2022年10月15日

トイレの神様

早いもので結婚して56年、夫婦二人暮らしになり25年、家の中で幸せを見つけて5年たった。長い間、幸せは外にあると思っていたが、内にもあることに気づいた。

もちろん、仕事の中で幸せを見つけられれば最高だが、仕事は苦手だった。だから、仕事以外で幸せを見つけようと出歩いていたが、何も見つからなかった。こんな風に、幸・不幸について考えていたら、30年ほど前のことを思い出した。

福岡で勤務していた頃だが、同僚の元気がない。ボソボソと次のように話してくれた。奥さんが亡くなった、調理師をしている娘さんが職場で大火傷をした。数日後、猫が車に轢かれて死んだと言って涙ぐんでいた。奥さんの死、娘さんの事故については淡々と話していたが、猫が死んだのが一番辛かったと嘆いていた。慰める言葉も見つからなかった。

妻への愛、娘への愛、猫への愛、それぞれの愛は深さが違うようだ。ところで、我が家の愛は意外な所にあった。トイレが近いので溢れるほどの愛を注いでもらっている。

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便座を開けて立って用を足す。毎回「愛」を見ながら放水している。ところが、書いてくれた人は後ろ向きに座って用を足す。見えるのはドアだけだ。私だけの為に飾ったのだろうか。いずれにしろ有難い話だ。

コロナ禍と癌の手術と治療で巣ごもり3年になると、こんなことでも幸せを感じるようになる。これはホンの一例で、自分の生き方を変えたのが幸せ感の土台になったと考える。と言っても誉められた話ではない、自分の身体が弱ってきて人に頼るようになったのだ。

幸せは感謝する心から始まった。感謝は相手に伝わって私に返ってくることを知った。私は仕事が苦手だから家の仕事(家事)も苦手だ。自分が苦手なことをしてくれる人に感謝した。喜んでやってくれれば更に感謝は深まる。

二人企業の社長の気分になって、仕事(家事)をする人に感謝して褒める。そして、苦情を言ってくれるように促す。その仕事が大変ならば、私が代わりましょうとも言った。自分は凄くズルイと思う。仕事を代われとは言われないことを知りながら、代わると言っている。

小さな用を足すごとに、目の前の書が目に入る。トイレの「愛」を私への愛と思っている。気がつけば、自分に都合のいい方に思い込む人になっていた。神が私を生き易い人に変えてくれたのかも知れない。
タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般
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