのは初めてだ。なんとかしてAさんの期待に応えたい。すると、ある光景がパッと浮かんだ。私にとっては夢のような出来事だった。思い切って書いちゃおう。サプライズだ。
ある夏の昼下がり、Aさんから突然電話がかかって来た。
「私、わかる? 今あなたの家の前の公園。出られる?」
何だろう。こんなことは初めてだ。ともかく行ってみよう。公園はすぐそこだ。
Aさんは私より年上で社交的でお洒落な人。パワフルで世界中歩き回っている。何もかも私とは正反対である。
ベンチのある広場に行ってみたが、見当たらない。やや遠くの方にスラックス姿の女性が一人。洒落た帽子にサングラス、足を組んでタバコをふかしていた。ひょっとしたらと思ったが、彼女はタバコを吸わない。アチコチ見渡したが、らしい人はいないので念のため近づいてみるとAさんだ。ニヤッと笑って開口一番こう言った。
「私、フランス映画みたいにタバコを吸いながら男を待ってみたかったの」。一瞬、これは先日のお詫びかな、と思うのには訳がある。とりあえずは「様になっていますよ。ジャンヌ・モローみたいです」と調子を合わせた。
実は数日前、Aさんの友達と3人でお茶を飲んだ。「ここは私が持ちましょう」と言うと、こともあろうに「私、男と認めた人からしか奢られたくないのよ」と来たもんだ。一瞬ムッとしたが、Aさん流の気遣いかなと思いなおした。
だけど、彼女はこの一瞬を見逃さなかった。だから、お返しに来たのだ。「男と認めない」を帳消しにするため「男を待つ」ことにしたのだと思う。
「よかったな。男になれて」
「誤解を与えるような発言は謹んでください!」
「なにっ?」
「いえ。何でもありません。私の誤解です」
Aさんにだまって書いたので、自分のことと気づいて怒るかな、とか心配になって落ち着かない。私は知人のことを書くときは慎重だ。本人に気付かれないように性格、年齢、出来事、言葉遣いに至るまでガラリと変えることにしている。
それから、しばらくして懇親会でAさんと再会。この記事は期待に応えて書いたつもりだが、今じゃ心配の種だ。恐る恐る、あさっての方向から探りを入れた。
「Bさんのブログ面白いですね」
「私、お仲間のブログには興味ないのよ。もっと面白いのいくらでもあるでしょ」
まさに先輩の言う通りだ「何を書くの?」と聞いたことなど完全に忘れている。やはり読んでいなかった。更に、読まれる気配など全くない。好いことを知った。瓢箪から駒だ。これからもジャンジャン書いてやろう。静かに余生を送っている私に、これほどネタを提供してくれる人は居ないのだ。
Aさんは私にとっては余人をもって変え難い人。神様のような存在である。触らぬ神に祟りなしとも言うけれど私は療養中、快復のために軽いストレスも大切だそうだ。