私はハッピーリタイアメント以後の61歳から74歳までを自由時代と思っている。82歳の今になって振り返れば、恥ずかしいことばかりだが楽しい思い出も多い。
毎朝、中島公園でラジオ体操していた。ダラダラとお喋りしながら体操する、高齢者グループが目障りだった。彼らは元気いっぱい休むことなく体操を続けている。皮肉なことに、力いっぱい体操していた私が腰痛で入院してしまった。
未曾有の台風にも負けなかった 2004年9月8日、台風18号で中島公園は被害甚大。それでもラジオ体操は休まず、倒木の中でも続けられた。
退院後のラジオ体操は、家で妻のP子と一緒に楽しみながらやることにした。成功のコツは成功者の真似から始めよ、と言う。不真面目な高齢者グループを見習い、P子と向かい合って話しながら体操をすることにした。
今朝の話題はニュースで聴いたばかりの死亡事故。小学生が天窓の上に乗ったらガラスが壊れ、落ちて亡くなったそうだ。そんな所に乗る子が悪いと、P子が得意の自己責任論。私は管理する学校にも責任があると考えた。体操をやりながらだから、イチ、ニイ、サン、シ、の合間に短い言葉で言わなければばならない。誤解の生じ易い状況である。
施設は利用状態に応じた強度で造らなければならない。もし、不可能なら立入禁止など必要な制限をつけるべきだ。しかし、P子は作った人が悪いと受け止めたらしい。それを自分の料理へと連想させ、いきなりかみ付いてきた。
「私が作った料理が多いと言って残すでしょ。それなら自分で作ればいいのよ」
どうして、このような展開になるのか理解できない。
「それとこれとは別でしょう」
「同じことよ、あんたの兄弟はみんなそうなのよ。お兄さんも理屈っぽいしね!」
こんなことを長々としゃぺっていては体操にならない。
「ホラホラ体操が音楽に合っていませんよ」
「後ろ向いてよ!」
厳しい注文だ。顔も見たくないということだろう。
「料理と事故は別でしょう」
「その話はもう終わったの!」
小学生の自己責任と言われても、はい、そうですねとは頷けない。造った者の責任も指導者の注意義務もあるのではないか。断じて同意できない。しかし、黙ってしまった。
何か言えば「しつっこいね!」と返されて、それでお仕舞いだ。ラジオ体操は型どおり終了した。勝ったP子は朝食の支度にかかった。負けた私は、いつもの「紅茶サービス」をする気も失い、自室にこもってしまった。
しばらくして、P子が呼びに来た。
「紅茶番いないから、コーヒーにしたよ」
紅茶番とは私のことである。
「インスタントですね」
「当たり前よ。部屋で何していたの?」
「これからの人生について考えていました」
「どうして?」
「文句ばっかり言われているでしょう」
「そうかなぁ? 7割くらい嫌いだから言ってるかもね」
残り3割、まあいいか。野球なら打率3割で超一流だ。
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